ぼろ船の航跡


第一章:稲荷丸の旅立ち

共立公暦1000年。大坂市浪速区の喧騒を背に、一隻の小型宙域貨物船が静かに浮かんでいた。全長190メートルのその船体は、かつての帝国の中小企業が誇った共立公暦410年製の遺物だ。塗装は剥げ、継ぎ接ぎだらけの外観から、誰かが親しみを込めて「ぼろ船」と呼ぶのも納得がいく。しかし、この船――「稲荷丸」――は、有限会社かげろう商会の心臓であり、魂だった。

船長室では、ディナ・ヴェリエフが操縦桿を握っていた。54歳のケルフィリア人である彼女は、不老化処理の影響で17歳の少女のような外見を保っている。赤いローブをまとった旧式ドロイドが艦橋で補助を行い、彼女の指示に従って器用に計器を操作していた。ディナは口元に笑みを浮かべながら呟く。
「無機物の人形が動いてるの、ほんと違和感スギ…でも、まあ慣れたかな」
その声に、隣に立つ阪井太平が笑い声を上げた。
「慣れるも何も、お前がこいつらを家族みたいに扱ってるからだろ」

太平は51歳の大坂生まれの男だ。商売人としての鋭い目つきと、30歳前後の若々しい外見が特徴的だった。かつて所属していた会社との連絡が途絶え、貯金を切り崩しながら途方に暮れていた頃、偶然居酒屋でディナと出会った。あの夜、二人は酒を酌み交わしながら夢を語り合い、意気投合。太平がかつて企てていた「移動販売と輸送を組み合わせた商会」のプランを打ち明け、翌日には稲荷丸を中古で購入していた。

今、かげろう商会は共立世界を飛び回る小さな企業として名を馳せつつあった。依頼がなければ大坂市で仕入れた日用品や珍品を各国で売りさばき、依頼があれば太平が交渉に飛び、ディナが稲荷丸で物資を運ぶ。二人三脚の商売は、時に荒々しく、時に滑稽だったが、彼らにはそれが心地よかった。

第二章:依頼の日々

その日、稲荷丸はユピトル学園主権連合体のアケノミヤ学区に停泊していた。太平は事務所で依頼主と交渉中だ。目の前に立つのは傭兵のジクリット・リンドブレイム。長身で鋭い目つきの男だが、かげろう商会とは古い付き合いだ。
「護衛が必要な物資輸送だ。報酬は弾むが、危険もそれなりだぞ」とジクリットが告げる。
太平は目を細めて笑った。「金になるなら、やるさ。ディナに任せとけ」
交渉が成立すると、太平は通信機でディナに連絡を取る。「おい、ぼろ船の出番だ。準備しろよ」
「あいよー」と軽い返事が返ってきた。

船内では、ディナが110体の旧式ドロイドを指揮していた。赤、黄色、緑、青――色とりどりのローブをまとったドロイドたちが、それぞれの持ち場で動き回る。設計は古いが、最新部品でアップグレードされた彼らは、意外なほど効率的に働いた。ディナはイドゥアム語で指示を出し、次に大坂弁で冗談を飛ばす。
「お前ら、動き遅いと部品交換せんでええようにバラすで!」

貨物倉庫には、ジクリットからの依頼物資が積み込まれていく。太平が戻ってくると、ディナが笑顔で迎えた。「今回は儲かるんか?」「ああ、ジクリットが太っ腹だった。ついでに割引も交渉してきたから、次は俺らがあいつに物資を多めに運ぶ番だな」「お互い様ってやつやね」とディナが頷く。二人の間には、言葉を超えた信頼があった。

稲荷丸が宙域を滑るように進む中、船内は静寂と喧騒が混在していた。貨物倉庫では青いローブのドロイドたちが物資を整理し、機関室では黄色いローブの仲間が低く唸るエンジンを監視している。艦橋では、ディナ・ヴェリエフが操縦桿を握り、赤いローブのドロイドに細かな指示を飛ばしていた。彼女の声はイドゥアム語と大坂弁が混ざり合い、独特のリズムを生み出している。
「お前ら、燃料残量ちゃんと見とけよ。途中で止まったら、ぼろ船どころかただのゴミやで」

一方、船員室では阪井太平が帳簿を広げていた。商会設立から20年近くが経ち、総資産は8億ユピトリー・ルムを超えていた。だが、彼の目は数字を追うだけではない。窓の外に広がる無限の宙域を眺めながら、太平は過去を振り返る。かつて大坂市で会社員として働いていた頃、彼は効率と利益だけを追い求めていた。しかし、会社との連絡が途絶え、貯金を切り崩す日々の中で、その虚しさに気付いた。あの居酒屋でディナと出会わなければ、彼は今も漂流していたかもしれない。

