「『殺人王』、覚悟!!」
「あはっ、面白い興業だな!」
怒号と共に、週末のレストランは血風荒ぶ戦場と化した。
背後に迫る分厚い肉切り包丁を視線を向けることもなく看破した渦中の男は、身をかがめて椅子から転がり落ちるように床へと身を投げた。彼は身をかがめたまま先程まで使用していたテーブルの脚を蹴り払って浮かせ、それを思い切り前方へと蹴飛ばす。男の前方に陣取り間合いを測っていた数人の男たちはテーブルを叩きつけられ痛みでのたうち回る。
背後に迫る分厚い肉切り包丁を視線を向けることもなく看破した渦中の男は、身をかがめて椅子から転がり落ちるように床へと身を投げた。彼は身をかがめたまま先程まで使用していたテーブルの脚を蹴り払って浮かせ、それを思い切り前方へと蹴飛ばす。男の前方に陣取り間合いを測っていた数人の男たちはテーブルを叩きつけられ痛みでのたうち回る。
「死ねぇっ!」
再び背後の刺客が肉切り包丁を後頭部目掛けて振り下ろしてくる。しかし男はおもむろにブリッジの姿勢を取ると、
「よっ」
と軽い調子で息を吐き、跳ね上げた足が弧を描いた。刃の隣をすれ違い、彼の踵が正確に刺客の顎を蹴り抜く。
「残念」
意識を刈り取られ崩れ落ちる刺客には何の感慨もなく、男は腕の力と全身のバネを使い跳ね起きる。白い唐装を装う金糸の吉祥結びの飾りが揺れた。
「麻雀 でもやるかい? 夜を越すには十分な数だ」
レストランを埋める敵の数は30は下らない。恐らくはもっといるのだろう。皆一様に男の命を奪うためだけに集められた決死の集団である。
しかし、しかし。死を覚悟しながらなお、男に対峙する者たちは心胆寒からしめるものを跳ね除けられない。当然である。彼らが相対しているのは闇社会に於いてただ独りでありながら誰もが恐れる暴君『殺人王』。あらゆる悪を成し、混沌をもたらす、嵐の如き男。
しかし、しかし。死を覚悟しながらなお、男に対峙する者たちは心胆寒からしめるものを跳ね除けられない。当然である。彼らが相対しているのは闇社会に於いてただ独りでありながら誰もが恐れる暴君『殺人王』。あらゆる悪を成し、混沌をもたらす、嵐の如き男。
20世紀初頭、魔都上海 。栄華の影に蔓延る欲望と凄惨を集めた闇社会の一角に、その男はいた。名を"李 飛虎 "という。
「抵抗は無意味だ! 直ちに投降するなら尊厳ある死だけは約束しよう!」
「おいおい冗談きついぜ。せっかくお前たちが命がけで愉快な状況にしてくれたんだ、貴賓 としてもてなされない方が失礼だろ」
「おいおい冗談きついぜ。せっかくお前たちが命がけで愉快な状況にしてくれたんだ、
やれやれと肩をすくめる李 は、足元に倒れ伏す刺客の手から肉切り包丁を奪い取り、そのまま首元目掛けて振り下ろす。
「やめ──」
繊維を強引に断つ音から一拍遅れて飛び散った鮮血が李 の手を濡らす。その生暖かさに嬉しそうに口の端を歪め、彼は包丁を捨て去り血濡れた手を固く拳と成した。
「さあやろうぜ。気張れよ、今宵が伝説となるかはお前たち次第だ」
開閉の定かでない糸のような双眸 がわずかに見開かれ、空間に戦慄が走った。集う刺客たちは李 の武器がその肉体であることを熟知している。肉弾凶器たる彼の拳打は人体を果実のように容易く砕き、蹴撃は紙のように千々に引き裂く。得物を持たず無手にて仕留める、名前通りの翼を得たる虎の如き強さ。
「──怯むな! 奴もただの人、殺せぬ道理などない!」
誰かが叫び、ただ一人に気圧されていた刺客たちの目にも殺意が宿る。敵対する者、復讐する者、あるいは未来を希 う者。集った理由こそ多々あれど、李 の命を奪う理由と執念だけは皆同じ。後は誰かがその命に手を掛ければ良い。
「かかれぇっ!」
「ハハッ! 楽しませてもらおうか!」
「ハハッ! 楽しませてもらおうか!」
