「好きよ、付き合って」
幼馴染に告白された。
いつもと変わらない、昼休みの屋上でのことである。
いつものように彼女が義理堅く作ってくれた弁当を残らず食べつくし、
いつものように人が聞いたらあまりのつまらなさにあきれるような世間話に花を咲かせ、
いつものように二人で肩を並べて教室に戻ろうとした、そのときのことである。
「また唐突に」と苦笑したが、彼女の顔を見て、それが本気であることが一瞬でわかった。
俺は、数秒悩んでから、この告白を断ったら彼女との日常が壊れてしまいそうで、それが怖くて、「ああ、いいよ」と、返事した。
側に立つ者――スタンド――
彼女のことは異性として意識したことはなかったけれど、彼女は美人だし、気立てもいいし、家庭的だった。
それに加えてとても強い。力もそうだけど、心が。俺のような人間がいじめられずに普通の学校生活を送れるのは、
彼女の『強さ』の傍にいるから、なのだろう。でなければ俺はあっという間にクラスのゴミ扱いだ。
ぶっちゃけ俺には釣り合わないと言われることもあったし、俺もそう思っていた。(もっとも彼女は強く否定していたが)
……ともあれ、彼女の告白を受け入れた『第二』の理由は、これだった。
本来『第一』でなければならないはずの理由を『第二』としておくあたり、いかに俺が情けないヤツかは十分にわかってくれたと思う。
俺自身非常に情けないヤツだと自分で自覚しているから、そこのところは言わないでほしい。
今も、後悔しているのだ。俺がこんなに情けない、臆病な人間じゃなければ、彼女はあんなに傷つくことはなかったんだし。
……さて、いつまでも俺の独白につき合わせても申し訳ないし、本題に戻ろう。
俺こと五十嵐 貴久(イガラシ タカヒサ)が「いいよ」と答えた直後、彼女――照野 明葉(テルノ アケハ)は
どこかほっと安心したように微笑んでから、自分の浮かべた表情に気がついて慌てて顔を整え、
アケハ「よかった、フラれたらどうしようかと思ってたわ」
と言った。……よく言う。フラれるわけがないのに。
俺がお前を、いや人の告白を無碍にできるような度胸などないなんて、知ってるくせに。
貴久「って言っても、恋人同士になって何するんだ?
自分で言うのものナンだけど、俺は今まで彼女なんか作ったことないし、
具体的に恋人になったからどうする、なんてこと、知らないぞ?」
ぶっちゃけ、今やっていること自体が恋人同士がやっているようなことなんだろうな、
と17歳童貞特有の浅はかな想像力でそんなことを考えつつアケハに暗に助けを求めると、
アケハ「そんなこと、私だって知らないわ。『あなたが初めて』だもの。
……じゃあ、こうしましょう。明日、水族館に遊びに行く! 学校休んでね」
『初めて』って……いや、狙って言ったわけじゃないんだろう。ここは突っ込まないでおく。
と、一瞬あきれたと思った瞬間、今度はさらに巨大な爆弾を落としてきた。
そのあまりの衝撃に、「はぁ!?」と、思わず俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。
いや、無理もないはずだ。恋人ってのはデートとか普通にやるもんだと俺は思っているが、
それにしたって学校を休んでまでそんなことをするはずはないだろう。
貴久「ちょっとまてアケハ、いくらなんでもそりゃ唐突すぎるだろ? 水族館なら休日に……」
言いかけた俺の口を、アケハは彼女自身の唇で抑えた。
貴久「―――っ!?!?!?!?」
肩を押しのけて唇を離そうとしたが、できない。首に腕を回されているから、腕を上にあげることができないのだ。
こいつ、計算してやりやがったな。……ちくしょう、ここまでされたら断れなくなっちゃうじゃないか。
