車種名 | FR2 |
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クラス | R4 |
最高出力 | 450ps |
車体重量 | 980kg |
パワーウェイトレシオ | 2.2 |
吸気形式 | ターボ |
駆動方式 | M4 |
入手金額 | |
0-100km/h加速 | 3.23sec. |
最高速度 | 202km/h |
メモ | 空前絶後、唯一無二。 使命は「勝利」の2文字のみ |
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概要
R4クラスに登場。重量の割に高い安定感を有する。
パワーこそ中庸、平凡で重量もLD4と比較すればイマイチな印象を受けるが、乗ってみればその安定感の高さに驚くはず。ミドシップらしくコーナーの入りは鋭いが、破綻のしにくさもピカイチのため、高い速度を維持して躊躇なくアクセルを踏んでいける。ランキングでも猛威を振るっており、乗りやすさ、速さともにランカーたちの折り紙つき。R4クラスへステップアップしたばかりの諸氏には、ミドシップ4WDに慣れるという観点、そして何よりR4クラスのマシンはどれも安い買い物ではないため、末長く愛用できるという点からも強くお勧めできる1台である。
パワーこそ中庸、平凡で重量もLD4と比較すればイマイチな印象を受けるが、乗ってみればその安定感の高さに驚くはず。ミドシップらしくコーナーの入りは鋭いが、破綻のしにくさもピカイチのため、高い速度を維持して躊躇なくアクセルを踏んでいける。ランキングでも猛威を振るっており、乗りやすさ、速さともにランカーたちの折り紙つき。R4クラスへステップアップしたばかりの諸氏には、ミドシップ4WDに慣れるという観点、そして何よりR4クラスのマシンはどれも安い買い物ではないため、末長く愛用できるという点からも強くお勧めできる1台である。
元ネタ解説
フォード・RS200


グループB規定での競技が激化する1984年。フォードがミッドシップレイアウトの4WDマシンとして開発したのがこのRS200である。他のマシンが外見と名前だけは市販車に寄せたもので参戦する一方で、RS200だけは名前も見た目も市販車とは一切の無関係。このため、ハッチバックが多かった他のマシンとは違いスポーティなフォルムを有している。
ミッドシップに右へ20度傾けて搭載される直列4気筒DOHCエンジンは、コスワース製1.8LのBDTユニット。BDAユニットをベースにギャレット製ターボ などを装着。ワークスカーの最高出力は公称450馬力。排気量は過給機係数1.4を乗じて2524となり2500ccのクラスになる。また、将来的にはBDT-Eという2.1Lのエボリューションモデル用エンジンを搭載する予定であったがこちらは開発が間に合わず、WRCへの実戦投入はされていない。
シャシーはアルミ製のハニカムモノコック。ボディはロビンをはじめとする3輪車でお馴染みのイギリスメーカー、リライアントが製造を担当したグラスファイバー製のもので、軽量化にもこだわった仕上がりとなっている。
このマシンにおける最大の特徴は駆動力配分の機能が備わっていることであろう。通常時は前37:後63でトルクを配分するフルタイム4WDだが、デフロックを用いて直結4WDとするモード、そして前輪へ駆動力を供給せず後輪のみを駆動するMRモードへの切り替えが可能となっている。これは同世代の他のラリーカーにはみられない、RS200独自のものである。しかしロードカーではこの機能はオプション装備となっていたため、大半は37:63の駆動配分のままでデリバリーされていた。
WRCのために開発されたこのRS200だが、85年の段階では「連続する12ヶ月で200台」というグループBのホモロゲ取得要件を満たせず、最終戦RACラリーに投入することは叶わなかった。また、86年の初戦ラリー・モンテカルロでは前述のエボリューションモデル用エンジンの開発が間に合わず参戦見送り。続くラリー・スウェーデンではエボリューションモデルではなく市販車の改造で出場することとなる。前述の通りこのマシンは排気量の関係で2500ccクラスでの出場となり、最低重量は960kgと、2500cc以下のクラスで出場する場合の890kgと比較して70kgのハンデを課された格好になる。2500cc以下のクラスに出場したライバルとしてはランチア・デルタS4やプジョー・205T16が該当する。それでもRS200は3位にどうにか食い込み戦闘力の高さを示す。しかし、このマシンに残された猶予はそう多くなかった。
第三戦、ラリー・ド・ポルトガル。J.サントスのドライブするRS200がコース上に侵入した観客を避けようとした結果、路肩の観客を巻き込みながらクラッシュ。確認されただけでも32人の負傷者と4人の犠牲者を出す大事故を起こしてしまう。このことを受けフォードは本ラリーを棄権、WRCからも撤退してしまう。第6戦アクロポリス、第12戦RACにはワークス体制で出走するも目立った戦績は残せぬまま、グループB規定での競技は終了し、RS200は本来の活動の場を失ってしまったのだった。