口調こそ軽いものの決して油断はない。李 は既に近くの食卓から酒の注がれた盃を手にしていた。それを最も速く駆け寄ってきた刺客の一人の顔に浴びせかけ、視界を封じる。後は胸を蹴り飛ばせば折れたあばらが肺と心臓を突き破り、あっという間に死体ができあがった。
「この程度……!」
「っと」
「っと」
近くの卓のテーブルクロスを抜き取り空中でしならせる。逸 ってナイフを突き出す刺客の腕があっさりとクロスに絡め取られ、端を握る李 に引かれ簡単に姿勢を崩した。その勢いを保ったままわずかに方向を変えてやると、ナイフは面白いように別の刺客の肩へと叩き込まれる。
「返すぜ」
「あぎゃあぁっ!?」
「あぎゃあぁっ!?」
同士討ちの悲鳴が上がる中、李 は舞うようにステップを踏んでもんどりうつ二人の背後に回り、それぞれの頭を鷲掴みにして額を叩きつけ合った。ゴリ、という鈍い音と共に二人は白目をむいて崩れ落ちる。
「ハハハ、いい音だ!」
その肩を蹴って宙に身を躍らせた李 は、飛び石を渡るような気楽さで次々と男たちの頭を足蹴にして砕き、あるいは延髄を刈り取ってあらぬ方向に首を曲げさせ、刺客の一人が振り上げた角材を片足で制すと同時に顔面を踏み抜き、着地と同時に顔面を完全に踏み砕いた。
「うわああああああ──」
そこへ早くも恐慌状態に陥った刺客が一人、鉈を振りかぶって迫る。李 は互いの距離を埋めるように、あるいは無遠慮な接近を遮 るように、ただ掌 を突き出した。眼前を覆われて反射で体が強張るだけの隙さえあればあとは容易い。
「フッ──」
腕の引きと突き出しの連動。神速の拳はみぞおちに突き刺さり、内臓を破る。ごぼりと口から血を吐き、刺客は声もなく絶命した。
「十」
『個』対『群』。凄惨を極める伝説の戦いが、その夜に幕を開けた。
同刻。所変わり、李 が死山血河を作り上げているレストランの真向かいにある茶屋の中で、女が男と対峙していた。
「それで、李 の下にあなたを案内しろと?」
「いかにも。要件は……言わずとも分かると思うが。蘇 蓮華 よ」
「いかにも。要件は……言わずとも分かると思うが。
女──蘇 蓮華 は、瞳に誠実な光を湛えた眼前の男に対し、紫煙を吹きかけた。
「李 飛虎 に一番近いのはお前だろう。お前の口添えがあれば、彼も私を無碍にはすまい」
「そういう建前はいいわ。はっきり言いなさい。礼を失するようなら、彼にはあなたの首だけ届けてもいいのよ」
「そういう建前はいいわ。はっきり言いなさい。礼を失するようなら、彼にはあなたの首だけ届けてもいいのよ」
「……彼を殺しに来た」
「そうでしょうね。彼を殺せるとしたらあなただけだもの」
「故に、お前に案内を頼みたい。非道を承知で、頼む」
「そうでしょうね。彼を殺せるとしたらあなただけだもの」
「故に、お前に案内を頼みたい。非道を承知で、頼む」
男は卓に額を擦りつけんばかりに深々と頭を下げた。
蘇 は李 と深い仲にある。恋人とも愛人とも、あるいは兄妹であるとか、様々な謂れがあるものの、二人は常に行動を共にしていることだけは確かであった。故にある男は、李 に近付くために蘇 を頼った。否、頼ったというほど哀切な行動ではない。それは李 をも殺し得るほどの武を極めた男による脅迫である。『遮るのであれば、まずはお前から殺す』──闇に生きる者たちにとって、その程度は言葉を介すまでもない。
「──あなたは二つ、思い違いをしている」
「一つ。あなたと殺し合うなら、李 は喜んで応じるでしょう。一つ。故に、私があなたを非道と罵ることはないわ」
「──真か」
「ええ。まさか私の言葉を疑いはしないでしょう」
「──真か」
「ええ。まさか私の言葉を疑いはしないでしょう」
「すまない。見誤っていたようだ」
「ただ、そうね。どうせなら最初から挑んでいた方が良かったわ。彼は全てを許すでしょうけど」
「ただ、そうね。どうせなら最初から挑んでいた方が良かったわ。彼は全てを許すでしょうけど」
「行きましょう、彼の下へ」
