オリスタ @ wiki

My Mind Is Frozen

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orisuta

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時は深夜。
空には満月が浮かび、冷たく柔らかな光を汚れた地上へと投げかける。
一方の地上では猥雑な原色のネオンが月に対抗心を燃やす様にその存在を主張する。
そんな薄汚く、いかがわしく、そして騒がしい類の通りの一画。
溢れているのは歪で偽物の明かりだが、それでも光は人を安心させる。
光は、闇に潜むモノから守ってくれるから。

そんな光ある通りの裏、暗い袋小路、誰も目を留めない闇の中に鈍い音が響く。

「オラッ!!死ねクソジジイ!!!」

「ボケがァ!!!オラッ!!オラッ!!」

「ヒッ……グフッ……!!」

複数人のチンピラが、一人のサラリーマンを執拗にリンチする。

「や、やめてく……オゴッ……!!」

「ハッ!!やめる訳ねェだろこんな楽しい事をよォー!!!」

「ゴミを殴って金まで盗って!!最ッ高だなァオイ!!!」

別にこの男がチンピラ達に何かをした訳ではない。
彼らの刹那的享楽の犠牲者に、彼が偶然選ばれただけの事。
理不尽だが、そういうものだ。

蹴りが、殴打が、金属バットがサラリーマンに叩き込まれる。
血を吐き、這いつくばるサラリーマン。
このままでは彼は死ぬか、そうでなくても瀕死の重症を負ってしまうだろう。
後遺症を残しかねない危険な状況だ。
 
 
 




その時。

「あれ?」

突然、チンピラの一人――リンチに加わらず後ろで野次を飛ばしていた者が頓狂な声を上げる。
彼の身体が、腰の所から左右にずれ始めたのだ。

「あれ?あれ?オレの身体、ズレて……えっ?」

そして、彼の上半身は下半身に別れを告げた。
先ず上半身が大地に落ち、少しのラグの後に下半身が崩れ落ちる。
闇を彩る鮮やかな赤が路面に満ちていく。

「何だ!?」

「血じゃん!?死んでる!?ソイツ死んでんの!?」

チンピラ達にざわめきが広がる。
次の瞬間、今度は横一列に並んでいた三人のチンピラが縦に裂けた。

「うわああああああああああああ!!??」

叫び声を上げ、パニックに陥るチンピラ達。
狂ったように袋小路に存在するただひとつの出口へと向かおうとする。
だが、白糸一閃。
いつの間にか壁と壁との間に渡されていた糸が逃走者達の身体を切断した。

「なっ!?」

その事に気づいた時にはもう遅い。
次から次へと走り来る後続に押され、哀れ、上下真っ二つ。
 
 
 




そして、何とか踏みとどまった者、そもそも腰が抜けて逃げ出せなかった者。
生存者たる約半分が呆然と立ち尽くす。

そこへ、糸の向こうから歩み寄る影。
お前たちとは『一線を画す』のだ、と主張するかのように糸に指を当て立ち止まる。

「僕が、天国に導いてあげる」

その影――華奢な少女はそう宣言すると、糸を飛び越えて闇の中へ。
突然の乱入者に対応できないでいたチンピラの首元にナイフを突き立てた。

「何!?」

「コイツ誰だ!!??」

チンピラ達に更なる混乱が広がっていく。
怒涛のように押し寄せる驚愕に、最早彼らはまともな思考を残していなかった。
追い詰められた人間が咄嗟に取る手段は少ない。
その内の一つが、暴力である。

「テッメェー!!!」

度を越した異常に箍を外された一人のチンピラが、少女に殴りかかる。
それに対し少女は人差し指を突き出し、上に曲げる。
ただそれだけの動作で、チンピラの首が飛んだ。

この時、スタンド使いならば見ることができただろう。
彼女の後ろで不敵に笑む、蜘蛛の下半身を持つ異形の人型を。

そして宙をくるくると舞っていたチンピラの首が、
落ちて砕けてベシャリと嫌な音を立てたのを合図に、虐殺が始まった。

糸で切られて腕が飛ぶ、足が飛ぶ、頭が飛ぶ。
少女は舞い踊る様にナイフで男達を切り裂いていく。
異形の蜘蛛人は、逃げ惑う者に鉄拳を放ちその骨を砕く。
 
 
 




一瞬で、路地裏は鮮血の世界に様変わりしていた。
そこかしこに無残な死体が横たわり、光の無い瞳を虚空へと向けている。
この惨状を齎したのは、糸と少女と蜘蛛。
だが常人には糸も、蜘蛛も見えない。
傍目では、今ここに立っているのは一人の少女と、
――そして一人のサラリーマンだけだった。

「あ、ありがとう。
 ……何だか、よ、よく分からないんだが、私を助けてくれたのか?」

彼は顔を殴られた所為で瞼が腫れ、前がよく見えていない。
さらにずっと頭を抱え下を向いていた事もあり、辺りを包む深い闇もあり、
この凶行を殆ど把握していなかった。

「わ、私の娘よりも少し大きいぐらいなのに……き、君は強いんだな。
 本当に、その、な、なんとお礼したらいいか……」

「お礼なんていいよ。僕は、そんな物……
 そんな事より大丈夫?痛むでしょ?今、僕が楽にしてあげるね」

「……え?」

彼は何が起きたのか分からなかった。
少女の指がクイと動き、視界が傾く。
彼は自分の身体が真っ二つになっている事に気づいただろうか。
サラリーマンは死んだ。
 
 
 




こうして闇の中には少女一人だけとなった。
スタンドも既に消している。
少女は満月を見上げ、口元を歪ませる。

彼女はかつて、ある少女に『暗闇にいないと落ち着かない』のだと語った。
その真偽はともかく、生死問わずこの場の人間の中で唯一、彼女は真に暗闇の中に居た。
人を殺す事という人生の暗黒、精神の闇に。

やがて彼女は静かに立ち去る。闇の中から闇の中へ。
今夜の事に何の感慨も抱かずに。
後にはただ、無数の死体が残された。

これが、殺人鬼『波溜 流渦(なみだめ るか)』の殺人風景。
本人曰くする所の『天使のお仕事』である。
彼女は『人を天国に導く』事が自らの役目であると盲信している。
そして一般的な狂人がそうであるように、彼女は自らの考えを疑わない。
故に、その現場から去る時の彼女の気持ちをあえて特筆すれば、達成感と、高揚感。
それだけだった。

――そしてルカが立ち去った後の袋小路。
凍りついた地獄絵図のようなその場に、一人の男が現れた。

「……待っていろ……波溜波溜…………」

男はブツブツと呟きながら一心不乱に何らかの作業を進める。
静かな、満月の下で。
 
 
 





―――
――――――

「『また』だ……」

波溜流渦は、読んでいた新聞を机上に置くと小さくため息を吐いた。

「また首が無くなってる」

月下の虐殺劇から約一ヶ月。
今の彼女が抱える目下の悩みは、
『殺した者の死体から首が奪われる』という不可解な現象だった。

彼女は今も殺人を続けている。
当然だ。それが責務なのだから。

だが、近頃は一つの問題が存在した。
彼女が殺人を終えてから次の朝に死体が発見されるまでの間、
必ずと言っていいほど死体から首が刈り取られているという事件が発生するのである。
そう。ちょうど一ヶ月程前から。

「まったく……不躾な人もあったものだね。
 僕の仕事の邪魔をするなんて」

ルカは『またも首切り殺人』の文字が踊る新聞の一面にナイフを突き立てる。
彼女にとって、これは言うなれば『営業妨害』である。

確かに彼女自身相手の首を飛ばして殺した事など幾らでもある。
そのため天国への導きに首の有無など関係ないのは自明なのだが、
他者に勝手に自らが為した仕事の結果を弄くられるのは、彼女にとって侮辱であった。
また、ただ死体から首を獲っただけの者に自分の手柄を横取りされている様にも感じていた。

無礼者にはそれ相応の罰を施さねばなるまい。

「これは一遍、直接会って話をしないとダメかな」
 
 
 





―――
――――――

その日の夜。
真っ赤な壁を背景に、対面ショーが開かれる。

「やっと会えたな、波溜流渦よ。
 俺に――首を切った男に会いたかったのだろう?」

仕事を終えた後もその場に留まり続けたルカの元に、ニタニタと笑う男が現れた。
首狩り事件の下手人が。
ルカが口を開く。

「キミが一体何を目的にこんな事をしたのかなんて興味は無い。
 僕はただキミを殺す。殺さなければならない」

「残念ながらそれは無理だな。
 俺がお前に会いたかったのは、お前に頼みがあるからだ」

「…………頼み?」

男の横柄な態度にルカの片眉が釣り上がった。
だが男は場の緊張感など何処吹く風、ただ薄気味悪い笑みを浮かべるのみ。

「そう。お前には明日の夜、来てもらわねばならない。
 たった一人で、我々の元へ」

男はルカの足元にグリーティングカードを投げつけた。
二つ折りになったその表面には、真っ赤な字で『Invitation』と書き殴られている。
拾い上げて広げてみると、中には地図が描かれていた。

