オリスタ @ wiki

悔恨の行方

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orisuta

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罪のかたちは様々だ。
私利私欲を満たすためのもの、誰かのためのもの、否応のないもの、後悔を伴うもの。

罰は平等だ。
それぞれが平等に責めを負う。そこにどんな事情や過程があったとしても、罰からは逃げられない。
だから人は祈る。すがる。告白する。
胸の内をさらけ出して、少しでも楽になろうとする。

人には、さらけ出す場所が、聴いてくれるなにかが必要だ。
私はそんな彼らのために、その役割を買って出ている。


私の名前は神田 愛莉(かんだ あいり)。
ここには、責めを負う人たちが救いを求め、やってくる。

今日もまた1人、私の元に小さなお客さんがやってきた。
 
 
 




◇カフェ・ノワール


使われなくなった古い教会を改築し、喫茶店に仕上げたのがここ、「カフェ・ノワール」である。
モダンでシックな内装、入って右手側にカウンターがあり、椅子は三つ。
広い店内にも関わらず、カウンターのほかはテーブルが一つだけ。
メニューも、コーヒーが一杯だけである。

ここには、あまり客が訪れない。
しかし、絶対に客足が途絶えることもない。
何故かは後々わかってくるだろう。
ともかく、それゆえこのカフェには、その程度の設備やメニューだけでよいのだ。

カウンターの奥でカップを磨いているのが、カフェ・ノワールのオーナー、神田 愛莉だ。

白い肌に黒いドレスの、どこか儚げな美しさをもつ女性だった。
病的で、幻想的で、まばたきをすればその瞬間にふわりと消えてしまいそうな、そんな線の細さだった。
右目を眼帯で覆い隠し、左の瞳は遠いどこかを見透すように澄んでいた。

彼女が磨いたカップを棚に戻していると、入口のベルが鳴った。
扉をあけ、小さなお客様が一人、店内に足を踏み入れた。
少年だった。小学生から中学生くらいの背丈で、目の周りに大きな青アザがあった。
服はお世辞にも綺麗とはいいがたく、靴も汚かった。

「こんにちは」

キョロキョロと店内を見回す少年に、愛莉が声をかけた。

「……」

少年は挨拶を返さなかった。
愛莉は少年をカウンターまで促して、
席につかせた。

「ここには水かコーヒーしかないのよ。砂糖とミルクはあるけど……どっちがいいかしら?」

カップ棚に振り返り、カップを選びながら、愛莉が少年に訊いた。

「ここ……どこ?」

少年が、不安げにそう言った。

「……貴方は、誰かから聞いてここに来たのね」

「…うん。でも、よくわかんないよ」

俯き気味に答える少年に、愛莉は水を注いだグラスを差し出した。

「いいのよ。ここはカフェ・ノワール。私とお話しをする場所なの」

「貴方のことを聞かせてくれる?」

頬杖をついて、少年の瞳を覗きこみながら、愛莉が優しく微笑んだ。
 
 
 




ーー「お兄ちゃん、お腹空いた」

都内のとある小さなアパートの一室。
電気も水道も止まった、ごみだらけの狭く汚く臭い、おおよそ人の住むところでない空間。
この部屋に、幼い三兄妹が暮らしていた。
いや、暮らしていたとは違うかも知れない。

彼らは置き去りにされた。

長男・大輝(たいき)のシャツを、末っ子の里穂(りほ)が指でつまみ、言った。
次男坊の尚太(しょうた)は、極限まで達した空腹に疲れ、ごみにまみれた部屋の隅で横になっている。

三兄妹は、もう一週間なにも口にしていない。

大輝は中学二年生、尚太は小学三年生、里穂は小学一年生だ。
幼い彼らが、いわゆるネグレクト(育児放棄)されているのは、なにも今回が初めてではなかった。

彼らの母親は、とても酷い人間で、これまでもたびたび兄妹をこの狭い部屋に放置しては、行きずりの男と共に姿を消した。
しばらくして男と別れると、この汚いアパートに戻ってきて、三兄妹にコンビニの惣菜をペットに与える感覚で差し出すのだ。
そうして気分で母親を演じてみては、また新しい男を見つけると彼らあっさり見捨て、自分だけ快楽に溺れた。

