第583話:意志葬送(後編) 作:◆5Mp/UnDTiI
◇◇◇
闇色の海に、炭の如き黒色が浮いていた。
それはかつて誉あるものだった。尽き果てぬ篝火。だがいまは、闇にまぎれてしまうほどの価値しかない。
すでにそれは天壌の劫火ではない。燃え尽きた灰。堕天した劫火。
そんな言葉がお似合いだろう。本来なら似合うはずのなかった自嘲を、アラストールは繰り返していた。
そう。すでに自分は天壌の劫火ではない。紅世の王を名乗る資格などとうに失った。
『我は、最悪か』
その身を汚され、フレイムヘイズを否定された愛しき子。彼女でさえ最後まで戦い抜いたというのに。
対して自分はどうだ? こうしてなにもしないまま暗い空間を漂っている。
だけど、もうどうしようもないではないか。
存在の力をほとんど使い果たし、意思の強さでさえ敗北した。
罵られてもかまわない。だが、何もできないのに何を求められるというのだろう?
思考は停止し、アラストールは沈んでいく。無思考のまま、ただ黒いだけの場所に堕ちていく。
――だから、すぐその足音に気づくことができた。
この地面すらない闇の中、だが規則正しいリズムで刻まれる音が確かに響いている。
そして近づいてきた音の主は、横たわるアラストールをじっと見つめた。
もはや、何にも興味はわかない――だから力なく、アラストールはそれをみて一番最初に思いついた単語を口にした。
『……死神か』
「――失礼ね。あんなモノと一緒にしないで欲しいわ」
女学生の制服を着たそれは不満げな声音で、だが無表情のまま抗議する。
『だが我は貴様の名を知らぬ』
「名前、ね。私はもう死んでしまったモノだし、本当は無意味なんでしょうけど」
『呼ぶのには不便だろう』
「――ああ、そういえば彼にも言われたわね。なら、イマジネーターと。ねえ――燻っている劫火さん」
さりげなく、だが刃のごとく突き出された言葉は、アラストールの深奥に突き刺さった。
だけど、それを痛みとして感じる部分はとうに失っている。
結果としてアラストールは沈黙するしかなかった。
ただ、時間だけが流れていく。
『……』
「それ以上落ちれば、本当に戻れなくなるけれど?」
『……戻るとは、どこへだ?』
「どこへだっていけるでしょう。
貴方はまだ死んでいないのだし、私のように地面に叩きつけられる運命にあるわけでもないのだから」
『……まだ、死んでいない?』
胡乱げに、繰り返す。
もはや言葉の意味を解するのも億劫なほど、アラストールは疲れ果てていた。
それでも放棄せず、少しずつ噛み砕いて飲み込もうとしたのは、彼の性分がまだ多少なりとも生きていたからだろう。
死んで、いない。確かに、アラストールという存在はいまだここにある。
存在の力は九割方使い果たしてしまったが、それでもまだ、顕現は続いている。
そう――いまの自分は、そんな状態でしかない。
アラストールには、そのイマジネーターの名乗った者の言葉が皮肉のように聞こえていた。
死んでいない――だからどうしたというのだ。
くつくつと、消えた炎は死んだ笑いを響かせる。
『未だこの身が滅んでいないとはいえ、それでどうなるというわけではなかろうよ。
何も成せない。何もできない――ならば、その生にどんな意味があるというのだ』
「私に死を講釈するの?」
『そのようなつもりはない。だが、放っておいてはくれまいか?』
「お断りするわ。私は、私の意思でここまでやってきた。
聞きたくないのなら耳を塞げばいいでしょう。もっとも、いまの貴方にはそんな力もないでしょうけど」
ああ、確かにそんなわずかな力さえない。
だから、侮蔑するようなその言葉にも怒りはわかない。
それでも――負け惜しみを吐くことくらいはできた。
『意思――意志か。だが、我はそれすら奪われた。完膚なきまでにたたき折られた。
貴様にはあるのか? 意志を奪われたことがあるのか?』
「私は死神に殺されたわ」
『だがここにいる。我と相対して言葉を交わしている。それならば意志はまだあるのだろう』
「なら、貴方だって話しているわね。それは心があるっていうことになるの?」
『我は――流されているだけだ。貴様が話さねば、我もまた口を開くまい』
会話が途切れた。
言葉の応酬を放棄したのはイマジネーター。彼女が口を閉ざせば、確かにアラストールも沈黙した。
だが彼女がそれをしたのは、別にそれを確認する為という訳ではない。
その台詞を聞いた途端、少女はとても詰まらなそうな顔になっていた。
それはまるで、懸命になってあけようとしていた宝箱の中身がただのガラクタだとわかったかのような――
「貴方の言う意志っていうのは、こうして他愛もない戯言を話す程度のこと?」
なぜだろう。それを言う彼女は、とても怒っているように見えた。
『なに――を?』
「戯言ならば誰にだって吐ける。こんな幽霊にだって、死神にだって。ええ、それこそ死人にだって紡げるわ」
表情に変化はない。どこまでも達観しているかのような、冷めた少女の顔に変わりはない。
だけど、違っていた。雰囲気とでもいえばいいのか――とにかく、彼女の何かが変わっていた。
「確かに貴方は負けてしまった。求めるために生まれた精霊の願いには、他のどんな願いも敵わない。
だけど、たったそれだけのことじゃない」
『たったそれだけ……だと?』
この絶望が……たった、それだけのこと?