「成る程、パーティーの招待状というワケかな?」

「そう、まさにそれだ!パァァァティィィィだ!!
 来てくれるのだろう、殺人鬼殿?」

「お断りだ」
 
 
 




ルカは即答した。
男は大して驚きもせずに問う。

「ふむ……理由を聞こうか」

「理由だって?冗談じゃない。
 キミは今ここで死ぬ。明日も明後日もキミには無い。
 それにさっきキミは『我々の元』と言った。
 誰が好き好んでキミみたいな気狂いがたくさん居る所に行きたがると?」

その返事を聞いて、男は笑った。
心底可笑しそうに肩を揺らす。

「……何が可笑しい」

「気狂い!よりにもよって気狂いときた!
 どうしたどうした殺人鬼、前にあるのは鏡じゃないぞ!!
 ああ、面白い。それに、お前に拒否権などないのだ」

男は笑いながら懐に手を入れ、一枚の写真を取り出し、指先で弾いて見せた。
そこに映る人物を見た瞬間、ルカの表情が凍りつく。

「阪奈 李……いい娘じゃあないか。
 殺人鬼の友人にしておくには勿体無いとは思わないかね?んん?」

「貴様……!!」

「おいおい怒るな落ち着けよ!
 俺に怒りを向けるなら、明日の夜にすればいい」

「……絶対に許さない。
 バラバラの八つ裂きがまだ羨ましく思える程の地獄を見せてやる……!」

「もしも地獄があるのなら、是非ともお目にかかりたい物だ!
 ではまた、明日の夜会おうじゃあないか!満月の夜に!」

そう言い終えるが早いか、男は一瞬だけスタンドを発現させ、辺りに無差別に漆黒の矢をまき散らした。
ルカは咄嗟にブラッド・スウェット・アンド・ティアーズでガードする。
そして防御を解くと、いつの間にか男は消えていた。
 
 
 





―――
――――――

男の言った通り、その日は満月だった。
まるで真理を映す鏡のように輝くそれに向かって、何処かで犬が吠える。
ルカは、月の模様の中に愛しい李の面影を見た。

地図に印された場所に辿り着くと、洋館が建っていた。
左右両側から棟が突き出している様は、さながら闇の中に立つ二本の塔。
一見小奇麗な外観だが、よく見ればあちらこちらが壊れていて、廃墟だと分かる。

「ここに、こんな建物が……?」

記憶には無い。
だが、別段この街に詳しいわけでもない。
違和感はすぐに消えた。

堂々と正面から入場する。
危険は感じない。殺人鬼は殺意には敏感だ。
庭は荒れ、何の手入れもされていない事を伺わせた。
そのあまりの人気の無さに、暫し、場所を間違えたかという疑念が頭を過る。

気づけば玄関前。
狼を象ったノッカーが微風に揺られ、軋んだ音をたてる。
しかしルカはそれには目もくれず、扉を押し開いた。

玄関ホールに踏み入ると、時が重ねた埃が舞った。
シャンデリアの微かな明かりに照らされて、大階段の上、男は二階から見下ろしている。

「フフフ……来てくれると思っていたよ。
 小腹が空く時間帯だ。海老をお一ついかがかな?」

男はそう言うと指先に摘んだ剥き身の海老を、左右に軽く振る。

「…………」

ルカは無言でスタンドを発現させた。
 
 
 




それを見た男は海老を食い千切って放り捨てると、言う。

「待て!待て!確かに怒りは明日ぶつけろと言ったが、少し気が早いぜ。
 頼みがあると言っただろうが」

男は親指で、真後ろのドアを指し示す。

「お前にはこの扉の先にある、4つの部屋の人間と戦ってもらう。
 俺はその先に居て、お前を待つ。
 お話はその時にしようじゃあないか。一応言っておくが、拒否権は無い」

ルカは歯軋りをし、拳を痛いほど握りこんだ。
目の前の男に、そして自分への怒りで、身が焼けるような気がした。

「…………目的は?
 キミは一体、僕に何を望む?」

「それも、俺の元に辿り着いたら教えてやろう。
 なに気に病むな。途中退場も結構だ。
 もしお前がそれを選択するとしても、俺はお前からも阪奈李からも手を引く。
 まあ詳しい話は中のヤツが教えてくれるだろうさ」

ルカは考える。
彼女の中での優先順位は、自分<李、そして天国だ。
決して李に危険を及ばせるわけにはいかない。
そうなれば、この男の話を信じる理由が何処にも無い以上、
適当に途中退場とやらで終わらせるなどと甘い事も言っていられない訳だ。

「…………いいだろう。その4人を殺して、キミも殺す。
 そして僕と李に安らかな夢の中で微睡む夜を取り戻す」

「その意気だ!最奥で待ってるぜ。
 着いて来い、入って来い…………」

男は扉を開け、中へと滑りこむ。
ルカの元へ、闇の中から声だけが響いてきた。

「いざ、愚者の饗宴を始めん!」
 
 
 





―――
――――――

扉の向こうは、細長い廊下だった。
両側には等間隔で幾つかの窓があり、月光を受け入れている。
その先に見えるのが問題の部屋、その一つ目だろう。

ルカは廊下を渡りながら考える。
ヤツの目的は分からないが、何にせよ、
関係のない李に、それも李自身が知らない場所で迷惑をかけてしまっている。
守ると誓ったのに。
彼女に二度、救われたあの日。
不器用で泣き虫な彼女を、守ると誓ったのに。

なのに何だこのザマは?
守る以前の問題だ。
僕は……

いや、僕は目を逸らしていたんじゃないのか?
僕は闇で、彼女は光だ。
闇と光は同時に存在する事はできても、同じ場所に存在する事はできない。
僕はそれを無視して――無視できているフリをして、
彼女と共にあろうとしたんじゃないのか?
そして闇である僕は、最後には…………

部屋の前に着いた。
木製の扉には、部屋番号だろうか、何か鋭い物で『4119』と刻まれている。
思考は止めだ。
入らなければ始まらない。

ルカは、ドアノブを回した。
 
 
 





―――
――――――

「キミが、一人目?」

「……そうだ」

その部屋は今までの西洋風な上品さとはかけ離れていた。
一言で言うならば、掃き溜め。
何なのかすら分からない雑多なゴミが、部屋の隅で小山のようになっている。
その部屋の中央に、青年が一人立っていた。
右目に走る縦一文字の傷跡、その下から覗く鋭い眼光、
着崩した学ランに、剃りこみを入れた髪型。
俗にいう不良というヤツだろう。

「だが、まずはオレの話を聞いてくれ。
 クソ不本意だが、途中退場についての説明をしてやる」

「不本意?僕に途中退場してほしくないのかい?」

「違う。オレもあのニタニタ顔の男に連れてこられた被害者なんだ。
 アイツのために説明なんざするのが不本意って話さ。
 オレはアンタと戦いたくなんてない。アンタを傷つけたくない。
 だがこっから先、俺以外の連中はそうはいかねェ。本気で殺し合いだぜ」

「へぇ……それで?」

「単刀直入に言う。途中退場してくれ。
 方法は簡単だ。アンタとオレは同種の人間だと認めればいいらしい。
 意味は分からんが、それでこのイカレた館から帰られるんだ。
 確かに、不安かもな。でも、死んじまったら不安にもなれねェんだぜ」

「どうしてキミはそんなに僕を心配するのさ?」

「アンタは殺人鬼なんだろ?ヤツから聞いた。
 でもよ、『本当』にそうなのか?骨の髄まで殺人鬼なのか?
 オレにはそうは思えない。何か事情があるんじゃねェのか?」
 
 
 




青年は続ける。

「オレは、犯罪者だ。
 だからここに呼ばれたのかも知れない。
 今まで盗みも喧嘩も、殺しだってやった事がある。
 でもよ、それは全部生きていくために必要な事だったんだ。
 アンタはどうなんだ?理由無き殺人者なんて本当に居るのか?
 ただこれだけは言っておく。オレはアンタを殺したくなんて無い」

ルカは目の前の青年を見た。
真剣な眼差しが、ルカの眼とぶつかった。
青年は本気だった。

「成る程ね……」

「分かってくれたか?
 さあ、さっさと途中退場しようぜ。
 アンタとオレは同じだ」

「ああ、分かったとも。
 僕とキミは『違う』って事がね」

「…………何?」

青年の顔が一気に翳る。

「アンタは、何の理由もない殺人鬼だってのか?」

「違うさ。僕は、人を天国に導かなくちゃいけないから。
 僕とキミが違う所は、僕はキミみたいに自分の行為に言い訳なんてしない事だよ」

「……オレの事は何と言おうが構わねェ……
 だがアンタはそれでいいのか!?」

「もう遅い。僕は宣言した。僕とキミは違う。
 殺しあうしか、道は無いんだろう?」

「クソッ……!『スクリプト・フォー・ア・ジェスターズ・ティアー』!!!」

「『ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ』!!!」
 
 
 




