総評
- 伊東四十八城に象徴される栄華を誇るも、木崎原合戦は南九州の桶狭間。敗れし伊東家には流転の道しか残されていないのか。
- 武将の大幅入れ替え、日向・肥後間の合戦が不可能になったりと初代風雲録から大きく様相が変化した。前作に比べればいくらか改善されたが、状況が好転しているとは決して言えない。
隣国に攻め込まれる早さは脅威的で、滅亡の早さは里見家と1・2を争う。両家は処断の嵐が吹き荒れる点でも共通。その姿は涙を誘う。 - 難易度は難しい。国力・兵数・武将の能力に優る大友家・島津家に挟まれる。両家の攻撃目標とされやすい事も難易度に拍車を掛けている。
- 領国はシナリオ1~3・5で日向1ヶ国。シナリオ4には登場せず。
- 人材は一門衆と伊東家臣団で構成。北の大友家、南の島津家に比べると質・量共に見劣りする。
政治面の主軸は川崎祐長。山田宗昌が二番手となる。能力値的には伊東義祐が最上位だが、行動力消費の面からあまり積極的には使い辛いか。
戦闘面は軸となる武将が不在。木脇祐守、長倉祐政は兵科適正が今一歩。当主が主力という弱小大名の轍を外れない。
浪人はシナリオ1では山田宗昌ら3名、シナリオ2では新納忠元と北郷時久の2名が滞在。このうち相性が良いのは山田宗昌のみだが、出来れば全員家臣に加えておきたい。 - 固定戦術は移動系、特殊系、攻撃系が各1つずつ。
「看破」は伊東家の主な攻撃手段となる奇襲を支える重要な戦術。後退しながら奇襲を繰り返す。これが合戦での基本的な立ち回りとなる。
「流言」は効果の実感に乏しい。加えてランダム効果。あまり頼りにすべきではない。
「連撃」は実質「三段構え」の下位互換戦術と考えて良い。伊東家には鉄砲適正の高い武将が不在。やはり武将と鉄砲の数が揃ってからが本領発揮となる。 - 日向の文化効果は「台風の被害減少」、技法は「兵法」。
- 日向は最大石高、初期文化値共に全国平均を下回る。佐土原は九州の小京都なのだが。文化効果は九州・四国地方では重宝するが、開発を急ぐ必要はあまり無い。
- 隣接国は最少の2ヶ国。隣接大名家はシナリオ1の状態で大友家と島津家。シナリオ2・3・5でも同様。
- 外交状況はシナリオ1・2では好意的な大名家、敵対的な大名家は特に無し。
シナリオ3では龍造寺家・相良家・島津家との友好が大きく低下している。
なお、同盟を結んでいる大名家はいずれのシナリオでも無し。 - 余談だが、日向という土地で伊東義祐は仏事に傾倒し、大友宗麟はキリスト教国の設立を目指した。結果としては伊東家は衰退、大友家は大敗を喫するわけだが、日向には何かがある気がしてならない。
- ちなみに家紋は「真向き月に星」。
固定戦術
- 看破
- 流言
- 連撃
注目武将
伊東 義祐‐政治78 戦闘68 教養63 魅力76 足軽B 騎馬B 鉄砲C 天性:猛将
大仏や金箔寺を建立するほど仏教好き。だが孫の伊東マンショはカトリック教会の司祭様。
戦闘68だが総合力で主戦を張る。島津家の猛攻に抗い切れるか。政治78は再評価の兆し。
大仏や金箔寺を建立するほど仏教好き。だが孫の伊東マンショはカトリック教会の司祭様。
戦闘68だが総合力で主戦を張る。島津家の猛攻に抗い切れるか。政治78は再評価の兆し。
伊東 祐兵‐政治69 戦闘70 教養65 魅力69 足軽C 騎馬B 鉄砲D 天性:猛将
後に伊東氏中興の祖とも呼ばれる伊東家の秘蔵っ子。耳川合戦前後の逸話はまるで昼ドラ。
万能型だがやや小粒な印象。1574年元服だがシナリオ4では開始翌年に摂津付近に登場。
後に伊東氏中興の祖とも呼ばれる伊東家の秘蔵っ子。耳川合戦前後の逸話はまるで昼ドラ。
万能型だがやや小粒な印象。1574年元服だがシナリオ4では開始翌年に摂津付近に登場。
川崎 祐長‐政治74 戦闘34 教養61 魅力58 足軽D 騎馬D 鉄砲D 天性:知将
伊東親子の流浪を常に支えるその事績は糟糠の妻に匹敵。伊東祐兵の祖父でもある。
政治74で伊東家の政務全般を取り仕切る。川崎酒造って宮崎に実在するんですね。
伊東親子の流浪を常に支えるその事績は糟糠の妻に匹敵。伊東祐兵の祖父でもある。
政治74で伊東家の政務全般を取り仕切る。川崎酒造って宮崎に実在するんですね。
新納 忠元‐政治26 戦闘84 教養74 魅力63 足軽B 騎馬A 鉄砲B 天性:勇将
島津家武功派筆頭の名臣。日向滞在の理由は本家筋が飫肥・志布志に拠点を持っていたからか。
シナリオ1・2で浪人中。相性は最悪だが戦闘84は大いに頼りになる。なんとかして家臣に迎えたいが…。
島津家武功派筆頭の名臣。日向滞在の理由は本家筋が飫肥・志布志に拠点を持っていたからか。
シナリオ1・2で浪人中。相性は最悪だが戦闘84は大いに頼りになる。なんとかして家臣に迎えたいが…。
敵大名としての特徴
- 対外的な軍事行動を起こす事はほぼ無い。というのも隣国の活動が活発で常に機先を制されるから。
いずれのシナリオでも島津家の最初の標的となる。撃退に成功することはまず無く、早ければ開始2年であえなく滅亡の運びとなる。