アケハ「……いいでしょ? どうせ来年からは大学受験とかで遊びに行きたくても行けなくなるし、
大学、あなたと同じところに行けないかもしれないし…………。今のうちに、たくさん思い出作りたいのよ」
上目遣いで、じっと見つめてくる。こいつは、自分の可愛らしさをうまく使う術を知っているところがシャクに障る。
普段あんなに強そうなのに、そんな目で見られたら俺に拒否することなんてできない。
貴久「…………分かったよ。俺、知らないからな」
表面上はあくまでぶーたれた様子でそっぽを向き、しかし内心はそこまで嫌な感情は抱かずにそういうと、
彼女は一瞬またホッとしたような表情を浮かべて、それから「うん!」と可愛らしい顔で頷いた。
まったく…………。
・ ・ ・
翌日、午前7時。俺たちは某水族館に来ていた。私服姿のアケハは制服の時以上に可愛かった。
「どう? 可愛い?」なんてくるりと回っているサービスシーンもあったが、俺が「らしくないな」と言った瞬間終了してしまった。
そんなわけで、俺たちは今、一番人気らしい、アザラシが水槽の中にいるコーナーにいる。
やはり水族館のアザラシだけあって、人懐こい。俺がガラスに手を伸ばすと、アザラシが吸い寄せられるように泳いでくる。
そうして適当な数が集まったところで、ガラスに拳をゴン! と叩きつける。
隣にいるアケハが「ガラスは叩いちゃ駄目でしょう? アザラシたち、ビックリしてるじゃない」と小言を漏らした。
いいじゃないか、少しくらい。こういうことができるのは、こういうときだけなんだぜ?
…………さすがに平日の朝というだけあって、水族館は閑散としている。
あたりを見渡しても、人はあまりいない。たまにいても母と子くらい、視点によっては誰もいないところもあるくらいだ。
まるで、自分たちが水族館を貸切にしたような……もしくは世界に二人だけ取り残されたような、そんな気分になった。
貴久「っ」
と、あたりをきょろきょろ見渡していると、ふと右手に体温を感じた。
その意味を理解してバッと弾かれたように彼女を見ると、
アケハ「…………別にいいでしょう? 恋人同士なんだから」
驚いたような表情が気に障ったのだろうか。そこには心なしか不機嫌そうにしているアケハの姿があった。
俺がバツが悪そうに彼女の顔から目線を下にそらすと、そこには立派に恋人握りをしている俺とアケハの手があった。
思わず恥ずかしくなって、顔をあらぬ方向に向けると、「あ、ああ……」と弱弱しく呟く。
顔を見なくても、彼女がいたずらっぽく目を細めて笑っているのが分かったのが、さらに恥ずかしかった。
気を取り直してアケハの顔に視線を戻した瞬間、カァン! という何か硬いものをぶつけたような甲高い音が響き渡った。
…………その瞬間、彼の体に『人ならざる者』の拳がめり込んだ。
めり込んだ、という表現はおかしいわね。なぜなら、彼の体は1mmもへこんではいないから。
一瞬にも満たない『それ』の動きの次の瞬間、彼の首筋に刃が突き立てられた。
勿論、彼の首筋は1mmたりともへこんではいない。
私のスタンド能力で殴られたのだから、当然よね。
貴久「……? なんだ、今の音」
やっと、彼が突然の異変に勘付いて声を上げた。でも、悪いけどあなたを巻き込むつもりは毛頭ないの。
これは、私が自分ひとりで解決するって決めたから。その為にこの場所にあなたを連れてきたのだから。
アケハ「…………私、ちょっとトイレ。先言ってて、サメの水槽の前で合流しましょう」
手を握り、その直後妙な音が聞こえたのに、何も言わずに「トイレ」というのは自分でもどうかと思ったけど、
私にそんなことを気にしている余裕はすでになかった。