二体のスタンドが向かい合う。
本体同士の心中の温度差とは対照的に、スタンドはお互い笑い合っていた。

『HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!!』

道化師が狂ったように笑う。

『………………………………………………』

蜘蛛人が静かに口角を吊り上げる。

そして二体のスタンドは、同時に殴りかかった。

交わる拳。
一方の打撃を片方が躱し、片方の突きを一方が受け流す。
攻撃と防御が何度も入れ替わる。

パワーではほぼ互角。だがスピードではブラッド・スウェット・アンド・ティアーズが上手。
更に、蜘蛛の下半身が持つ安定感は、打撃戦で有利に働いた。
ただ同時に重たい下半身は鈍重さをもたらす。上半身のみが素早く動いても、脚が足を引っ張るのだ。
逆に完全な人型のジェスターズ・ティアーは小回りで優る。
蜘蛛の周りを軽快なステップで動き、拳を叩き込む。

(埒が明かない……)

どちらが先にそう思っただろうか。
だが、何時までも殴り合いを続けるのは得策では無いというのは双方共に思う所であった。
それは両者共に手がフリーでないと能力が使えないからでもある。

思考の先着はともかく、先に動いたのは青年だった。
学ランのポケットから何かを取り出し、ルカに向かって投げつける。
飛来するのは黒光りし、表面に凹凸がある球形の物体……

「手榴弾!?」

そう。手榴弾である。
ルカは驚き、足元に転がってきたそれを蹴り飛ばす。
手榴弾は放物線を描いて天井近くまで飛び、青年の頭上で
――カットパイナップルを撒き散らしながら爆裂した。
 
 
 




「…………は?」

手榴弾が爆発して、パインが出てきた。
この事実が咄嗟に飲み込めず、固まるルカ。

「……ジョークさ。ほんのジョーク。
 これがホントのパイナップル爆弾ってな。
 笑えよ。くだらねェだろ?」

言葉とは裏腹に、青年の顔に笑みはない。

「そんなジョークに一生懸命か?
 笑えるじゃねェか。そりゃあ、死にたくないもんなァ。
 でも、これはジョークなんだぜ?何もかも……」

青年は懐から更に、手榴弾を取り出す。
一つ、二つ……計五つ。

「笑い草だ」

その全てが中空に放り投げられる。
ルカへと向かって。

「ジョークだからって無視する訳にゃいかねェよなァ。
 どれが本当に爆発するか分かんねェもんなァ!」

一方ルカは、五つの爆弾を冷ややかに一瞥すると、言った。

「成る程、確かにお笑い草だね」

空中で全ての手榴弾が真っ二つになり、地に落ちる。
その全てが、断面からパイナップルを覗かせていた。

「蜘蛛の巣にゴミを投げても、絡み取られるだけだろう?」

そしてスタンドの指先から伸びた一本の糸が、青年を両断せんと迫る。
 
 
 




「笑わねェのか?
 何でも笑い飛ばせるのはジョークの中だけなんだぜ?
 この世は暗くて、絶望に満ちてる。
 そんな世界で生きていくためには……」

青年は躊躇なくその糸を掴んだ。
触れただけで皮膚が切り裂かれる、殺人ストリングを。

「闇に堕ちるしかねェだろうが……!」

しかし、青年は無傷。
よく見れば、ジェスターズ・ティアーが糸に拳を叩きつけている。

「オレも、アンタも!!!」

青年が糸を思い切り引くと、糸は切れ、クラッカー音が鳴り響く。
糸は何を切り裂くこともなく、ただ千切れて宙に舞う。

「アンタの糸も、オレにとっちゃお笑いだぜ。
 ただの、くだらないジョークグッズだ。
 それでもまだやるか?」

ルカは答えない。
返答代わりに送るのは、無数の糸。
複雑に指を動かし、敵を包囲するように糸を操る。

「分かんねェヤツだな!」

道化師は本体の周りを取り囲む糸を次から次へと殴り、殺傷力を奪う。
ある物はクラッカーの紐に、ある物は万国旗に変わる。

「こんな物!!ただの糸じゃねェか!!!」
 
 
 




緻密な動きで蠢く糸の群れ。
360度展開されるそれを、青年は最小限の動きで減らしていく。
潰せる物は潰し、躱せる物は躱す。
未だ青年の肉体に傷は無い。

ルカが同時に操れる糸は両手の指の数まで。
制圧力は減りもしないが、増しもしない。
だが敵の動きを制限するために、時に使えない物を切り離しながら、糸を動かし続ける。

恐るべきは青年の眼力。
視認の難しい細糸を正確に打ち掴み、一瞬の隙を伺う。
糸の動きに乱れができれば……
ルカの元への路ができれば……
青年は懐に潜ませた、拳銃に思いを巡らせる。
糸の妨害さえ無ければ、冷たい黒鉄は確実に目の前の命を刈り獲るだろう。

そして時は訪れる。

一瞬できた糸と糸の間、ルカへの活路。
青年は隙を逃さず、懐に手を入れようとし、気付いた。

腕が、動かない。

よく見れば、その右腕には糸が巻き付いている。

「捕まえた」

ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズが中指を突き上げた。
すると青年の右腕も上に上がる。

「ただの糸、か。正にその通りだね。
 キミが変えたんだ。物を切らずに捕まえる、ただの糸にね。
 これじゃあ殺人蜘蛛の名が廃るよ」

気付けば、左腕にも糸が絡みつき、両腕がギチギチと締め付けられる。
そして、青年は宙吊りになった。
 
 
 




「オレに切りかかって来ていた糸は、囮か……!」

「どんな気分かな?『ただのジョーク』に雁字搦めにされるのは」

ルカは青年の元にツカツカと歩み寄ると、ナイフを取り出し、投げ捨てた。

「ナイフで殺そうとしても、また使い物になら無くなるかもしれない。
 なら、僕は?キミは僕という存在を、ジョークに、笑い事に変えられるのかな?」

ルカの細い腕が、青年の首元に伸びる。
しかし、青年にかかるのはその外見からは想像できない程の力。

「畜生…………!オレはアンタを助けたかっただけなんだ……!
 アンタは、こんな狂った世界に居ていいのかよ!?」

「キミには僕を救えない。
 僕はただ一人の存在によってのみ救われたし、救われる。」

青年は項垂れる。
ジェスターズ・ティアーは、自らの本体の死を前にただ、笑っていた。

『HAHA……』

空虚な瞳を主に向けて、口を歪ませる。

『HAHAHA、HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!!』

笑い声は徐々に大きくなり、今や耳障りな程であった。
その時ゴキリと音がして、笑い声は二度と聞こえなくなった。



―とある精神病院に二人の男がいた。
 ある晩、二人はもうこんな場所にはいられないと腹をくくった。脱走することにしたんだ。
 それで屋上に登ってみると、狭い隙間のすぐ向こうが隣の建物で
 さらに向こうには、月光に照らされた夜の街が広がっていた…自由の世界だ!
 で、最初の奴は難なく飛んで隣の建物に移った。だが、もう一人の奴はどうしても跳べなかった。
 そうとも…落ちるのが怖かったんだ。
 その時最初の奴がヒラメいた。
 奴ぁ言った「おい、俺は懐中電灯を持ってる!この光で橋を架けてやるから、歩いて渡って来い!」
 だが二人目の奴ぁ首を横に振って……怒鳴り返した。
「てめぇ、オレがイカれてるとでも思ってんのか!
 どうせ途中でスイッチ切っちまうつもりだろ!」


 アラン・ムーア『バットマン:キリング・ジョーク』
 
 
 





―――
――――――

一つ目の部屋を抜けると、また廊下だった。
どうやら廊下と部屋が交互に現れる構成になっているらしい。
次の部屋までの間、ルカはまた思考を巡らせる。

この催しの意味は何だ?
あの男は僕に何をさせたい?
いや、何をさせている?
これから先には何がある?
そして僕を、さっきの男とは違うと明言させた理由は何だ?

考えても分からない事は理解している。
だが、どうしても考えてしまう。

僕はこの先の人物全てと殺し合いをするだろうか。
或いは……?