彼らの母親には母親の自覚も、資格もなかった。

身勝手に無責任に産み落とされた生命が、誰も知らない場所で誰の助けも得られず、必死に懸命にもがいている。
病んだ社会の一角、日のあたらない陰の部分の実状だ。

「ごめんな。もうちょっとでママ帰ってくるから、我慢しような」

わずか13歳の少年が、幼い弟たちの親代わりを、その痩せ細った小さな背中に背負っていた。
もうこんな台詞は、飽きるほど口にした。現実はわかっていた。
それでも、弟と妹のためにそう言うしかなかった。

学校へ行ったり、外へ助けを求めに行くこともできるだろう。でも大輝は、そうすることができなかった。
そんなことをすれば、もう二度と母親は帰ってこないのだと、証明してしまうような気がしていた。

もう一つ、理由がある。
尚太と里穂を、この部屋にのこして外に出るのが怖かった。
なぜならーー
 
 
 




バタン!

「カスミィィ! 糞アマ、どこ行きやがったぁぁ!!」

ーーこの男が、この部屋を頻繁に訪れるからだ。

乱暴に玄関のドアが開かれ、口汚く怒鳴り散らしながら、三兄妹の家に押し入ったこの男、こいつは三兄妹の母親の元カレだった。

金髪で、イカツイ顔つきで、柄物のシャツにだぼついたパンツの、いかにもな風貌の男。
男は足元のゴミを蹴飛ばしながら、自分を捨てた女の名前を叫んだ。

男が来ると、幼い三兄妹はびくりと身体を硬直させた。
ただひたすらに、男の汚い怒声が恐ろしかった。

「大輝ィ、ママはどこいったんだよ?
いつ戻ってくるって言ってんだよ、ああ?」

「わからないです……」

「わからねえわけねえだろうが!!」

男はそう怒鳴りあげて、テーブルを蹴り飛ばした。
大きな音に驚いて、里穂がわんわんと泣き出した。

「泣くんじゃねえよぶっ殺すぞ!!
ああ!?」

里穂の小さな肩を掴み、男は嚇しながら彼女の身体をぶんぶんと揺らした。
里穂は泣き止まず、泣き声はより一層増していくばかりだった。

「うぁぁぁぁ………うううーー!!」

「うるせえーーッ! おい大輝、尚太!! 妹を黙らせろ!」
 
 
 




そういうと男は、ぐったりと横になる尚太の元に近づき、その腹に思いっきり蹴りを入れた。
生々しい鈍い音がして、うぐ、という尚太の小さな呻きが漏れた。
衰弱しきった尚太には、それ以上のリアクションを取ることができなかった。
尚太は腹を守るように身体を丸めるので精一杯だった。

「やめろ! 尚太に触るな!」

弟を守ろうと、咄嗟に男に掴みかかる大輝。
男は、腕にくらい付いた大輝を、振りほどくように窓ガラスに叩き付けた。
めしめしと、痩せこけた肉と骨が軋む。

「うぐっ」

大輝の口から、チョロチョロとなけなしの胃液がこぼれた。
男は、一回り以上歳の違う少年に、ありったけの力をふるった。
何度も何度も、大輝の細い身体を窓ガラスに叩き付けた。

「汚ねえ!くせえ! ガキが!」

「ぐっ……おぇぇ」

「俺に! 触るな! 謝れ!」

窓ガラスにヒビが入っていった。
脳みそをガンガンと揺さぶられる衝撃に、弱りきった肉体状態の大輝は、何度も意識を失いかけた。

ーここで気絶したら、二人になにされるかわかったものじゃない。

その思いだけで、彼は極限の痛みの中、意識を保ち続けた。

「アバズレの! くっせえガキがよぉッ!」

大輝はキッチンの方へ投げ捨てられた。視界がぼやけて、思考が飛びかける。
大輝は無意識の内に、流し台の下の扉を開けていた。
扉の内には、いくつも包丁が差し込んであった。
 
 
 




「アー!アァァーー!!うっせえなァー!殺ッちゃおうかなーッ!」

男が狂乱気味に、首をかきむしりながら叫んだ。
尚太と里穂は、その場から動けなくなっている。
大輝には、あの男が弟と妹と一緒の部屋にいるのが、耐えられなかった。
恐ろしすぎた。

「アァァァーー!」

男が暴れまわり、家具を片っ端から投げ飛ばしていく。
大輝は気付かれないようにひっそりと、包丁差しから包丁を一つ、抜いた。

(守らなきゃ……お兄ちゃんだから……)

(尚太と里穂を……守らなきゃ……)

胸中に呟いたのと、フゥッと息を吐いたのは同時だった。
次の瞬間に、大輝の両足は力強く床を蹴り、跳ねていた。

「うあああああ!」


命からがらの咆哮とともにーー


「!!?」


両の手に握り締めた銀の刃をーー


ブシュゥッ!


