"シチリア島の夕べの祈り"

対訳【イタリア語版】

アリアへジャンプ!

ありがとう愛する友よ(動画対訳)





訳者より

  • 1855年パリの万国博覧会で上演されたヴェルディの大作。くしくも1867年のパリ万国博覧会で上演されたオッフェンバックの「ジェロルスタン女大公殿下」と同じように戦争をテーマとした作品です。オッフェンバックの方もつい先日対訳をアップしたばかりということもあり、非常に興味深くこの事実を受け止めています。どちらの作品も万博の目玉として大変な評判だったのだそうですが、戦争のような陰惨な話題を誰一人死なせることなく爆笑の喜劇に変えたオッフェンバック作品に対し、こちらのヴェルディは大変ストレートな戦争にまつわる悲劇。しかも上演から600年近く昔のこととは言え、このオペラが初演されたフランスが侵略していたシチリアを舞台に、フランスの大戯曲家だったウジェーヌ・スクリーブが侵攻したフランス兵たちの蛮行も赤裸々に描き出していて、こういうものが万博のような祝宴で一大エンターテイメントとして成り立っていることに本当に驚かされてしまいます。侵略者側の理屈を正当化する訳でもなく、悪いところは悪いと描写する、まあ史実で実際に暴動の起きた13世紀はまだ封建制で国民国家が成立していなかった頃ですから、このオペラの観衆にとっては自分たちの国とは関係ないどこかよその国の昔話という感覚だったので許されたことなのかも知れないですが…
  • 個人的にはこの19世紀に大戯曲家として活躍したスクリーブという人の描き出す人物像に共感できず、まるで感情移入できない行動が積み重なって行く中でどんどん問題がこじれて行くさまを延々3時間以上のグランドオペラで見せられるのはけっこう苦痛で、2013年にヴェルディのオペラを集中的に訳したときにもこのオペラは途中まで手がけてはみたものの、3000行を超える膨大なテキストのボリュームと、「この状況でなぜお前はこんなことをする(考える)んだ!」という筋書きへのフラストレーションから途中で投げ出しておりました。確かにフランスの提督として冷酷無比の総督モンフォルテが、自ら手籠めにした女との間に生まれた息子アリーゴ(しかも母親の影響下でシチリアの愛国者として自分を憎んでいる)に対して血のつながりがあることだけでメロメロになったり、その息子アリーゴの方もまだ1~2回しか会っていない父を、長年苦楽を共にした反乱軍の仲間たちの刃から脊髄反射的に身を挺して守ったり、兄である殺されたシチリア領主フェデリーコの妹エレナも、これまで受けて来た屈辱をモンフォルテの勧めでアリーゴと結婚できると見るやあっさりと横に置いといて和解へ走ろうとする、結局このオペラの主要人物で最初から最後まで首尾一貫していたのは愛国者のプローチダのみ。彼の頑迷さのためにオペラ最後の悲劇が生みだされてしまったわけですが、これまでは私は唯一この人にだけ感情移入ができていたのでありました。
  • ただ改めて考えてみると、このような憎しみの連鎖を断ち切れるのは「恩讐の彼方」の人の情ですよね。確かに親子や恋人の情愛はハチャメチャに展開されてはいるのですが、実はこういう情の力でしか戦争は止められないのかも知れません。結局ここではプローチダに代表される理の力で他の3人の情の力は破れ、大変な悲劇となってしまうわけですが、むしろ共感し、その心の動きをしっかりと受け止めるべきはこの3人のプライベートな情の力。これをどう理の力と折り合いをつけてこんな悲劇を生まないようするかがこのオペラが突きつけている課題なのでしょう。こんな見方ができるとこのオペラの台本、俄然面白くなります。その言葉ひとつひとつに付けられたヴェルディの音楽の見事さ。規模が大きすぎて中だるみしているところがない訳ではありませんが、実はこのオペラ、「アイーダ」や「ドン・カルロ」並の傑作なのではないかと聴き込む程に思えてきました。最後に鳴らされた婚礼の鐘(晩祷)が実は復讐の合図になっていたという、情から復讐へのどんでん返しがこれほど重い意味をもっていることに気付かされたのが今回一番の収穫です。

録音について

  • オリジナルのフランス語で上演されたものもあるようですが私が耳にできたのはイタリア語盤3種。RCA-Deccaのレヴァイン指揮の盤は指揮者の語り口の巧さが見事です。歌手もアーロヨ(エレナ)、ドミンゴ(アリーゴ)、ミルンズ(モンフォルテ)、ライモンディ(プローチダ)と万全。特に男声3人が贅沢です。それとスタジオ録音なので言葉がはっきりと聴き取れて歌詞を追いながら聴くには最適。音楽だけでなくオペラのストーリーも味わいながら聴くには最高の盤です。もうひとつの全曲盤はEMIにあるムーティ指揮のスカラ座盤。ライブなので歌詞が若干聴き取りにくいのと、やはり3時間を超える巨大なオペラだからでしょうか、途中で息切れしないためかムーティ―が意外と安全運転で音だけだとやや退屈する場面がところどころあります。歌手陣はステューダー(エレナ)、メリット(アリーゴ)、ザンカナーロ(モンフォルテ)、フルラネット(プローチダ)とステューダーを除くと若干レヴァイン盤よりも弱めですが(ステューダーは凄いです 第1幕のアリアなど惚れ惚れします)、オペラの役柄としては男声3人もこちらの方が合っているのではないかと。メリットの軽めのテナーはアリーゴの未熟さをうまく表していますし、ザンカナーロのモンフォルテは伸びやかな美声の中にも厳しさがあって、善人声と悪人声のバランスを取るのが絶妙です。フルラネットのバスもライモンディよりも重めなので、ザンカナーロとの声のコントラストが心地よいです。ただ喜劇向きの声質の人なのでやや愛国者の貫禄には欠けるかも。もうひとつは1951年フィレンツェ五月音楽祭のライブ、マリア・カラスがエレナを歌っているのと、指揮がなんとエーリヒ・クライバーということで期待しましたが、ライブならではのワクワク感は強かったものの、マリア・カラスの歌も彼女のベストとも言えず、さほど強い印象は得られずに終わりました。規模の大きさのわりに人気はいまひとつということで、なかなか上演や録音にも恵まれていないのでしょうか。改めて魅力に気付いた今となっては非常に残念な限りです。そう思う人も多いからでしょうか。Youtubeで検索すると公式・非公式問わずけっこうな数のライブ上演の動画がヒットしますので皆様も自己責任でお楽しみ頂けると良いかと思います。

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@ 藤井宏行

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最終更新:2024年09月16日 08:47