だが、一つだけはっきりしている事がある。
何が起ころうが僕は李を守る。
それだけだ。
ただそれだけが……天国への道なのだ。

今度の扉は鉄製だった。
重々しい色の表面は、薄っすらと埃を纏っている。
扉に嵌めこまれた白いプレートには『4581』と黒で書かれ、
簡素なその見た目は病室のそれを思わせる。

ルカは、前の物よりも重たいドアを押し開いた。
 
 
 





―――
――――――

そこには、炎があった。
無数の炎が、耐火ガラスの瓶の中で踊っている。
壁の棚には無数のライターやチャッカマンなどの点火装置。
その部屋の真ん中で、少女が膝を抱えて座っていた。

「そんな事を言ってはダメ……ここには友達がたくさんいるでしょう?」

少女が喋りかけているのはルカではない。
その膝の上に乗せた瓶の中の炎に向かってである。

「あなた達はキレイ……わたしなんかよりずっと……
 だってあなた達は…………待って。お客様が居るわ」

少女は瓶を脇に置くと、ルカの方を見た。

「お姉さんが、ルカさん?わたしの名前はほたる。
 変なお兄さんから、ここであなたを待てって言われてた」

少女は立ち上がること無く、続ける。

「あなたも、わたしと同じバケモノなの……?」

ルカは、その質問の真意を計り兼ねた。
故に質問を返す。

「……どういう意味だい?」

「わたしはバケモノ。みんなが言ってたから、そうなんだと思う。
 お兄さんはコミュニティ?からの孤立とか異端の迫害とか言ってたけど、よく分かんない。
 わたしは昔から火とお話してた。
 そしたら、お父さんもお母さんもみんなも、わたしをいじめたの」
 
 
 




少女は淡々と語る。
その瞳は虚ろで感情の起伏が読み取れない。

「だからわたし、全部燃やしちゃった。
 そしたらね、わたしに酷い事した人はみんな居なくなって、お友達がいっぱいできたの。
 その時わたしは気付いたわ。わたしは、人間じゃなくて、炎なんだって。
 今は何かの間違いでこんな見た目だけれど、本当は燃え盛る焔なんだって。
 それからは毎日いろんな物を燃やしたわ。人も、お家も、森も、何でも……」

そこでやっと、少女は立ち上がった。
まっすぐにルカの眼を見据える。

「あなたはどうなの?わたしとおんなじ?
 殺人鬼のお姉さん」

「ハァー……うんざりだ。
 僕が『こんなの』と同じだと、本当に思われているのか?」

「?それは違うってこと?
 じゃあ、たたかうの?」

「勿論だ。さあ殺し合おう。
 キミを天国に連れて行ってあげる」

「天国?だめよ。地獄が良いわ。
 だって……」

少女の後ろに、炎を纏った獣が現れた。
大きな顎を地面に打ち付け、マグマのような涎を垂らす。

「地獄は炎で溢れてるもの」
 
 
 




獣がルカへと突進する。
大きさは象ぐらいであり、特に頭部が肥大している。
ルカが見たところ、この部屋は一つ目の部屋よりも広い。この獣を暴れさせるためであろうか。

一方、少女は我関せずといった様子でもう一度座り込み、
瓶を掴み寄せると炎を見つめる。

「オーディブル・メインフレイム……
 あとはもう、任せたわ」

「自動操縦か……!」

獣は涎を垂らしつつ、ルカだけを目指して向かってくる。
涎が落ちた床は、音をたてて黒く焦げる。
あれが自動操縦だとすれば、自分は何らかの条件を満たしている筈である。
それを見つけねば、次に黒焦げになるのは自分だ。

ルカはまず、進行方向を糸で妨げる。
自分しか狙わず突っ込んでくるなら真っ二つだ。
だが、獣は涎を飛ばして糸を焼き、振り払って進んできた。

「ふむ……」

獣は道中にある無数のガラス瓶には目もくれず突っ込んでくる。
次にルカは、本体へと糸を飛ばす。
これで本体が殺せるのならそれで終わりだ。
獣の横をすり抜け、糸を伸ばす。
だが、獣は首を捻って糸へ涎を飛ばした。
燃える糸をスタンドの指先から切り離し、ルカは考える。

「…………なんだ、簡単じゃないか」
 
 
 




ルカはそう呟くと、獣に向かってダッシュした。
その距離がどんどん縮まっていく。
あわや衝突の直前、ルカは自らのスタンドの背を踏み台に、跳躍した。

ルカが、獣の上を飛び越えていく。
獣は首をもたげ、空中の獲物を目線で追う。
燃焼涎を飛ばそうと、その口が開いた。

だが次の瞬間、その顔がガバッと前を向き直る。
前には、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ。
そしてその指先から四方八方に伸びる、糸。

獣は、糸に飛びかかる。
次から次へと涎を飛ばし、糸に火をつける。
蜘蛛は糸が燃え上がるたびに切り離し、次の糸を射出する。
まるで戯れるように、あるいは調教師が獅子を操るように、蜘蛛が獣を動かす。

一方のルカはそれを尻目に、獣を飛び越え着地していた。
現状をさっぱり意識せず、ただ炎のみを眼中に入れた少女の元へ、悠然と歩み寄る。

「そうよ……だからきっと…………あら、終わったの?」

ルカは少女の首を持ち上げ、壁に叩きつけた。

「ゴホッ……!痛いわ。わたしを殺すの?
 いいよ。次はきっと、ちゃんと炎として生まれてくるから」

少女の闘志の消失に呼応してか、オーディブル・メインフレイムが薄れて消えていく。
ルカはナイフを取り出しかけて、思い直してそれを仕舞うと、告げた。

「僕の天使としての仕事は、慈悲と共に行われる。
 キミの哀れな生を終わらせるのに、冷たい鉄刃は似合わない」

ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズが、少女の周りを糸で覆っていく。
ふんわりと空間を空ける事で中の物には傷を付けないように。結果、まるで繭のような物が出来上がる。
そしてルカは、壁のライターを手に取ると、糸に火を放った。
 
 
 




繭が一瞬で燃え上がる。
業火の中から、少女の虚ろな声が響く。

「ああ……みんなに包まれてる……。
 ステキ……何もかも……真っ赤に……」

やがて、繭は燃え尽きる。
中からは黒い、人型のものが零れ落ちた。

ルカはそれを確認することも無く、次の扉へと向かう。
重々しい鉄の扉は、入り口と同じように立ち塞がる。
その扉を開く前、彼女は苦々しげに独りごちた。

「炎は嫌いだ。
 そして、もっと嫌いになった」



―われわれは誰もが自分自身のアイデンティティをもち、
 別個のアイデンティティをもった存在として社会を構成している。
 このような多様性を認めることができれば、モンスターの概念を打破できるはずである。
 われわれのアイデンティティを確立させるためにモンスターが役立っているのならば、
 もはやモンスターをモンスターとよぶべきではない。


 ステファヌ・オードギー『モンスターの歴史』
 
 
 





―――
――――――

背後で鉄の閉まる重たい音を聞きながら、ルカは歩みを進める。

僕は、あんな暗愚で、稚拙で、無軌道な存在では無い。
あれは社会というシステムから逸脱した、哀れな獣だ。
有りもしない来世に思いを馳せる以外、道は無かったのだろう。

例えこの狂気の館においてでも、僕が彼女に出会った事は、
そしてその生命を天国に導けた事は、一つの幸運だったに違いない。
僕にとっても、彼女にとっても。

それに今回は、どっちの手も大丈夫だったし。

少しして廊下の果てに辿り着くが、そこに次の部屋への扉は無かった。
かわりに壁に人一人が通れるぐらいの穴が空いている。
穴の横の壁には帽子掛けのようなフックが四つ。
それぞれに懐中時計がかかっている。
指し示すは、『四時』『零時』『七時』『八時』。

ルカは穴の中を覗きこむが、何故か視線を定めることが出来ない。
まるで限界まで薄目にして見た世界のようなボンヤリとした景色だけが見える。
何らかのスタンド能力だろうか?

だが、最早選択肢は無い。
ルカは身を屈めると、穴をくぐり抜けた。
 
 
 





―――
――――――

穴の中に入ると、そこには森が広がっていた。
両側は木が深く覆い茂っているが、ルカの足元からは道が続いている。
道の横に建つ看板には、『A Mad Tea-Party』という文字。
ルカは看板にチラリと眼をやると、道の先に歩を進める。

ルカが一歩看板を越えた瞬間、気づけば目の前の景色は変わっていた。

「やあ、ようこそ」

白いテーブルクロスがかけられた長机、そしてティーセット。
その左右に、兎と小男が腰掛ける。
ルカに声をかけてきたのは大きな帽子を被った小男の方だった。

「これは……」

ルカはこの状況に思い当たる。
『不思議の国のアリス』だ。

「ご困惑かな?お嬢さん。
 そうだろうとも。ここは不思議の国だからね」

「君は、『帽子屋』だね。そして、そっちは『三月兎』」

帽子屋は帽子を少し上げて返答する。

「やまねもいるよぉ」

三月兎がそう言ってポットから眠るやまねを引きずり出す。
 
 
 




「キミたちは、本体じゃないね。
 だからと言ってスタンドでも無い」

「スタンドしてない?
 僕らが座ってるのは見りゃ分かるだろぉ?」

「違う。僕が言いたいのは、ここを創ったのはキミ達じゃないね、って事だ」

「そうとも。我々はアリスの想像物に過ぎない。
 例えるなら泡のような物だ。夢が醒めれば、パチン」

帽子屋は指を鳴らす。

「だがそれは君達も同じだよ。
 お嬢さん。現世の夢さ、とどのつまりはね」

「そんな事を論じに来たんじゃない。
 つまり、僕がここを出て行くにはそのアリスとやらを殺すしかないんだね?」

「それは違う。後ろを見給え」

ルカが後ろを振り向くと、さっきの道はどこへ行ったのか、直ぐそこに最初の穴があった。
ただ、廊下には明かりがあったはずだが、穴の向こうは真っ暗だ。
そしてその闇の中に、炯々と燃える二つの眼。

「あの穴からも出て行けるよ。
 番人たるジャバウォックを倒せればね」

その声に呼応するように、穴の中から暴なる怒めきずりが響く。
帽子屋は詩を引用した。

「『ジャバウォックに用心あれ!
  喰らいつく顎、引き掴む鈎爪!』」

「ヴォーパルの剣はあるのかい?
 もし無いなら、穴から帰るのは得策じゃあないなぁ」

「無いね」
 
 
 




