Previous→魂、零下にて
ある男の話をしよう。
どこにでもいるような少年が、何もかもを取りこぼすだけの、つまらない話を。
どこにでもいるような少年が、何もかもを取りこぼすだけの、つまらない話を。
寒い国に、一人の少年がいた。少年には一緒に育った幼馴染の少女がいた。
少年は大きく、力強かった。同い年の子供たちの中で、一番の腕っぷしがあった。
ある日、諍 いがあった。幼馴染が、同年代の子供たちの中でいじめられていた。
少年は、大事な友達が悲しむのを見たくなかった。彼は、少女を守った。
少年は、大事な人をずっと守れるよう、強くなりたいと願った。
少年は大きく、力強かった。同い年の子供たちの中で、一番の腕っぷしがあった。
ある日、
少年は、大事な友達が悲しむのを見たくなかった。彼は、少女を守った。
少年は、大事な人をずっと守れるよう、強くなりたいと願った。
時が経ち、少年は青年となった。青年は強くなるため、軍に入った。
厳しい訓練によって、青年は大きく、強くなった。人を守れると思った。
命令されたのは、他国への進軍だった。乾いた大地で、大勢人を殺した。
理想と現実の乖離 に苦しんだ青年は、軍を抜けた。
血濡れた自分が大事な人のそばにはいられないと、故郷にも帰らなかった。
青年は、金で人を殺す仕事を始めた。生きる場所は、暗がりにしかなかった。
国を捨て、名前を捨てた。本当の名前は、かつての日々にしか残っていなかった。
幼馴染に娘ができたと聞いたその日だけ、彼は安酒で祝杯を挙げた。
厳しい訓練によって、青年は大きく、強くなった。人を守れると思った。
命令されたのは、他国への進軍だった。乾いた大地で、大勢人を殺した。
理想と現実の
血濡れた自分が大事な人のそばにはいられないと、故郷にも帰らなかった。
青年は、金で人を殺す仕事を始めた。生きる場所は、暗がりにしかなかった。
国を捨て、名前を捨てた。本当の名前は、かつての日々にしか残っていなかった。
幼馴染に娘ができたと聞いたその日だけ、彼は安酒で祝杯を挙げた。
さらに時が経ち、青年は独りの男になった。信頼できる者は一人もいなかった。
ある時、悲劇が襲った。幼馴染の一家が、強盗に襲われ命を落とした。
男は後悔した。自分がそばにいれば守ってやれたと、自分を責めた。
男は決意した。せめて犯人を自ら葬ろうと、銃を手にした。
それは惨禍 の始まりだった。裏には大きな組織の存在があった。
それでも男は躊躇 わなかった。死に行くつもりの報復だった。
そして、古いアパートに誘い込まれた男には、28の死が降り注いだ。
ある時、悲劇が襲った。幼馴染の一家が、強盗に襲われ命を落とした。
男は後悔した。自分がそばにいれば守ってやれたと、自分を責めた。
男は決意した。せめて犯人を自ら葬ろうと、銃を手にした。
それは
それでも男は
そして、古いアパートに誘い込まれた男には、28の死が降り注いだ。
姿の見えない狙撃手によるドラグノフの弾が、左肩を撃ち抜いた。
部屋から逃げる男に、すれ違う刺客が神経毒を塗布した針を突き刺した。
階下で待ち受ける刺客が放つクロスボウの矢が、男の脇腹に突き刺さった。
背後から投擲されたナイフが、背中に突き刺さった。
わずかによろめいたところに、グロックの銃撃が男の左足を貫通した。
部屋から逃げる男に、すれ違う刺客が神経毒を塗布した針を突き刺した。
階下で待ち受ける刺客が放つクロスボウの矢が、男の脇腹に突き刺さった。
背後から投擲されたナイフが、背中に突き刺さった。
わずかによろめいたところに、グロックの銃撃が男の左足を貫通した。
しかし、男の執念はその程度で死にはしなかった。
外に出た瞬間、逃走用の車がRPG-7の弾頭で爆破された。
