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チュニス戦争

チュニス戦争
Guerra di Tunisi
チュニス戦争 (イタリア語: Guerra di Tunisi )とは、統一暦2XX年4月2日から4月12日にかけて勃発した戦争。
アークランド・アーデルフィア軍事統制国によるカルタゴ港国への誤爆事件をきっかけに、 カルタゴ解放運動勢力 と北アフリカのヴィラン系勢力である ヴィラン・ポエニ がチュニス(カルタゴ)にて蜂起したことを理由に サンマリノ イタリア王国 、アークランド・アーデルフィア軍事統制国の三か国を中核とする計七か国の多国籍連合軍が対抗手段としてチュニス周辺地域へ軍事介入を始めたことによる、 容赦なき憤怒作戦 以来の 対ヴィラン戦争 である。
サンマリノ 及び、サンマリノ派諸国のチュニス占領をもって、終結した。
交戦勢力
多国籍連合軍 カルタゴ解放運動
サンマリノ
ポエニのヴィラン戦線(ヴィラン・ポエニ)
カルタゴ港国 反政府派カルタゴ人
共和政カルタゴ
モスクワ第二帝国
イタリア王国
アークランド・アーデルフィア軍事統制国
ウルクイナ共和国
大オーストリア帝国
氷河(HYO-GA)株式会社

+ 背景
第二次東欧大戦の終結後、サンマリノは、モスクワ海軍によって制海権が奪取されたことから、海軍力の大幅な強化を計画。また、長年のイタリアへの依存を断つ「イタリア離れ」政策による自立した国家発展を進めた。

サンマリノは「イタリア離れ」政策の一環として、独立企業であるHYO-GAと極秘に連携した。
イタリアとの衝突を避けるべく「カルタゴ港国への進出」として協力体制を構築していったものの、後にイタリアの情報筋によってこの件が明るみになってしまう。イタリアからの非難を受け、HYO-GAは進出を撤回し、状況は一旦の収束を見せた。

海軍力強化や「イタリア離れ」と並行して、サンマリノは軍隊を持たないカルタゴ港国の戦力化も進めており、カルタゴ国際港を領土とした軍事国家「共和政カルタゴ」サンマリノの強い庇護下で独立した。

しかし、カルタゴ人は戦力化を黙ってはいなかった。
古くからチュニス(カルタゴ)を強く信仰していたカルタゴ人は、旧カルタゴ王国の植民地化とチュニスとの隔離、そして軍事拠点として都合のいいように扱われる現在のカルタゴを目の当たりにし、ついに怒りが爆発。北アフリカ各地で反政府派カルタゴ人を中心としたデモが一気に発生した。

こうしたカルタゴ解放運動に、ヴィラン勢力が接近を始める。容赦なき憤怒作戦の実施や、イタリア・サンマリノ両軍の弾圧により活動が低調となっていた「ヴィラン・ポエニ」が、カルタゴ解放運動に便乗し、勢力を拡大しようと図ったのだ。
反政府派カルタゴ人はヴィラン・ポエニの呼び掛けに賛同し、カルタゴ解放運動の規模は着々と拡大していった。いつしか、カルタゴ解放の主張は言論から武力によるものに変わっていき、北アフリカやヨーロッパでのテロ攻撃が相次いだ。

一部の国々は対抗手段を取ろうとしたものの、先のヴィラン掃討作戦での民間キャンプ誤爆を起こした瑞州が立場を追われたこともあり、作戦上の不祥事を恐れて対応をためらった。

サンマリノではアークランドと合同での武力掃討を決定するも、国際的な立場の揺らぎや国内外の反発で停滞。
最終的にアークランド単独でのチュニス内のヴィラン基地に対する掃討作戦を実施したが、カルタゴ港国やサンマリノとの連携がうまくいかず、チュニス全体にも多大な被害が及び、サンマリノとアークランドの関係が悪化する。

イタリアは「植民地帝国領の侵害」としてアークランドを軽く警告した。だが、これにサンマリノが反応し、「サンマリノやカルタゴは植民地の範囲内ではなく、主権と自由を持った地域」と主張。サンマリノとイタリアの関係は冷めきった。

サンマリノとイタリアの論争が激化する中、アークランドによって破壊され、一時的に実質の主権を有する国がいなくなったチュニスでは、ヴィラン・ポエニと反政府カルタゴ人が実権を掌握していた。
緊迫する地中海情勢。サンマリノとイタリアは、大きく揺らぎつつある関係のまま、アークランドを招待した多国籍連合軍を率いて、本格的なヴィラン掃討作戦を実施する。

+ 開戦
統一暦2XX年4月2日、多国籍連合軍はサンマリノ、イタリア、アークランドに、オーストリア、ウルクイナ、氷河を加え、ヴィラン掃討及び解放運動鎮圧作戦を実施する。
カルタゴ解放運動側には、チュニスでの利権を求めるヴィラン・ポエニやモスクワが参加した。

チュニス戦争は、多国籍連合軍の侵攻によってその火蓋が切られた。
多国籍連合軍は惜しみない海上・航空戦力を行使し、ヴィラン・ポエニへと先制攻撃を仕掛ける。チュニスへの遠征で戦力をほとんど使い果たし、かつ外部からの攻撃を想定していなかったヴィラン・ポエニの中枢は総崩れ。チュニス内における多数の基地が破壊され、モスクワが加勢し応戦するも、不足する軍事力では多国籍連合軍に勝つことは叶わなかった。