WRCでの活躍はできずに舞台を去ったRS200だが、他のグループBラリーカーがそうであったようにこのマシンもまた活動の場を移す。払い下げられたワークスマシンはその性能が高く評価され、ヨーロッパの顧客がこぞって買い占める結果に。時にはエボリューションモデルで想定されたスペック以上を叩き出しながら、ラリークロスをはじめとする競技でクワトロやデルタ、MGメトロ6R4といったグループBのライバル達と鎬を削りあった。さらに2004年のアメリカ、パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム。生産開始から20年の節目となるこの年、Mach2 Racing Teamが元ワークスドライバーのS.ブロンクビストを擁してRS200でアンリミテッドクラスに出走し、見事優勝。RS200の名はここに刻まれることとなった。
WRCを2度制覇し、現在もダカール・ラリーに出走するベテランラリーストのC.サインツ.セナモールは「自身のキャリアの中で最強のラリーカーは?」という質問に対しRS200の名を挙げている。勝利のために生まれ、時代の波に翻弄され、自らの事故でその道を閉ざしてしまったRS200。その唯一無二の輝きが色褪せることはないだろう。
ミッドシップに右へ20度傾けて搭載される直列4気筒DOHCエンジンは、コスワース製1.8LのBDTユニット。BDAユニットをベースに
シャシーはアルミ製のハニカムモノコック。ボディはロビンをはじめとする3輪車でお馴染みのイギリスメーカー、リライアントが製造を担当したグラスファイバー製のもので、軽量化にもこだわった仕上がりとなっている。
このマシンにおける最大の特徴は駆動力配分の機能が備わっていることであろう。通常時は前37:後63でトルクを配分するフルタイム4WDだが、デフロックを用いて直結4WDとするモード、そして前輪へ駆動力を供給せず後輪のみを駆動するMRモードへの切り替えが可能となっている。これは同世代の他のラリーカーにはみられない、RS200独自のものである。しかしロードカーではこの機能はオプション装備となっていたため、大半は37:63の駆動配分のままでデリバリーされていた。
WRCのために開発されたこのRS200だが、85年の段階では「連続する12ヶ月で200台」というグループBのホモロゲ取得要件を満たせず、最終戦RACラリーに投入することは叶わなかった。また、86年の初戦ラリー・モンテカルロでは前述のエボリューションモデル用エンジンの開発が間に合わず参戦見送り。続くラリー・スウェーデンではエボリューションモデルではなく市販車の改造で出場することとなる。前述の通りこのマシンは排気量の関係で2500ccクラスでの出場となり、最低重量は960kgと、2500cc以下のクラスで出場する場合の890kgと比較して70kgのハンデを課された格好になる。2500cc以下のクラスに出場したライバルとしてはランチア・デルタS4やプジョー・205T16が該当する。それでもRS200は3位にどうにか食い込み戦闘力の高さを示す。しかし、このマシンに残された猶予はそう多くなかった。
第三戦、ラリー・ド・ポルトガル。J.サントスのドライブするRS200がコース上に侵入した観客を避けようとした結果、路肩の観客を巻き込みながらクラッシュ。確認されただけでも32人の負傷者と4人の犠牲者を出す大事故を起こしてしまう。このことを受けフォードは本ラリーを棄権、WRCからも撤退してしまう。第6戦アクロポリス、第12戦RACにはワークス体制で出走するも目立った戦績は残せぬまま、グループB規定での競技は終了し、RS200は本来の活動の場を失ってしまったのだった。
WRCでの活躍はできずに舞台を去ったRS200だが、他のグループBラリーカーがそうであったようにこのマシンもまた活動の場を移す。払い下げられたワークスマシンはその性能が高く評価され、ヨーロッパの顧客がこぞって買い占める結果に。時にはエボリューションモデルで想定されたスペック以上を叩き出しながら、ラリークロスをはじめとする競技でクワトロやデルタ、MGメトロ6R4といったグループBのライバル達と鎬を削りあった。さらに2004年のアメリカ、パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム。生産開始から20年の節目となるこの年、Mach2 Racing Teamが元ワークスドライバーのS.ブロンクビストを擁してRS200でアンリミテッドクラスに出走し、見事優勝。RS200の名はここに刻まれることとなった。
WRCを2度制覇し、現在もダカール・ラリーに出走するベテランラリーストのC.サインツ.セナモールは「自身のキャリアの中で最強のラリーカーは?」という質問に対しRS200の名を挙げている。勝利のために生まれ、時代の波に翻弄され、自らの事故でその道を閉ざしてしまったRS200。その唯一無二の輝きが色褪せることはないだろう。