路地に逃げ込んだ男の頭上で、破片手榴弾が炸裂した。
身を潜めた建物の壁は、C4爆薬で男ごと吹き飛ばされた。
逃げ道を塞ぐように、火炎放射器が火を放ち、男の皮膚を焼いた。
閃光手榴弾が投げ込まれ、男は耳と目を傷つけられた。
路地に逃げ込んだ男の頭上で、破片手榴弾が炸裂した。
身を潜めた建物の壁は、C4爆薬で男ごと吹き飛ばされた。
逃げ道を塞ぐように、火炎放射器が火を放ち、男の皮膚を焼いた。
閃光手榴弾が投げ込まれ、男は耳と目を傷つけられた。
それでも、命を奪うにはまだ足りなかった。
男を取り囲んだ刺客の一人は、首をピアノ線で締め上げた。
また別の一人は、重い鎖を体に巻き付け、男の動きを封じようとした。
そこへ電磁警棒が叩き込まれ、男の神経を麻痺させた。
手を押さえつけられ、マチェットによって右手の指が切断された。
メリケンサックをつけた拳が胴に刺さり、肋骨が砕けた。
同時にスティレットが突き出され、男の腎臓を刺し貫いた。
後頭部をウォッカの瓶で殴打され、男は膝をついた。
無防備な脚にバールが振るわれ、右脚が満足に動かなくなった。
更には崩れた壁の煉瓦 すら、男の左手を叩き潰してしまった。
また別の一人は、重い鎖を体に巻き付け、男の動きを封じようとした。
そこへ電磁警棒が叩き込まれ、男の神経を麻痺させた。
手を押さえつけられ、マチェットによって右手の指が切断された。
メリケンサックをつけた拳が胴に刺さり、肋骨が砕けた。
同時にスティレットが突き出され、男の腎臓を刺し貫いた。
後頭部をウォッカの瓶で殴打され、男は膝をついた。
無防備な脚にバールが振るわれ、右脚が満足に動かなくなった。
更には崩れた壁の
にもかかわらず、男は全てを返り討ちにした。
足を引き摺って進んだ先に仕掛けられた地雷によって、右脚は完全に動かなくなった。
すかさず、外科用のメスが男の眼窩 に突き立った。
鋭く振るわれた特殊警棒が、男の顎を砕いた。
美しい女の口づけと共に、ルージュに偽装した銃の弾がへそに撃ち込まれた。
すかさず、外科用のメスが男の
鋭く振るわれた特殊警棒が、男の顎を砕いた。
美しい女の口づけと共に、ルージュに偽装した銃の弾がへそに撃ち込まれた。
最期の瞬間は、男と縁深い五人の手によってなされた。
一人は、トカレフを男の口の中に突っ込んだ。
一人は、デザートイーグルの銃口を額に合わせた。
一人は、デリンジャーを心臓に押し当てた。
一人は、セラミック製のナイフの狙いを肝臓に決めていた。
一人は、刃を隠した銀のロザリオを喉に当てた。
一人は、デザートイーグルの銃口を額に合わせた。
一人は、デリンジャーを心臓に押し当てた。
一人は、セラミック製のナイフの狙いを肝臓に決めていた。
一人は、刃を隠した銀のロザリオを喉に当てた。
衝撃があった。そうして、男は死んだ。
「いやいや、卑下 することないぜ。中々面白かった」
「“みじめだったから”だろ。顔に書いてあるぞ、アジア人」
「“みじめだったから”だろ。顔に書いてあるぞ、アジア人」
冷たいアスファルトに腹ばいに転がされ腕を背で拘束された大男、ウェイザス・A・クロフトはうんざりした顔で背後の男を見やった。
領域に引きこまれた瞬間、一目で危険だと分かった。鼻歌混じりに接近した男は、何の力も使わず、暴力もなく、ただ体捌き一つでウェイザスを翻弄し、軽々と地面に組み伏せていた。
領域に引きこまれた瞬間、一目で危険だと分かった。鼻歌混じりに接近した男は、何の力も使わず、暴力もなく、ただ体捌き一つでウェイザスを翻弄し、軽々と地面に組み伏せていた。