ヴィラン・ポエニの指導者である2代目エクトスキは、滅亡覚悟で以前の拠点であるチャドに駐在するヴィラン・ポエニ軍を全て動員。モスクワも便乗し旅団規模の派遣を決定し、チュニスへ向かわせた。しかし、チャドやモスクワとチュニスでは距離が非常に離れており、また広大な砂漠地帯を突き進まなければならないため、到着は遅れることとなる。その隙をついて多国籍連合軍はチュニス沿岸へ上陸を開始した。

ウルクイナの強襲揚陸艦を旗艦とした上陸部隊は、無事チュニスへの上陸をし成功させたものの、ここで問題が発生。
戦後のチュニス再取得を望み、チュニスの破壊を最小限に保とうとするサンマリノと、作戦の遅延を考慮し反発するイタリアやアークランドとで意見の相違が生じ、ヴィラン・ポエニ側の戦力は無いに等しいのにも関わらず上陸から一週間近くが経過してもなお侵攻再開の命が下りることはなく、部隊は一向に進めなかった。

意見の食い違いから、多国籍連合軍内で勢力がきっぱりと分かれてしまう。
チュニスの再興に重点を置き、慎重な行動を推進する サンマリノ派(サンマリノ、ウルクイナ、氷河) 、チュニスの確保に重点を置き、より迅速な作戦の遂行を推進する イタリア・アークランド派(イタリア、アークランド、オーストリア) の勢力に分裂。最終的には、建前上ではあるがサンマリノ派の意見が通り、作戦は再開。だが、それぞれが独自の行動をするようになってしまい、首脳部の命令が意味を成さなくなってしまう。

一悶着あったものの、多国籍連合軍は着々とチュニスの制圧を進めていった。
4月8日にはイタリア・アークランド・オーストリアの部隊が港湾都市であるラ・グレットを、9日ではサンマリノとウルクイナの部隊がチュニス最大の要塞であるシディ・ブ・サイド要塞を攻略。また、氷河やアークランドによる継続的な航空攻撃により、ヴィラン・ポエニの部隊は完膚なきまでに叩きのめされていった。

一方的に打ち負かされたままであったカルタゴ解放運動陣営であるが、ここでチャド駐在部隊とモスクワの第136歩兵旅団がついに到着。また、モスクワ海軍からも第11潜水艦隊が派遣され、多国籍連合軍の海上戦力と真っ向から衝突した。

ヴィラン・ポエニやモスクワの健闘もむなしく、強大な戦力を持つ多国籍連合軍は悠々と突破していった。
戦力の差に圧倒された二代目エクトスキは、閣僚数人と連隊規模の歩兵を引き連れ、政府専用機を使い逃亡。幸いにも無事だったチャドの拠点へと亡命した。

モスクワはヴィラン・ポエニの戦線離脱後もカルタゴ人との協力を続け、戦力は減りながらもチュニス最後の砦である南カルタゴ要塞を守った。
モスクワ空軍第37・38航空師団による洗練された連携攻撃には、現場のサンマリノ軍をも圧倒させたが、量で勝る多国籍連合軍を前に、あえなく敗北。

最終的にモスクワも戦線を離脱。孤立したカルタゴ人は無条件での降伏を選択し、チュニス戦争は多国籍連合軍の勝利に終わった。
しかしサンマリノはチュニスを占領したまま、独立した行動を取っていたことを理由に、イタリアやアークランドなどの多国籍連合軍参加国の入る隙を与えず、サンマリノ派の国々にのみ介入の権限を付与し、独占した。この事件は多国籍連合軍参加国の間で物議を醸し出したものの、サンマリノ派がチュニスの利権を得た以上、その圧力で揉み消されている。

+ 終戦と、その後
戦後については こちら

チュニス戦争における多国籍連合軍の投入戦力
サンマリノ 非公開
カルタゴ港国 非公開
共和政カルタゴ 非公開
ウルクイナ 強襲揚陸艦×1
海霧型汎用艦×5
E3早期警戒管制機×1
F17戦闘機×25
戦車×2
歩兵×300
氷河 氷級戦艦×2
雹級戦艦×2
結氷級対潜軽空母×4
氷霧級強襲揚陸艦×4
氷結級重巡洋艦×3
氷筍級巡洋艦×8
樹氷級駆逐艦×10
粗氷級駆逐艦×12
B-1爆撃機×50
F-2戦闘機×40
F-3戦闘機×120
制圧艦×126
CH-1×340
CH-2×120
24式機動陸上戦闘機×450
イタリア 非公開
オーストリア てんくう型護衛駆逐艦×3
Blitz型攻撃ドローン×2
歩兵×710
アークランド 非公開
ヴィラン・ポエニ 非公開
モスクワ 非公開
(99型潜水母艦×1)
(99型潜水艦×3)
(MAF-01×9)
(MAF-01対空ミサイル装備型×30)
(MAF-02×30)
(MAF-02対空ミサイル装備型×9)
(歩兵×7500)

ギャラリー

2XX/4/8、アークランド軍撮影

ラ・グレット攻略へと向かうアークランド軍の飛行船。
2XX/4/8、イタリア軍撮影

ラ・グレット攻略に際し、砲撃準備を進めるイタリア軍の戦艦。
2XX/4/11、イタリア軍撮影

南カルタゴ要塞上空でモスクワ軍戦闘機部隊を発見し、針路を転換するアークランド軍の飛行船。
2XX/4/11、イタリア軍撮影

南カルタゴ要塞空戦において攻撃を行うアークランド軍の飛行船と、それを護衛するイタリア軍の戦闘機。
最終更新:2026年02月14日 06:46