ことの始まりは、2日前に遡る。
男子「好きだ! あんなヤツより、俺と付き合ってくれ!」
始まりは、クラスの男子に告白されたことからだった。
そいつはクラスでも人気者として有名で、家もお金持ちだった。
もちろん、性格が特別悪いというわけでもなく、やさしい人格の持ち主と評判だったけれど、
それでも私は彼のことを好きになれなかった。それは勿論、私自身が彼――貴久のことを好きだったこともあるし、
この男子が貴久のことを見下している、ということもあった。
アケハ「ごめんなさい。私、好きな人がいるの」
ペコリ、と腰を折って謝る私に、男子生徒は唖然としていた。
フラれるはずがないと思っていたのかしらね。確かに、彼の告白を断るような女子、私以外にはいないだろうけど。
一瞬、彼の体がよろめいて、それから後ろ足で踏ん張って体を支える。
男子「なんでだ!? なんでなんだ! あの貴久の方が、俺より良いってことなのかよ! あんな臆病……」
その言葉を聞いた瞬間、私の体は勝手に動いていた。
右手が横に大きく振りぬかれる。続いて、パチン! と乾いた殴打の音が響いた。
アケハ「思い上がらないことね。あなたがそんな風に彼のことを言う資格はないわ。
確かに彼は臆病だし情けないけれど……。少なくとも、あなたみたいに人を見下すような人じゃない」
それだけ言うと、私はきびすを返してその場を去ったのだけれど…………。
その翌日のことだったわ。彼が「暗殺者」を雇った、という噂を聞いたのは。
まさか、と思うかもしれないわね。私も思ったわ。まさかそんなはずはない、って。
でも、信じざるを得なかった。その日、私はどうしても心配で貴久の家に上がらせてもらうことにしたの。
勿論、私の家から彼の家までの短い道のりを狙われないようにする為にね。
何故だか、貴久は「お、おお、親はいるからな!」って焦ってたけど、あれはなんだったのかしら?
貴久の家の数百m手前に来たところで、私は後方から高速で飛んでくる物体の存在に気がついた。
とっさにスタンドでその物体をつかんで、心底ぞっとした。『それ』は、紛れもなくナイフだった。
こんなに鋭利な刃物が、ほかでもない貴久めがけ飛んできたのよ?
私はもう、その情報を信じざるを得なかったわ。
だから、この場所を、水族館を選んだ。
付き合うことにしたのも、その為の口実。勿論、彼のことは本気で想っているけれど。
水族館なら、ある程度開けたところもあるから、思い切り暴れても問題はないし、
人もいないから、暗殺者も行動に出やすい。暗殺者は私のことを知っているから、
まずは邪魔な私を消そうとするはず。そこで、私が暗殺者を叩けば、それでいい。
アケハ「…………さて、暗殺者さん、出てきてもいいわよ。邪魔者はいなくなったから」
適当に貴久から離れた私は、誰もいない『ように見える』空間に向けて呼びかけた。
声が三回ほど響いた後、物陰から大柄な男が現れた。
白人男性で、頭にバンダナのようなものを巻いていたけれど、最も目を引いたのは、その手に装備されたグローブ。
一目見て私が持っている『もの』と『同じもの』だってことが理解できた。
白人「ったく……。俺も腕が鈍ったなァ。元・特殊部隊の猛犬って呼ばれてたこの俺が、
今じゃお嬢さんひとりに尾行がバレちまうなんてよォ……。殺し屋稼業に転職したのは間違いだったかァ?」
白人は面倒くさそうに後頭部を掻きながら私のことを見据える。初めて見る『本気の目』だった。
確実に、この男は私を殺そうと考えている。本気で。でも、私も退くことはできない。
それは、彼を見捨てるということを意味しているから。
白人「解せねェなァ…………。何だってあんなヒョロいガキをかばったりするんだ?
