第一話「運が悪かったのは俺だったのかも知れない」
「イレギュラーか……」
そう呟いた俺は目の前で小銃を持ち直した。
この辺で別の人間に出会うとは予想外だった。しかも相手はまだ子供だ。
ここは泉域から少し離れた森の入り口付近。コロニーからここに来るには泉域を通る必要がある。軍用装備をしているところから考えれば、ヴラッド――コロニーの使いっぱしりのガキだろう。しかし、奇妙なのは対瘴気装備として必要なガスマスクを外して、頬の横に吊るしていたことであった。
泉域はいわば瘴気の塊、大人なら数十分で死に至る。未成年はどういうワケかは知らないが、二日程は行動できるらしい。
「おじさんも魔法使いなんだ」
「悪いな、俺はこう見えて20代だ」
――二重の意味でな。
そんな冗談を吐きながら、俺は手を天に掲げる。瞬間、頭上に大量の機関銃が現れる。現実なら地面に向かって墜落するはずのそれは、見えない力に支えられるかのようにして浮遊していた。ヴラッド殺し――貴族の連中に雇われて、ヴラッドを殺すことが俺の仕事だ。理由は知らない。知ったところで、変な情が湧くだけだし、変態貴族共の政治的な駆け引きに庶民たる俺は興味がなかった。
彼女は事前に知らされていた顔写真と適合していた。ビンゴ、飛んできた幸運だった。
「――すまないが、死んでもらう」
その言葉と同時に引き金を引く。轟音と共に弾丸が撃ち出され、少女へと向かっていく。
しかし、次の瞬間に俺の目に飛び込んできた光景は信じられないものだった。
少女の身体が一瞬光ったと思ったら、彼女の周囲に風が巻き起こっていたのだ。そして銃弾はその風に阻まれるように軌道を変えていた。まるで見えない壁があるようだった。
「へえ、面白い魔法を使うんだね」
「……お前は何者だ?」
「私はただのコロニーの使いさ。ちょっと頼まれごとをしてここまで来たんだけど、まさかこんなところで会うなんて思ってなかったよ。ねえ、名前を教えてくれないかな?私の名前はルゥナっていうの」
「…………」
「あれ、聞こえてるよね。おーい、もしもし!」
「ああ、聞こえているとも。だが、答えられない理由があってな」
「ふぅん、まあいっか。じゃあ、私、仕事があるから」
そういって少女は目の前から消えた。正確には高速移動魔法を使ったのだろう。
「ちっ、逃してしまったか。運のいい奴め」
俺は舌打ちをしながら、その場を去った。
* * *
「逃しただと?」
コロニーに戻って報告すると、依頼主である貴族が眉間にシワを寄せて、こちらを見つめてきた。
「ああ、予想とは違ってイレギュラーだとはな。イレギュラーなら先に言ってもらわねえと」
「ふん、使えない男だ。報酬はもちろん無しだ」
「病み上がりの奴に鞭を振るうとは、」目の前の男は盛大なため息をついた。
「復帰早々がこれか、ジーク」
そう、先の任務で大怪我を負って以来、長らく仕事は出来ていなかったのだ。腕は落ちていないと自負していた。しかし、取り逃がしたことは事実だった。
ジークは後ろ頭を掻いて、貴族に無言で答えた。
「全く、使えぬ男は困りものだ。この件からはお前を外すことになった」
「今日の晩飯は最後の晩餐になりそうだ」
冗談で答えたが、内心この先の生活の見立てが立たないことが心配だった。
俺たちのような地上のゴミ共はその日暮らしが大半だ。仕事をヘマすれば、生活はすぐに困窮する。
「ふん、呑気な奴め。とにかく、お前はクビだ。荷物をまとめて今すぐここから出ていけ」
その言葉を最後に、部屋を追い出された。
コロニーの廊下には、驚いたことにあの取り逃がした少女がいた。
「や、どうも。元気になったみたいじゃん。よかった、よかった」
彼女は、朗らかに笑いながら、話しかけてくる。
「お、お前……なんでここに」
「それはこっちのセリフだよ。君、ここのコロニーの人間じゃないよね。どこから来たの?」
「答える義理はない」
「そ、つれないねぇ。それじゃ、また会おうね。バイバーイ」
そういうと、さっきまで俺と貴族男が話していた部屋に入っていった。俺は閉じた扉を目を点にして見ていたが、しばらくしてさっきの貴族男が切羽詰まった形相で飛び出してきた。そりゃ、暗殺対象――しかも、イレギュラーでヴラッドの魔道士――が目の前に現れればそんな感じにもなるだろうと思っていたが、その口から出てきたのは思いも寄らない言葉だった。
「ジーク、あの娘とバディを組め」
「はぁ?」生理的に出た反応、そして間髪おかず感情的な反応が続いた。
「さっきクビを宣言して追い出したヤツに暗殺対象と組んで仕事しろだぁ?軌道上コロニーの居過ぎで、ついに頭が無重力になったか?」
