【Side:ルッカ】
神はサイコロを振らない。
世の中で偶発的とされている事象はどれも、量子に加わるエネルギーとベクトルが妥当に作用した結果であり、それらの想定は可能である。
世の中で偶発的とされている事象はどれも、量子に加わるエネルギーとベクトルが妥当に作用した結果であり、それらの想定は可能である。
だというのに、サイエンスに想定外は未だ付き物だ。量子や脳細胞の動きを正確に予測するだけの処理能力が人の脳に備わっていないがゆえに、少なくとも感覚上においては、かくあるべき結末は確約などされていない。
ましてや、だ。星に住み着いた生命体、ラヴォスを討伐した今、次空間転移の扉となるタイムゲートは出現しない――そんな、科学的見地とも言えない予測なんて、当たるはずもなかったんだ。
「まさか、こうくるとはね。」
発明家の少女ルッカは、そんな考え事にふけっていた。ある日、突如として目の前に現れた、タイムゲートを前に。
「……どこに繋がっているのかしら。」
向かう先が分からないのなら、万全な準備を整えて向かうべきだ。だけどラヴォス討伐を果たした後、仲間たちはそれぞれ自分の時代に戻ってしまったため、呼べる仲間はクロノとマールしかいない。そしてその二人は今、新たな歩みを進めるガルディアの王位の話やら何やらで忙しい。
それに、タイムゲートがいつまで開いているのか分からないし、もしかしたら一刻を争う事態が起こっているのかもしれない。こうして自分の目の前に現れたということは、何かしらの意味があるはずだ。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、ね。いいわ、行ってやろうじゃない。」
最低限、戦闘を想定した武装と帰りのためのゲートホルダーだけを持参し、好奇心半分に飛び込んだ。もう半分は、やけっぱちだ。
タイムゲートに呑み込まれ、ぐにゃぐにゃとした時の潮流に身を任せる。向かっているのが未来なのか過去なのかも不明瞭な、出たとこ勝負の冒険だ。降り立つ先がどんな光景であれ、心の準備を十全に――なんて、できようはずもなかった。
眼前に広がる光景を前に、そのようなことを考えていた。
眼前に広がる光景を前に、そのようなことを考えていた。
「――どうして……。」
それは、かつてアリスドームで観た景色の再現――いや、それすらも塗り替えてしまうかの如き終末だった。天より降り注ぐ無数の超常が、次々に世界の景色を死の色に塗り替えていく。その中央に佇むは、確かに滅ぼしたはずの存在、ラヴォス。けたたましい咆哮を上げながら、終わりゆく世界に粛清をもたらしていた。
「ラヴォス……倒せていなかったの……? 何にせよ、すぐに戻って知らないと……」
と、バッグに携えたゲートホルダーを取り出そうとした、その時。
「……誰っ!?」
物陰からこちらの様子を伺う何者かの気配に気付く。バッグから取り出したのは、予定通りのゲートホルダーではなく、愛用の銃『ミラクルショット』。太陽石から作り上げた自作品だ。
咄嗟に銃口を向けたその先に見えたのは、少なくとも、人と呼べるものではなかった。でも魔物と呼ぶにも、違和感がある。全身が金属で構成されているそれは、生物というよりはロボットと呼称した方が感覚に近いだろう。無機的な見てくれに、ロボやゴンザレスのような重厚感あるその体躯。
だが、全身を包む結晶状の膜からは、ロボットの動力とも違う力――言うなれば、魔力を感じる。科学により造られた存在に魔力が宿らないことは、戦の神スペッキオからもお墨付きであるというのに――
――かみなりパンチ
「ッ――!」
だが、その力の正体を探る暇はない。目の前の存在――テツノカイナは、こちらを認識するや否や、雷を纏った拳を振りかざす。話し合いの余地などは、どう見ても無さそうだ。
幸い、動き自体はそれほど速くない。目視での回避が可能な範疇だ。しかし躱したことで空を切ったその一撃が大地に与えた衝撃、そしてその傷跡。一度くらえば致命傷となること請け合いのそれに、薄ら寒さを覚えずにはいられない。
「くらいなさいッ!」
咄嗟に放った2、3発の銃弾は、正確にテツノカイナの胴体に命中した。その出力に振れ幅のあるミラクルショットの弾丸であるが、幸運にもそのどれもが期待値以上。それでも――与えることのできた傷は、あまりにも浅い。意にも介していないかの如く、テツノカイナはルッカへと再び迫り来る。
(――そんな!)
