| 車種名 | M30 |
![]() | |
| クラス | C |
| 最高出力 | 280ps |
| 車体重量 | kg |
| パワーウェイトレシオ | |
| 吸気形式 | |
| 駆動方式 | FR |
| 入手金額 | |
| 0-100km/h加速 | sec. |
| 最高速度 | km/h |
| メモ | カテゴリーを超えて縦横無尽の大活躍! Mを冠する最強の3シリーズ |
記事は編集中です。
概要
元ネタ解説
BMW・M3(E30)
BMWのスポーツ部門、BMW M Motorsport。レースマシンの研究や市販の高性能車の開発、トレーニングプログラムの実施など、BMWのモータースポーツの中心を担う子会社である。そんなMの手によってチューンされたE30型3シリーズ、それが初代M3である。
BMWはかつてノイエ・クラッセと呼ばれる小型車をラインナップしていた。有名どころは量産車初のターボチャージャー搭載車、2002ターボ(マルニターボ)であろう。3シリーズはノイエ・クラッセ、いわゆるマルニシリーズの後継として1975年に初代E21型が発売された。その後もモデルチェンジを続けながら、現在は7代目となるG20型が販売されている。欧州はもとよりアリメカでも小型セダンとして人気を博するベストセラーモデルとなっており、また日本でも同クラスの輸入車の中では売れ筋となっている。BMWにとっては商品の中核を担う重要なモデルである。
E30型は、2代目の3シリーズとして1982年に発売された。先代はグレードによりヘッドライトが2灯か4灯と分かれていたが、この代より4灯に統一される。セダンはもとよりステーションワゴンやクーペ、カブリオレといった多彩なボディをラインナップしており、エンジンは直4と直6の2種類を用意。選択肢の多さもそうだが、車体のしっかりとした構造も相まって走りの面でも好評であったようだ。中でも売れ筋は4ドアセダン。同時期にメルセデス・ベンツが販売していた小型セダン、W201型190クラスと人気を二分した。日本では両者とも5ナンバーサイズに収まり、またバブル景気に沸いた時期でもあったなどの好条件が重なったことにより一躍大人気車種となる。その売れっぷりから190クラスの「赤坂サニー」と対比して「六本木カローラ」などと皮肉られるほどであった。
そんな3シリーズであったが、販売上のライバルであったメルセデスの190クラスは更なるプロモーション活動を開始。それがレース活動であった。コスワースにエンジンチューンを依頼した190E 2.3-16と呼ばれるスポーツモデルをラインナップし、モータースポーツの世界へと足を踏み入れていたのだ。これに呼応するように、BMWも190クラスの販売上の同格ライバルである3シリーズをベースとしたグループAのホモロゲ車両、即ちM3の開発を決定したのである。
グループA規定では、市販車からエンジンやサスペンション、空力パーツなどの変更が禁じられている規定のため、市販状態でもある程度の性能を備えねばならなかった。このため、M3は3シリーズにフロント、リヤスポイラーにサイドスカートなどを装備し、空力面を増強。Cd値は通常の3シリーズが0.38であったのに対してM3は0.33と、その成果は数値となって表れている。搭載されるエンジンはS14型2.3L直列4気筒。635CSiなどのかつてのBMWのツーリングカーは直列6気筒を搭載していたが、E30では重量を減らしてさらにコーナリング性能に磨きをかける設計となった。通常モデルでは195馬力であったが、エボリューションモデルでは210馬力、エボ2では220馬力、レース仕様は300馬力以上を発生させるなどそのポテンシャルの高さが垣間見える。
レースの世界で190クラスと覇権を争うために生まれたM3は、ツーリングカーレースをはじめ様々な分野で大活躍。WTCやETCではマシン性能の勝るフォード・シエラ相手に奮戦し、一定の戦績を残す。またDTMにおいては初出場の87年シーズンからライバルを圧倒して大成功を収める。後年勢いがなくなっていったが、基本設計の古さを考えれば十分に健闘したと言えよう。その他BTCCや耐久レース、マカオ・ギアレースにJTCなど名だたるレースに悉く参戦し、それらの多くで表彰台獲得など華々しい結果を残している。
元々ツーリングカーレースのために生まれた車ではあるが、そもそもツーリングカーという言葉の意味を考えればそれは「実用車」である。そしてM3はまさにそれを体現するかの如くWRCにも殴り込みをかけたのであった。