「それならここで、僕らとお茶会はどうかな?」

三月兎はそう言うと、ルカに席を勧める。
その時、何処からか声が響いた。

『あら酷い。私の時は席を勧めてくれなかったのに』

「おおアリス!」

それを聞き、ルカはあたりを見回す。
だが何処を見ても人の影は無い。

「ここよ」

その声にハッと前を向く。
いつの間にやら長机の最上座、ルカから一番離れた所に座る女。

「ようこそ私の国へ。楽しんでくれてるかしら」

そう言ってアリスが微笑む。

「来たくて来たんじゃない」

「つれないのね。
 でも、ウキウキしているはずよ」

「何が?」

「何がですって?
 ここは素晴らしきお伽の世界、不思議の国よ?
 貴方も女の子なら、夢の国に憧れた事があるでしょう?」

アリスはポットを手に取り、カップに向けて傾けた。
中からは砂糖とスパイス、それから何か素敵な物が溢れて、カップに注がれる。
 
 
 




帽子屋はそのカップを掴み寄せると、日付しか分からない時計をカップに浸した。

「時間は何時まで死んでいるのだろうか?」

「明日までだろぉ」

「しかし時間が死んでいる今、明日はいつ来るのかね」

彼は三月兎と無意味な話を続けている。

「……こんなものは、僕の夢じゃない」

「あら。ここは『少女』の夢よ。
 全ての少女が見る、夢幻の陽炎、一時の微睡み。
 貴方もずうっと居れば、きっとここが気に入るわ」

「お断りだね。これは、誰の夢でも無くキミの夢だ。
 少女なんて普遍的概念を持ち出した所でそれは変わらない。
 何があったか知らないが、キミがこんな所に逃げ込んだというだけの話だ。
 キミは夢の国に居るんじゃなくて、現実から目を逸らしたくて不貞寝をしてるんだろう?
 その不貞寝で見た夢を、人類規模で語らないでくれ」

その答えに、アリスは口をへの字に曲げる。

「……もういいわ。
 二度と出られなくなっちゃえ!」

それを聞くと、ルカはスタンドを発現させ、糸を展開する。
アリスを切断すべく伸ばされた糸が、ギロチンのように迫っていく。
しかし、閃光が走る。

「……くっ」

光が収まった時、そこにアリスの姿は無かった。
 
 
 




「おやおや、逃げられてしまったかな」

いつの間にか樹上に居たチェシャ猫がルカに声をかける。

「だがそう気を落とす事も無いぜ。なにせアリスは……おっと」

だが、チェシャ猫が最後まで台詞を言い切る前に、ルカの糸がその首を切断した。

「おお、無意味な事を」

帽子屋が紅茶を飲みながら言う。
事実、その言葉通りチェシャ猫の首は依然宙にあった。

「そんなんじゃ夢は死なないよ。
 なんたって、これは現実なんだから」

チェシャ猫の首はニヤニヤと笑い、『猫のない笑い』になって消える。
残された体は勝手に歩いて何処かへ去った。

「この通り、ここの住人は死なない。
 首を切ったら離れるが、命がこの世界から離れる訳ではないのだ」

帽子屋が諭すように語りかける。

「だから君も、諦めてここの住人になったらどうだね。
 アリスも今は怒っているが、女心と何とやらだ。あの娘はキミを仲間に入れたがっている」

「ふん。何が仲間だ。
 あの女の手慰みのシルバニアファミリーになるだけじゃないか。
 自分の夢の中で王様気取り、いい年して少女気分が抜けない奴ってのは哀れだね」

ルカはそう言うと、糸を大量展開し、所構わず切りつけ始めた。
樹の枝がまとめて数本飛ぶ。帽子屋が慌てて身を伏せると、背後の椅子の背が切られて縮む。
机が両断され、寝ぼけ状態から覚醒したやまねが転がるように逃げ出した。
 
 
 




「おいおい、何をするんだ?
 君がいくらここの物を壊した所で、時間が経ったら全て元に戻るんだぞ」

「時間が経ったら?時間とは喧嘩別れしたんじゃなかったのかい」

「そういやそうだ」

糸は周りの物を切断しながら、人間の全力疾走より何倍も速く周りに伸びていく。
木を断ち切り、草を刈り、森全体に広がるように進んでいく。
ルカは暫く糸を伸ばし続けていたが、ようやく手を止めた。

「気は済んだかい?」

ポケットにやまねを押し込みながら、三月兎が声をかける。

「うん、これで終わりだよ」

この森中に広がった糸は、全てルカの目の前で一束に纏まっている。
そしてルカはその束に、さっきの部屋から持ってきたライターで火を点けた。
火は草木に燃え移り、短時間で森は炎に包まれる。

「何を……」

「確かに、この世界の物は壊せないかも知れない。
 でも普通に干渉は受ける。切ったあとで治るかもしれないが一時的には切る事ができるし、
 一度火を放てば、この通り暫くは燃え続ける」

ルカは、先ほど両断した机の向こう側に回りながら続ける。

「確かに、この世界の住人は死なないかも知れない。
 この世界の住人はこんな炎は気にも留めないかもね。
 だが、住人のフリをしているだけのあの女はどうかな?
 狭い狭い夢の国、そんなに急いでどこに行ける?」

ルカはそう言うと、机の残骸を蹴りあげた。
 
 
 




その下から現れたのは、人が通れるほどの大きさの抜け穴。

「これが消失マジックの種。
 僕の目を眩ませて、その隙に机の下に潜り込んだんだろう?
 自分は不思議な存在だと思わせたかったのか、思いたかったのか……
 だが、悲しいかな、あのアリスはただの人だ」

帽子屋は炎から帽子を庇いつつ、叫ぶ。

「ああ!恐るべき災厄だ!
 だからあの赤の女王の言う通りにするのは止めた方が良いと言ったのだ!」

「赤の女王?」

「そうとも!あの変なおっさんさ!
 ニタニタ笑う、黒い塊!」

三月兎もくるくると回りながら叫ぶ。

「それはどういう……」

ルカがその言葉の意味を尋ねようとした時、
憤怒の形相のアリスが森の中から飛び出してきた。
兎の耳のようなヘアバンドは少し焦げ、エプロンには炎が踊っている。

「よくもやってくれたわね!
 私の世界は、もう何もかも滅茶苦茶よ!」

「どうせ、とうの昔からそうだったんだろう?」

「うるさい!うるさい!
 もう貴方なんて嫌いよ!死んじゃえ!」

アリスの言葉が反響する。
『死んじゃえ!』『死んじゃえ!』『死んじゃえ!』
それに応えるかのように、まるで嵐のような唸り声が響き渡った。
ジャバウォックが、主の敵を引き掴み、食らい殺すために、その姿を現さんとす。
だが……

「もう遅い」
 
 
 




「え?」

次の瞬間、アリスの体はバラバラになっていた。

「キミがただの人間な以上、
 僕の前にノコノコ出てきたら死ぬだけだ」

燃え残っていた糸を高速で戻し、その勢いのままに対象を十方向から切り裂いたのだ。

本体が死亡した事で、夢の国が崩れていく。
机やティーセットは風化したように吹き飛んでいく。
帽子屋や三月兎は静かにお茶を飲みながら、消えていく。
闇を移ろい抜ける事の無かったジャバウォックが、悲しげな声を残す。

燃えながら崩れ落ちる世界は、さっきの部屋で見た炎よりよほど綺麗だと、ルカは思った。

斯くて、囚われた太陽の輝く不思議の国は、瞬く間に崩壊した。
あとに残ったのは、アリスを名乗った女の死体。
見たところ、もう二十歳ぐらいだろう。
少女と呼ぶには、少女になるには、それはもう大人びすぎていた。



―「でもあたし、気の狂った人達と一緒にいたくないわ」とアリスは言いました。
 「そりゃ無理ってもんだ。ここではみんな狂ってるんだから。
  おいらも狂ってるし、あんたも狂ってる」と猫が言いました。
 「どうしてあたしが狂ってるなんて言えるの?」とアリスは聞きました。
 「絶対狂ってるはずさ。そうでなきゃ、こんなとこに来るはずがない」と猫が答えました。


 ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』
 
 
 





―――
――――――

いよいよ、次が4つ目だ。
それを越えれば、あの男の場所にたどり着く。
そしてそれが終われば、僕は李の元に帰る事ができる。

李の事を考えると、自然と勇気がわく。
自分は絶対に死なないと思えてくる。
僕は彼女に、天国に連れて行って貰う必要があるからだ。
それまで勝手に死ぬ事はできないのだ。

しかし、あの男は今の女の何処が僕と同じだと思ったのだろう?