どれほど望んでも、決して届かぬと突きつけられた。
結んだ約定は、粉々に引き裂かれた。
『そして今では、もはや戦おうとしてもそのための力すらない――それが、たったそれだけのことだというのか!』
「……私が何を言っても、貴方は聞かないんでしょうね」
どこか諦めたように、少女は溜息をつく。
そして、右腕を気だるそうにゆっくりと持ち上げた。
指先はアラストールを向いている。
「そうね、貴方はさっき私を死神と呼んだ。
そう呼ばれるのは癪以外の何者でもないのだけれど、貴方にとっては確かにそうなのかもしれない」
彼女の名はイマジネーター。
能力名はストレンジ・デイズ。死を制御する力。
「だから、貴方に死をあげるわ」
黒から別の黒へ。闇から別の闇へ。暗転ではない暗転。
こういう場合はなんというのだろうという胡乱な思考を道連れに、アラストールの意識は再度途切れた。
それはかつて誉あるものだった。尽き果てぬ篝火。だがいまは、闇にまぎれてしまうほどの価値しかない。
すでにそれは天壌の劫火ではない。燃え尽きた灰。堕天した劫火。
そんな言葉がお似合いだろう。本来なら似合うはずのなかった自嘲を、アラストールは繰り返していた。
そう。すでに自分は天壌の劫火ではない。紅世の王を名乗る資格などとうに失った。
『我は、最悪か』
その身を汚され、フレイムヘイズを否定された愛しき子。彼女でさえ最後まで戦い抜いたというのに。
対して自分はどうだ? こうしてなにもしないまま暗い空間を漂っている。
だけど、もうどうしようもないではないか。
存在の力をほとんど使い果たし、意思の強さでさえ敗北した。
罵られてもかまわない。だが、何もできないのに何を求められるというのだろう?
思考は停止し、アラストールは沈んでいく。無思考のまま、ただ黒いだけの場所に堕ちていく。
――だから、すぐその足音に気づくことができた。
この地面すらない闇の中、だが規則正しいリズムで刻まれる音が確かに響いている。
そして近づいてきた音の主は、横たわるアラストールをじっと見つめた。
もはや、何にも興味はわかない――だから力なく、アラストールはそれをみて一番最初に思いついた単語を口にした。
『……死神か』
「――失礼ね。あんなモノと一緒にしないで欲しいわ」
女学生の制服を着たそれは不満げな声音で、だが無表情のまま抗議する。
『だが我は貴様の名を知らぬ』
「名前、ね。私はもう死んでしまったモノだし、本当は無意味なんでしょうけど」
『呼ぶのには不便だろう』
「――ああ、そういえば彼にも言われたわね。なら、イマジネーターと。ねえ――燻っている劫火さん」
さりげなく、だが刃のごとく突き出された言葉は、アラストールの深奥に突き刺さった。
だけど、それを痛みとして感じる部分はとうに失っている。
結果としてアラストールは沈黙するしかなかった。
ただ、時間だけが流れていく。
『……』
「それ以上落ちれば、本当に戻れなくなるけれど?」
『……戻るとは、どこへだ?』
「どこへだっていけるでしょう。
貴方はまだ死んでいないのだし、私のように地面に叩きつけられる運命にあるわけでもないのだから」
『……まだ、死んでいない?』
胡乱げに、繰り返す。
もはや言葉の意味を解するのも億劫なほど、アラストールは疲れ果てていた。
それでも放棄せず、少しずつ噛み砕いて飲み込もうとしたのは、彼の性分がまだ多少なりとも生きていたからだろう。
死んで、いない。確かに、アラストールという存在はいまだここにある。
存在の力は九割方使い果たしてしまったが、それでもまだ、顕現は続いている。
そう――いまの自分は、そんな状態でしかない。
アラストールには、そのイマジネーターの名乗った者の言葉が皮肉のように聞こえていた。
死んでいない――だからどうしたというのだ。
くつくつと、消えた炎は死んだ笑いを響かせる。
『未だこの身が滅んでいないとはいえ、それでどうなるというわけではなかろうよ。
何も成せない。何もできない――ならば、その生にどんな意味があるというのだ』
「私に死を講釈するの?」
『そのようなつもりはない。だが、放っておいてはくれまいか?』
「お断りするわ。私は、私の意思でここまでやってきた。
聞きたくないのなら耳を塞げばいいでしょう。もっとも、いまの貴方にはそんな力もないでしょうけど」
ああ、確かにそんなわずかな力さえない。
だから、侮蔑するようなその言葉にも怒りはわかない。
それでも――負け惜しみを吐くことくらいはできた。
『意思――意志か。だが、我はそれすら奪われた。完膚なきまでにたたき折られた。
貴様にはあるのか? 意志を奪われたことがあるのか?』
「私は死神に殺されたわ」
『だがここにいる。我と相対して言葉を交わしている。それならば意志はまだあるのだろう』
「なら、貴方だって話しているわね。それは心があるっていうことになるの?」
『我は――流されているだけだ。貴様が話さねば、我もまた口を開くまい』
会話が途切れた。
言葉の応酬を放棄したのはイマジネーター。彼女が口を閉ざせば、確かにアラストールも沈黙した。
だが彼女がそれをしたのは、別にそれを確認する為という訳ではない。
その台詞を聞いた途端、少女はとても詰まらなそうな顔になっていた。
それはまるで、懸命になってあけようとしていた宝箱の中身がただのガラクタだとわかったかのような――
「貴方の言う意志っていうのは、こうして他愛もない戯言を話す程度のこと?」
なぜだろう。それを言う彼女は、とても怒っているように見えた。
『なに――を?』
「戯言ならば誰にだって吐ける。こんな幽霊にだって、死神にだって。ええ、それこそ死人にだって紡げるわ」
表情に変化はない。どこまでも達観しているかのような、冷めた少女の顔に変わりはない。
だけど、違っていた。雰囲気とでもいえばいいのか――とにかく、彼女の何かが変わっていた。
「確かに貴方は負けてしまった。求めるために生まれた精霊の願いには、他のどんな願いも敵わない。
だけど、たったそれだけのことじゃない」
『たったそれだけ……だと?』
この絶望が……たった、それだけのこと?