それは、規格外の防御力だった。
仮にもルッカは、世界の平和を守った大英雄の一人。ラヴォスの核すらも傷付けた彼女の渾身の銃撃が、いとも容易く弾かれたのだ。
仮にもルッカは、世界の平和を守った大英雄の一人。ラヴォスの核すらも傷付けた彼女の渾身の銃撃が、いとも容易く弾かれたのだ。
そもそもテツノカイナが物理防御力に優れたポケモンであることも、ルッカが後衛的な役割を得意とすることも、関係ない。目の前に存在しているのが、数多に存在する量産型サイボーグのたったひとつ――野生のポケモンでしかないのならば、ルッカの連射を前に意にも介さず立ちはだかるなど、できようはずがない。
ルッカには知る由もないことだが、目の前にいたのは、ただの野生のテツノカイナではなかった。本来のチカラを超えて身に纏った結晶状の鉱物。それが意味するのは、パルデア地方独特の、ポケモンのタイプが変わる現象、テラスタル――などではない。次の瞬間、身体に巣食った鉱床が妖しく煌めいた。
――ジア・バレット
今や呼称する者すらも滅び果てた星に巣食うそれに、敢えて名前を付けるのであれば『ジア・カイナ』とでも呼ぼうか。かつてテツノカイナだった存在の拳から、散弾銃とも区別がつかない弾幕がルッカに向けて放たれる。鈍足のパワーアタッカーを警戒していたところに、突如として放たれた高速の弾丸。回避も間に合わず、肩を貫かれる。
「しまっ……」
予期せぬ痛みにぐらりと揺れる視界、そして一瞬だけ途切れた意識。再び覚醒したルッカが見たのは――拳を振り上げ眼前に迫る巨躯。
防御、回避、迎撃、逃走。
様々に浮かぶ選択肢の、そのどれもが手遅れだった。
様々に浮かぶ選択肢の、そのどれもが手遅れだった。
そのまま振り下ろされる質量と速度の暴力に、少女の身体は為す術もなく粉砕されるかと思われた、その直前。窮鼠が猫を噛むように、溢れ出る生存本能はひとつの択を反射的に選ばせた。
――催眠音波
手にした銃の形態を咄嗟に変化させ、至近距離からジア・カイナに浴びせる。それが弾丸による攻撃であれば、先例に同じく弾かれるに終わっていただろう。
だが、至近距離からの音波による強制命令は、テツノカイナだった頃に内蔵されたプログラムに影響を与え、その攻撃を停止する。そのまま即座の復旧も叶わず、ジア・カイナは"ねむり"状態へと陥った。
「ふぅ……助かったぁ……。」
本当に、死を覚悟した。
できることならば、襲ってきたサイボーグや、その周りに後付けされたかのように付着し、今や身体を構成する一部にまで侵食しているかに見える結晶を調べたいところだ。
できることならば、襲ってきたサイボーグや、その周りに後付けされたかのように付着し、今や身体を構成する一部にまで侵食しているかに見える結晶を調べたいところだ。
だが……死を前にしたことで植え付けられた恐怖が、一時退却を要請する。深追いせずクロノたちを連れて出直すべきだろうし、感情としてもそうしたかった。
そして、腰に下げたバッグを開く。サイボーグが目覚める前に、今度こそゲートホルダーを取り出そうと、何の気なしに開いた。
『――かわいそう。』
ドロドロと、何かがバッグの中に溶け出した。
「きゃっ……!?」
咄嗟に落としたバッグから、黒い――深淵よりも真っ黒な――ゲル状の存在が広がっていく。意図せず遠ざかっていったバッグの中のゲートホルダーに手を伸ばそうとするが、バッグの中より現れた何者かは足元に纏わりつき、ルッカの動きを封じていく。
「はっ……離し……むぐっ!?」
その存在の中に沈み込まされたルッカは、もはや声すらも発することができなくなって、必死な抵抗もむなしく、身動きを完全に封じられる。
その時、背中の方から感じたどす黒い魔力に対し、抵抗する手段は何も無かった。
その時、背中の方から感じたどす黒い魔力に対し、抵抗する手段は何も無かった。
『生き残ってしまったんだね』
『ごめんね』
『ぼくが、もっと』
『今度はちゃんと』
『苦しまずに』
――流れ込んでくる。
声にもならない、声が。
そこからは、"悪意"なんてものは、感じ取れなかった。
そこからは、"悪意"なんてものは、感じ取れなかった。
だけど、その感情は――或いは、世界すらも滅ぼせるだけの深淵を秘めていて。
