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母のための子守唄

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orisuta

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僕の奥さんは、子供が産めない。
彼女は子宮頚がんだった。
医者は難しい言葉を噛み砕きながら丁寧に教えてくれた。彼女がまだ若いので今後妊娠したいのであれば子宮を残す治療もある、と。
但しそれには再発や転移のリスクが付きまとう、と。
僕らに子供はいなかった。(欲しいね、と話していた最中の事だった)
僕らは――僕は、『生まれてもいない子供』よりも『生きている彼女』を選んだ。

僕に脅しのように泣き乞われ、彼女は子宮全摘手術を受けた。
たった二ヶ月前の事だ。


■■■


鳥野幸(とりの・こう)。二十六歳、専業主婦。
大学卒業後は保育士をしていたが、去年勤めていた保育所が地域の少子化の影響を受け別の保育所と合併する事になり退職した。理由は通勤が不便になるのと、結婚して四年、子供を作るいい機会だと思ったから。
そして、二ヶ月前に子宮全摘。
退院後の診察によれば経過は到って良好。術後の検査でも転移や合併症の兆しは見られず、まずは安心とのこと。次の検診は半年後。
幸い彼女の夫は妻を労り尽くす献身的な愛妻家で、医者に言われるまでもなく──医者が思わず苦笑いを浮かべるほど──担えるだけの家事を負っていた。
それも最近では徐々に元の生活に近付けている。重いものを持つ事はまだ出来ないし無理は禁物と釘を刺されているが、散歩に出かけるようにもなった。
しかし愛妻家にとって何よりも嬉しいのは、彼女が前より幸せそうにしている事だった。
愛妻家は美しい妻の笑顔が何よりもいとおしかった。
 
 
 




手術を受けると決める前、幸には虚無感しかなかった。
情に満ち仕事を全うする医者。泣き咽び子供を諦めようと乞う夫。心配する両親と義理の両親。
どれも優しく、どれも残酷で、どれもが現実味に欠けた。
手術の同意書を目の前に医者と夫に見つめられながらふと肉の薄い腹に触れ、子宮の辺りを指で押し、(この弾力がなくなるのかしら)と思ったその時に幸は漸く絶望を感じ――『奇妙』なものを見た。
腹に重ねた自分の手に、『手』が重ねられていた。
どこか女性的で、腹の中から浮き上がり、重ねられた『手』。
更に『奇妙』な事に幸の絶望はその瞬間に消え、そうして理解した。

『私はまだ赤ちゃんを産める』、『ほんの少しばかり方法が変わるだけ』。

同意書にサインする時も『手』はぴったりと重ねられていた。
次の日になると腕に重なる『腕』が見えた。幸の体から少しずれて現れる『それ』は、まるで幸を抱きしめているようだった。
手術の間も腰椎麻酔で曖昧になる意識で(『彼女』はどこかしら)と考え、切り取った子宮を見ても喪失感はなく案外大きいのだな、とだけ思った。
うとうとした睫毛に隠れる医者の向こうに自分を見下ろす『誰か』を見た気がしたが、ここで幸の記憶は病室まで飛ぶ。
病室でじわじわと麻酔の切れていくのを感じる幸の視界には手を握って覗き込む夫がまず映った。その後ろに父、二人の反対側に母。
――ベッドの足元には、『妊婦』。


「さ、行きましょうか」

黒いレースの日傘を持った幸は隣に立つ『妊婦』に微笑んだ。
術後から姿を現しひたすら静かに佇む、幸にしか見えない『妊娠』。幸はその『妊娠』が自分自身であると直ぐに――正確には『初めから』だが──解った。
それがただの勘や当てずっぽうでないのが証明されたのは退院したその日の夜。確証に変わったのはつい先日のこと。
膨らんだ透明な腹に両手を当てた『妊婦』は幸に微笑むともない表情で頷き、少し顎を引いて腹を見下ろした。幸も目線を下げ、笑みを深めた。
液体で満たされた『妊婦』の腹の中には、『赤いおたまじゃくし』が浮いていた。
子供の手でも潰せるほど小さい、赤々とした、か細い糸のようなもので『妊婦』の体内に付いた機械と繋がる『おたまじゃくし』。
もとい、『赤ん坊』。

「『妊娠』……したんだもの、体力をつけないと。健康のため……ねぇ……ふふ」

独り言とも話しかけるともなく言い、幸は玄関を開け日傘を差した。『妊婦』は足音もなく幸の隣に並ぶ。
影は一人分しかない。
 
 
 




「あー! こーちゃんセンセだぁーっ」

散歩の折り返し地点にしている公園のベンチに座り休憩する幸に懐かしい声が聞こえた。
良く通る耳に心地いい綺麗なソプラノ。ベンチの真正面にある砂場と滑り台を見ると、滑り台の上に両手を大きく振り回す三つ編みの女の子がいた。
色素の薄いせいで赤茶けて見える髪も合わさり、幸は女の子の名前を間違わずに思い出した。

「すずめちゃーん」
「はぁーい!」

片手を勢い良く上げて元気良く返事をした女の子は滑り台をもどかしそうに滑り降り砂場に着地するのも惜しいとばかりに駆け出して幸の元に走り、膝にタッチして無邪気に笑った。
すずめは幸が働いていた保育所に一歳の時から預けられていた四歳の女の子。同じ地区に住んでいるが、会ったのは実に一年振りだった。もう五歳なのか、とすずめの頭を軽く撫でながら幸は改めて思い、笑顔を返す。