ーー男のうなじに、突き刺した。
 
 
 




「アァァアアアアアアアアアアアア」

鼓膜が破れんばかりの悲鳴に、大輝は震えた。
突き刺した包丁が自分の手から離れ、男がそれを引き抜こうとうなじに手を伸ばした。
男の足取りはおぼつかなかった。

「わああーー!!」

ボタボタと流れる鮮血に、里穂が泣き叫んだ。
男は突き刺さった包丁を引き抜き、それを投げ捨てると、血塗れの両手で大輝に掴みかかった。

「よくも……よくも……ガキ…!!」

大輝はそれを紙一重でかわし、投げ捨てられた包丁を拾おうとするが、シャツを掴まれてしまった。
包丁はすぐ目の前。だが男が大輝のシャツを引き寄せる。
大輝は必死に包丁へ手を伸ばした。
しかしあと指先数センチのところで届かない。

「ふ……けんなッてめえッ!!アアアアアアアア」

大輝を仰向けにして、男は大輝の顔面を殴り付けた。
一発、二発、三発。
大輝の目が潰れたようになり、鼻から血がでろんと流れた。
男は、そして両手を大輝の細い首にまわし、その身体を持ち上げた。

「コロス…コロス…コロス…」

「かっ……」

めしめしと、気道がしまる音がはっきりと聞こえた。
13年の短い歴史が、急激に閉じていく音だった。
窒息するのが早いか、首の骨が折れるのが先かーー

(マ……マ………)

そのとき、右手に固いものが触れた。
すぐにわかった。今の今まで握っていた、包丁の柄。

「にいぢゃん!!」

起き上がった尚太が、包丁を拾い、大輝に手渡したのだった。

「ーー!」

潰えかけた命に、最後の力が宿った。


「アアアアアアアアアアアア」

「ああああああああああああ」




ーードシュッ!
 
 
 
 
 
 
 




◇カフェ・ノワール



「ーーなるほどね」

「大輝くん、あなたは人を殺してしまった。尚太くんと里穂ちゃんを守るために」

「それが貴方の罪。だからここにきたのね」 

少年ーー大輝の話を受け止めて、愛莉が言った。
痛々しい顔の青アザを隠すように、大輝は俯いたままだった。
愛莉は大輝の隣に腰掛けて、彼の肩に手をかけた。

「……人を殺したら、どうなるの?」

まだまだ幼い肩が、弟たちの命を背負ってきた背中が震えていた。

「……地獄へ落ちるわ」

愛莉は呟くように、大輝に答えた。
幼い肩がびくりと揺れた。

「僕は……なんのために生まれてきたんだろう」

大輝がグラスをぎゅっと握りしめた。

「命は平等よ。みんな等しく尊い。生まれてきたことを、祝福されない命なんかないわ。
だから、他人に奪われていい命もないの」

「……アイツも、そう?」

そう諭した愛莉を見上げて、大輝が訊いた。
アイツーー大輝が命を奪ってしまった、あの男のことだ。
愛莉は大輝の瞳を見つめて言った。

「大輝くん、確かめてみる?
命が失われたとき、周りはどう思うのか……確かめに行きましょう」

席から立ち上がって、愛莉は大輝の手をとった。
確かめるーー。若干の不安が、幼い心に射し込んだ。
 
 
 




◇葬儀場


『カフェ・ノワール』を出て、二人は近くのお寺まで足を運んだ。
お寺には、喪服に身を包んだたくさんの人が出入りしていた。
大輝には、初めての冠婚葬祭の場だった。なんとなくしんみりした空気が、胸をきりりと締め付ける。

「ここは……アイツのお葬式?」

愛莉の裾を引っ張って、大輝が言った。

「……さあ、私たちも中に入りましょう」

「僕は……ここにいるよ」

祭壇に上がる階段の前で、大輝がふるふると首を振った。
きちんとした格好でもないし、故人を弔う気持ちもない。
なにより、殺した張本人だ。ここにいるべきでないのは、だれがみても明らかだ。