背中に感じた魔力が、解き放たれる。
きっと痛みすら覚える暇もないほどに一瞬で、呆気なく。その身体は、魔力の塊によって貫かれた。
きっと痛みすら覚える暇もないほどに一瞬で、呆気なく。その身体は、魔力の塊によって貫かれた。
深く深く、意識が闇に沈んでいく。数多の走馬灯が、浮かび上がっては消えていく。
――ああ、どうか願うなら。
こんな後悔に塗れた結末を、変えてくれる誰かの元に。
こんな最後を迎えなくてもいい誰かの未来に。
この激情が、届きますように。
――こうして。
かつて時を渡り、世界を救った英雄の少女は。
何者かの強大な意思の働きによって生まれたゲートの導きのままに、ある世界の終焉と運命を共にしたのだった。
何者かの強大な意思の働きによって生まれたゲートの導きのままに、ある世界の終焉と運命を共にしたのだった。
それがルッカの最後の――そして、最期の記憶。
◆
目を覚ましたルッカは、首輪を嵌められていた。古砂夢と名乗る少女が、殺し合いの開催を宣言し、それに逆らった人たちが瞬く間に2人も死んだ。
「……ウソ。私、生きてるの?」
そんな非日常を前にしてももはや驚かないまでに、自身の死の記憶が何度も何度も反芻していた。コンマ一秒後に襲い来る痛みを理解してなお、逃れることのできない恐怖。ふと頭に手をやってみればそこに己の首があることに違和感を覚えるほどに。
「だとしても……殺し合いなんて、やるわけないでしょ。」
……と、そう言えるのは、死の恐怖がまだ脳裏にこびり付いているからだ。自ら戦いの――命の奪い合いの場に身を投じるなど、以ての外だ。
だが、そう言えるのは、殺さなければ殺されるという鬼気迫る状況に陥っていないからに他ならない。
だが、そう言えるのは、殺さなければ殺されるという鬼気迫る状況に陥っていないからに他ならない。
……いや、正確にはそんな、鬼気迫る状況なのだろう。
首元に手をやると伝ってくる、ひやりと冷たい感触。殺し合いに反抗すれば電流で殺されるという、ある種の極限状態ではあるのだ。
首元に手をやると伝ってくる、ひやりと冷たい感触。殺し合いに反抗すれば電流で殺されるという、ある種の極限状態ではあるのだ。
それでも、電流による死よりも暴力の方が恐ろしいのは、自分が現に何者かの襲撃によって死んだからか。或いは――機械による執行ならば、自前の科学力で何とかできるような気がしているからか。
(……首輪の機能を停止させることができれば、或いは。)
少なくとも、生き残りたいのなら、カエルや魔王、そしてクロノまでもを含む50人もの殺し合いに勝ち抜くよりも、遥かに現実的だと思えるし、そちらの道を選びたいとも思える。
だが、状況が何も見えてこないのが現実だ。自分の命を奪った何者かの正体は何だったのか。
その前に戦った結晶生物ともロボットとも言いがたいあの存在は、一体何だったのか。
ラヴォスを含め、あのような恐ろしい生物が複数存在するあのゲートの先の世界は、どのような歴史を辿った果てなのか。
死んだ自分が生き返らせられているのは、一体どうやったのか。
クロノ、カエル、魔王も巻き込まれているこの催しの主催者、古砂夢の狙いとは何なのか。
その前に戦った結晶生物ともロボットとも言いがたいあの存在は、一体何だったのか。
ラヴォスを含め、あのような恐ろしい生物が複数存在するあのゲートの先の世界は、どのような歴史を辿った果てなのか。
死んだ自分が生き返らせられているのは、一体どうやったのか。
クロノ、カエル、魔王も巻き込まれているこの催しの主催者、古砂夢の狙いとは何なのか。
わからないことは、たくさんある。
いつかはその謎が解明される時が来るのだろうか。
何にせよ、まずは生き延びなければ――
いつかはその謎が解明される時が来るのだろうか。
何にせよ、まずは生き延びなければ――
真実は、何もかもがまるで闇の中。
生か死か、自身の往く末すら見えない道を、少女は歩み始める。よすがに携えるは、己の死によって芽生えた確かな生への執着心、それひとつ。
生か死か、自身の往く末すら見えない道を、少女は歩み始める。よすがに携えるは、己の死によって芽生えた確かな生への執着心、それひとつ。