見たところさえねェ顔してるし、そこまで人徳があるってわけでもねェだろ」
この彼の物言いに、私は少なからず腹を立てた。何も知らないくせに。どいつもこいつも、
貴久のことを何もしらないくせに、知ろうともしないくせに、勝手に決め付ける。『あいつは臆病だ』って。彼自身でさえも。
白人「それに、あいつは『スタンド使い』じゃあねェんだろ? 『スタンド使い』でもねェヤツと心が通じ合えるわけねェじゃねェか」
この瞬間、怒りもあったにもかかわらず、私は思わず吹き出してしまった。
「スタンド使いはスタンドを持たない者とは心が通じ合うことはできない」……。
小さいころは、確かに私も、同じことを考えていたわね。彼に、こう言われるまでは。
貴久「んなわけねぇだろ!! おまえ、かんちがいしてるんじゃねーぞ!!
「すたんど」だかなんだかしらねぇけど、なんでそんなバカげたかんがえ方ができるんだよ!!
ちょっと人とちがうだけで、分かりあえないなんて、そんなバカなこと、あるわけねーだろうが!!!」
アケハ「ふふっ、あなたには一生かかっても分からない気持ちよ。これは」
その言葉のおかげで、今の私がある。今の私の『心』を作ってくれたのは、『誇り』を与えてくれたのは、貴久。
だから、私は、命に代えても、あの人を守ることにためらいはない。彼がこの先どのように変わろうと、決して。
そのことを心の中で認識したとき、目の前の白人の姿が目に入った。……感傷にひたってる暇はなかったわね。
あの日、私はこの『人ならざる者』に名前をつけたの。分かる? 貴久。
あなたのために……。あなたのためなら、どんな怪我を負おうと、どんな障害があろうと。
必ず、絶対に、何度だって『立ち上がる』。その為の力。それが、私のこの『力』の名前。
アケハ「行くわよ――」
私の言葉とともに、白人が手にナイフを構える。そういえば、あいつの攻撃手段はナイフだったっけ。
でも、私には、少なくともそんなことは関係ない。傍らに、私の”傍に立つ者(スタンド)”を立たせる。
ゆっくりと、拳を握り締め、そして素早く両腕を上げさせ、ファイティングポーズを取り、
アケハ「『ザ・スタンドアップ』ッ!!」
雄たけびを上げながら、私は一歩踏み出した。
瞬間、男の手が常人の目では捉えられない動きでナイフを繰り出してきた。
『グローブ』はやはりスタンドか――! それがスタンドの動きだと理解した私は、すぐさまスタンドでナイフを弾く。
と、そこで初めて『異変』に気がついた。
アケハ「……? 何、この『テープ』のような線……」
そうやって『テープ』のようなものに注目しているのも束の間、また新たなナイフが飛び出してきた。
まったく、何本ナイフがあるのかしら! さっきから何本も何本も弾いているけれど……。一向に終わる気配がないわ。
そうこうしているうちに、『テープ』のような線はたくさん張り巡らされて、私の身動きもとりづらくなっていく。
アケハ「く、ううッ!」
と、ついに『スタンドアップ』の腕が『テープ』に触れてしまった。
『スタンドアップ』は『テープ』を何事もなく通過したけれど、次の瞬間、私の腕に鋭い痛みが走った。
見ると、そこには一筋の傷。流石に骨までは切れていないようだけど、肉を深くやられたことは分かった。
白人「ハッ! やっと喰らってくれたかッ! 俺の『スーパーソニック』をよォォッ!」
アケハ「う、ぐ!」
「『軌跡』か」、と私は考えた。投げたナイフの『軌跡』にナイフの破壊力を持たせる能力……。
でも、そんな能力程度では私の『ザ・スタンドアップ』をどうにかするには至らない―――。
ガン、と『スタンドアップ』が私の体を思い切り殴って『強化』を施すけれど、それでも傷はついていく。
アケハ「う、そ!? どうして……!」
白人「どォやらその様子だと、半分正解、ってとこみてェだなァ」
私の様子を見た白人がにやにやと いやらしい笑みを浮かべながらナイフを指先で弄くっている。
キッ、と睨み付けるけれど、それでも体中に数箇所の切り傷、それも骨に届くものまであるこの怪我は痛い。
力を入れた目も、すぐに痛みで緩んでしまう。足も何箇所かやられているようで、力が入らない。
白人「俺のスタンド能力は、投げたナイフの『軌跡』に触れたものにナイフの傷跡を『与える』能力だ」
痛みでにごった思考がショックで晴れたような感覚だった。
そうか、『触れることで問答無用で発動する能力』! 私のスタンド能力は強度を上げることはできるけれど、
強度に関係ない、『触れることで発生する能力』に関してはどうしようもない。だから傷を受けたのね……。
白人「気づいたようだが、もう遅いぜェ。お前はすでに立ち上がれるような傷じゃあねェからなァ!