「貴方も入るのよ。怖がらないで、さあ」 

愛莉はそんなことを気にせず、強引に大輝の手を引っ張った。


「いっぱいいる……人が」

祭壇に上がって、辺りを見回して大輝が呟いた。
見たことのある顔もいくつかあった。彼らは棺の近くまで近寄ると、中を覗きこんでは、遺体に涙したり、語りかけたりした。

「今はちょうど、お別れの儀の途中ね」

「お別れの……儀?」

「出棺ーー遺体の入った棺を火葬する前に、最後のお別れをするの。
花を添えたり、手紙を入れたり」

「……みんな、お花や手紙を入れてる。みんな……泣いてる」

鼻をすする音がいくつかきこえた。
顔を曇らせた大輝に、愛莉が言う。

「悲しまれない死なんてないのよ。
生まれるときは喜ばれ、死ぬときは泣かれ……みんなそう」

「生きる意味なんて考える必要ないの。特別考えなくたって、ちゃんと意味はあるんだから」

遠い目でそう語った愛莉が、大輝を棺へ促す。

「棺を覗いていったら?」
 
 
 




「……」

少しの沈黙のあと、こくりと頷いて、大輝が棺に歩み寄る。
中を覗きこんで、大輝はかっと目を見開いた。

「……!?」

心臓を掴まれたような衝撃。そこには信じられない光景が拡がっていた。
棺の中に眠っていたのはーー

「……ぼ、僕……?」

ーー大輝だった。

「……穏やかな顔をしてるでしょう? "死に化粧"というの。表情を整えるのよ」

やがて、13歳の少年は理解する。
目の前に眠る自分と、いまいる自分。
その二つが同一であったこと、もう同一ではないことを。

「僕は……」

「……これはね、あの男の葬儀じゃない」

「貴方の葬儀よ。大輝くん」

ーー自分の命がもう、終わっていたことに。

「僕は……死んじゃったのか……」

ぼろぼろと涙があふれ、大輝はその場に崩れ落ちた。
葬儀の参加者たちは、そんな大輝の姿が見えないまま、それぞれ大輝との別れを終えていった。
 
 
 




「貴方は男に包丁を降り下ろしたあと、息絶えてしまったの」

葉の枯れ落ちた並木道を、二人はゆっくりと歩いた。
よく考えれば、大輝は今のいままで寒さを感じなかった。辺りはもう冬なのに。
自分がもう生きてはいないことを改めて実感した大輝は、ずっと気になっていたことを訊いた。

「……尚太と里穂は、どうなったの?」

「二人は保護されて、いまは児童養護施設にいるわ。
貴方があの事件を起こさなければ、二人は誰にも気付かれず、餓死していたかもしれない」

「貴方のおかげよ。二人を守ったの。自分の命を使いきって……」

愛莉の声は優しく、大輝には、それが自分の行為を肯定してくれているように聞こえた。
それだけで、大輝は大分救われた気持ちになった。愛莉の声には、人を赦し、受け入れ、癒す力があった。

「……そっか」

なんだかほっとして、大輝は後ろを歩く愛莉の方に振り返る。

「このあと僕は、どうなるの?」

まっすぐと愛莉を見据えて大輝が訊く。

「死んだ人は、長い時間現世に留まるべきではないわ。先に進まなきゃいけないの」

「地獄へ?」

「……いいえ。そんなところには私が行かせないわ。絶対に」

瞳に決意を据えて、愛莉が力強く告げた。

「……最後に、なにかしたいことはある?」

「尚太と里穂に会える?」

そう訊くと、迷わずそう答えた。
愛莉は首を横に振った。

「生者は、死者には会えない。死者も生者に会ってはいけない」

「……」

俯く大輝。愛莉はそんな彼に歩み寄り、表情を柔らかくして言う。

「でも大輝くん。貴方は特別よ。直接お話はできないけど……
尚太くんと里穂ちゃんがお別れできるように、力を貸してあげる」

頼りになる言葉だった。
大輝は彼女に、"最後にしたいこと"を託すことに決めた。
 
 
 