「お前の境遇もまあまあ良かったが、面白いのはやっぱり死に方だな。どれが死の原因になったか分からないから、28の凶器全てが致命傷。そんな死に方をした奴には初めて会った」
「チッ、他にいねえのかよ。遊び半分に殺されるたぁとんだ貧乏くじだな」
「待て待て、俺は何もお前を殺しに来たわけじゃない。仕事の話をしに来たんだ」
「興味ねえな」
「チッ、他にいねえのかよ。遊び半分に殺されるたぁとんだ貧乏くじだな」
「待て待て、俺は何もお前を殺しに来たわけじゃない。仕事の話をしに来たんだ」
「興味ねえな」
言うが早いか、ウェイザスは凶器の一つである煉瓦を男の頭上に出現させた。重力を味方につければ人間の頭一つ簡単に砕く凶器は、
「手が早えな」
男が軽く振るった腕にぶつかり、容易く砕け散った。致命攻撃として必殺の威力を持つそれが。
「話相手が欲しけりゃ酒場にでも行け」
「ん?」
「ん?」
煉瓦の破片に混じるように降ってきた、彼の目をえぐり出したメスが、男の腕に浅く刺さる。それもまた致命攻撃。大したダメージはないが、腕を押さえつける力が僅かに緩んだのをウェイザスは逃さない。
手の中に、彼の喉を刺した銀のロザリオがあった。
手の中に、彼の喉を刺した銀のロザリオがあった。
「いって!」
その刃を男の掌に突き刺す。これは彼の死因の中でも特に強力なものだが、男の反応はまるでうっかり紙で手を切ったときのようで、堪えている様子がない。
だが一瞬とは言え手が離れた。ウェイザスは手首のスナップだけでロザリオを投げ放つ。狙うは不快にニヤついた男の顔面──
だが一瞬とは言え手が離れた。ウェイザスは手首のスナップだけでロザリオを投げ放つ。狙うは不快にニヤついた男の顔面──
「やる」
「冗談!」
「冗談!」
男は素早く上体を反らして軌道から外れた。標的を失ったロザリオが背後の壁に深々と突き刺さる。
同時に、ウェイザスを押さえていた体重のバランスにほころびが生じた。それさえあればあとは脱出に容易い。彼は全身の力で男を跳ね除け立ち上がった。
両者の距離はおよそ5m。しかし死者同士の戦いでは無いも同然の距離。
同時に、ウェイザスを押さえていた体重のバランスにほころびが生じた。それさえあればあとは脱出に容易い。彼は全身の力で男を跳ね除け立ち上がった。
両者の距離はおよそ5m。しかし死者同士の戦いでは無いも同然の距離。
「お見事お見事。殺しの手段が多いと体感しても楽しいな。お次は何だ?」
「付き合ってられるか──」
「付き合ってられるか──」
彼の背中を突き刺したナイフを投げた直後、即座に踵 を返す。イカれた戦闘狂には付き合っていられない。ウェイザスはそのまま路地裏に紛れるべく駆け出した。
「待てよ──おっ?」
男は簡単にナイフを弾き飛ばして後を追う──が、その矢先、足が何かに引っかかり前へつんのめった。目を凝らすと、先に壁に突き刺さったロザリオと、今弾いたナイフの間に、ウェイザスの首を絞めた凶器の一つであるピアノ線が張られていた。
そして翻 るコートの裾から零れ落ちた破片手榴弾が、既にピンを抜かれて眼前にあった。
遠くから聞こえる爆発音に、しかしウェイザスは一向に気を緩めない。こんな小細工で死ぬ相手なら邂逅 して間もなく5回は殺している。狭い路地に油断なく対人地雷を仕掛けた彼は、三角飛びで建物の壁を蹴り上がり、建物の屋上から屋上へと飛び移っていく。それだけの猶予があるということが、男の生存を如実に物語っていた。
そして
遠くから聞こえる爆発音に、しかしウェイザスは一向に気を緩めない。こんな小細工で死ぬ相手なら
(武器を使う素振りがない。加えて煉瓦を砕いた拳、一度制圧された時の体捌き。アジア人……格好からしてチャイニーズか? 拳法家……)