次の扉には、巨大な道化師の顔がペイントされていた。
人の背丈よりも大きな顔で、無機質な笑みを投げかける。

その顔の横の壁にサーカスのポスターが貼られていた。
タイトルの様に書かれた『CIRCUS MAXIMUS Begin Tonight!』の文字、
その下には『ハートの6』、『ダイヤの3』、『クラブの2』、『スペードのA』の四枚のトランプの絵。
それ以外にも、サーカステント、火の輪くぐり、玉乗りなど楽しげな絵が踊る。
本来黒のはずのクラブとスペードまで赤で描かれている事がより目を引く。
一見ただの赤いインクだが、ルカはそれが血である事に気づいた。

扉を両側に押し開け、ルカは中に入っていく。
 
 
 





―――
――――――

「レディース、アーンドジェントルメーン!!」

扉をくぐったルカは、大きな声に迎えられた。
今度の部屋は今までよりも天井が高い造りらしく、声がよく反響する。
鳴り響くドラムロール、ライトに照らされ、宙空にかかる綱の上に女の姿が現れる。

「次はなんだ……?」

ルカはその声に少しの呆れを滲ませた。
よくもまあ続々と、おかしな輩が出てくるものだ。

「ようこそ地上最大のサーカスへ!
 今宵のパフォーマーはこの私、『血塗れ』こと真殿 衣厥(まどの いそれ)が務めます。
 たった一人での公演となりますが、ご退屈はさせません。決してお見逃し無きよう!」

女――衣厥はそう言うと、綱の上でバック宙を決め、もう一度綱に着地した。
その後も、ぶら下がりから一瞬で綱上に戻るなど幾つかの芸を披露する。
そして大トリ、衣厥は綱を掴むと一回転、二回転、三回転。その勢いのまま地上に飛び降りた。
このままでは地面に直撃……だが、現れたスタンドが彼女を受け止める。
二人してポーズを決めるスタンドと本体。
ルカはそれに軽く拍手を送ると、口を開いた。

「驚いたな。『血塗れ』だって?
 キミの噂は聞いたことがあるよ。確か、もっと遠い所の事件だったと記憶しているが……」

「連れて来られたのよ。
 でも、光栄ね。私そんなに有名人かしら?」

「目撃された時に全身血まみれだったから『血塗れ(ちぬれ)』……
 こんなに分かりやすい名前の殺人鬼も最近珍しいからね。よく覚えてるさ」

「そんな巷で噂の殺人鬼の正体がこの私。
 しがない美人サーカス団員、真殿衣厥なのだけれど……
 あなたは興味無さげね」
 
 
 




「事実、無いね。
 その噂の殺人鬼さんも今日までの命だというのが少し残念かな」

「あら、私はまだ何も言ってないわよ?」

「聞くまでも……」

ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズが現れ、ルカがナイフを握る。

「無いッ!」

ルカが突進し、同時にBS&Tが構える。
対する衣厥も腰を落とし右手を前にした体勢を取り、迎撃の構え。

「『ブラッディ・フラック・プルーフ』ッ!!!」

名を呼ばれ、体中にトランプのマークが描かれたスタンドが再び現れた。
目の位置にはスペードの図柄の装飾品が嵌めこまれている。

「ハアアアアアアァァ!!!!」

シャウトを発しながら、体を沈め、衣厥がルカのナイフを避ける。
そのまま右拳をルカの胸元へと突き出す。

「がはッ……!」

ルカは予想外の怪力に吹き飛ばされた。
なんとか空中で体勢を立て直し、一回転して着地するものの、瞬時息ができなくなる程の力。

「結局殺し合いになっちゃったけど、でも結果オーライよね。
 ねえ、目撃された時、私はなんで血塗れだったと思う?」

衣厥がルカの物より小振りなナイフを取り出した。

「答えは、死体の血を飲んでいたから。
 四つん這いで、一心不乱に、体中が赤く染まるほど」

恍惚とした表情で、衣厥がナイフを舐める。
頬を上気させ、熱に浮かされたように言葉をつぐ。

「特に、あなたみたいなカワイイコは大好き」

衣厥は、唾液でテラテラと光るナイフをルカに向けた。

「あなたの血も、きっと美味しいわ」
 
 
 




「偏執狂め……」

「あなたは違うの?天国厨さん」

振り下ろされたナイフを、こちらもナイフで受け止める。
しかし衣厥の臂力は人間離れしており、ルカはギリギリと押され始めた。
ナイフが徐々に顔に近づいてくる。
敵がナイフに気を取られていると見たルカは、咄嗟に意識を切り替えた。
足払いを繰り出し、なんとか衣厥の体勢を崩すことに成功する。

「きゃっ……!」

「ハァッ!!」

倒れゆく敵に向かって、ルカが刃を振り下ろす。
だが、衣厥は地面に手を着くと、一瞬逆立ちのような姿勢になり、そのまま後方へ回転跳躍した。
飛び去り際の刹那にルカへ斬撃を繰り出す。
不意をつかれたルカは首を捻って致命傷をかわそうとする事しかできない。
避けきれず、頬に赤い血のラインが引かれる。

「アハッ、間接キッスしちゃった」

「このッ……!」

BS&Tが衣厥に殴りかかり、BFPがそれを受け流す。

「やっぱり、僕とキミは違う。
 僕はキミみたいな変態じゃない」

「あら、そうかしら。同じ所も多いわよ。
 目の下の涙滴型のペイントなんてそっくり」

衣厥はそう言うと、笑いながら指を鳴らした。

「でも本番はこれからよ」

すると次の瞬間、部屋中の灯が、すべて消える。
一瞬で辺りを包み込む暗黒。

「全くの闇の中でも、あなたは落ち着いていられるかしら」
 
 
 




闇の中でルカは、とりあえずの防御体勢を取る。
目が慣れるまでなどと悠長なことは言っていられない。
これは確実に、敵の得意なフィールドに引き込まれたと見ていいだろう。
敵はこの闇の中で動けるような能力であるはずだ。
とにかく、動きを読まなければ……

衣厥は、闇の中でスタンドの義眼を付け替える。
スペードから、クローバーへ。
スペードが象徴するのは兵士の武器で、クラブは戦争に必要な力。
即ち、鍛え抜かれた肉体と、索敵能力だ。
今それを入れ替えた。

これで彼女は闇を克服する。
聴力と、引き換えに。
ブラッディ・フラック・プルーフは、五感の一つと引き換えに何らかの力を齎すのだ。
スタンドの義眼を付け替えるのは、そのための精神的スイッチ。

闇により視覚を、能力により聴覚を失った世界で、彼女の第六感ともいうべき力がブーストされていく。
空間内の敵対者が、脳内にソナーめいて映しだされる。
ルカとそのスタンドの2つの点が自分より少し離れた位置にいるのが分かる。
2つの点は、寄り添い、動こうとしない。
衣厥は、その方向に向かってナイフを投げつけた。

「……ッ!」

ルカは全集中力を傾け敵の攻撃に警戒していたため、辛うじてその一撃を弾く。
弾かれたナイフがカラカラと音をたてて転がった。

そして、ルカはその音を聞いて思い出す。
この部屋の天井の高さ、音の反響し易さを。
音から敵の位置を割り出す行為はほぼ不可能だろう。

そこへ更に、多方向からナイフが迫る。
あちらこちらで鳴り響く衝突音。
衣厥が、壁を利用して跳弾の如き攻撃を行っているのだ。

ルカはその攻撃を咄嗟の判断でかわし続けるが、何時までもは保たないだろう。
 
 
 




着実にルカを追い詰めてはいるものの、
衣厥は小ぶりで決定力に欠けるナイフで決着がつくとは考えていなかった。
ブラッディ・フラック・プルーフが、ハートが描かれた球を手に取る。

ハート。
その文字通り、敵の心の臓を的確に抉り抜く力を与える物だ。
本来なら代償として失われるはずの『視力』は、この闇の中では既に機能していないも同じ。
故に、クラブの索敵能力で敵の位置を特定し、ナイフの牽制でその場に留める。
そしてルカに致命的な隙ができたなら、ハートの力によってその急所を的確に射抜くのだ。

やがて、ナイフが刺さったのかルカの体勢が少し崩れる。
ふらつき、軸足ではないほうの足を咄嗟に踏み出すのが手に取るようにわかる。

(勝機……!)

すかさす衣厥は走りだす。
足音の反響が、音の発生源の特定を困難にする。
眼前に糸があればそれを破壊するために、両手の指に計6本挟んだナイフを振り回し進む。
縮む距離。
ハートを嵌めこむと、敵の心臓へのルートが脳内に描き出される。
切っ先がルカの鼻先を掠めるかという距離まで近づいた時、衣厥は一つの違和感を覚えた。

(この距離まで、糸に一度も触れない……?)

それは偶然と片付けることもできた。敵の不用心だと思うこともできた。
だが、衣厥はそれに違和感を持ち、事実それは杞憂では無かった。
衣厥の脳裏に疑問がよぎった次の瞬間、衣厥の体は吹き飛び、宙を舞っていた。

(!?殴られた……!?
 どうして……!?こちらの姿は見えないはず……!!)