◇児童養護施設


「『モノブライト』!」

大きな養護ホームの前で、愛莉がスタンドを発動させた。
十字架を背負った小人が愛莉の隣に現れて、楽しそうに跳ね回る。
こいつが『モノブライト』だ。

「これから貴方の分身を造り出すわ。二人のことを、強く想って」

「想うって…どうすればいいの?」

「二人に伝えたいことを、とにかく考え続けて。いいわね?」

こくりと頷いて、大輝は目を閉じた。
『モノブライト』が大輝に触れ、彼の身体の中から煙のような黒いオーラを引き出した。

『REEEE!』

可愛らしい叫びとともに、ずるりと引きずり出した黒いオーラが、一ヶ所に集中して人のかたちを形成していく。

黒いオーラは、真っ黒なもう一人の大輝と化して、本人の隣に立った。

「こ、これ……僕……!?」

スタンド使いでない人間にも、"黒い大輝"の姿は見えるようだった。
自分と瓜二つの存在が突然発生し、大輝は戸惑っていた。
"黒い大輝"は、右手に包丁を握っていた。

「ほ、包丁持ってるよ! 取り上げて!」

「それは無理なの。この姿は、大輝くんの"罪の形"。人を殺した、貴方のね」

「そんな……尚太と里穂が危ないよ」

「貴方は二人のために罪を犯した……だから二人には、危害を加えるはずがない」

「尚太くんと里穂ちゃんは、貴方の生命の全てなのだから」

そう言って、愛莉は『モノブライト』で産み出した"黒い大輝"を施設の中へ歩かせた。

「ブランコの側に、二人を呼び出してあるわ」

「3分経ったら分身を消します。さあ大輝くん、二人にお別れしましょう」

愛莉と大輝は、"黒い大輝"の後ろについて、ホームの庭を歩いた。
 
 
 




「……にい、ちゃん?」

「あっ! お兄ちゃんだ!」

真っ先に気付いたのは、次男の尚太だった。その声で土遊びの最中だった里穂も顔を上げた。

『尚太、里穂!』

大輝の代わりの、"黒い大輝"が二人に駆け寄った。
それを、愛莉と大輝は後ろから見守っている。

「にいちゃん、どこ行ってたんだよ!」

「お兄ちゃん、ここでいっぱいご飯食べれるよ! 一緒に食べよう!」

幼い弟と妹が、黒い兄の腕をそれぞれ引っ張った。
"黒い大輝"は握っていた包丁を落として、包丁はオーラに戻り霧散した。
愛莉が初めてみる光景だった。

("罪の化身"が……"罪"を手放した……)

大輝をそれを見て、ほっとしたようだった。

『ごめんな、寂しかったよな。ほんとごめん』

そう言うと"黒い大輝"は二人を抱きしめて、地面に膝をついた。
その頬に、涙の粒が筋を引いた。
涙を流すなど、"罪の化身"には考えられない現象だった。

『ご飯もちゃんと食べさせられなくて、ママに会わせられなくて、辛かったよな……ごめんな……
にいちゃんなんにもできなくて……本当にごめんな…』
 
 
 




涙ながらに謝り続ける兄に、弟と妹は戸惑いを隠せないようだった。

「いいからあそぼうよー。いまお腹いっぱいだもん」

「ダメだよ!お兄ちゃんも先にご飯食べるの!」

『はは……』

すっかり元気な二人に、"黒い大輝"が小さく笑った。

『尚太。お前はお兄ちゃんなんだから、里穂をちゃんと守るんだぞ』

「わかってるよー」

『里穂は尚太の言うことをちゃんと聞け。里穂のこと、尚太に任せるから』

「お兄ちゃんは? 一緒に暮らすんだよね??」

いつもと違う雰囲気に、真っ先に気付いたのは里穂だった。その表情に、段々と不安の色が募っていく。

『にいちゃんは、一緒には暮らせないんだ。ごめん』

「なんで!? にいちゃん、どっか行っちゃうの!?」

「やだ!お兄ちゃんと暮らす!」

『無理なんだ……。だから、二人で仲良く助け合うんだ。
にいちゃん、尚太と里穂のこと、遠くから見てるから』

「やだよ! にいちゃん、いっちゃやだ!」

「いやーー!」

大きな声でわんわんと泣き出した二人。その声を聞いて、職員が向かってくるのを感じた愛莉が、
「もう最後よ」と"黒い大輝"に告げた。

『こんなお別れでごめん。でもにいちゃん、尚太と里穂のこと、忘れないから。だからーー』

『尚太と里穂も、にいちゃんのこと、忘れないでな……』

ぽろっと最後の涙をこぼして、そう言い残し"黒い大輝"は消えた。
黒いオーラは風に乗って、さらりと遠い空に散っていった。


残されて泣きじゃくる尚太と里穂を、慌てて駆け寄った職員が抱き締める。

二人の様子見つめながら、また大輝も、二人には届かない声を上げて泣いたーー。
 
 
 




