重い斧を引きずって雪の中を歩かされ、固く黒々と天を突く樹木の幹に刃を打ち付ける。
思い出せる限り、それが私の中に残る最初の記憶で、最も多い風景だ。
思い出せる限り、それが私の中に残る最初の記憶で、最も多い風景だ。
「ドゥーヴァ、大丈夫か。重いなら俺によこせ、持ってやるから」
「ううん、平気。アジンこそ、他の子の分を持ってるでしょう。無理はダメよ」
「ううん、平気。アジンこそ、他の子の分を持ってるでしょう。無理はダメよ」
1と2、それが私と兄の「名前」。以前は下の数字だったけれど、私たちより年上がいなくなってしまったから、仕方なくそう名乗っている。
切った木を丸太に切り分けて運ぶ。毎日毎日それを繰り返す。それにどんな意味があるのかは知らない。あるいは「意味がないことを繰り返させるのが意味」と“先生”は言っていた。「人の心を殺すための儀式なんだよ」、悲しい顔でそう教えてくれた先生も、今はもう雪の下だ。
切った木を丸太に切り分けて運ぶ。毎日毎日それを繰り返す。それにどんな意味があるのかは知らない。あるいは「意味がないことを繰り返させるのが意味」と“先生”は言っていた。「人の心を殺すための儀式なんだよ」、悲しい顔でそう教えてくれた先生も、今はもう雪の下だ。
「おい、手を止めるな! 私語は慎めと言っているだろうが!」
厚手の外套に身を包んだ監視員が、憂さ晴らしに手を上げた。
アジンが私を庇うように一歩前に出る。鈍い音が響き彼の頬に青が加わった。彼は声を上げない。ただ無機質な瞳で監視員を見つめ返す。
アジンが私を庇うように一歩前に出る。鈍い音が響き彼の頬に青が加わった。彼は声を上げない。ただ無機質な瞳で監視員を見つめ返す。
私は何もできない。
「……アジン、食べて」
監視員の目が逸れた隙に、懐から取り出した黒パンの一欠片を兄の口に押し込んだ。自分の配給を半分削ったものだ。
「ドゥーヴァ、お前が食べろ」
「いいの。私は、女だから。……少なくて済むの」
「いいの。私は、女だから。……少なくて済むの」
嘘だ。私がどれだけやせこけた体をしているか、毎日見ている彼の方がよっぽど良く知っているだろう。だが彼が倒れればこの子たちは──いや、私たち皆が終わりだと知っていた。
先生は色々なことを教えてくれたけれど、その中でも特に大事に思えたのは「天国と地獄」のお話だった。だって、地獄があるなら、それはまさに「ここ」だったから。
先生は色々なことを教えてくれたけれど、その中でも特に大事に思えたのは「天国と地獄」のお話だった。だって、地獄があるなら、それはまさに「ここ」だったから。
だから「終わり」だって突然やってくる。
「ブリザードだ!!」
監視員たちの悲鳴が聞こえた。鎖を放り投げて走っていく彼らに取り残され、私たちは切り裂かれるように冷たい風雪の中に閉じ込められた。
「ドゥーヴァ! いるか!?」
「ここよ! アジン、逃げないと……!」
「ダメだ……みんなを、連れて行かないと……」
「ここよ! アジン、逃げないと……!」
「ダメだ……みんなを、連れて行かないと……」
私たち以外の12人の子供たち。私たちが先導しなければ生きていけないか弱い子たち。大人は子供を守らないといけない、先生もそう言っていた。
「みんなー! みんないるか!? 俺はここだ!!」
「アジン……! アジン……!!」
「すけて……ドゥーヴァ……」
「アジン……! アジン……!!」
「すけて……ドゥーヴァ……」
みんなの声が、白く染まる世界のあちこちからか細く聞こえてくる。この子たちまで喪えない。私たちは必死になってみんなを探し、一つに集めた。
「帰るぞ……! みんな、歩くことだけに集中するんだ! 絶対に立ち止まらず、俺についてこい!」
アジンの力強い声だけが、荒れ狂う嵐の中での唯一の灯火だった。
だけど死神は容赦なかった。 最初に、14が声を失った。次に、13の足が止まった。
だけど死神は容赦なかった。 最初に、14が声を失った。次に、13の足が止まった。