どれほど望んでも、決して届かぬと突きつけられた。
結んだ約定は、粉々に引き裂かれた。
『そして今では、もはや戦おうとしてもそのための力すらない――それが、たったそれだけのことだというのか!』
「……私が何を言っても、貴方は聞かないんでしょうね」
どこか諦めたように、少女は溜息をつく。
そして、右腕を気だるそうにゆっくりと持ち上げた。
指先はアラストールを向いている。
「そうね、貴方はさっき私を死神と呼んだ。
そう呼ばれるのは癪以外の何者でもないのだけれど、貴方にとっては確かにそうなのかもしれない」
彼女の名はイマジネーター。
能力名はストレンジ・デイズ。死を制御する力。
「だから、貴方に死をあげるわ」
黒から別の黒へ。闇から別の闇へ。暗転ではない暗転。
こういう場合はなんというのだろうという胡乱な思考を道連れに、アラストールの意識は再度途切れた。
◇◇◇
ふらり、ふらりと。
海野千絵は濛々と煙を吐くマンションを背に歩いていく。
行き先なんて知らない。それでもあの吸血鬼に会うために、無計画に足を動かした。
時刻は零時を回ったところ。
死者を告げる放送が、彼女を追い討ちした。
『117番、ダナティア・アリール・アンクルージュ――』
次々と呼ばれていく、知っている名前。
ああ――自分の仲間達は死んでしまった。
しょうがないんだ。彼女は自分に言い聞かせるように独りごちた。
これは殺し合い。みんな殺し合うなら、誰も生き残れるはずなんかないんだ。
だから、私も殺しあわなくちゃ。
歪んだ思考は止まらない。歪みは自動で矯正されない。
どこまでも歪んでゆく。重さに耐え切れなくなった鉄骨のように、曲がり始めたらそれでお終い。
罪悪感と言う自重により、彼女は勝手にどんどん歪んでいく。
『――以上だ。それでは二日目を楽しんでくれたまえ』
ブツリと、そこで放送は終了した。
海野千絵が辿る未来は分かり切っている。
きっと彼女は吸血鬼になるまで歪み続けるだろう。
しかし、あるいは――
海野千絵は濛々と煙を吐くマンションを背に歩いていく。
行き先なんて知らない。それでもあの吸血鬼に会うために、無計画に足を動かした。
時刻は零時を回ったところ。
死者を告げる放送が、彼女を追い討ちした。
『117番、ダナティア・アリール・アンクルージュ――』
次々と呼ばれていく、知っている名前。
ああ――自分の仲間達は死んでしまった。
しょうがないんだ。彼女は自分に言い聞かせるように独りごちた。
これは殺し合い。みんな殺し合うなら、誰も生き残れるはずなんかないんだ。
だから、私も殺しあわなくちゃ。
歪んだ思考は止まらない。歪みは自動で矯正されない。
どこまでも歪んでゆく。重さに耐え切れなくなった鉄骨のように、曲がり始めたらそれでお終い。
罪悪感と言う自重により、彼女は勝手にどんどん歪んでいく。
『――以上だ。それでは二日目を楽しんでくれたまえ』
ブツリと、そこで放送は終了した。
海野千絵が辿る未来は分かり切っている。
きっと彼女は吸血鬼になるまで歪み続けるだろう。
しかし、あるいは――
響く、通電する音。軽いハウリング。
――救いが彼女を押しとどめるかもしれない。
◇◇◇
それはさながら古いビデオテープだった。
まず映像が荒い。場所によっては完全に飛んでしまっている。
音質も最悪だった。途切れ途切れの、薄っぺらい擦り切れた音声。
きっとこれは経年劣化ではなく、録音環境が――あるいは録画した人物に何か問題があったのだろう。そんな拙さだ。
それでも、それは健気に己の本分を――過去を伝える役割を果たそうとしていた。
ビデオが再生されていく。
「ああ、本当に――とても残念だ」
誰だか判別できない程ピンボケした像が、誰だとも区別できないような金切り声でそれを告げた。
像が動く。何かを投げた。
瞬間、赤く染まる画面。
「ぐああああああああああああっ!?」
苦鳴。悲鳴。絶叫。
録画・再生の状態が劣悪でも、そこに込められた苦痛は理解できた。
動く赤。人型の赤。
それが、人間が燃えている様なのだということは一目瞭然だった。
生きたまま焼かれる苦痛とはどのようなものなのだろうか。
経験者は語ってくれない。死者は口を開かない。
だが、その人型は幾度も幾度もそれを体験した。
気が狂うほどの痛痒。全身を余すところ無く火傷が覆う。
水ぶくれがはじけ、剥き出しの筋肉をさらに火が舐め、皮膚が再生して再び水疱を膨らませる。
慶滋保胤。
それは最後まで意地を貫いた、一人の男の死に様だった。
擦り切れた磁気テープがキュルキュルと回り、世界を映す。
録画されたのは紛うこと無き死の記録。凄惨な焼死の映像。
だが、それだけではない。これはただ人が焼け死ぬ様を映すものではない。
炎を纏う人影が身動ぎし、そばにあった拡声器を掴む。ほとんど炭化した指がスイッチを押し込んだ。
