室内は薄暗い。
すべてのブラインドは下ろされ、非常灯の橙色の光だけが会議卓を鈍く照らしている。
壁際には封鎖中のモニター端末が沈黙し、卓上には紙の報告書と旧型データパッドが一台だけ置かれていた。
意図的に切り離された空間だ。
静寂を裂くように、ドアがわずかに開く。
ブーツの音が一歩、床を打った。
イズモ「……なんで、あいつなんだ。綾音」
綾音はすでに席に着いていた。
手元のファイルを閉じ、しばらく視線を落としたまま答えない。
綾音「技術適性。言語能力。外交耐性。現地理解。」
「それに……かつての反体制的視点。」
イズモ「それは書類の話だ。」
「俺たちが向き合ってるのは、“あの夜”だろ。」
声は低いが、刃のように鋭かった。
綾音は一瞬だけ唇を噛み、視線を逸らす。
綾音「……彼は誰も殺していない。部下にもそう命じていた。」
「それで全てが許されるとは言わない。でも――」
イズモ「止めようとしたんだ。」
「
ピースギアそのものを。俺たちが積み上げてきた全部を。」
綾音は立ち上がり、ブラインド越しの夜空を見る。
衛星軌道上に停泊する艦影が、かすかに光っていた。
綾音「ピースギアが歪んでいたのも事実よ。」
「それに最初に気づいて叫んだのが、彼だった。」
イズモ「叫ぶだけなら、中央制御区画に踏み込む必要はなかった。」
綾音「……彼は信じてた。誰かが動けば、全体が揺らぐって。」
沈黙。
遠くでモニターが一瞬だけ起動音を立て、すぐに消える。
イズモ「責任を取る気はあるのか。」
綾音「派遣リストに、私の名前はないわ。」
イズモ「それでも世間は知る。」
「SIC-02の首謀者が、君の推薦で送られたってな。」
綾音「いいの。」
「彼が“次”を見て変われるなら。」
イズモ「もし、また――」
綾音「その時は私が止める。」
「次は、誰にも血を流させない。」
イズモは視線を落とし、静かに椅子に腰を下ろす。
イズモ「……俺は鈍かった。」
綾音「皆、あの歪みから目を逸らしてた。」
イズモはデータパッドを手に取り、人物ファイルを見つめる。
トーマ・ライネル。
イズモ「信じる権利くらいは……与えてもいいか。」
綾音「ありがとう。」
時計が午前二時を告げる。
綾音「派遣は決定よ。今夜出発。」
イズモ「監視体制は。」
綾音「連邦側オブザーバー二名。こちらからは特殊通信班一名。」
イズモ「徹底してるな。」
綾音「私たちは、まだ罪の上を歩いている。」
――ピースギア司令部・中央発着デッキ。
夜のデッキは張り詰めていた。
共立公歴602年の星々が冷たく輝き、転移ポータルが青白く揺れる。
十三名の派遣職員が整列する中、トーマ・ライネルは静かに立っていた。
トーマ「ピースギア防衛統制班所属、トーマ・ライネル。」
「共同派遣団として任務に就きます。」
イズモ「帰ってくる時、同じ名前とは限らない。」
トーマ「それでも、名乗る意味があると信じています。」
綾音「転移まで120秒。」
「あなたたち自身が、ピースギアの顔になる。」
蒼白い光が強まり、輪郭が溶ける。
綾音「……誇りを持って、見てきて。」
閃光。
無音の白がすべてを包み、やがて消えた。
数分後。
司令部応接フロア。
イズモ「……胃が痛いな。」
綾音「選んだのは私。」
「彼らを交換材料にはしない。」
イズモ「トーマは静かすぎる。」
綾音「壊されなかった者の目をしてる。」
通信ランプが点灯する。
オペレーター「全員、無事に転移完了。」
二人は言葉なく頷いた。
夜空に残るポータルの残光は、航路でも星でもない。
誰かが未来へ踏み出した、その痕跡だけが、静かに滲んでいた。
最終更新:2025年12月16日 21:10