仕事柄そういう相手と対峙したことはある。徒手で人を殺害できる能力を有していると、武器を持たないことで侵入できる場所が格段に増えるため、裏社会にはそれ専門の殺し屋が意外といるものだ。とは言え大抵は銃の殺傷力の前にあっさりと沈むのだが、敵対する男はそれほど簡単には行かない手練れであった。
対人地雷が炸裂した音を「どうせ無駄」と切り捨て、ウェイザスは生前使っていたギターケースを出現させた。「ここに様々な武器を隠して運んでいた」という因果から、28の凶器とはまた別に武器を出現させることができる、便利な武器庫。
対人地雷が炸裂した音を「どうせ無駄」と切り捨て、ウェイザスは生前使っていたギターケースを出現させた。「ここに様々な武器を隠して運んでいた」という因果から、28の凶器とはまた別に武器を出現させることができる、便利な武器庫。
「どこ行ったー!?」
努めて陽気な男の声が癇 に障る。それでいて声の奥に潜む殺人者としての冷たさは、領域を満たす故郷の寒さに負けずとも劣らない。もっとも、そんな苛立ちを嚙み潰すことには慣れている。相手を殺して黙らせればいいだけのことだ。
しかし──
しかし──
「ッ……!?」
一際大きな、何かの衝突音がした瞬間、彼の想定は木っ端微塵に砕け散る。
「路地」という狭い空間を構成するビルやアパートが、バランスを崩したジェンガのように次々と崩れ、あるいは倒れ始めたのである。
「路地」という狭い空間を構成するビルやアパートが、バランスを崩したジェンガのように次々と崩れ、あるいは倒れ始めたのである。
「あいつ何者だ……!? どうしたらそうなる!?」
無論ウェイザスの仕込みではない。爆薬の類を効率的に仕掛ければ不可能な芸当ではないが、できても精々数棟が限界なところ、それは断続的に続いている。
「クソッ……!」
墜ちる大質量が都市の地盤を揺るがす。人工的な地震は建物を介してウェイザスの足を捕まえ、スムーズな移動を困難にさせている。
「死んだかー!? 死んでねえよなぁ!?」
これで「探し回っている」のだろう、空恐ろしくなる。しかし同時に、声を上げたことで大まかな位置は割り出せた。ウェイザスはギターケースの中から迫撃砲を取り出し、確認もそこそこに声のした方向へと撃ち込んだ。これで死ねば儲けもの──。
放物線を描き、弾頭が建物の影に隠れた──直後、トランポリンでも踏んだかのように、再び宙へと舞い上がる様を捉える。そして空中で炸裂したそれに続くように、唐装の男は空中に身を躍らせていた。
放物線を描き、弾頭が建物の影に隠れた──直後、トランポリンでも踏んだかのように、再び宙へと舞い上がる様を捉える。そして空中で炸裂したそれに続くように、唐装の男は空中に身を躍らせていた。
「雑技団にでも行けよッ!」
即座にガトリングガンを引っ掴み男に銃口を向ける。1秒間に100回の死を高レートでばらまくことができる、個人に向けるには過剰な火力であっても、この男には足りないのではないかという懸念。そして実際それは当たっていた。
「弾が軽いぞ露助 ェ! 本当に殺す気でやってんのか!?」
「だったら大人しく死んどけよ……!」
「だったら大人しく死んどけよ……!」
男は防御すらしなかった。異常に頑健な肉体は、ガトリングの弾を雨粒のように弾き飛ばしてしまう。殺し屋としての生で当たり前だった「人間は兵器に敵わない」という常識を覆す、肉体が兵器を超越する異常事態。首筋を撫でる冷たい風は、死神の鎌の一撫でか。
ついに屋上に降り立った男は、大きく両腕を広げ、ニヤニヤと口の端を歪めた。
彼我の距離は約20m。飛び道具の多いウェイザスが有利とも、建物を飛び越えてくる男には一瞬の距離とも言える。