「立つのよ、寝ちゃダメ!」
叫び、私の薄い上着を着せる。それでも氷点下を下回り続ける冷気は、私たちの血管を、薄い心臓を、音もなく凍てつかせていく。
一人、また一人。繋いでいた手の温もりが消え、雪の中に脱落していく。
一人、また一人。繋いでいた手の温もりが消え、雪の中に脱落していく。
「ドゥーヴァ、歩け。生きて帰るんだ」
アジンが私の肩を抱き、無理やり脚を動かしていた。私の生きる気力も、彼がいなければとっくに消えていただろう。
「アジン……みんなが」
「前を見るんだ。生きて……俺たちだけでも、先生に教わった世界を……」
「前を見るんだ。生きて……俺たちだけでも、先生に教わった世界を……」
そこでアジンの言葉が途切れた。 私を支えてくれていた力が、ふと消えてしまった。
振り返ると、兄が膝をついている。その瞳からは、もはや光が失われつつあった。
振り返ると、兄が膝をついている。その瞳からは、もはや光が失われつつあった。
「アジン……? 嫌、アジン!」
嘘だ、嘘だ、嘘だ。アジンが、アジンが死ぬはずない。
兄の体に縋りつく。けれど彼の体はあっという間に降り積もる雪に覆われ、白の境界線の中に溶けていく。
私もみんなの仲間に入るのに、そう時間はかからなかった。
私もみんなの仲間に入るのに、そう時間はかからなかった。
私はみんなの、何より兄のいない世界に、生きていく理由がない。残ったところで、背筋をうすら寒くさせる粘ついた目つきの男たちが、私をどこかへ連れ去るのだろう。だったら、ここでみんなと最期の時を一緒にできた方が、よほど幸せだ。
「あたたかい──」
不思議な感覚だった。指先の感覚はとっくにない。肺は凍り、呼吸をするたびにナイフで喉を抉られるようだった。それなのに、体の中から不思議な温もりが溢れてくる。
ああ、これが死なんだ。先生も、アジンも、みんなこれを感じたんだ。ようやく、もう斧を振らなくていい。番号で呼ばれなくていい。誰かに、自分の肉を差し出そうとしなくていい。
自由なんだ。
最期の瞬間まで青空を夢見た。太陽が照らし、文字が読める自分たちが、番号ではなく名前で呼び合える世界を。
ああ、これが死なんだ。先生も、アジンも、みんなこれを感じたんだ。ようやく、もう斧を振らなくていい。番号で呼ばれなくていい。誰かに、自分の肉を差し出そうとしなくていい。
自由なんだ。
最期の瞬間まで青空を夢見た。太陽が照らし、文字が読める自分たちが、番号ではなく名前で呼び合える世界を。
「さようなら」
ドゥーヴァがいつ息絶えたのかを知る者は、誰もいない。
ただ、翌朝。そこには互いの手を取るようにして横たわる、静かな雪の彫刻が残されているだけだった。
魂が零下へと沈み、やがて静寂に溶けていった。
ただ、翌朝。そこには互いの手を取るようにして横たわる、静かな雪の彫刻が残されているだけだった。
魂が零下へと沈み、やがて静寂に溶けていった。
意識が逆転する。雪に持ち去られた意識が戻ってくる。私は、私は、私へ──。
「アジン?」
そして、目が覚めた。同じ、無慈悲な吹雪の中で。
「なんだ、これ」
隣にいたアジンと私はきっと同じ表情をしていただろう。何が起こったのか、一切が不明だ。
「んん……アジン……? ドゥーヴァ……あれ……?」
「! お前たち!」
「みんな、大丈夫!?」
「! お前たち!」
「みんな、大丈夫!?」
気付けば、倒れていった子供たちも皆一様に目を開いて起き上がっている。
「どういうこと、私たち──」
その時、一際強い風が吹いた。体温を奪っていくはずのそれは、なぜか不思議と冷たくない。
「おいドゥーヴァ、これ見てくれ」
「何、どうしたの?」
「何、どうしたの?」
アジンは何故か地面を凝視している。彼に促されて同じものを見ると、そこには間違いなく「文字」があった。
『некро воскрешение 』
「な……何、これ……」
もう一度風が吹き、木の枝や葉、石ころなどが転がり、雪を削った。それが、先程と同じように文字を雪の上に作り上げていく。