1987年、プロドライブのD.リチャーズの提案によりBMWはM3をラリーへ送り込むことを決定。BMW本社からの十分な支援は得られなかった一方で各地のディーラーが支援に回り、参戦体制が整った。この年はB.べガンによるツール・ド・コルスへの出走のみで終わってしまったが、絶対王者ランチアを押さえ切って見事優勝する大金星。ベガンにとっても、プロドライブにとっても記念すべき初優勝となり、BMWにとってはマルニが現役であった頃の1973年以来、実に14年ぶりとなる優勝となった。その後はマシンの熟成が進められ、BMW本社もそれまでのツーリングカー用エンジンに代えて新規にラリー用のエンジンを開発。さらにプロドライブが純正の5速に代わる6速ミッションを独自開発するなど、多方面からのアップデートが繰り返された。さらには88年1000湖ラリー、ここではWRC初となるトラクション・コントロール・システム(TCS)がA.バタネンのM3に装備されるなど、新規パーツもこの車の見どころであったようだ。その後M3は1990年までWRCのフィールドで活躍。王者の四駆マシンたちに混じって出走し入賞、時に表彰台を獲得するなど確かな実力を発揮している。
WRC以外のラリーではERCへ出場。87年のラリー・ド・アンティブにてベナンが格上のシエラを駆るD.オリオールを抑えて優勝。88年にはガリグーでF.シャトリオが、マデイラとマンクスではP.スナイヤーズが優勝を決めるなど、こちらも華々しい活躍を見せる。後年になってもその実力は健在で、95年エル・コルテ・イングレスではJ.M.ポンセがこの車に5年ぶりとなる優勝をもたらした。さらにナショナル選手権では88年以降、スナイヤーズやM.デュエツがベルギー選手権を。シャトリオがフランス選手権を。J.バーカスやポンセがスペイン選手権を制覇し、これまた輝かしい戦績を残している。
これほどのフィールドを選ばない活躍ができたのは、ひとえにM3の車としての完成度が高かったからであることに違いない。元々の目標であったツーリングカーの世界のみならずラリーにまでその名を轟かせ、しかも売れ筋の3シリーズの一員としてラインナップを彩ったのがこのE30。ここまでオールラウンダーという言葉が似合う車は、古今東西探しても稀有なものであろう。縦横無尽に暴れ回ったE30の栄光は、現在も色褪せることなく輝いているのだ。
BMWのスポーツ部門、BMW M Motorsport。レースマシンの研究や市販の高性能車の開発、トレーニングプログラムの実施など、BMWのモータースポーツの中心を担う子会社である。そんなMの手によってチューンされたE30型3シリーズ、それが初代M3である。
BMWはかつてノイエ・クラッセと呼ばれる小型車をラインナップしていた。有名どころは量産車初のターボチャージャー搭載車、2002ターボ(マルニターボ)であろう。3シリーズはノイエ・クラッセ、いわゆるマルニシリーズの後継として1975年に初代E21型が発売された。その後もモデルチェンジを続けながら、現在は7代目となるG20型が販売されている。欧州はもとよりアリメカでも小型セダンとして人気を博するベストセラーモデルとなっており、また日本でも同クラスの輸入車の中では売れ筋となっている。BMWにとっては商品の中核を担う重要なモデルである。
E30型は、2代目の3シリーズとして1982年に発売された。先代はグレードによりヘッドライトが2灯か4灯と分かれていたが、この代より4灯に統一される。セダンはもとよりステーションワゴンやクーペ、カブリオレといった多彩なボディをラインナップしており、エンジンは直4と直6の2種類を用意。選択肢の多さもそうだが、車体のしっかりとした構造も相まって走りの面でも好評であったようだ。中でも売れ筋は4ドアセダン。同時期にメルセデス・ベンツが販売していた小型セダン、W201型190クラスと人気を二分した。日本では両者とも5ナンバーサイズに収まり、またバブル景気に沸いた時期でもあったなどの好条件が重なったことにより一躍大人気車種となる。その売れっぷりから190クラスの「赤坂サニー」と対比して「六本木カローラ」などと皮肉られるほどであった。