ついに屋上に降り立った男は、大きく両腕を広げ、ニヤニヤと口の端を歪めた。
彼我の距離は約20m。飛び道具の多いウェイザスが有利とも、建物を飛び越えてくる男には一瞬の距離とも言える。
「分かってねえな。亡者の戦いは『意識』の戦いだ。死因が一番強い武器で、その次に死んだ時に身近にあったモノ。頭でこね繰り出したモノはそれ以下だ。最初の方が見所あったぞ」
「どこから目線だよチャイニーズ? 採点の話すんなら俺の1になれ」
「まあ聞けよ。仕事の話をしに来たって言ってんだろ? 抵抗するのは構わんが、無駄なだけだと思うぜ」
「生憎、金で殺しをするのは死ぬ前の話でな。文 ナシの話なんざ聞く気もねえよ」
「強情だなぁ。そんなに力づくが好みか?」
「テメエにつくのは死んでもごめんだっつってんだよ」
「どこから目線だよチャイニーズ? 採点の話すんなら俺の1になれ」
「まあ聞けよ。仕事の話をしに来たって言ってんだろ? 抵抗するのは構わんが、無駄なだけだと思うぜ」
「生憎、金で殺しをするのは死ぬ前の話でな。
「強情だなぁ。そんなに力づくが好みか?」
「テメエにつくのは死んでもごめんだっつってんだよ」
なぜここまで味方に引き入れようとするのか、それを理解するつもりはなかった。虎に出くわしたなら、さっさと消えるように願うか、追い払うか。それだけだ。
「……仕方ねえ、多少痛くなるが我慢しろよ。お前のせいだからな」
「クソ野郎の常套句 どぉも。失せろ」
「クソ野郎の
ガトリングと入れ替わりで出現したRPG-7のトリガーを引く。28の死の一つであれば間違いなく効く、それは目の前の男が自分で言った話だ。死の重みが男へ迫る。
追撃のために、足を撃ち抜かれたグロックを出現させたところで、
追撃のために、足を撃ち抜かれたグロックを出現させたところで、
「──クソが」
またしてもウェイザスは悪態を吐くハメになる。
男は迫る弾頭に右手を伸ばし、その場で体を反時計回りさせた。そしてこともあろうに弾頭を掴み取り、投げ返してきたのである。
男は迫る弾頭に右手を伸ばし、その場で体を反時計回りさせた。そしてこともあろうに弾頭を掴み取り、投げ返してきたのである。
「返すぜ」
「チッ」
「チッ」
素早くグロックで銃撃し空中で爆発させる。不発に終わったが、この状況であればまだやりようはある。爆炎が両者の視界を別つこの一瞬であれば。
もう一方の手に、今度は既に矢を番 えたクロスボウが現れた。グロックの連射に混じって、音のない一発が煙を貫いて男に迫る。
しかし、先に攻撃を貰ったのはウェイザスの方だった。
もう一方の手に、今度は既に矢を
しかし、先に攻撃を貰ったのはウェイザスの方だった。
「ごっ」
額に重たい衝撃。視界が揺れ、火花がちらつく。
油断など微塵もなかった。いざ迫られても対処できるという自負もあった。
彼の意に反して、男の攻撃には音も形も伴っていなかった。ただ空気だけが弾丸と化し、彼の体を打ったのである。
煙が引き裂かれ、その向こうの男は、両手とも曲げた中指を親指に引っかけて前方へ突き出していた。いわゆるデコピンの形である。
油断など微塵もなかった。いざ迫られても対処できるという自負もあった。
彼の意に反して、男の攻撃には音も形も伴っていなかった。ただ空気だけが弾丸と化し、彼の体を打ったのである。
煙が引き裂かれ、その向こうの男は、両手とも曲げた中指を親指に引っかけて前方へ突き出していた。いわゆるデコピンの形である。
「遠当て」
もう一度指を弾いて、今度はウェイザスの両手が打たれた。衝撃と痛みでたまらず両腕が跳ねあがり、手から離れたグロックとクロスボウが消滅する。
男が駆け出すのと、空の両手に特殊・電磁の警棒二本を出現させるのは全く同時のことだった。