あとは俺に………………嬲り殺されるだけだァァ!!」
白人は、これで最後と言わんばかりにナイフを投げつける。
いやだ、こんなところで終わりたくない。終わるわけにはいかない。
私が死んだら、次は貴久の番。それだけは嫌だ。死んでも嫌だ。
アケハ「うッ、うああああああああああああああ!!」
腕が、動かない。激痛で動きが鈍っているらしかった。でも、そんなこと関係ない。
立ち上がるための力なんだから。どんな傷を負っても、どんな障害があろうと。
そのために使う力だって、心に決めたはずなのに―――。
『スタンドアップ』は、間に合わなかった。
でも、私の意識が途切れることはなかった。
…………まったく、俺はとんだ大馬鹿者だった。
本当に、どうしようもない臆病者だ。チキンだ。笑ってくれる人がいるなら存分に笑ってほしい。
……そのほうが、気が楽だ。いや、そんな風に考えること自体が『逃げ』だ。受け止めなければいけない。
分かっていたはずだ。アケハがどんな力を持っているのか。
ここ最近のアケハの不審な行動。俺ならば勘付いていたはずだ。
なのに、俺はあろうことか「トイレかぁー」などと馬鹿げたことを考えていた。
無意識に逃げていたんだ。アケハが危険から俺を逃がしてくれていたことに気がついていたのに。
貴久「ふざけんじゃねぇぞ…………」
目の前で信じられないと言いたそうに目を見開いているアケハを見ながら呟く。
アケハの表情が苦痛とは違った感情でゆがみ、肩をびくりと震わせる。これは罪悪感だ。
何故、彼女がこんな気持ちを抱かなくてはいけない? アケハは、俺を助けようとしただけなのに。
それなのに、俺がこんな馬鹿だから。アケハはこんな大怪我まで負って。
貴久「ふざけんじゃねぇぞッ! 『俺』!!」
白人「おぉおぉ、彼女のためにわざわざ戻ってきたってのかいィ? 泣かせるね、いいぜ。お前から殺してやるよォ!」
俺が叫ぶと同時に、白人がナイフを構える。俺には何も見えないが、きっと、何か『タネ』があるんだろう。
あたりに散らばるナイフに血がついている様子はない。にもかかわらず、アケハの体は深々と切りつけられている。
女の子なのに……。肌に、一生残るかもしれない傷をつけられている。それだけで俺は自責の念で死にそうだった。
貴久「アケハ、俺に触れろ」
アケハ「……え?」
アケハに対して、そうとだけ言うと、俺は白人に向き直った。
こいつをかばったときにわき腹に突き刺さったナイフは痛いが、気にしている暇もない。
さっきの甲高い音。あれは明らかに俺から発せられた音だった。
アケハが俺の手を握った直後に起きた音だ。あれは、俺を攻撃したナイフが当たった時の音だろう。
つまり、アケハはその能力で俺を守った、ということになる。それならば、俺に策があった。
アケハ「……でも、そんな…………。……分かったわ」
アケハは一瞬悩んだようなそぶりを見せたが、やがて目つきを正すと、ぐっと肩に力を入れた。
カァン、と甲高い音が響くと同時に、俺の背中に無数のナイフが突き立ち……そのまま地面に落ちた。
白人「チッ、遅かったかァ」
指先でナイフをくるくると回しながら、白人が不機嫌そうに呟いた。
まったく、お約束というものを理解しないヤツだ。
アケハ「これから、あなたは最大で『15秒間』どんな攻撃も無効化できるわ。でも、気をつけて――」
貴久「分かってる」
それだけ言うと、俺は白人の側へすぐさま走り寄った。
極限まで、前傾姿勢を保って。
考えてみれば、単純なことだ。白人は『ナイフを投げる』という動作しかしていない。
地面に落ちているナイフに血はついていないから、少なくとも投げたナイフが刺さってこうなったわけではないだろう。
にもかかわらず、アケハは怪我を負っている。じゃあ、ナイフを投げる以外に彼女が傷つくにはどんな要素がある?
