巡りゆく星たちの中で > ラヴァンジェ諸侯連合体・計略的現前

ピースギア?」

 鈴のなるような声が部屋に響いた。その声色には聞いたことのない語句に対する疑問があり、先を続けて欲しいという希望を言外に示していた。
 この部屋は四方がシンプルかつシックなデザインで設計されている部屋であり、当のその声を発した国家代表――フラウ=ドゥーントフォーント・フェトリーンドのための執務室としてこしらえられている場所であった。
 彼女は初耳の言葉を吟味するように、灰色の髪の先を弄びながら、視線を窓の外の空に移した。そして、その空の先、宇宙の先に居る「彼ら」に思いを馳せるように目を細めた。

 ラヴァンジェ諸侯連合体はいわば辺境の国家であり、外交活動自体もそれほど活発ではない「引きこもり国家」だと言われていた。この自己認識が事故を起こした結果、悲惨な結末を幾つも残した転移者戦争に繋がった。戦後の悔悟により、多くの貴族がその責任を追求され、改革が進められたこの7世紀において「ピースギア」が共立世界に現れたことに関心を抱かない外交筋の人間は居ないわけがなかった。
 フラウにその詳細を伝えた青年――イヴァリグ・アゲルセイもその一人である。彼は外務卿ヴィヤンタート公の忠実な部下であり、ラヴァンジェ政府内で新機軸外交を担当する今世紀最も成長していると言ってもいい部門「国際開発局」の一級書記官を担っていた。
 フラウと彼の間、テーブルの平面上にはイヴァリグが隠しきれない興奮をぶち撒けたかのように数多くの書類が並べられていた。クエーサー研究、新発見の鉱石、そして従来型よりも効率的な技術、何と言っても友好的な接触であったことは様々な記事に情緒たっぷりに書き上げられている。

 ただ、フラウの水色の眼はそれを一瞥してなお深い興味を抱いていないようだった。
 イヴァリグはこのチャンスをみすみす逃すわけにはいかないと考えていた。

「これだけ様々な条件が提示されているのですから、もう少し積極的な外交展開を狙ってもよろしいかと思いますが……」
「もちろん」

 フラウは髪の先を弄ぶのを止めて、彼の瞳に焦点を合わせた。
 急に視線を向けられて、イヴァリグは少し気恥ずかしい思いをしていたが、その視線をしっかりと受け止めていた。

「この件は魅力的ですが、我が国は転移者戦争の戦後処理と政府改革の途上にあります。外交の新機軸は重要な観点ですが、より重要なのは国民を護れない、秩序を統制出来ない軍隊とそれを率いる貴族の構造を改革することです。なので、予定されている会談は比較的短時間で交渉をまとめようかと」
「――っ!?」

 いきなり背筋に鉄芯を差し込まれたかのように狼狽えたのは、イヴァリグだった。それを悟られないように咳払いをするが、その先の静寂はむしろ彼女のほうが「一手先」を行っていることを強調するだけだった。
 その様子をフラウはただ静かに、人畜無害そうな微笑みで見つめる。彼女はティーカップを持ち上げると、左手でその側面を撫でつけた。

◆ ◆ ◆

――APSコロニー第27セクター・外務卿事務公館

 その建物は政府機関の中枢が集中する町の外れにある。天を仰ぐ高さのガラス張りの建物は陰り気味の陽光を浴びて、その側面を銀扇草のように輝かせていた。
 この無味乾燥とした近代的ビルは、ラヴァンジェを諸侯連合として成立させている六大公のうち、ヴィヤンタート公が統べる「外務行政」を担う中心である。そこに務めるだけでも、ラヴァンジェの貴族の中では指折り数えるほどの家柄であろうというのに、それを見上げる青年――イヴァリグは深い溜め息をついていた。

 警備に身分証を確認してもらい、入構する。手荷物検査を終えて、職員専用エレベーターで向かうのは、31階にある「国際開発局」のオフィスだった。
 足を運んだ先で待っていた白髪混じりの局長は自席で紅茶を飲んでいた。彼は吉報を期待したような顔をイヴァリグに向けたが、その覇気の無さに気づいて片眉を下げた。

「どうしたんだい、そんな顔で戻ってきて。フラウ代表に怒られでもしたかい」
「バレてましたよ」

 局長は顎をさすりながら、要領を得ないといった様子でイヴァリグを見つめた。そんな局長の平和ボケには付き合ってられないと彼は先を続ける。

「我々が先行して進めていた『ピースギア』との接触についてですが、フラウ代表に情報が漏れていました。会談の予定まであちらに筒抜けになっているようで」

 やっと事態の重大さに気付いたのか、局長は明らかに挙動不審な様子で立ち上がった。

「一体誰が、統合侯統府か?」
「分かりません、所定通り情報を伝えたところ、知らないはずのことを喋り始めたので――」
「いい、それ以上は喋るな。とにかく、私は外務卿と話をする」

 急いで荷物をまとめ始めた局長は外行きのために上着を取って、足早にその場を去ろうとした。オフィスの入口で彼は何か後ろ髪を惹かれたようで、イヴァリグの方を振り返って、口を数回酸欠の金魚のように開け閉めしたあと、喉の奥から絞り出すように言った。

「もしこのことがバレれば、私達も彼女の『粛清』に巻き込まれることになる」
最終更新:2025年07月14日 00:57