それ自体が兵器として通用するほどの肉体の強化から、そのものが死の特性を有している事、即ち『徒手による殺害』が死因であることはおおよそ見当がついた。そうであれば警棒で受けに回るのは下の下という他ないだろう。しかしそれ以外にとれる手もない。敵はあまりに速すぎた。
男が駆け出すのと、空の両手に特殊・電磁の警棒二本を出現させるのは全く同時のことだった。
それ自体が兵器として通用するほどの肉体の強化から、そのものが死の特性を有している事、即ち『徒手による殺害』が死因であることはおおよそ見当がついた。そうであれば警棒で受けに回るのは下の下という他ないだろう。しかしそれ以外にとれる手もない。敵はあまりに速すぎた。
「シィッ」
足刀蹴り。長い脚が音をも裂いて迫る。
「うおぉっ!」
二本の警棒を全力で振り下ろす。だが、それが男の足を砕くことはなかった。
その冴えはまさしく刀。男の足刀は、二本の警棒を半ばから鋭く断ち切っていた。
その冴えはまさしく刀。男の足刀は、二本の警棒を半ばから鋭く断ち切っていた。
「バ────」
背筋を死の悪寒が走り、全身が故郷の冷気に抱かれる。次の瞬間、彼の体は胸から広がる重い熱と共に、宙に放り出されていた。
命に手がかかった──最大の脅威が脊髄だけで処理される。凶器を選ぶ思考より早く、反射的にデザートイーグルとメリケンサックが手中に現れる。追って男が飛び掛かっている。迎撃を──。
命に手がかかった──最大の脅威が脊髄だけで処理される。凶器を選ぶ思考より早く、反射的にデザートイーグルとメリケンサックが手中に現れる。追って男が飛び掛かっている。迎撃を──。
「死ねよっ」
大口径の弾丸が致命の性質を帯びて至近距離から放たれる。どれだけ男の肉体が頑件でも、不用意に受けることはできないはずの一発。
その時、彼の焦りを見透かしたかのように、一陣の冷たい風が吹いた。
その時、彼の焦りを見透かしたかのように、一陣の冷たい風が吹いた。
「ハハハッ!」
表情が獰猛に歪む。男は止まらない。先にロザリオで傷付いた手を突き出し、そのまま腕、そして肩へと抜けさせることで被害を最小限に抑えてしまった。片腕を貫かれてなお凄絶 な笑みは消えないどころか、その深さを増している。
「うあああああっ」
メリケンサックをはめた右の拳を苦し紛れに突き出す。ウェイザスと敵の男、二つの致命を内包して迫る拳だが、所詮はその場しのぎに過ぎない。単純な攻撃としての勢い、そして霊体を砕く死の意識、両方の練り上げられていない拳など、雪玉よりも軽く柔い。
「耐えろよ」
二つの拳が激突し──わずかな抵抗も許さず、ウェイザスの拳が、右腕が、即座に砕かれた。
激痛と恐怖に防衛反応が意識を強制的に閉ざす中、思考の僅かな欠片が、一つの異変をようやく察知していた。
彼が死んだのは、こんなに寒い日ではなかったことを。
激痛と恐怖に防衛反応が意識を強制的に閉ざす中、思考の僅かな欠片が、一つの異変をようやく察知していた。
彼が死んだのは、こんなに寒い日ではなかったことを。
『役立たず。私だけじゃない、娘を守ることもできなかった』
『ただの人殺しのくせに、それもやり遂げられなかったくせに』
『どうしてあなたは今も人殺しを続けるの?』
『ただの人殺しのくせに、それもやり遂げられなかったくせに』
『どうしてあなたは今も人殺しを続けるの?』
『アレクセイ』
捨てたはずの本名を呼ばれ、彼は目を覚まし、そして右腕を失った激しい痛みが頭のてっぺんまで駆け上がった。
「──ぎっ」
だが痛みなどよりよっぽど強く、彼の心を締め付けるものが、そこにはあった。
「お、当たりか。もういいぞ、ドゥーヴァ」
「はい……」