指だったものはベギリと嫌な音を立ててへし折れたが、それでも無理やり突起を押さえて放さない。
マイクに口を近づけようとする。が、すでに腕の関節は動かなかった。神経が途切れたのか、腱が焦げたのか。
仕方無しに、それはもぞもぞと這いずって口のほうを拡声器に近づけた。
それはもはやほとんど炭だった。生きているのは単に『不死の酒』の効果に過ぎない。
外見は立派な焼死体だ。もう誰が見ても生前の彼だとは分からないだろう。
残っているのは骨と僅かな内臓器官、そしてぎらついた輝きを発する両眼のみ。
それらも灼熱の外気を吸い込むことで、すぐに蝕まれていった。
肺を犯す熱気。タバコなどよりもよっぽど直接的な有害に咽そうになりながらも、決してそれを許さない。
息を吐いてしまったら、言葉が紡げない。
だから、歯を食いしばって耐えていた。流せる血が残っていたのなら、全て流していただろう。
残す言葉は一言だけだ。刻印解除のヒントでもなければ、勝利するための方法でもない。
誰の助けにもならないのかもしれない。ただ虚しく夜空に紛れて消えるだけの声になるのかもしれない。
それでも、これが最も必要なことであると確信できた。
吐息も、意志も、全て注ぎ込んで。
彼は、宣言した。
まず映像が荒い。場所によっては完全に飛んでしまっている。
音質も最悪だった。途切れ途切れの、薄っぺらい擦り切れた音声。
きっとこれは経年劣化ではなく、録音環境が――あるいは録画した人物に何か問題があったのだろう。そんな拙さだ。
それでも、それは健気に己の本分を――過去を伝える役割を果たそうとしていた。
ビデオが再生されていく。
「ああ、本当に――とても残念だ」
誰だか判別できない程ピンボケした像が、誰だとも区別できないような金切り声でそれを告げた。
像が動く。何かを投げた。
瞬間、赤く染まる画面。
「ぐああああああああああああっ!?」
苦鳴。悲鳴。絶叫。
録画・再生の状態が劣悪でも、そこに込められた苦痛は理解できた。
動く赤。人型の赤。
それが、人間が燃えている様なのだということは一目瞭然だった。
生きたまま焼かれる苦痛とはどのようなものなのだろうか。
経験者は語ってくれない。死者は口を開かない。
だが、その人型は幾度も幾度もそれを体験した。
気が狂うほどの痛痒。全身を余すところ無く火傷が覆う。
水ぶくれがはじけ、剥き出しの筋肉をさらに火が舐め、皮膚が再生して再び水疱を膨らませる。
慶滋保胤。
それは最後まで意地を貫いた、一人の男の死に様だった。
擦り切れた磁気テープがキュルキュルと回り、世界を映す。
録画されたのは紛うこと無き死の記録。凄惨な焼死の映像。
だが、それだけではない。これはただ人が焼け死ぬ様を映すものではない。
炎を纏う人影が身動ぎし、そばにあった拡声器を掴む。ほとんど炭化した指がスイッチを押し込んだ。
指だったものはベギリと嫌な音を立ててへし折れたが、それでも無理やり突起を押さえて放さない。
マイクに口を近づけようとする。が、すでに腕の関節は動かなかった。神経が途切れたのか、腱が焦げたのか。
仕方無しに、それはもぞもぞと這いずって口のほうを拡声器に近づけた。
それはもはやほとんど炭だった。生きているのは単に『不死の酒』の効果に過ぎない。
外見は立派な焼死体だ。もう誰が見ても生前の彼だとは分からないだろう。
残っているのは骨と僅かな内臓器官、そしてぎらついた輝きを発する両眼のみ。
それらも灼熱の外気を吸い込むことで、すぐに蝕まれていった。
肺を犯す熱気。タバコなどよりもよっぽど直接的な有害に咽そうになりながらも、決してそれを許さない。
息を吐いてしまったら、言葉が紡げない。
だから、歯を食いしばって耐えていた。流せる血が残っていたのなら、全て流していただろう。
残す言葉は一言だけだ。刻印解除のヒントでもなければ、勝利するための方法でもない。
誰の助けにもならないのかもしれない。ただ虚しく夜空に紛れて消えるだけの声になるのかもしれない。
それでも、これが最も必要なことであると確信できた。
吐息も、意志も、全て注ぎ込んで。
彼は、宣言した。
「継がれる意志がある限り、僕らの道は絶たれない!」
◇◇◇
意識が明転する。そこは相変わらず黒い空間でしかなかったが。
「いま、のは――?」
何も変わりはしない。
アラストールの前にはつまらなそうな顔をしたイマジネーターが佇んでいて、彼の顕現を支える存在の力は雀の涙ほどしかない。
状況は、何も変わらない。だけど――
「だから、『死』よ。貴方にいま一番必要だったものでしょう?」
――アラストールは、知ることができた。
慶滋保胤。彼の最期は凄絶だった。
おとなしく死ななければならない状況を強いられ、仮初の不死故に下手な拷問よりも辛い苦痛の中で散った。
だけど、彼は告げたのだ。
仲間達がまだ在ることを信じて。彼は最後まで抗うことを忘れなかった。
「我は……」
対して自分はどうだ?