地面へと落ちた瞬間、背中に走る鋭い痛み。
皮膚が裂けている。
その時、衣厥は床中に張り巡らされた糸に気づいた。

「これはッ……!!」

それはルカが床一面に引いた、糸によるセンサー。
 
 
 




倒れた衣厥の両手が飛び、ついで両足が削られる。
衣厥を切り裂いた糸はその後ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズの指へと帰っていった。
部屋の電気がチカチカと点き、少し赤くなった床と、肩から血を流すルカを照らす。

「……降参よ」

衣厥は倒れたまま、先の無い腕を上げる。

「キミの死をもっての終幕以外は受け付けない」

「ねぇ、少し待って。
 私の話を聞いてほしいの。
 あなたが聞くまでも無いと言った、あなたと私がどう似ているかの話」

ルカは暫しの間沈黙すると、答える。

「…………いいだろう」

「私が初めて血を飲んだ時の話よ……
 もう何年も前、私が妹と二人で山の中の宿に泊まった時、大きな地震が起きたの。
 宿は古くて、簡単に倒壊したわ。私達は生き埋め。
 とは言っても、妹は打ち所が悪かったのか、もうその時には死んでたんだけどね。
 で、私は下半身にのしかかる材木で動けなくて、妹の死体の目と鼻の先で何日も過ごす事になった。
 後で知ったんだけど、土砂崩れが凄かったらしいわよ。それで救助が遅れたわけ。
 何日も動けないままで居ると、お腹が減るわよね?」

ルカは、この時点でもう話の先が分かった。
ルカの体は震えていた。

「飢渇の極みに達した私は、妹の肉を引き千切ると、そこから吹き出た血を飲んだ。
 最初は何度も何度も咳き込んだりしたわ。
 そして、それに慣れると私はその肉を貪るように食べた。
 いままでの全てが変わっていくような、目眩のような感覚がしたのを、今でも覚えてる。
 そして、事実、私は変わったわ!!」

衣厥が肘から先を消失した腕を突き上げる。
ルカはそれを止めようともしない。
 
 
 




「瓦礫の中から白い骨を剥き出した妹と、真っ赤な私が引きずり出された時、
 あの時、私は心身ともに『血塗れ』になった。
 木片を使ってその場で救助隊員を皆殺しにした後、跪いてその血を飲んだわ。
 頭の内側で赤い光がパッと弾けて、新たな銀河が生まれるような感覚……
 飲血が齎す快楽が私を殺人へと突き動かして、気づけば私は殺人鬼。
 それに、色んな人の血を飲めば、私の中に居る妹が寂しくないでしょう?」

「キミは……」

「私の愛しい妹が、今の私を作ってくれたの!
 そしてその妹は私の中で永遠に在り続けるわ。
 私は誰にも止められない、不退転の赤になって行く。
 見て!今、この四肢から流れる血は、私の血であり妹の血であり、今までの全ての命よ!
 本当に、本当に、本当に……
 本当に……どうして……」

衣厥は泣いていた。

「あなたは、私と同じ……?」

「僕は……」

ルカは震える手でナイフを振り上げる。
切っ先が衣厥の上でガタガタと踊り、心臓に合わせた照準が揺れる。

「僕は……僕は……!」

振り下ろす。
その刃が滑るように胸に入り、衣厥は絶命した。

「違う……。違うんだ……。
 僕は…………キミとは…………」

ルカはナイフを取り落とした。



―「あの人は狂っていたわ。あの人のせいではなかったのよ」
 「では誰のせいなんだ?」
 「あの人を狂気に追いやったものよ」
 ボウルガードは顔を上げた。
 薄れつつある霧ごしに最後の月光が降りそそいでいる。
 黒く大きな蝙蝠が月の表面を横切っていったように思えた。

 キム・ニューマン『ドラキュラ紀元』
 
 
 





―――
――――――

ルカは扉を抜けると、月光差す窓の下にへたり込んだ。
そのこめかみに玉の汗が浮かぶ。

「ハァ……!ハァ……!」

荒い息を吐きながら、落ち着き無く懐をまさぐる。
その手が硬いものに触れた。
急いで引っ張りだす。
現れたのはナイフ。
血に濡れ、ルカの顔をその刃に映す。

「いやっ……!」

反射的にそれを投げ捨てる。
カラカラという音が虚しく響いた。

ルカは再び懐を掻き回し、目当ての物を引っ掴むと、慌ててそれを引き摺り出す。

それは、携帯電話だった。
ルカは震える手で連絡を取る。

「李……お願いだ……
 僕の質問に、答えてくれるだけでいいんだ…………」

やがて、震えは治まった。
顔を上げれば、目の前には、『5425』と刻まれた真っ黒い扉……
 
 
 





―――
――――――

「やあ、ようやく御出座しか。
 今宵の宴は楽しんでいただけたかな?」

扉を開けると、男はそこに居た。
ルカは無言でナイフを構える。

「また殺気立ってやがるのか?
 最奥まで辿り着いたら俺の目的を話してやると言ったろうが!」

男は右手に袋を提げている。
部屋は入り口面以外の全ての壁が布で覆われ、調度品は何も存在しない。

「いいか。俺の目的は、お前の正体を知ることだ。
 殺人鬼『波溜流渦』の正体を。
 お前が常々語っている天国とは何だ?お前の殺人の真の動機とは?」

男は左手を上げ、四本の指を立てた。

「そのための四人だ。
 一人目を殺した時、お前は自分が殺人に対して言い訳をしているという事を否定した。
 二人目を殺した時、お前は無思慮でなんの意味も無い殺人を犯しているという事を否定した。
 三人目を殺した時、お前は自分が妄想の中に逃げ込んだ弱い人間だという事を否定した。
 四人目を殺した時、お前は狂気を避難場所としてしまった哀れな人間だという事を否定した」

男は立てていた指を勢い良く握りこむ。

「全て嘘だ!嘘、嘘、嘘!!
 お前が初めて犯した殺人は何だ?そこに天国がどうのといった理念があったのか?
 俺が思うに、お前はさっきのピエロ女と同じだ。
 知ってるか?あの女、悦んで血を飲んでますみたいな顔して毎晩便所で泣きながら血ゲロ吐いてたんだぜ!」
 
 
 




「お前の天国理論はあの女の飲血嗜好と同じ、狂気という名の逃げ場なんじゃないのか?
 お前の最初の殺人が何であったのかは知らん。
 だが、それがお前を現実から逃げさせ、天国云々の妄想を作り上げた。違うか?
 そしてその理念を実行するための人格を生み出し、多面的な人格の檻に、本当のお前が眠っている。
 果て無き現実逃避のための殺人に思慮なんて物は無い。そしてお前は目を逸らし続ける」

男はそこで一息吐いた。
ルカの表情は陰になっていて読み取れない。

「お前の天国なんて全て嘘だ。
 欺瞞で塗り固められた、狂気のシェルターだ。
 その中身は何だ?仮面の下には何がある?
 その言動は本物か?名前はどうだ?波溜流渦は本名か?
 見せろ……お前は誰だ?
 お前が何者か、この俺に答えてみせろ!!波溜流渦ァァァアァァ!!!!」

絶叫の後、訪れる沈黙。
男の荒い息の音だけが部屋に満ちる。

「……僕が何者か、か」

少しの後、ルカが口を開く。
その口調には先ほど廊下で見せたほどの動揺は読み取れない。

「教えてあげよう」

男はそこに異常を感じ取った。
確かに揺さぶりを加えたはずなのに、異常なほどに落ち着いている。

「僕は『阪奈李の親友』だ」

「……何?」
 
 
 




「僕は今まで盲目だった!
 自分の中で思い描いていた天国への理念を疑う事もしなかった。
 だが、違う!僕の真の理想は李の存在を以って完成する。
 嗚呼、どうして今まで気付かなかったんだろう……」

男は、ルカのセリフを聞きながら考える。

(どういう事だ!?波溜流渦の天国への執着は解明したはずでは無かったのか?
 さっき廊下で何やら電話をしていたようだが、そこで阪奈李から何かを言われたのか?
 その時、今まで天国理論の一部にすぎなかった阪奈李が、
 ヤツの中でほぼ中心に位置する、狂気と同格の存在にまで進化したとでも?
 ならば今の波溜流渦に対し、幾ら天国への妄言を否定しても効果は無いぞ……!!)