◇カフェ・ノワール


「ーーもう、いいのね?」

「うん。大丈夫。ありがとう」

間接的にお別れを告げて、愛莉と大輝は『カフェ・ノワール』に帰ってきた。
愛莉が出したコーヒーに、大輝は砂糖とミルクをたっぷり入れた。

「お姉ちゃんも、死んじゃったの?」

甘ったるいコーヒーを啜りながら、カウンターに立つ愛莉に問う。

「ええ。昔ね……悪い人に殺されてしまったの。
最初は辛かったけど、ここの仕事を任されたとき、私は嬉しかった。
同じように戸惑う魂を導くーー私が人の助けになれる、って」

「貴方はよく受け入れた方よ。自分の死をね」

頬杖をついて言った。大輝は少し照れていた。

「お姉ちゃんは……ずっとここにいるの?」

「しばらくね。まだまだ困ってる人はいるから」

そうこうしている内に、大輝がコーヒーを飲み干した。
「じゃあ、そろそろ行きましょう」と愛莉が言い、カフェの奥の扉を指差した。

「あの扉をあけて。貴方に前に進むの


「どんなところなの?」

「私も知らないの。でもきっといいところよ」

「どうして?」

「誰も戻ってこないもの」

そう言って、愛莉は優しく笑った。

大輝が立ち上がり、扉に近づいて、手をかけた。
扉を開く前に、カウンターを振り返って、大輝が最後に訊いた。

「そう言えばお姉ちゃんの名前、聞いてなかった」

「ーー神田 愛莉よ。さよなら、大輝くん」

「さよなら、愛莉姉ちゃん」

扉を開くと、暖かく眩い光がカフェを包み込んだ。
大輝のケガや衣服の汚れは綺麗になって、大輝が満足げに、笑った。


愛莉が大輝に手を振った。



光の中に歩みだして、大輝の姿は見えなくなった。
扉が閉じて、カフェを満たしていた光が消えた。


カウンターには、大輝が飲み干したコーヒーカップが一つ、静かに佇んでいた。
 
 
 




「ルールを破ったようだな、愛莉」

その後、『カフェ・ノワール』のカウンターの席で、一人の男がコーヒーを飲みながらそう言った。
髪の長い、独特の雰囲気を持つ男だった。カリスマだとか、神々しさだとか、そういう表現がよく似合った。

「人を殺めた魂は、地獄に落ちるのが決まりだ」

冷たく言い放ったその人に、愛莉が反論する。

「彼は、幼い弟たちのために全てを失いました。地獄に落ちるなんて、あまりにも救いがありません。
ここは、救いを与える場です」

「ルールはルールだ。生命のな」

飲み干したカップをかつんと置いて、その人が言う。有無を言わせぬ迫力があった。
愛莉はそれでも、自分の主張を曲げなかった。
自分のしたことは正しかったと、信じていたのだ。

「そんなルールに縛られるなら、命なんてくだらない」

愛莉が言う。
奇妙な沈黙が、二人の間に生まれた。
やがて、その人が先に口を開く。

「……まあ、いいさ」

「地獄行きですか? 私は」

空いたカップを下げて、新しいコーヒーを出しながら、その人と目を会わせずに訊いた。

「君がいなくなったら、美味いコーヒーが飲めなくなる。まだまだ働いてもらうぞ」

その人が新しいコーヒーを啜りながら、言った。

「……わかりました」

しっかりとその瞳で、その人を見据えて、力強く愛莉が答えた。
 
 
 




罪のかたちは様々だ。
罰は平等だ。
自分のために罪を犯しても、誰かのために犯してもーー罰からは逃げられない。


でも私は、そんな命は寂しいと思う。
だから、私は救えるものは救いたい。

幸せになる権利も、救われる命も。
人間は平等だと、私は信じたい。


私の名前は神田愛莉(かんだあいり)。 『カフェ・ノワール』には、責めを負う魂たちが救いを求め、やってくる。
行き場を失った悔恨が、痛みが、ここに集う。


できる範囲で、私は彼らを導き、救う。
それが、私の仕事だ。


今日もまた一つ、私の元に迷える魂がやってきた。





「ーーいらっしゃいませ」




「悔恨の行方」おわり


使用させていただいたスタンド


No.727
【スタンド名】 モノブライト
【本体】 神田 愛莉
【能力】 触れた生物の「罪」を形にして引きずり出す









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