これは、身じろぎもせずに死なねばらない状況か?
自分は、抵抗しているか?
自分は、まだ仲間のことを覚えていたか――?
「我は……!」
答えは全て否だ。
あの闇の中で何もかもを諦めて忘却してしまっていた。
自分達すべてを否定され、そして否定されるがままになっていた。
夜闇の魔王――三千世界総ての暗黒の具現、名付けられた闇の齎す雰囲気がそれを強制した。
だが思い出せた。仲間の死を、死を目前にして諦めない魂を見て思い出した。
保胤の成し遂げた抵抗は傍から見ればささやかなものだろう。
ただ遺言を残した。言葉にしてみれば床で息を引き取るのと変わらない。
だがアラストールはそれが、それこそが賛美すべき反逆なのだと知れた。
手段は八方塞がれ、それでもなお不諦。
仲間を失い、失わされたことに気付いてもなお前を見続けた。
そうだ――たとえその意志が、決意が、願いが誰かに劣るものだったとしても。
「消えるわけでは、ない」
そうだ。負けることはあるかもしれない。だけどそれでも残そうと思えば残り続けるのだ。
「消させるわけには行かない」
自ら放棄し、消そうとしていた己の覚悟。
それを再び胸中に宿し、二度と諦めないと心に刻んだ。
天壌の劫火。自ら敗北した身だ。その名を名乗るわけには行かない。
だから、これは唯のアラストールとしての決断だ。
腕を掲げた。
いつの間にか、あのイマジネーターと名乗った少女は消えうせている。
あれは何だったのか。三途に向かっていた自分にとっての死神だったのか。あるいはそこに垂らされた蜘蛛の糸か。
何にせよ礼をいう時間も惜しい。これから行うのは賭けだ。掛けられる金額は時間が経つごとに減っていく。
ふと心をよぎったのは、遠い昔『彼女』が死に際に残した言葉だった。
『貴方の炎に、永久に翳りがありませんように』
ああ――済まない。その願いは果たせなかった。
愚か者の自分には、おそらくダウゲ・ベルガーとの約束も果たせないだろう。
それでも、往こう。
掲げた腕。天に向かって己が居る位置を教えるように突き立てられたそれが弾け――
暗闇の中に、再び闇を打ち消す篝火が生まれた。
「いま、のは――?」
何も変わりはしない。
アラストールの前にはつまらなそうな顔をしたイマジネーターが佇んでいて、彼の顕現を支える存在の力は雀の涙ほどしかない。
状況は、何も変わらない。だけど――
「だから、『死』よ。貴方にいま一番必要だったものでしょう?」
――アラストールは、知ることができた。
慶滋保胤。彼の最期は凄絶だった。
おとなしく死ななければならない状況を強いられ、仮初の不死故に下手な拷問よりも辛い苦痛の中で散った。
だけど、彼は告げたのだ。
仲間達がまだ在ることを信じて。彼は最後まで抗うことを忘れなかった。
「我は……」
対して自分はどうだ?
これは、身じろぎもせずに死なねばらない状況か?
自分は、抵抗しているか?
自分は、まだ仲間のことを覚えていたか――?