「にーちゃんねーちゃん、どうしたの……?」
『死者を1人殺すと1ポイント。100ポイントを手に入れたものは復活できる』
『死者は死した風景と死因を“領域”として具現化し、他の死者を殺すことができる』
『死者は死した風景と死因を“領域”として具現化し、他の死者を殺すことができる』
それはあまりに荒唐無稽で、到底信じられる話ではなかった。
二人で話し合った。
私たちは他人を殺してまで生き返りたくない。戻ったところで地獄が待っているだけだ。
“領域”の冷たさも二度と味わいたくない。命を奪われる冷たさに身を晒したくない。
子供たちを置いて再び死ぬような危険は冒せない。死んだとは言え、彼らの保護者であることに変わりはない。
何より、ここの『死後の世界』は──
私たちは他人を殺してまで生き返りたくない。戻ったところで地獄が待っているだけだ。
“領域”の冷たさも二度と味わいたくない。命を奪われる冷たさに身を晒したくない。
子供たちを置いて再び死ぬような危険は冒せない。死んだとは言え、彼らの保護者であることに変わりはない。
何より、ここの『死後の世界』は──
「暖かくなるころに、白い花をつける……。なあ、あれって先生が言ってた“サクラ”じゃないか?」
「分からないけど……だといいわね」
「分からないけど……だといいわね」
『この辛い“冬”にも、いつか終わりが来る。冬が過ぎれば、やがて命の芽吹く“春”がくる。君たちにいつか、春が訪れるといいね』
もう寒くない。誰かに殴られたりしない。ひもじい思いをしなくて済む。
死は、私たちにとっての“春”だった。
死は、私たちにとっての“春”だった。
「誰も傷付けず、静かにして、消え去る時を待っていよう。やむを得ない時でも、追い払うだけだ。何を強制されることもない。俺たちは“自由”になったんだ」
誰も反対しなかった。私たちに生まれて初めての平穏が訪れた瞬間だった。
なのに──
「お。遠足してるガキども発見」
あの男。
監視員たちの態度なんか子供みたいに思えるくらい酷くて、
「『面白いやつ知らないか?』って前に殺った亡者に聞いたんだ。したら『十人ぐらいで行動してるガキの集団がいる』って教えてくれてな。お前らを探してたんだ」
あの日の吹雪のように冷たい目をした男。
「俺と一緒に、亡者狩りしようぜ」
──李 飛虎。
「あ、アジン……」
「……こいつは危ない。何とかして追い払うぞ。ドゥーヴァ、頼む」
「うんっ」
「……こいつは危ない。何とかして追い払うぞ。ドゥーヴァ、頼む」
「うんっ」
先に向こうが張った領域に対抗するよう、こちらも領域を張る。黒々とした針葉樹林が天を突くように生え揃い、死の吹雪が相手の領域──建物の中を凍らせていく。
男の背後に控えていた女が指を鳴らすと、途端に炎が空間を駆け抜けた。
雪と炎。熱と冷気。真逆のものが正面からぶつかり合って、水蒸気へと変わっていく。
雪と炎。熱と冷気。真逆のものが正面からぶつかり合って、水蒸気へと変わっていく。
「みんな、危ないから離れてろ!」
アジンが叫び、子供たちが木の背後に身を隠した。気休めにしかならなくても、やらないよりはずっといい。
「坊主、お前が“頭”か。そっちの女は?」
「…………」
「…………」
アジンは口を固く閉ざす。私も同じ、合図と返事以外に口を開かない。それは生きていた頃からずっとやってきた。
「まあいいか、軽く殴って聞き出そう──」
「やれ!」
「やれ!」
アジンの合図とともに、私は手にした斧の頭を地面に打ち付けた。途端、領域を覆う吹雪が本来の冷たさを取り戻した。
私とアジンは同じ領域を持っている。彼が斧を振るって戦い、私が吹雪の制御。命までは奪わない、ただ協力し合って吹雪に紛れて逃げたり、相手を追い払ったりするだけ。
それで十分なはずなのに、目の前の男は、なぜか嬉しそうに笑っている。
アジンが斧を構える。木ではなく、人を切るために。
