対訳
アリアへジャンプ!
あらすじ
- 出征を前に、兵士たちが村の娘たちとお別れのパーティーを開いています。別れを悲しむ村娘のヴァンダに、恋人の一兵卒フリッツは、悲しんでいないで陽気に踊って楽しもうと爽やかなワルツを歌います。そこへ突然現れたのは、パワハラ・セクハラ体質の司令官のブン大将。兵士たちがイチャイチャしていることに激怒し、村娘たちを追い散らします。それにぼそっと口答えする兵士フリッツ、ブン大将の怒りの火に油を注いでしまいます。ブン大将はここで有名な登場の歌を兵士たちのコーラスと共に颯爽と歌います。
訳者より
このオペレッタについて
- 切れ味鋭い諷刺の効いたオッフェンバックのオペレッタは言葉遣いや言い回しがとにかく面白く、訳にチャレンジしてみたい作品がいくつもあります。中でもこの「ジェロルスタン女大公殿下」、気まぐれや面子・欲望から戦争に明け暮れる19世紀ヨーロッパの権力者たちのアホさ加減をここまでおちょくるか?とびっくりするほどの強烈な描写。1867年のパリ万国博覧会で大当たりしたと言いますが、そのわずか3年後にこのオペレッタを愛好したと言われるナポレオン3世のもとでフランスがこのオペレッタのモデルのひとつともなったプロシャ軍との戦争に突入して大敗する未来が待っていようとは…(プロシャと戦争に突入する前にもフランスは周辺国とはいろいろと軍事衝突を繰り返していたのではありますが)
- お嬢さま君主(舞台では貫禄あるベテラン女声歌手が歌うことが多いので貫禄ある年配の女王様かと思っていた女大公殿下ですが、台本によれば二十歳そこそこの恋する乙女だったのですね)の不機嫌を解消するために「戦争などいかがですか」と進言してしまう君臣の奸。荒唐無稽のようにも思えますが、案外21世紀まで延々と続いている戦争のきっかけはこれとあんまり変わらないんではないかとも感じます。あんまり深くものが考えられない凡庸な最高責任者(ピュア―なミリタリーおたく)と、名誉欲や金銭欲に凝り固まって馬鹿げた進言しかしない(できない)ブレーンたち。その結果が第1幕や第2幕冒頭に表現されている一般大衆の願ってもいない別れを引き起こしてしまう。オペレッタでは戦争やってるのに誰も死なないおとぎ話になってくれているのが救いですが、今の世にも続く戦争の本質をえぐり出しているのではないかなあ と。その意味ではドタバタ喜劇でありながらたいへん重たいものを突きつけてくれているのです。確かに最後、大団円ではありますが実は結局何も解決せずに元のまま。歴史は繰り返して行く(このオペレッタのもう一つのテーマでもあります)ことを暗示しているのはある意味やるせなくもあります。ということで二つの世界大戦のあった20世紀に引き続いてなお戦争の世紀となりそうな今世紀にこそこのオペレッタは見直されるべきではないか ということで頑張って訳してみることとしました。
- 一点おやっと思ったのが最終曲でのフリッツの台詞。私の耳にできた録音やIMSLPでダウンロードした楽譜では「別の人がやっつけてくれるから 敵を/ぼくはやめるんだ 戦いを/ぼくは分かってる 祖国への貢献は/ぼくのささやかな家庭でできるって」となっていたのですが、管理人さんに用意頂いていたリブレットではこうなっていました。
Eh bien! je renonce aux combats, うん!ぼくは戦いはやめる
Mais, pour défendre la patrie, でも 祖国を守るために
Je promets des petits soldats! ぼくは約束するよ ちっちゃい兵士たちを!