「我は……!」
答えは全て否だ。
あの闇の中で何もかもを諦めて忘却してしまっていた。
自分達すべてを否定され、そして否定されるがままになっていた。
夜闇の魔王――三千世界総ての暗黒の具現、名付けられた闇の齎す雰囲気がそれを強制した。
だが思い出せた。仲間の死を、死を目前にして諦めない魂を見て思い出した。
保胤の成し遂げた抵抗は傍から見ればささやかなものだろう。
ただ遺言を残した。言葉にしてみれば床で息を引き取るのと変わらない。
だがアラストールはそれが、それこそが賛美すべき反逆なのだと知れた。
手段は八方塞がれ、それでもなお不諦。
仲間を失い、失わされたことに気付いてもなお前を見続けた。
そうだ――たとえその意志が、決意が、願いが誰かに劣るものだったとしても。
「消えるわけでは、ない」
そうだ。負けることはあるかもしれない。だけどそれでも残そうと思えば残り続けるのだ。
「消させるわけには行かない」
自ら放棄し、消そうとしていた己の覚悟。
それを再び胸中に宿し、二度と諦めないと心に刻んだ。
天壌の劫火。自ら敗北した身だ。その名を名乗るわけには行かない。
だから、これは唯のアラストールとしての決断だ。
腕を掲げた。
いつの間にか、あのイマジネーターと名乗った少女は消えうせている。
あれは何だったのか。三途に向かっていた自分にとっての死神だったのか。あるいはそこに垂らされた蜘蛛の糸か。
何にせよ礼をいう時間も惜しい。これから行うのは賭けだ。掛けられる金額は時間が経つごとに減っていく。
ふと心をよぎったのは、遠い昔『彼女』が死に際に残した言葉だった。
『貴方の炎に、永久に翳りがありませんように』
ああ――済まない。その願いは果たせなかった。
愚か者の自分には、おそらくダウゲ・ベルガーとの約束も果たせないだろう。
それでも、往こう。
掲げた腕。天に向かって己が居る位置を教えるように突き立てられたそれが弾け――
暗闇の中に、再び闇を打ち消す篝火が生まれた。
◇◇◇
――再燃する。
あらゆる罪を焼き滅ぼす烈火が再燃する。
無名の庵。何をするでもなくそこに存在していた神野陰之の背後に、それは再び顕現した。
「――魔神の心は本当に読めないな。あの状態から這い上がってくるか」
振り返る。
そこには、再び炎を纏った巨人の姿がある。
しかしその輝きは――顕現した当初に比べ、明らかに減じていた。
「だが、今の君に何ができる? 残された時間は少ない。
君の敗北を知った為、私を縛っていたダウゲ・ベルガーの願いも最早意味を成さなくなった。
君は、どう足掻いても私に危害を加えられない」
アラストールが敗北した瞬間の焼き直しの如く、再びギーアの残滓が足元より吹き上がった。
炎熱の吹き上がる獣の咆哮のような音。アラストールと神野の間を隔てる緋色の幕。
仮にこれを打ち破っても、更に神野を滅ぼせるような力は残っていない。
「だというのに――君は、何故ここに戻ってきた?」
『……戻ってこれたからだ』
「出来るだけのことはやっておこうと? それこそ無駄でしかないだろう。
君は結局、約束を果たせずに朽ちるしかないのさ」
『……そうだな。真に、その通りだ』
呟く。自嘲ではなく、それは自戒だ。
一時とはいえ、怯え、挫け、すべて投げ出した。その事実に対する戒めである。
もしもあの時、諦めさえしなければもっと違う結末もあったかもしれない。
だけど、もはや自分には『これ』しかない。
『だが、我は選んだのだ――例えそれが、滅びの道であろうとも』
――かつて、彼に優しい女帝はこう問うた。
真に尊ぶべきモノは幸福な生か、それとも誇り有る死か。
いま、その答えを返そう。
(すまないな、皇女。我は汝の嫌いな、誇りの為に死ぬ馬鹿という奴らしい)
他者の幸福な生のために、誇り有る死を選ぶ。
――それが。それだけが。
『我が選ぶことを許される、『生かす道』だ』
されど死よ。大鎌を携えた収穫者。貴様が刈り取れるのはこの命だけだ。
他は、渡さない。
誇り、仲間、継がれる遺志。
それらは全て、自分のものだ!
『オオオオオオオオオオオオオォォォォォッ!』
衝撃が轟いた。
空間さえ断裂させたかと錯覚させるほどの轟音。其れがただ火の粉が弾ける音なのだと誰が想像しようか?
存在する力。その残量をすべて消費し、アラストールは今一度劫火を燃え上がらせた。
規模は大きくない。もとより使える力は残りカスに過ぎない。
それでもこの炎は、ひとつの魂が放つ散り際の最も眩い輝きである。
それを、足元の地面に叩きつけた。
獣精霊の炎との拮抗。だが既に一度アラストールと相克していたそれも、最盛期の火力はとうに失っていた。
故に、突破する。炎の縛鎖を打ち砕き、火の粉という残骸を煌びやかに撒き散らしながら。
アラストールと神野陰之。二人の間を遮るものが、消失した。