「はい……」
髪も肌もまるで雪のように白く、冬の枯れ枝のように細い体の少女。その容貌は、顔についた大きな傷を除けば、幼馴染の娘に瓜二つだった。
男の言葉など耳に入っていない。彼の頭は、喪った者を取り戻したかの如き錯覚と、その命を守り切れなかった自己嫌悪とで、正しい認知を歪ませている。本物の「イリーナ」はもっと血色がよく、背が高く──何よりたった一度、写真で見ただけでも忘れられないほど、暖かく笑う少女だったのに。
「『アレクセイ』」
指先で額を打たれ、激痛が全身を駆け巡る。それは致命の痛み。死者であることを否が応でも彼に思い出させる。
「あっ、がぁ──」
「俺の話は理解できたか、アレクセイ。お前は、このガキの、お守りをしろ」
「俺の話は理解できたか、アレクセイ。お前は、このガキの、お守りをしろ」
ようやく世界が正しく見え始めた。既に彼の領域たる路地裏の風景はなく、三人ともが一面の銀世界の中にいる。肌を切り裂くように冷たい風は、男との戦いの中で感じていたものと同じだった。
「気付いたか。お前は俺とだけやり合ってたわけじゃない、ずっとこいつの風に晒されてた。この『冷気』は他の領域の力を弱める、お前の攻撃は元より俺には大して効かなかったわけだ」
「クソが……」
「クソが……」
悪態を吐いたのは戦いのことについてではない。彼にドゥーヴァという少女をつけようとした意図を、瞬時に理解したためだ。
ドゥーヴァの目には心が見えない。何があったか定かではないが、少なくとも精神の均衡を失っているのは確かだ。そして宛 がわれる他人。本当に「お守り」をしろというわけではない。「目の前で人が死ぬ様を見せつけて更に弄びたい」──そんなところだろう。
関係ないと見捨てるのは容易い。その瞬間、男の拳がウェイザスの肉体をバラバラにするだろう。戦いを挑まれては惰性のように殺し続けてきただけで、彼に復活や生への強い未練・執着はなかった。二度目の死で今度こそ楽になれるなら、喜んで死んだだろう。
しかし。『イリーナ』そっくりの少女と出会ってしまった残酷な巡り会わせが、その諦めを凍り付かせる。「今度こそ守り抜かなければならない」という執着が、彼の心に根を張ろうとしていた。
──最後に勝利したのは、何もかもを諦めたはずの男に残る、ちっぽけな後悔だった。
ドゥーヴァの目には心が見えない。何があったか定かではないが、少なくとも精神の均衡を失っているのは確かだ。そして
関係ないと見捨てるのは容易い。その瞬間、男の拳がウェイザスの肉体をバラバラにするだろう。戦いを挑まれては惰性のように殺し続けてきただけで、彼に復活や生への強い未練・執着はなかった。二度目の死で今度こそ楽になれるなら、喜んで死んだだろう。
しかし。『イリーナ』そっくりの少女と出会ってしまった残酷な巡り会わせが、その諦めを凍り付かせる。「今度こそ守り抜かなければならない」という執着が、彼の心に根を張ろうとしていた。
──最後に勝利したのは、何もかもを諦めたはずの男に残る、ちっぽけな後悔だった。
「ぐっ……。こいつと一緒にいればいいんだな?」
「ハハッ、その通りだ。ちゃんと言われた通りにしてりゃいいぜ、家族ごっこしてようが自由だ」
「ハハッ、その通りだ。ちゃんと言われた通りにしてりゃいいぜ、家族ごっこしてようが自由だ」
『分かっている』ことを分かっているのだろう。心底意地の悪い笑みを浮かべ、男がウェイザス──アレクセイの肩を叩いた。
「何がしたいんだテメエは……」
「戦争」
おやつを食べた後にする遊びを選ぶような気軽さで、そう言った。