ナイフそのもの、それはない。現に俺は攻撃を受けてもなんともない。
じゃあ、白人の体に秘密があるか? それもないだろう。だとしたらこの距離は遠すぎるし、
遠距離でも俺に攻撃できるならとっくにしているはずだ。
じゃあ、必然的に残るのは『ナイフを投げた軌跡』ということになる。
白人は大柄だ。高い身長から、屈んでいるアケハ目がけなげるんだから、当然『軌跡の下の空間』は広い。
前傾姿勢を保って走れば、簡単にくぐれる、ってわけだ。
白人「んなッ!? こいつ――」
白人がナイフを構える。だが、遅い。決定的に遅い。
ナイフを投げるということは、ナイフで殺傷するということは、相応の力が必要だ。
的当てをするのとは違う。人を殺すには、相応の勢いが必要だ。
見たところ、白人の動きは常人を越えているようだが、俺のような男子高校生を刺し殺すには相応の『ため』が要る。
その間に、俺は白人との間合いを詰めた。
貴久「これで、投げナイフは封じたな」
白人「っ――!」
とっさに白人はナイフを持ち直して、その切っ先を俺に突き立ててきた。
その動きはまさしく常人を越えていて、俺はそれを見ることさえできなかった。
白人「投げなくたって、俺は別に問題ないんだぜ―――ッ!」
やれやれ。
とんだ大馬鹿はここにもいたようだ。
ガィン! と、金属音を立ててナイフの刃は中ほどからへし折れた。
白人が、ナイフを持っていた右手を押さえている。当然だ。今の俺はどんな力でも壊せない。
貴久「アケハぁ!」
拳を振りかぶりながら、俺はアケハを呼ぶ。
背後で彼女の体がびくりと動くのが分かった。
貴久「俺はな、確かに弱いよ。臆病者だよ。一人じゃ何もできねぇ、『立ち上がる』ことなんざできねぇよ!!」
拳を振り下ろす。白人が、人間を越えた速度で両腕を交差するが、そんなことは関係ない。
『制限時間』までのあと数秒間、俺は全身全霊を込める。
貴久「でもなぁ、そんな俺でも、お前の”側に立つ者(スタンド)”でいることはできるッ!! だから―――」
白人の腕に俺の拳がめり込んだ。白人の表情が苦痛に歪められる。何かを言おうとしている。
「やめてくれ」か? ふざけるな。アケハは、あんなになっても助けなんか乞わなかったんだぞ。
貴久「だからッ!! 一人で勝手に立ち上がってんじゃねえッ!!」
俺は、そう叫んで白人の防御を振りぬき、思い切り殴りつけた。
俺の拳は白人の顔面に思い切りめり込み、白人の体を後方へ飛ばす。
ごろごろと、白人の体は三回転ほどして、それから動かなくなった。
当然だ。強度の上がった俺の拳を受けたあいつは、多分鉄パイプを思い切り顔面に食らったような感覚だろう。
貴久「―――は、はは」
数秒。
白人の体がもう動きようがないことを確認すると、急に笑いが漏れた。
かくり、と、自分でも間抜けに思うくらいあっさりと腰が抜ける。
腰が抜けて、地面に座り込んでから、アケハのことを思い出す。あいつは重傷だった。
貴久「アケハ?」
ゆっくりと振り向くと、そこには慌てて目をこすっているアケハの姿があった。
手を下ろすと、アケハの目は真っ赤になっていた。泣いて……いたのか?