「しかし、これで終いだ。最早『私』を消滅させられるほどの力は――」
言いかけて、だが神野はすぐに言葉を止めた。
――アラストールの目論見を阻止するために。
アラストールは、最早神野を見ていない。その双眸は世界そのものを見つめていた。
神野はアラストールの心を読めない。だから直前になるまで気付けなかった。
契約は彼の生命を保証する。だが保証するのは命だけだ。他の事柄に関しては作用しない。
神野が造り上げたあの『盤上』は、外部からの進入を絶対に許さない。
だが――無論、内部からならばその限りではない。
例外があった。無名の庵。あらゆる世界が皮一枚分だけ交錯する場所があった。
獣精霊ギーア。かつて盤の上で潰え、それでもアマワと神野の世界に牙をむいた。
その場所が、ここ。盤上にもっとも近い、獣精霊の墓標。
そして今、そこにいるのは異世界へ渡って顕現することの出来る紅世の王。その中でも破格の魔神だ。
神野が呪圏を開放した。炎で照らされていた不毛の地が闇色に染まっていく。
火力を維持するだけで精一杯のアラストールは、それに対応できない。
いや、対応しない。
奇しくも神野が言ったことだ。輝く炎と、深い闇。その相性は最悪であると。
神野陰之では、いまのアラストールを殺せない。アラストールは露払いさえ必要としない。
燃え盛る両腕を地面に押し付けた。名も無い荒野。その地面がまるで飴細工のように溶解していく。
溶けて、溶けて――世界の裏側まで届きそうなほどに。
だが、それと比例するようにアラストールの体は透けていった。
顕現に必要な存在の力が不足しているのだ。それでも火力は下げられない。
故に、トーチがそうするように己が身を代償としている。
『――我が意志が、劣ると言ったな』
薄れる意識。最早、論理的な思考さえ許されない。
だからその言葉は、ただ思いつくままに垂れ流された、最も強き想いだった。
『あるいはそうなのかもしれん。だが――奪わせんよ。我が散っても、この意思は残る。残してみせる』
「……だから君はそれを選んだのか」
もはや阻止は叶わないと知ったのか、神野は佇んだままそれを見物していた。
アラストールの両腕が、ずぶずぶと彼の世界を侵食していく。
「我が無名の庵を介して、盤上に道を繋げたな。
後続に期待して、未来へ賭けた。
だが、未来は我が盟友の領域だよ――果たして、彼らは勝てると思うかね?」
『愚問だ』
天壌の劫火と呼ばれていた存在が完全に消滅する。
さも当然という風なその言葉と――世界を侵す炎を置き土産にして。
――願わくば、彼らに天下無敵の幸運を。
あらゆる罪を焼き滅ぼす烈火が再燃する。
無名の庵。何をするでもなくそこに存在していた神野陰之の背後に、それは再び顕現した。
「――魔神の心は本当に読めないな。あの状態から這い上がってくるか」
振り返る。
そこには、再び炎を纏った巨人の姿がある。
しかしその輝きは――顕現した当初に比べ、明らかに減じていた。
「だが、今の君に何ができる? 残された時間は少ない。
君の敗北を知った為、私を縛っていたダウゲ・ベルガーの願いも最早意味を成さなくなった。
君は、どう足掻いても私に危害を加えられない」
アラストールが敗北した瞬間の焼き直しの如く、再びギーアの残滓が足元より吹き上がった。
炎熱の吹き上がる獣の咆哮のような音。アラストールと神野の間を隔てる緋色の幕。
仮にこれを打ち破っても、更に神野を滅ぼせるような力は残っていない。
「だというのに――君は、何故ここに戻ってきた?」
『……戻ってこれたからだ』
「出来るだけのことはやっておこうと? それこそ無駄でしかないだろう。
君は結局、約束を果たせずに朽ちるしかないのさ」
『……そうだな。真に、その通りだ』
呟く。自嘲ではなく、それは自戒だ。
一時とはいえ、怯え、挫け、すべて投げ出した。その事実に対する戒めである。
もしもあの時、諦めさえしなければもっと違う結末もあったかもしれない。
だけど、もはや自分には『これ』しかない。
『だが、我は選んだのだ――例えそれが、滅びの道であろうとも』
――かつて、彼に優しい女帝はこう問うた。
真に尊ぶべきモノは幸福な生か、それとも誇り有る死か。
いま、その答えを返そう。
(すまないな、皇女。我は汝の嫌いな、誇りの為に死ぬ馬鹿という奴らしい)
他者の幸福な生のために、誇り有る死を選ぶ。
――それが。それだけが。
『我が選ぶことを許される、『生かす道』だ』
されど死よ。大鎌を携えた収穫者。貴様が刈り取れるのはこの命だけだ。
他は、渡さない。
誇り、仲間、継がれる遺志。
それらは全て、自分のものだ!
『オオオオオオオオオオオオオォォォォォッ!』
衝撃が轟いた。
空間さえ断裂させたかと錯覚させるほどの轟音。其れがただ火の粉が弾ける音なのだと誰が想像しようか?
