ヴァンス・フリートンは、重い責務を背負いながらも、内なる葛藤に苛まれ続ける日々を送っていた。大統領としての指導力に自ら疑問を抱く瞬間は多く、そのたびに彼は自問した——私は正しい道を歩んでいるのか、と。それでも、彼を前に進ませるのは、折れることのない信念だけだった。
ある晩、彼はいつものバーではなく、人気のない公園へと足を向けた。風が木々の葉を静かに揺らし、夜空には星々が冷たく瞬いていた。古びたベンチに腰を下ろし、冷えた空気を深く吸い込むと、彼の胸に溜まった重さが一瞬だけ溶ける気がした。だが、その静寂は彼の孤独をより鮮明に映し出す鏡でもあった。
「やはり、ここにいるのね」
背後から掠れた声が響き、ヴァンスはゆっくりと振り返った。そこには、かつての秘書、エリスが立っていた。彼女の姿は月明かりに透けて淡く揺らぎ、穏やかな微笑みがその亡魂に宿っていた。彼女はもうこの世の人ではない——数年前、不慮の事故で命を落としたエリスが、なぜここにいるのか。
「なぜ……ここに?」
ヴァンスの声は震え、驚愕と懐かしさが混じり合っていた。
エリスは静かに彼の隣に腰を下ろし、かつてのように柔らかな声で答えた。「一人で悩んでいるあなたを見ていられなくて、つい来てしまったのよ。昔から、あなたがどこへ逃げても、私には分かるものだから」
ヴァンスは深い溜息をつき、膝の上で拳を握りしめた。「私は何かを間違えているのかもしれない、エリス。今や私の周りには、信用できる者などほとんどいない。私の信念に共鳴するどころか、足を引っ張り、揚げ足を取ることしか考えていない連中ばかりだ……」
彼の言葉は虚空に溶け、亡魂の彼女に届くかどうかも分からない。
エリスは首を振って、透き通った瞳で彼を見つめた。「それは違うわ、ヴァンス。あなたの言葉や行動に心を動かされた人々は確かにいる。ただ、彼らはそれを口に出せないだけなの。あなたが思うほど、あなたは一人じゃない」
ヴァンスは苦しげに目を伏せ、掠れた声で呟いた。「本当に、私は人々を幸せにしているのだろうか? この重荷を背負い続けてきたのに、何も変えられていない気がして……怖いんだ、エリス」
彼女は一瞬沈黙し、そっと彼の手元に触れようとした。だが、その指先は冷たい風のように彼をすり抜ける。「あなたは自分に厳しすぎるわ。完璧であろうとしすぎて、自分を責めてしまうのね。でも、あなたの努力は無駄じゃない。多くの人があなたを信じ、支えている。そのことを、どうか忘れないで」
その言葉に、ヴァンスの表情が一瞬緩んだ。亡魂の声は現実のものではないと分かっていても、その温もりの記憶が彼の心を包んだ。「……救われるよ、エリス。君がまだそばにいてくれるなら」
エリスは儚く微笑み、夜風に揺れる髪が月光に輝いた。「いつだってあなたの味方よ。そして、あなたの背後には、声に出さずとも支えてくれる仲間がいる。そのことを信じてあげて」
その夜、ヴァンスは亡魂との対話に奇妙な安らぎを感じた。エリスはもういないはずなのに、彼女の言葉は彼の心に深く響き、自らの信念に共鳴する者がどこかにいることを思い出させた。それは幻想かもしれない。だが、その幻想が彼に新たな決意を灯した。
夜が更ける頃、ヴァンスは公園を後にし、執務室へと戻った。木々の間を抜ける風が彼の背中を冷たく撫で、星空の下で彼の心には微かな希望が宿っていた。亡魂エリスとの再会は、暗闇の中の儚い光明だった。明日もまた、過酷な戦いが待っているだろう。それでも、彼は一人ではないという感覚を、初めて抱けた。
その夜、ヴァンスは政治の重圧から一時解き放たれ、一人の人間としての自分を取り戻した。亡魂エリスとの哀愁に満ちた会話と、静かな公園の風景が、彼の心に深く刻まれていた。未来への意志を静かに再確認しながら、彼は新たな一日を迎える準備を整えた。執務室の窓から見える夜空には、無数の星が冷たく輝き、彼を見守るように瞬いていた。だが、その中にエリスの姿はもうなかった。
最終更新:2025年01月06日 00:56