私とアジンは同じ領域を持っている。彼が斧を振るって戦い、私が吹雪の制御。命までは奪わない、ただ協力し合って吹雪に紛れて逃げたり、相手を追い払ったりするだけ。
それで十分なはずなのに、目の前の男は、なぜか嬉しそうに笑っている。
アジンが斧を構える。木ではなく、人を切るために。
「行くぜ」
そして男が走り出した。
「うおおおおっ」
アジンが斧を高々と振り上げ、一直線に突っ込んでくる男を迎え撃つ。
──はずだった。
「なんてな」
「えっ」
「えっ」
私たちは間抜けな声を漏らした。男が、アジンと、私の脇をすり抜けて行ったからだ。
考えが足りなかった。なぜ相手が私たちを素直に狙うと、思い込んでしまったのだろう。
考えが足りなかった。なぜ相手が私たちを素直に狙うと、思い込んでしまったのだろう。
「ダメ──」
「見ぃつけ、た」
「見ぃつけ、た」
吹雪を裂いて走る男が、その勢いのまま、子供の体を真っ二つに裂いていた。
「……トゥリー?」
「木 ? 亜人 に歌姫 ? ……ああ、1・2・3 か! なるほど、ソビエトのガキか」
真っ二つになったトゥリーの体が、細かな雪のようにバラバラにほどけていく。それが“二度目の死”であることを、私は理解してしまった。
「──う゛っ」
みんなの悲鳴が木霊する。私はショックのあまりにえずき、吐き出すものもないのに地面にうずくまっていた。
「──おまえっ」
ただ一つ、悲鳴でない声が聞こえた。アジンの声だった。今まで聞いたことのない声で、彼が叫んでいた。
「よくも──よくもっ!!」
「なんだよ、いい表情できるじゃねえか。もっと見せてくれよ──」
「なんだよ、いい表情できるじゃねえか。もっと見せてくれよ──」
ダメだ。兄を止めないといけない。方法は分からないけれど、もう戦ってはいけない。何でもして、この男に殺されないようにしないと──だけど私の喉は、まだ浅い呼吸を繰り返すだけで、何の役にも立とうとしない。
「殺してやる!!」
怒りのままに叫ぶアジンは、斧を振りかぶって男に突っ込んで行った。
私は何もできない。
「こっちはまあまあだな」
力任せに振るだけの斧を簡単に避けた男は、兄の胸に揃えた指先をぴたりと当てた。
「ア」
次の瞬間、彼の体が弾け飛んでいた。
「──じ、ん?」
暖かいものが頬にかかる。ぬるりとしたそれはまだ赤く──
「っ、あ」
暖かくなど、ない。ここは凍え切った地獄で、私たちは体温のない死者で──
「あ、ああ──」
そして、もう一度、殺される。
「──────」
「ははっ、いい顔になったな。えーっと、ドゥーヴァか」
「俺と来い。そんで死者を殺せ。断るようなら残りのガキを解体する。逃げても同じ、お前だけ復活しても同じ。家族? 恋人? まどっちでもいい。今殺したのと同じことになる。お前以外全員。以上、質問は?」
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先生は、人は死ぬと天国か地獄に行くと教えてくれた。いいことをしたら天国に、悪いことをしたら地獄に行く。だからどれだけ辛くても、毎日一生懸命生きよう。そう言っていた。
私たちは、何か悪いことをしたのだろうか。
何が悪くて、生きながら地獄にいて、死んでまた地獄にいなければいけないのか。
何が悪くて、生きながら地獄にいて、死んでまた地獄にいなければいけないのか。
けれど、少なくとも、私は悪い人間だ。
だって、人に言われて、人を殺している。
だって、人に言われて、人を殺している。
「はぁ……っ、いやだ、寒い……こんな……っ」
涙が風に攫われる。私と同じ。
「俺は戦う気なんかない……! 頼む、助けて……っ」
心が生きている。私と違う。
私は、この風雪の中に、血も、涙も、全てを置いてきてしまった。
「ごめんなさい」
凍り付いた心で。死すら凍てつく絶望の中で。
私はただ、見知らぬ誰かを、「1」に変えた。
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