稀に大友家に先行されることも。結果は変わらず滅亡することがほとんどだが、家臣団が処断されない分いくらか救いがあるか。 - 合戦を行う際に注意すべき点は特に無し。序盤だと「看破」が厄介ではあるが、力押しで打ち破れない相手では決して無い。
シナリオ別攻略
・シナリオ1
武将は5人。
北に大友家、南に島津家と強国に挟まれる。加えて伊東義祐が主力という厳しいお家事情。
浪人の登用は怠りなく。新納忠元の登用も不可能ではない。忠誠の値にはこの際目を瞑ること。
・シナリオ1
武将は5人。
北に大友家、南に島津家と強国に挟まれる。加えて伊東義祐が主力という厳しいお家事情。
浪人の登用は怠りなく。新納忠元の登用も不可能ではない。忠誠の値にはこの際目を瞑ること。
最初の攻略目標は大友家が良いだろう。兵数・訓練を整え次第豊後に出兵しよう。
大友家系の武将との相性は良好。戦後登用で家臣の充実が期待出来る。ちなみに龍造寺家・相良家・島津家の武将とは相性が悪いので注意。
この時点での伊東家の生命線は「看破」。大友家は「鎮静」を使用するので対策が必要となる。
具体的には鉄砲隊を編成して「連撃」を使用すれば良い。あくまでも「看破」を活かすためなので兵数は最少でもいい。
大友家系の武将との相性は良好。戦後登用で家臣の充実が期待出来る。ちなみに龍造寺家・相良家・島津家の武将とは相性が悪いので注意。
この時点での伊東家の生命線は「看破」。大友家は「鎮静」を使用するので対策が必要となる。
具体的には鉄砲隊を編成して「連撃」を使用すれば良い。あくまでも「看破」を活かすためなので兵数は最少でもいい。
豊後攻略後は旧大友家臣団を中心に国力と軍備の充実を図る。1557年までにはまとまった兵数を準備するように。
以降は薩摩→肥後→肥前と安全国を増やしながら進軍していけば効率良く勢力拡大が望める。「看破」による奇襲が主戦力なのは同じ。
九州制覇にはそれなりの時間と労力が必要だが、統一後は北上するのみなので展開は一気に楽になる。
以降は薩摩→肥後→肥前と安全国を増やしながら進軍していけば効率良く勢力拡大が望める。「看破」による奇襲が主戦力なのは同じ。
九州制覇にはそれなりの時間と労力が必要だが、統一後は北上するのみなので展開は一気に楽になる。
・シナリオ2
武将は7人。
嫡子である伊東義益が元服。山田宗昌も家臣に加わり伊東家最盛期を迎える。
開始直後の新納忠元登用は難しい。翌月以降に滞在していたら声を掛けてみよう。
方針はシナリオ1と変わらず。大友家には高橋紹運が加わりより難敵となっているが、ここを乗り越えずして伊東家の明日はない。
島津家久元服前の島津家打倒から手を付けるのも妙手といえるが、武将の登用に苦労する点は覚悟しておくこと。
ちなみに伊東義益の寿命は非常に短い。伊東家の未来を託す人物の登場はもう少し先になる。
武将は7人。
嫡子である伊東義益が元服。山田宗昌も家臣に加わり伊東家最盛期を迎える。
開始直後の新納忠元登用は難しい。翌月以降に滞在していたら声を掛けてみよう。
方針はシナリオ1と変わらず。大友家には高橋紹運が加わりより難敵となっているが、ここを乗り越えずして伊東家の明日はない。
島津家久元服前の島津家打倒から手を付けるのも妙手といえるが、武将の登用に苦労する点は覚悟しておくこと。
ちなみに伊東義益の寿命は非常に短い。伊東家の未来を託す人物の登場はもう少し先になる。
・シナリオ3
武将は6人。
伊東義益が夭折。新たな家臣は無し。
木崎原の戦いを目前に控えたシナリオ。伊東崩れを起こしてはならない。
浪人は滞在せず。伊東義祐がエースでは大いに不安。さりとて他に頼れる者は無し。
やはり豊後侵攻を当面の目標とするのが良いだろう。友好の低い島津家から攻略するのも良いが、武将数に苦労する可能性が高い。
いずれにせよ武将の戦闘能力差が大きいので相当の苦戦を強いられる。複数回に渡る合戦も視野にいれて取り組もう。
武将は6人。
伊東義益が夭折。新たな家臣は無し。
木崎原の戦いを目前に控えたシナリオ。伊東崩れを起こしてはならない。
浪人は滞在せず。伊東義祐がエースでは大いに不安。さりとて他に頼れる者は無し。
やはり豊後侵攻を当面の目標とするのが良いだろう。友好の低い島津家から攻略するのも良いが、武将数に苦労する可能性が高い。
いずれにせよ武将の戦闘能力差が大きいので相当の苦戦を強いられる。複数回に渡る合戦も視野にいれて取り組もう。
伊東義祐は日向退去後、豊後→伊予→ちょっと飛んで播磨と流転。息子祐兵の羽柴家仕官後は中国地方を流浪し周防に滞在、最後は堺と水戸黄門ばりの諸国漫遊を実行した。
(徳川光圀が実際に諸国漫遊をしていない事はともかくとして)この旅路をなぞりながら勢力を拡大していくのも乙なものである。効率は非常に悪いが。
(徳川光圀が実際に諸国漫遊をしていない事はともかくとして)この旅路をなぞりながら勢力を拡大していくのも乙なものである。効率は非常に悪いが。