この国の貴族は殆どが軌道上コロニー住まいだ。地上のコロニーに降りてくる奴らはだいたい黒っぽい特別な理由がある。それはそれとして、地上の連中はそんな貴族のことを「頭の中が無重力でたわんでる」と良くバカにしていた。
「うるさい!これは命令だ。いいから早くあの女を連れていけ!依頼主はランペンに居る、さっさと行け」
「チッ、クソったれ。分かったよ」舌打ちをしてその場を去った。
* * *
ジークは、コロニー内の移動用リフトに乗り込んだ。このコロニーは泉域の瘴気の影響を避けるために居住区域が地下にあった。仕事を受けるにはリフトで地上階に出なければならない。
一足遅れて、リフトにルゥナが入ってきた。仕返しのつもりでそっぽを向いてみせる。しばらくリフトの稼働音だけが耳に聞こえていた。
「おい、ルゥナとか言ったな」沈黙に耐えかねて、声をかける。
「んー、そうだけど。君は、なんていう名前なんだっけ」
「…………」無視してやった。
「えぇ、教えてくれてもいいじゃん。ケチー。ま、いっか。これからよろしくね、相棒さん」
「相棒になった覚えはない」「またまた、ツンデレちゃって~」
「誰がテメェなんかと……」
そこまで言って、ふと思い出したことがあった。
『ジーク、お前はこの国の貴族どもを見下しているようだが、忘れないほうがいい』
昔、親父がよく言っていたことだ。
『彼らはすべての民が教養を持てば、世界が平和になると信じている。それを目指すことを誇りにしている人たちなんだ』
確か、こんな内容だったと思う。
『だから、彼らも努力している。決して、馬鹿にしてはいけない。彼らの理想は、俺たちの目標でもあるんだからな。いつか、彼らが自分たちと同じところに来るまで耐えるのも、また、俺達の仕事だよ。ジーク、誇り高き市民になれ』
(俺は、その言葉を忘れたことはない)
ジークは振り向き、固い笑顔を作った。
「……よろしく頼む」
「うわぁ、何急に。気持ち悪いんだけどぉ」
「なんだとこのブスが」
「誰がブスじゃ、ボケ!」
「バカ!!」
「アホ!!」
無意味な罵倒の後に再び静寂が訪れた。リフトが地上階に到着して、作動音を止めたのだ。
ジークは首を掻きながら、自動的に開いたドアから外に出た。そして、後ろを振り向くことなく、こう言い放った。
「行くぞ、ルゥナ。まずは、依頼主のもとへ向かう」
第二話「」
コロニーランペンにある小さな屋敷に到着した。門番は二人とも武装しており、住んでいる者は明らかにただ者ではないことがわかる。
俺はそれを素通りして、奥にある屋敷のドアを押し開けた。
「ちょ、ちょっと待った! それって不法侵入じゃない?」
「うるさい、黙れ」
ルゥナは慌ててついてきた。
中に入ると、広いエントランスホールがあり、二階へと続く階段があった。
「誰もいないみたいだねぇ。留守かな? いや、でもさっき鍵かかってなかったよね。不用心すぎないかしら」
「おい、ヴェルディ! 出てきやがれ、酒飲みめ」
ベラベラ喋るルゥナを無視して、目当ての人物を呼ぶ。すると、天井のシャンデリアで灯された明かりの中に、一人の男が姿を現した。
「おや、これは珍しい客人ですな」
髭面の大男。年齢は40代後半といったところだろうか。仕立ての良いスーツに身を包み、貴族然とした風貌をしている。片手にはグラス、黄金色の透き通った液体に氷を浮かべている。
「あんたが、今回の依頼主とはな」
「私もびっくりですよ。ジークさんがこの依頼に関わるとは」
ルゥナは俺とヴェルディの顔を交互に見て、不思議そうな表情を浮かべた。当然だろう。相手は良い身なりの貴族で、俺は地上でハイエナのごとく生きるクズだ。接点など見つかるまい。
「どういうこと、説明してよ。あたしにもわかるようにね」
「ああ、こいつはヴェルディ・オースティア。このコロニーの評議院議長――まあ、簡単に言えば、一番偉い奴ということだ」
「私よりも偉い人はごまんと居ますがねえ」
そういって、ヴェルディは苦笑する。
「えっ、嘘!? こいつそんなすごい人だったの!?」
ルゥナが驚きの声を上げた。無理もない。軌道上では権力者など腐るほどいる。だが、この地上においては違う。コロニーの最高権力者はそのコミュニティを握っている一国の城主と言っても過言ではない。だからこそ、俺はランペンの名を聞いた瞬間こいつの顔を思い出した。そして、今ここに至るというわけだ。
「でも、なんでおじさんと知り合いなの?」
「そろそろお兄さんと言ってくれても良いんだぜ」
ヴェルディは手元にあった黄金色の液体をほんの一口飲んでから、満足気に息を吹き出しつつにんまりと上品な微笑みを顔に浮かべた。
「知り合いと言うか、命の恩人なんですよ」