- 産めよ増やせよで少国民たちを立派な兵士にしようという発想はこのオペレッタで訴えたいこととは真逆。どちらがオリジナルかは分からないのですが、このような軍国主義の亡霊が蘇って、このオペレッタをオリジナルで紹介できなくなるような世の中にだけは絶対にしてはならないと思います。
登場人物について
- ジェロルスタン公国女大公殿下は前述のように年の行った貫禄ある女性ではなくて、台本の設定どおり花も恥じらう純朴な二十歳のお嬢さま と見た方が良いですね。イケメン兵士フリッツを巡る村娘ヴァンダとの恋のさや当てもその方が少女漫画チックで面白いです。彼女が純情すぎてオトナの世界をあまり知らないが故のドタバタがこの喜劇のひとつの醍醐味でもあります。その女大公に惚れられてあれよあれよという間に最高司令官にまで出世して旧世代おじさんたちの怒りを買う兵士フリッツ、キャラクター的にはけっこうメンドクサイ奴です。まあそのめんどくささ故にうまく立ち回れた(最後は騙されて失敗しますが)理由でもあるでしょうか。そんなフリッツと恋仲の村娘ヴァンダ、この少女にこそ「ぶりっ子(死語)」という言葉があるのでは?天然素朴のふりをしながらもかなりしたたかな女性のように感じました。
- 口答えしてくるフリッツを徹底的にいびる上官のブン大将、パワハラ・セクハラ・モラハラなんでもござれの昭和の上司みたいな人ですね。なんとなく今でもあちこちにいそうなリアリティがあります。女大公の家庭教師にして後見人のピュック男爵、自分の地位と権力を守るためなら気軽に他国との戦争まで進言してしまう困ったキャラクター。ですがこういうタイプがけっこう偉くなっていたりするのが今の世でも困ったところです。ポール殿下はまあ分かりやすい道化役、放って置く分には無害ですがなまじ権力を持つと厄介。このブン、ピュック、ポール殿下の三悪人に、フリッツに振られて復讐に燃える女大公が絡む第2幕の幕切れ、私にはヤッターマンの女幹部ドロンジョさまと3人の手下のように見えてしまってたまりません。どこの国のどこの組織にでも居そうな人たちが絡み合ってあり得ないファンタジーが生まれるのがこのオペレッタの面白さだと私は思いました。
録音とこの対訳について
- せっかく管理人さんに用意頂いた対訳ではありますが、このオペレッタ、そのままフルで上演すると膨大なボリュームとなってしまうため通常はナンバーの省略はじめ大幅なカットが入ります。しかも厄介なことにそのカットの仕方が演奏毎にまったくまちまち。用意されていたリブレットにもけっこうカットがあり、さりとてどの演奏とも対応が取れていませんでしたので、個人的に一番気に入っている演奏の、ルネ・レイボヴィッツ指揮パドルー管弦楽団の1958年録音に合わせて差し替えました(語りの部分はそのままですが歌われる部分はそうとう欠落を補っています。なお1幕冒頭のコーラスや連隊の歌などはこの盤では2番が省略されていますがそこはそのまま残しております。あと第1幕のエンディング部分は楽譜に書かれたものをフルでやると物凄く冗長になりますのでだいぶカットされていますがここも対訳ではそのまま残しました。恐らく動画対訳を作るとしたらこのレイボヴィッツ盤がほぼ一択だと思いますのでこれにまずは合わせるということで。有名な歌手の起用はありませんが推進力に満ちたインパクトある演奏で個人的には一番のお薦めの録音でもあります。
- これよりカットが酷いですが、歌手が個性的で面白いジャン=クロード・ハルトマン盤(1966)、クレスパン、ヴァンゾ、メスプレ、マッサールと歌手が大物で揃っていることではピカ一のプラッソン盤(1976)、ヴァレンティーニ=テッラーニが女大公を歌うヴィヨーム盤(1996)、聴いたことのない曲やフレーズが満載の恐らくノーカットに近いミンコフスキー盤(2004)あたりが主な録音でしょうか。フェリシティ・ロットが女大公を演じるこのミンコフスキー盤はビデオ映像にもなっています。この映像でのロラン・ペリーの演出、権力者の気まぐれに虐げられる庶民や兵士 という図式の強調は分かるのですが個人的にはちょっとストレート過ぎる表現に思えて好きになれません。誰も死なない戦争なんて荒唐無稽な展開なのですから、実際は苦しめられている下々の者たちもここでは何だか幸せそう というシュールな描写の方が音楽の至福感にも合っていますし、問題の所在がよりはっきりと見えるのでは、という気がします。
- 日本でも大正デモクラシーの時代には浅草オペラの人気演目だったのだそうですが、確かに軍国日本の黎明期であった明治時代の反動としての大正時代、この演目は物凄くウケたであろうことは容易に想像できます。第1幕のブン大将の登場のアリアなんかは多くの歌手によって歌われた録音が今も残っており、あの浅草のコメディアン榎本健一(エノケン)が歌ったものまであります。YoutubeにはSPレコードで徳山璉の歌う第1幕のブン大将登場の歌と田谷力三の歌う第2幕のフリッツ戦勝の歌がアップされておりました。日本語歌詞は文学者・教育者としても活躍した小林愛雄(あいゆう)。ぜひ私の訳した対訳と見比べながら聴いてみてください。こういう才能があったからこそ浅草オペラの日本語訳詞上演の隆盛もあたのだなあ とマジで思います。
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最終更新:2024年08月15日 10:45