内心で急速な沈黙思考を続ける男に構わず、ルカは喋り続ける。

「実は3つ目の部屋を越えたあたりで薄々感付き出してはいたんだ。
 僕が皆を導き、李が僕を導く。
 つまり僕という存在は李無くしては成り立たない。
 僕には天国と同様に、李が必要なんだ。至極当然の帰結。
 故に僕はこんな所で死ぬわけにはいかない。キミごときに殺されるわけには、ね」

「……成る程。それがお前の答えか」

「不服かな?」

「まさか。圧倒的予想外だが、だから人間は面白い」

男は手に提げていた袋を落とした。
中から四つの生首が転がり出る。
右目に傷跡が走る首、真っ黒に焼けた首、焦げたヘアバンドを付けた首、目の下に涙滴型のペイントをした首。

「それは……」

更に男が手元のスイッチを押す。
すると壁を覆っていた全てのカーテンが開き、中身が顕になる。
そこにあったのは、数え切れない量の生首。
ルカは即座に、その全てが自分が殺した相手の物である事に気づいた。
 
 
 




「さて、お前は怨みの力という物を知っているかな?
 そんな物は迷信だとお思いかも知れんが、それは違うぜ。
 死者の怨恨は確実に残留思念として存在する。
 人間は死んだ時脳内に駆け巡った感情を、良し悪しはあれ、死後も残し続けるのだ」

男は足元の生首達を爪先で蹴り、
それぞれの顔をルカへと向けさせる。

「本来ならば、末期のニューロンを駆け抜ける意味を持たぬ電気信号だが……
 俺はそれを対象の脳内に定着させ、利用する。
 思念を弄るから、結果的にこいつらが幽霊となれる可能性は消滅するがね。
 そして我がスタンド『ドウェラー・イン・ダークネス』は、殺意を矢に変換する能力を持つ。
 対象が殺意を抱く相手へと、殺意の強さに応じた殺傷力で飛ぶ矢にな」

それを聞き、ルカは理解する。
つまりこの場にある生首はすべて、自分に向けられた自動照準式の砲台というわけだ。
自分に向けられた百近いであろう視線の数を意識する。

「どれもこれもお前が殺した人間だ。
 死人の感情は弱いが、それでも十分な殺意をお前に抱いてくれている」

男が言い終えると同時に、その傍らに黒子のような顔の無いスタンドが現れる。
次の瞬間、部屋中の生首の内幾つかから、漆黒の光の矢が放たれる。

「……ッ!」

ルカはその矢雨を前転で回避し、続く第二波を警戒するかの様に身を屈める。

「……何故スタンドを出さない?」

「出してるさ。キミの前に居ないだけでね。
 僕の蜘蛛なら、廊下にいるよ」

「何?」

次の瞬間、部屋の壁に線が入っていく。

「ハッ!まさか……!」

部屋は、木っ端微塵になった。
 
 
 





―――
――――――

積み上がる瓦礫の上、月光を浴びて人影が二つ。
そして蜘蛛と人が融合したような、人には見えない影が一つ。

全身を糸に巻き取られ、それを食い込ませ血を流す男。
それを見下ろすルカ。

廊下の窓から糸を繰り、屋敷全体を切り刻むという大仕事を終えた後だが、
蜘蛛人は静かに笑いながら男を殺さず捕らえる繊細な作業に勤しむ。

「ショウはお終いだよ。呆気無い幕引きだったね。
 最後に何か言い残すことはないかな?」

「最後だと……?何事にも最後などありはしない」

「哲学論議なら、あの世でゲーテとやってくれ。
 僕はもうキミに用はない」

ルカが指をクイと動かすと、瓦礫の上に赤が広がった。
月が、雲に隠れていく。



―わたしは夜の街を歩いてナイアルラトホテップに会いにいき、
 息づまる夜を衝いて果しない階段を登り、むせかえる部屋に入った。
 そしてスクリーンに映じられる、廃墟の只中にいる頭巾をかぶった人影と、
 崩れた記念碑の背後からのぞきこむ邪悪な黄色い顔を見た。
 さらに世界が黯黒を相手に闘っているのを見た。
 窮極の宇宙から押し寄せる破壊の波を相手に、
 光を失い冷えていく太陽のまわりで、旋回し、回転し、もがきつづける世界の姿を。


 H・P・ラヴクラフト『ナイアルラトホテップ』
 
 
 





―――
――――――

あれで良かったのだろうか?
通話終了ボタンを押しながら、阪奈李は考える。
ベットの上で窓から差し込む光を浴びながら、枕を抱き寄せた。

ルカさんに答えた言葉が間違っているとは思えない。
でも、合っていたのかは分からない。

ルカさんは、きっと人には言えないようなことをしているんだと思う。
それこそ、闇に生きる類の人なんだろう。
ただの女子高生である自分は、普通に生きているだけじゃ絶対に関係を持た無いような。
でも、会えてよかった。そこに感謝こそあれ後悔など無い。

電話口の向こうの彼女は、もの凄く動揺していた。
必死に『僕は何なんだ』と繰り返していた。
何があったのか、どうしてそんな事を聞くのか、
聞きたい事は何も教えてくれなかったけど、私の答えは決まっている。

だってルカさんは私の、『親友』なんだから。



―太陽が輝く時、私達も一緒に輝く
 ずっと側に居てあげるって言ったよね
 いつだってあなたの友達でいる
 最後まで頑張るって誓ったんだもの


 リアーナ『アンブレラ』
 
 
 





―――
――――――

それからしばらくの後。
ルカは、今日も『お仕事』に励んでいた。

十指を動かし、次々と人間を殺戮していく。
それが天国のために、そして李のためになる。
今の彼女はそう信じている。

支えを無くしかけていた彼女にとって、阪奈李はあまりにも優しすぎた。
彼女の中で再構築された阪奈李という鍵が占める位置は、
元から与えられていた『波溜流渦の終わり』というある種の究極を更に研ぎすませた形となり、
今やルカの人生そのものに、切り離せないほど複雑かつ歪に絡みついている。
彼女にとっては最早、『親友』という言葉が持つ意味は本来の物より何倍も重い物になった。

彼女にとって、今回の一件は不幸だったのか?
天国への感情は変わらぬままに、一人の少女への依存を深めただけに見える。
だが、その内心は誰にも分からない。
あの晩に出会った5人の人間が、彼女にどんな影響を与えていてもおかしくは無いのだ。
これから先、彼女の人生はどう転んでいくのだろうか。
或いは、彼女は己の人生をどう変えていくのだろうか。

月の無い夜、明かりの消えた路地で、ルカは静かに笑みを漏らした。



―もし、夜中に何かが聞こえても
 何か厄介事や、戦いの音のようなものが聞こえても
 何があったのかなんて
 それが何だったかなんて
 僕には聞かないでくれ


 スザンヌ・ヴェガ『ルカ』






出演トーナメントキャラ


No.4665
【スタンド名】 ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ
【本体】 波溜 流渦(ナミダメ ルカ)
【能力】 異常な程よく切れる糸を指から発射する

No.4317
【スタンド名】 リアーナ
【本体】 阪奈 李(ハンナ スモモ)
【能力】 触れたものを「不発」させる

No.4581
【スタンド名】 オーディブル・メインフレイム
【本体】 灯熾夜 火垂(とうしや ほたる)
【能力】 可燃性の高い物質を優先して襲い、燃焼涎で発火させる

炎と会話できる少女。
人と打ち解けず幼い頃から火とばかり会話していた。
のみならず、いつの日からか彼女の回りでは火の手が突然上がるという怪現象が起こりだす。
そのため彼女の周囲は彼女をバケモノと呼び、恐れ、排斥した。
人間の場所から追い出された彼女は唯一、炎のみを友として生きていく。
スタンドにも目覚め、行く先々で放火を繰り返す日々。
やがて彼女はSPW財団に拘束された。
だが彼女は何らかの騒ぎに紛れ、財団から脱走してしまう。
ただ、新たな友達を作るため。

No.4078
【スタンド名】 アリス・イン・ワンダーランド
【本体】 愛野 光(あいの ひかり)
【能力】 トンネルや土管、マンホールなどの「穴」を『不思議の世界』への入り口に変える

人生に疲れ、おとぎの国に逃げ込んだ女子大生。
初めは現実逃避としておとぎの世界に入り浸っていたが、
やがて精神に異常をきたし、現実でも幻聴や幻視に悩まされるようになる。
それが原因で周囲からは孤立。それがさらなるおとぎの国への傾倒を誘う。
ついに自分が今居る所が夢か現実かの区別すら曖昧になってしまった彼女は、
自らをアリスと名乗り、おとぎの世界に生きる存在と化した。

No.6321
【スタンド名】 ブラッディ・フラック・プルーフ
【本体】 真殿 衣厥(まどの いそれ)
【能力】 身につけた装飾品を空洞になった片目にはめることでその装飾品の形に応じた能力が使用できる

最近巷で噂の連続殺人犯『血塗れ』の正体。
飲血に執心しており、自らのスタンド能力でも味覚だけは失う事が無い。
とは言えもちろん吸血鬼などでは無く、執着の理由は……。
殺害対象は本人曰く『若くてカワイイコがイイ』。
『血塗れ』という別名については、
目撃された時四つん這いで死体から直接血を啜っており、そのため顔どころか全身が真っ赤だった事に起因する。
そんな彼女も昼の間はとあるサーカスの売れっ子パフォーマー。
他の団員から『人を喰ったような奴だ』と言われた事があるらしい。

No.5425
【スタンド名】 ドウェラー・イン・ダークネス
【本体】 古森 方皇(こもり ほうおう)
【能力】 殺意を「矢」に変える

人間の異常性に興味を持つ男。
殺人鬼、波溜流渦の真の中身を知るために、4人の異常者を集め今回の事件を起こした。
元は心理療法士だったとも、精神病院の患者だったとも言われる。
ただこの男に関する情報は不自然な程に少なく、真っ当な筋の人間では無い可能性もある。
因みに今回の事件以後も別の場所で古森によく似た人物の目撃情報が複数存在するが、
この件での古森の死亡は確実であり、それらは全て何らかの間違いである物とここに断言せざるを得ない。









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