ぎぃ、と音を立てて丹塗 の扉が開かれると、向こう側も同じように赤く彩られていた。
「おお、来たか」
その中央で、李 は血に濡れた頬を衣服の袖で拭い、糸のように細い目を歓喜に見開いた。白い唐装は返り血で斑に汚れ、名前通りの虎皮のように彼を彩っている。薄皮を裂く程度の傷はいくつかあれど、深手や致命傷の類は一つとしてない。
「……知れていたか、届かぬなどと」
「だが俺は敬意を表するよ。よくぞ挑んだ。そして彼らを英雄にできるかはお前次第だ。なあ龍 よ」
「だが俺は敬意を表するよ。よくぞ挑んだ。そして彼らを英雄にできるかはお前次第だ。なあ
「卑怯と罵れ。その権利がお前にはある」
「必要な準備を卑怯とは言うまいよ。それを怠る者をこそ俺は軽蔑する」
「必要な準備を卑怯とは言うまいよ。それを怠る者をこそ俺は軽蔑する」
「蘇 」
「ええ」
「ええ」
「どちらにせよ最後の夜だ。楽しもうぜ? 俺を殺すことだけ考えろ。お前も獣に成れよ」
その言葉を最後に李 の薄ら笑いが消える。殺人王──その真髄の殺気が敵と認めた男を射抜く。
「……獣を狩るのは人だろう」
相対する男もまた討つべき相手を見定め、全ての葛藤を腹の底に沈めた。
「──『殺人王』、貴様を誅する。安寧の礎と散れ」
「お相手しよう。我が意、即ち死中に在り」
そして夜を徹した戦いの果てに、勝者が決した。
「はあー……楽しかったねェ……」
力尽きた李 は蘇 の腕の中に抱かれ、浅い呼吸を繰り返す。殺人王たる彼の命脈は、好敵手の拳によって風前の灯火であった。
「そう。なら良かったわ」
「もう少し遊びたかったけど……まあ……龍 に殺されるなら、上出来だ」
「もう少し遊びたかったけど……まあ……
勝利の証として李 は首を差し出すことも辞さなかったが、龍 は飾りの吉祥結びさえあれば十分と、それだけを持って去って行った。最期の時だけは蘇 と過ごさせようという情けを忘れない男の背中を、彼は決して忘れない。
「後は任せて。すぐ追うわ」
「悪いねェ……」
「今更でしょう。それに……どうせ地獄でも一緒に遊ぶでしょ?小虎 」
「……ふ」
「悪いねェ……」
「今更でしょう。それに……どうせ地獄でも一緒に遊ぶでしょ?
「……ふ」
二人の唇がゆっくりと重なり──そして、糸が切れた。
「──殺してくれた龍 には感謝しねえとなぁ」
「ま、待って、待ってくごッ……」
「ま、待って、待ってくごッ……」
何だらと名前を名乗り上げていた敵対者の頭部を拳で貫き、李 は少しだけ楽しそうに口の端を歪めた。
「蘇 、これでいくつだ?」
「1358」
「おー」
「1358」
「おー」
気の抜けた声を漏らすと同時に、彼の『陣地』がほどけて消える。戦いの痕跡はどこにもなく、彼らは未来の雑踏の中に現れ出た。
「最近はあんまり楽しい殺しができてねえな」
「あなたが強いからよ、李 。もう少し手加減したら?」
「えーっ? せっかく『死』を迎え撃つなんて楽しいことしてんのに、手ェ抜いたらもったいねえだろ」
「なら、少しやり方を変える必要があるかもしれないわね。何人も殺した『強い死者』を集める方法を」
「……まあいいや。羽虫潰しもデカブツ殺しも、楽しく行こうぜ。時間は無限──なんせ死なねえからな!」
「あなたが強いからよ、
「えーっ? せっかく『死』を迎え撃つなんて楽しいことしてんのに、手ェ抜いたらもったいねえだろ」
「なら、少しやり方を変える必要があるかもしれないわね。何人も殺した『強い死者』を集める方法を」
「……まあいいや。羽虫潰しもデカブツ殺しも、楽しく行こうぜ。時間は無限──なんせ死なねえからな!」
殺人王、李 飛虎 。その相棒、蘇 蓮華 。二人の成すことは死しても変わらない。
あらゆる悪を成し、混沌をもたらし、死の嵐を呼び起こす。死してなお彼らは、二人で一つの厄災であった。
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