「すずめちゃん、大きくなったねぇ」
「こーちゃんセンセ、こーちゃんセンセ。ね、『その人』だぁれ?」
「え……?」

幸は思わず瞬きを忘れた。
『この人』、とすずめが幼い手で指差した先にいたのは幸の背後に佇む『妊婦』だった。
『妊婦』を肩越しに見、すずめの手を辿ってぱっちりと開いた目を見つめながら、幸は首を軽く傾げた。

「見えるの……?」
「んー? あっ、う……んーんっ、なんでもない!」

悪戯が見付かったような、嘘がバレたような──『知っていてはいけない事を知っているのが知られてしまった』ような、急に汗を滲ませたすずめはそういう表情をしていた。
慌てて後ろに引っ込めた両手を揉み、汗が止まらないのか服に擦りつける姿は記憶にあるどの姿とも違い、あまりにも開いたその差が痛々しかった。
幸は今にも逃げ出しそうなすずめの両頬にそっと触れ、額を合わせるように顔を近付けた。一瞬跳ねた少女の反応は見ないふりをして見つめ続ける。

「……先生に教えてくれるかな」
「んー……なんでもないよぉ」
「本当に?」
「ん……」
「…………」
「……笑わない? 怒んない? 変な子って言わない? センセ、言わない?」
「笑わないし、怒らないし、酷い事なんて言わないよ」
「じゃあさ、じゃあさ、センセ、こーちゃんセンセ、『これ』、見える?」

言い終わるのに合わせてすずめの頭の上が微かに光った。近付けていた顔を離した幸は、殆ど目の前に浮かぶ大きな『ベル』にまた瞬きを忘れた。
 
 
 




すずめにも帽子のように頭上に浮かぶ『ベル』がなんなのか、分からないと言う。
『ベル』は気付いた時にはもう「頭の上にあった」ので、すずめには「あって当たり前」のものだった。
すずめには見える『ベル』が他人には見えないと気付いたのは、ほんの去年のこと。
幸の隣に座って両足で交互に宙を蹴りながらすずめは話し、終わるとそっと後ろの『妊婦』を見た。

「ねー、こーちゃんセンセ」
「うん? なぁに、すずめちゃん」
「この人の……お腹の、赤いのって『おたまじゃくし』?」

不思議そうに瞬きながら幸を見上げたすずめに微笑み、幸はその微笑みを『妊婦』に向けた。

「私の『赤ちゃん』よ」


■■■


親が迎えに来たすずめが帰って数時間。元々人気の少なかった公園に幸が一人になって何分が経った時、『それ』は現れた。

『ッマァーーーーッティン・ショウッ!!』

一目で人間ではないのが判る、『奇妙』なものだった。
顔に丸とバツと重ねたマークをつけた、妙な懐かしささえ感じさせる古いクイズ番組の司会風の『彼』はマイク片手に饒舌に続ける。

『クイズ! マーティン・ショウ! 司会はお馴染みこのワタクシ。本体が男か女かはたまた人か動植物かも存じ上げない『スクラップ・スクイーズ・ボックス』がお送り、いたし、マス! サァーア、今回の解答者はコチラ、アナタ、麗しのレディー!』

『スクラップ・スクイーズ・ボックス』はマイクを持つのとは逆の手でビシッと幸を指差した。
二三度瞬き『彼』を見上げた幸は数時間前のように驚く事はなかった。平静な気持ちのまま、目の前の『彼』は、すずめの『ベル』や幸の『妊婦』と同じものである事を感じていた。

「どうして私が解答者なのかしら」
『それは! レディーに解答権があるからでございマスとも!』
「つまり?」
『つ・ま・り! レディー・解答者が『スタンド使い』で後ろのご婦人が『スタンド』であるということ!』
「『スタンド使い』……」

(確かに『傍に立っている』)そんな事を幸がぼんやりと思っている間に『彼』はまた饒舌な語りを始めた。
 
 
 




『サァッ、サァッ、サァ! 質疑応答が終了しましたトコロでクイズと参りまショウ!』
「クイズの仕組みを知らないわ」
『ご安心あれ! この『スクラップ・スクイーズ・ボックス』、番組を初めてご覧の方にも優しい進行をモットーにしておりマス。では説明しまショウ! 到って簡単シンプル、ベタでベター。ワタクシが出すクイズに解答出来るか否か! 正解ならば些細なお望みが叶い、不正解ならばその際お見せするハンマーでペッチャンコ!』
「そう……じゃあ、簡単なのがいいわ」
『それはレディーの運し・だ・い』

コホン。と一度マイクを離しわざとらしい咳払いをした『彼』は不敵に口角を吊り上げ、じれったい仕草でマイクを口元に当てた。
いつの間にか両肩に手を置いていた『妊婦』を見上げる幸に不安や恐怖は一切なかった。

『皆のお母さんだけど誰のお母さんでもなくて、自分の子供なんていないのに沢山のお歌を知ってる『お母さん』ってなぁーんだ?』

今までの饒舌さが嘘のように機械的な口調でクイズを出しカクン、と急な動きで首を横に倒す『スクラップ・スクイーズ・ボックス』。
『妊婦』からゆっくりと視線を戻した幸は微笑んで答えた。

「マザーグース」

『妊婦』が微かに笑った。



【母のための子守唄】終




使用させていただいたスタンド


No.6532
【スタンド名】 マザーグース
【本体】 鳥野幸
【能力】 生きた精子と卵子を採取する事により人間そのものを産み出す

No.319
【スタンド名】 ヘル・キル・デス・ベル
【本体】 すずめ
【能力】 音で攻撃、単純な三半規管の破壊が主力

No.328
【スタンド名】 スクラップ・スクイーズ・ボックス
【本体】 -
【能力】 出逢ったスタンド使いにクイズを出す









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