アケハ「う、ぐっ、な、なんでもないっ!! 泣いてなんかいないわよ!」
まだ何も言っていないのに、わざわざ可能性を否定してくるあたり、泣いていたのだろう。
普段は気丈に振舞っているが、あいつだって普通の女の子だ。
強い心を持っているが、それは『平気で殺し合いができる精神』とはまた違う。
俺はまだ力の入らない足を無理やり殴りつけて立ち上がると、ゆっくりとした足取りでアケハのもとへ近寄る。
貴久「……ったく、こんなになるまで無茶しやがって、ほんとに馬鹿だな。お前」
本当は素直に、助けてくれてありがとう、と言いたかったが、恥ずかしくてついつい憎まれ口を叩いてしまう。
言ってから、「素直に言えばよかった」と後悔しつつ、アケハを抱きかかえた。
……抱きかかえて、意外にアケハが軽かったことが、さらに俺の自責の念を加速させた。
こんな、女の子に、今まで俺は頼りきりだった……というわけだ。怒りを通り越して呆れすら感じる。
一瞬かなりブルーになった俺だが、ここはとりあえず気を取り直してあたりを確認し、行き先を考える。
ここは、場所が悪い。ここまで派手にやって誰も来ないところを見ると、白人がこの水族館の警備関係はすべて破壊したようだが、
それでもいつまでも誰も来ないわけがないだろう。まして、体中に切り傷のある少女に顔面が陥没した男が転がっているなんて、
事件のにおいがするどころか事件のにおいしかしないだろう。そんなところは一刻も早く離れるに限る。
しばらく、二人の間に沈黙が流れる。二人とも、無事に生還できた実感がわいてきたんだと思う。
やがて、俺は口を開いた。
貴久「あー……、でも、残念だな。この水族館があの暗殺者さんをおびき寄せるための罠なら、
必然的にあの告白も『演技』ってわけだろ?」
アケハ「そっ、それは違……!」
否定の言葉をいいかけようとしたアケハの口を開いている手で押さえる。
やれやれ、男の話は最後まで聞くもんだぜ。
貴久「まったく、本当に残念だ。俺、お前と付き合いたいのにさ」
最後の台詞をはいた瞬間、アケハの抵抗が見る見るうちになくなっていった。
少し充血の引いてきた目を大きく見開いて、ぷるぷると震えている。
頬も、心なしか赤くなっていく。1秒もしないうちに耳まで真っ赤にした彼女を見て、俺は思わず吹き出しそうになる。
貴久「………………お前は、どうなんだよ。アケハ」
言い終えて、ちょっとどころではない気恥ずかしさを感じながらアケハの口を押さえていた手を取り払う。
アケハは、頬を真っ赤に染めながら、少し涙目で俺を見上げる。そして、
「……好きよ、付き合って」
(おわり)
使用させていただいたスタンド
No.2499 | |
【スタンド名】 | ザ・スタンドアップ |
【本体】 | 照野 明葉(テルノ アケハ) |
【能力】 | 殴ったものを鍛える |
No.1568 | |
【スタンド名】 | スーパーソニック |
【本体】 | 白人 |
【能力】 | この手袋をして本体の扱った刃物や銃の弾丸は彗星の尾ような軌跡を数秒間残すようになる |
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