そんな3シリーズであったが、販売上のライバルであったメルセデスの190クラスは更なるプロモーション活動を開始。それがレース活動であった。コスワースにエンジンチューンを依頼した190E 2.3-16と呼ばれるスポーツモデルをラインナップし、モータースポーツの世界へと足を踏み入れていたのだ。これに呼応するように、BMWも190クラスの販売上の同格ライバルである3シリーズをベースとしたグループAのホモロゲ車両、即ちM3の開発を決定したのである。
グループA規定では、市販車からエンジンやサスペンション、空力パーツなどの変更が禁じられている規定のため、市販状態でもある程度の性能を備えねばならなかった。このため、M3は3シリーズにフロント、リヤスポイラーにサイドスカートなどを装備し、空力面を増強。Cd値は通常の3シリーズが0.38であったのに対してM3は0.33と、その成果は数値となって表れている。搭載されるエンジンはS14型2.3L直列4気筒。635CSiなどのかつてのBMWのツーリングカーは直列6気筒を搭載していたが、E30では重量を減らしてさらにコーナリング性能に磨きをかける設計となった。通常モデルでは195馬力であったが、エボリューションモデルでは210馬力、エボ2では220馬力、レース仕様は300馬力以上を発生させるなどそのポテンシャルの高さが垣間見える。
レースの世界で190クラスと覇権を争うために生まれたM3は、ツーリングカーレースをはじめ様々な分野で大活躍。WTCやETCではマシン性能の勝るフォード・シエラ相手に奮戦し、一定の戦績を残す。またDTMにおいては初出場の87年シーズンからライバルを圧倒して大成功を収める。後年勢いがなくなっていったが、基本設計の古さを考えれば十分に健闘したと言えよう。その他BTCCや耐久レース、マカオ・ギアレースにJTCなど名だたるレースに悉く参戦し、それらの多くで表彰台獲得など華々しい結果を残している。
元々ツーリングカーレースのために生まれた車ではあるが、そもそもツーリングカーという言葉の意味を考えればそれは「実用車」である。そしてM3はまさにそれを体現するかの如くWRCにも殴り込みをかけたのであった。
1987年、プロドライブのD.リチャーズの提案によりBMWはM3をラリーへ送り込むことを決定。BMW本社からの十分な支援は得られなかった一方で各地のディーラーが支援に回り、参戦体制が整った。この年はB.べガンによるツール・ド・コルスへの出走のみで終わってしまったが、絶対王者ランチアを押さえ切って見事優勝する大金星。ベガンにとっても、プロドライブにとっても記念すべき初優勝となり、BMWにとってはマルニが現役であった頃の1973年以来、実に14年ぶりとなる優勝となった。その後はマシンの熟成が進められ、BMW本社もそれまでのツーリングカー用エンジンに代えて新規にラリー用のエンジンを開発。さらにプロドライブが純正の5速に代わる6速ミッションを独自開発するなど、多方面からのアップデートが繰り返された。さらには88年1000湖ラリー、ここではWRC初となるトラクション・コントロール・システム(TCS)がA.バタネンのM3に装備されるなど、新規パーツもこの車の見どころであったようだ。その後M3は1990年までWRCのフィールドで活躍。王者の四駆マシンたちに混じって出走し入賞、時に表彰台を獲得するなど確かな実力を発揮している。
WRC以外のラリーではERCへ出場。87年のラリー・ド・アンティブにてベナンが格上のシエラを駆るD.オリオールを抑えて優勝。88年にはガリグーでF.シャトリオが、マデイラとマンクスではP.スナイヤーズが優勝を決めるなど、こちらも華々しい活躍を見せる。後年になってもその実力は健在で、95年エル・コルテ・イングレスではJ.M.ポンセがこの車に5年ぶりとなる優勝をもたらした。さらにナショナル選手権では88年以降、スナイヤーズやM.デュエツがベルギー選手権を。シャトリオがフランス選手権を。J.バーカスやポンセがスペイン選手権を制覇し、これまた輝かしい戦績を残している。
これほどのフィールドを選ばない活躍ができたのは、ひとえにM3の車としての完成度が高かったからであることに違いない。元々の目標であったツーリングカーの世界のみならずラリーにまでその名を轟かせ、しかも売れ筋の3シリーズの一員としてラインナップを彩ったのがこのE30。ここまでオールラウンダーという言葉が似合う車は、古今東西探しても稀有なものであろう。縦横無尽に暴れ回ったE30の栄光は、現在も色褪せることなく輝いているのだ。
添付ファイル