「なぁ、太平。何ぼやっとるん?」ディナの声が通信機から響き、太平は我に返る。「帳簿見てただけだ。お前、操縦に集中しろよ」「あいよー。でもさ、ここの宙域、ちょっと変やねん。気流が乱れてる気がする」「気流? お前、船長ならもっとマシな言葉使えよ」「うるさいわ! とにかく、ちょっと様子見てくるわ」

ディナが艦橋を出て機関室へ向かうと、黄色いローブのドロイドが慌ただしく動いていた。彼女は眉を寄せ、エンジンの振動を確かめる。「おかしいな…部品の損耗か?」旧式ドロイドたちの設計は古く、最新部品で補強しても限界がある。ディナは工具を手に取り、自ら調整を始めた。彼女にとって、稲荷丸は単なる道具ではなく、共に生きる存在だ。汗を拭いながら、彼女は呟く。「お前らも頑張ってんな。私らと一緒や」

その頃、太平は船員室で一枚の写真を見つめていた。それは商会設立直後に撮ったものだ。ぼろぼろの稲荷丸を背に、笑顔の自分とディナ、そしてぎこちなく並ぶドロイドたち。不老化の影響で見た目は変わらないが、あの頃の自分は今よりずっと青臭かった。金にならなきゃ意味がない――そう言い続けてきたが、本当は違う。この船と仲間たちが、彼に新たな「意味」を与えてくれたのだ。

突然、船体が大きく揺れ、太平は椅子から転げ落ちた。「何だ!?」通信機に飛びつくと、ディナの声が響く。「エンジンやばい! 緊急停止するで!」「お前、ちゃんと管理してたんじゃないのかよ!」「文句は後や! 今は助けに来い!」

太平が機関室に駆けつけると、ディナがドロイドたちと必死に修理に当たっていた。火花が散り、油の匂いが立ち込める中、二人は息を合わせて作業を進める。やがてエンジンが再起動し、船は安定を取り戻した。息を切らしながら、太平が笑う。「お前、やっぱ船長だな」「当たり前やろ。私がいなけりゃ、このぼろ船、ただの鉄クズやで」二人は顔を見合わせ、疲れも忘れて笑い合った。

終章:未来への航路

エンジン騒動から数日後、稲荷丸は次の目的地に向けて航行を続けていた。艦橋ではディナが星図を眺め、太平が隣で依頼書を確認している。110体のドロイドたちはそれぞれの持ち場で黙々と働き、船内は穏やかな空気に包まれていた。

「なぁ、太平。次はどこ行くん?」ディナがふと尋ねる。太平は依頼書を手に笑った。「金になる場所ならどこでもいいさ。ジクリットからまた連絡あったぞ。護衛付きの輸送だ」「ほな、帝都まで行ってみるか? ついでに私の実家寄ってもええし」「お前ん家の親戚か? やめとけ、金貸せって言われるぞ」「あはは、それもそうやな。でも、たまには故郷の空気吸いたいわ」

その言葉に、太平は少し考える。ディナが帝国の下級貴族出身であることは知っていたが、彼女が故郷を懐かしむ姿は珍しい。「…じゃあ、帝都でもいいさ。ついでに珍しい物でも仕入れて売るか」「おっ、商売人らしいな。決まりやね」

二人の会話が途切れると、太平は窓の外を見た。無数の星が瞬き、稲荷丸はその間を縫うように進む。ふと、彼は口を開く。「なぁ、ディナ。お前と出会ってなかったら、俺、どうなってたと思う?」「んー、たぶん大坂でぼーっと酒飲んでたんちゃう?」「はっ、確かにそれっぽいな。お前は?」「私か…貨物船乗り続けて、どっかで燃え尽きてたかもな。このぼろ船と一緒で」

二人は顔を見合わせ、静かに笑った。その笑顔には、長い年月を共にした絆と、互いへの信頼が宿っていた。ディナが操縦桿を握り直し、言う。「まぁ、過去はええわ。これからも稼いで、生きていくで」「ああ、そうだな。金にならなきゃ意味がない――なんてな。実はお前らと飛んでるだけで、俺には十分だよ」

その言葉に、ディナが目を丸くして太平を見る。「なんや、急にしんみりして。お前らしくないで」「うるせぇ、忘れろ!」太平が照れ隠しに声を荒げると、ディナは腹を抱えて笑った。船内に響く笑い声に、緑のローブの給仕ドロイドがコーヒーを持ってくる。二人はそれを受け取り、星空を見ながら杯を傾けた。

稲荷丸は今日も宙域を翔け続ける。ぼろ船と呼ばれようと、そこには二人の夢と、ドロイドたちの静かな鼓動があった。そして、その航路はまだまだ終わりを迎えない――未来へと続く果てしない旅路だった。

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最終更新:2025年03月24日 23:43