「一人二人との戦いはいくらかやったが、だんだん飽きてきちまった。そこでもう少し面白いことがしたくなったわけだ。有象無象を集めてけしかける。生き残ったやつらが団結する。それとやりあいてぇんだ。全員が異能者だぜ、さぞ面白れぇ戦いになるだろうなあ」
「……それだけのために、俺は利用されんのかよ」
「面白れぇ死に方と、俺より弱え自分を恨め」
「……それだけのために、俺は利用されんのかよ」
「面白れぇ死に方と、俺より弱え自分を恨め」
男は真に愉快に笑い、ウェイザスの頭をガシガシとかきむしった。
手を払い除ける──そこにもう、李と名乗った男の姿はなかった。
領域が消え去り、後には白い少女──ドゥーヴァと、ウェイザスだけが残された。
ズタズタになった右腕は何事もなかったかのように形を取り戻し、自由に動く。しかし、その手首には見慣れないものが残されていた。流れ出た血を戻し固めたかのような真っ赤な数珠が、いやに鮮やかに色を放っている。
ズタズタになった右腕は何事もなかったかのように形を取り戻し、自由に動く。しかし、その手首には見慣れないものが残されていた。流れ出た血を戻し固めたかのような真っ赤な数珠が、いやに鮮やかに色を放っている。
(監視の類か……あのイカれ野郎、こんなもんまで作れるのかよ)
ドゥーヴァを見れば、彼女はその首に、真っ赤な飾り紐が結ばれていた。一見すると真っ白な少女を唯一強烈に飾り立てている装身具であるそれが、暴虐の男と繋がる呪いであるなどと、まったく笑えない話だ。
虚ろな瞳を空に彷徨 わせるだけのドゥーヴァといることに耐えかねたウェイザスは、とうとう口を開いた。
虚ろな瞳を空に
「……おいお前、ドゥーヴァとか言ったか」
「──先生? アジンっ?」
「──先生? アジンっ?」
その瞬間、昏い瞳に僅かに光が灯る。
「違う、俺は──」
「あ──ご、ごめんなさい、ごめんなさいっ! 今日の分の労働は、私一人でも何とか」
「待て、何の話」
「すみません──私なら、大丈夫だから──あの子たちは、まだ子供だから──」
「あ──ご、ごめんなさい、ごめんなさいっ! 今日の分の労働は、私一人でも何とか」
「待て、何の話」
「すみません──私なら、大丈夫だから──あの子たちは、まだ子供だから──」
ドゥーヴァの領域によるものではない、本能からの悪寒がした。何が起ころうとしているのか、それを察したウェイザスは即座にドゥーヴァの手を掴んだ。彼女がちょうど、質素な貫頭衣 の襟周りに手を掛けようとしたところだった。
「いやあぁっ」
悪寒が、再び荒れ始めた絶対零度の風に塗りこめられていく。
「いやぁっ、アジン、アジンっ。どこ行ったの? 置いて行かないで、アジンっ──」
「……これが運命なのか」
「……これが運命なのか」
既に左手は死んでいた。彼は残った右腕で、コートの内ポケットに入れていたスキットルを引っ張り出し、どうにか片手だけで封を開けた。
ロシアの血液、不凍の燃料たるウォッカを含み、それと共に数多の苦味を飲み下す。
ロシアの血液、不凍の燃料たるウォッカを含み、それと共に数多の苦味を飲み下す。
この壊れた少女を守り通さねばならない。彼女に壊されないように。
少女の前で死んではならない。だが過度に距離を置くことも許されない。
いつか破綻するその関係を、その日まで、続けなければならない。
何事も成し遂げられなかった、つまらない男だというのに。
少女の前で死んではならない。だが過度に距離を置くことも許されない。
いつか破綻するその関係を、その日まで、続けなければならない。
何事も成し遂げられなかった、つまらない男だというのに。
これはある男の話。
それが語れるようなものになるのか、否か、今はまだ──。
それが語れるようなものになるのか、否か、今はまだ──。
Other→藕断糸連