「命の恩人って……本当に?」
ルゥナは俺の顔を見て、首を傾げる。ああ、そうだ。俺はこいつを殺そうとしていたんだっけか。
「いえ、本当なのです。私はあの時、泉域に迷い込んでしまいまして。そこで、ジークさんに助けられたのです。その後、私がこの街の評議会議員になった時に、協力を要請しました。以来、良好な関係を築いております。特に、私はあなたのような方が好きでしてね」
ヴェルディの言葉を聞きつつ、ルゥナの姿を改めて観察する。確かに美しい小娘ではあるが……どう考えてもこのガキがこんな上流階級の男の依頼を完遂することができるとは思えないのだが。
そもそもの話、ヴェルディがここに居ることがおかしいのだ。彼は基本的に自分の領地であるランペンを離れない。それは、彼の能力が高すぎる――クラックであるが故でもある。ヴェルディ・オースティアはあらゆる現象魔法の使い手であり、その力は強大無比にして無敵。もし彼が本気で暴れれば、都市一つ程度なら一瞬のうちに滅ぼせる。それほどの力を、ヴェルディは持っている。諸侯連合体政府すらもそれを関知していないほどにヴェルディは上手くやっていた。しかし、俺に対しては命の恩人だからといって秘密を打ち明けたのである。本当にバカだと思う。しかし、俺もバカで仁義というものを感じて誰にもこの事実は漏らしていなかった。死ぬまで漏らすこともないだろう。
「おい、あのクソ貴族に何を吹き込んだんだ?」
単刀直入に問う。あの貴族男の慌てようは異常だった。押し切られて仕事を受けたものの、未だに依頼の内容は分からないし、流れが釈然としない。
「ふむ、やはり気づきましたか。さすがですね、ジークさん。ですが、今は私の話を聞いてください。大丈夫、悪いようにはしませんよ。それに、これはあなたにとってもメリットのあることです」
そういって、彼は共立人材派遣機構の印章の付いた書類を取り出してきた。
「先日、ユミル・イドゥアム連合帝国のイドゥアム155号がヘルフォーゲル西方に墜落した事故は覚えていますね?」
「あ? ああ、例の墜落事故ってやつか」
記憶の中から、仕事仲間から又聞きしたものを思い出した。大量のヴラッドが事故の救援に駆けつけて、多くの人命が救助されたという。お涙頂戴話だと思ったものだ。そんなことをやっている暇があれば、上の連中は俺たちにもう少し夢を見せてくれても良いんじゃないか。俺は心の中で愚痴った。だが、不十分で口からも愚痴が出てきた。
「んで、お前は俺にその救助譚を語りたいってわけか?」
「いえいえ、つまらない話はするつもりはありません。命の恩人とはいえ、これはビジネスの話ですから」
ヴェルディは首を振って否定した。そして、一枚の写真を差し出した。そこには土がむき出しになったような大地が映っていた。これが一体何を指すのか、俺にはさっぱり分からなかった。
「これ、どこだよ」
「墜落現場ですよ。機体が取り除かれた後のね。ここ最近になってヴラッドの失踪事件が多発しているのです。どうやら、彼らはここで行方不明になっているらしい。そこで、我々としては調査の依頼をしたいという訳なんですよ。何者かがヴラッドを送らせて、何かを探そうとしている。そういうことかもしれません。つまり、あなた方ヴラッドの出番ということですよ。もちろん、報酬は弾みますとも。まぁ、私個人としましては、あなた方に仕事をお願いすることで信頼を得たいと思っているだけなのですが」
「なるほどねぇ……確かに、ヴラッドの仕事としてはありそうだ。ところで」
ジークは疑問に思っていたことをハッキリと口に出すことにした。
「俺はヴラッド殺しなんだがな」
「何故私があなたを選んだか、と訊きたいところでしょう?」
ヴェルディは微笑を浮かべた。
「あなたの実力を買っているのは本当です。それに、依頼の遂行の早さと正確性も評価しています。あなたは仕事に手を抜くタイプではないでしょう。そこの娘の動向さえ監視していれば良いのです」
ルゥナはジークの陰に隠れるようにして立っていた。ヴェルディを警戒しているようだ。
「分かった。引き受けよう。だが、ルゥナがどう関わっているか教えてくれないか」
「分かりました。ですが、早速現地に向かいましょう。詳しい情報は移動しながら説明しますよ。ルゥナさんも一緒に来てください。報酬は分け前半分で結構ですよ」
ルゥナとジークは互いに目配せをした。ルゥナの表情からは「大丈夫なのかこの男に任せていいのだろうか」という思いがありありと感じ取れた。ジークも同じ思いだった。しかし、断る理由も見つからなかった。
こうして、奇妙な三人組が結成された。
最終更新:2021年11月13日 02:10