存在する力。その残量をすべて消費し、アラストールは今一度劫火を燃え上がらせた。
規模は大きくない。もとより使える力は残りカスに過ぎない。
それでもこの炎は、ひとつの魂が放つ散り際の最も眩い輝きである。
それを、足元の地面に叩きつけた。
獣精霊の炎との拮抗。だが既に一度アラストールと相克していたそれも、最盛期の火力はとうに失っていた。
故に、突破する。炎の縛鎖を打ち砕き、火の粉という残骸を煌びやかに撒き散らしながら。
アラストールと神野陰之。二人の間を遮るものが、消失した。
「しかし、これで終いだ。最早『私』を消滅させられるほどの力は――」
言いかけて、だが神野はすぐに言葉を止めた。
――アラストールの目論見を阻止するために。
アラストールは、最早神野を見ていない。その双眸は世界そのものを見つめていた。
神野はアラストールの心を読めない。だから直前になるまで気付けなかった。
契約は彼の生命を保証する。だが保証するのは命だけだ。他の事柄に関しては作用しない。
神野が造り上げたあの『盤上』は、外部からの進入を絶対に許さない。
だが――無論、内部からならばその限りではない。
例外があった。無名の庵。あらゆる世界が皮一枚分だけ交錯する場所があった。
獣精霊ギーア。かつて盤の上で潰え、それでもアマワと神野の世界に牙をむいた。
その場所が、ここ。盤上にもっとも近い、獣精霊の墓標。
そして今、そこにいるのは異世界へ渡って顕現することの出来る紅世の王。その中でも破格の魔神だ。
神野が呪圏を開放した。炎で照らされていた不毛の地が闇色に染まっていく。
火力を維持するだけで精一杯のアラストールは、それに対応できない。
いや、対応しない。
奇しくも神野が言ったことだ。輝く炎と、深い闇。その相性は最悪であると。
神野陰之では、いまのアラストールを殺せない。アラストールは露払いさえ必要としない。
燃え盛る両腕を地面に押し付けた。名も無い荒野。その地面がまるで飴細工のように溶解していく。
溶けて、溶けて――世界の裏側まで届きそうなほどに。
だが、それと比例するようにアラストールの体は透けていった。
顕現に必要な存在の力が不足しているのだ。それでも火力は下げられない。
故に、トーチがそうするように己が身を代償としている。
『――我が意志が、劣ると言ったな』
薄れる意識。最早、論理的な思考さえ許されない。
だからその言葉は、ただ思いつくままに垂れ流された、最も強き想いだった。
『あるいはそうなのかもしれん。だが――奪わせんよ。我が散っても、この意思は残る。残してみせる』
「……だから君はそれを選んだのか」
もはや阻止は叶わないと知ったのか、神野は佇んだままそれを見物していた。
アラストールの両腕が、ずぶずぶと彼の世界を侵食していく。
「我が無名の庵を介して、盤上に道を繋げたな。
後続に期待して、未来へ賭けた。
だが、未来は我が盟友の領域だよ――果たして、彼らは勝てると思うかね?」
『愚問だ』
天壌の劫火と呼ばれていた存在が完全に消滅する。
さも当然という風なその言葉と――世界を侵す炎を置き土産にして。
――願わくば、彼らに天下無敵の幸運を。
◇◇◇
時間は飛ぶ様に過ぎる。放心状態ならばなおさらだ。
海野千絵は地べたに座り込んでいた。
その身を満たすのは虚脱。心で鬩ぎ合うのは陽光と夜闇。
向ける視線はマンションへ。彼女は先ほどまで自分が居た部屋を見つめていた。
いや、それも逃げか。
正確に言うのならば、保胤が死に、そして最後の言葉を残した部屋だ。
未だに黒煙が上がっている、見るものに不安と不吉を刷り込むその場所。
彼の断末魔は彼女に一抹の希望を与えた。
意志を継承する者がいる限り、彼らの道は絶たれない。
それを放棄するのが、たまらなく嫌だった。
継ぐものがいなければ彼らの行動を全て台無しにしてしまう。
それは、いまだ視界を掠める死人の影よりも恐ろしい。
彼女は見ていた。彼らがこのふざけた盤上から脱出しようと邁進する様を見てきた。
それはあまりに短い時間かもしれない。半日にも満たない時間かもしれない。
だけど、それでも彼らは眩しかった。
できれば自分も、それに加わりたくなるほどに。
――そして同時に、自分の犯した罪が浮き彫りになるほどに。
希望と拮抗する絶望の正体はそれだ。彼女は過去のトラウマを払拭できてはいない。
冷静に考えれば、保胤の件もそうだ。
戻ってきた"探偵"としての冷静な思考が、彼女に新たな罪状を突きつける。
あの時、臨也が保胤に火を放った時、あの場で動けたのは自分だけではなかったか。
もしも自分が適切な消化活動を行っていれば、あるいは半不死の保胤は死なずに済んだかもしれない。
震えながら出口を塞いでいたのも自分だ。まんまと利用されたのは自分が弱くて何もできないからだ。
慶滋保胤を殺したのは、私だ。
そんな自分に、彼らの想いを継ぐ資格など――
「うう……」
それでも、出来ることならば継ぎたい。それは紛れも無い彼女の本心だ。
だけどそれは許されることなのか。
彼女には判断できない。その許可を彼女は自身で下せない。自身を許す判断を、自分で下してはいけない。
だから思考は堂々巡りの鼬ごっこ。決して解に辿り着けない出口の無い迷路。
気付けば、彼女の頬を一筋の水滴が伝っていた。
彼女は求めていた。飢えた雛鳥のようにそれを望んでいる。
渇望するのはただの言葉だ。躊躇う背中を一押ししてくれる、そんな優しい言葉。
(……誰か、助け……て)
己の力では這い上がれない蟻地獄の中で、彼女はただ助けを叫んでいた。
――いつまでそうしていただろうか。
「……?」
気がつけば、辺りに光が満ちていた。
だが、さすがに朝になるまで呆けていたというわけでもないだろう。
光の源は炎だった。
彼女が眺めていた建築物。黒煙が立ち上っていた場所から――どころの話ではなく、その階を丸々占拠するかのように。
紅蓮の炎が、噴出していた。
不安や恐怖を催させるような類の業火ではなく、それは周囲に恩恵を振りまく篝火である。
その光を背後にして、やはりいつの間にか彼女の前に人影が現れていた。
それは、まるで今までその人影が闇に紛れてしまっていて、篝火によってようやくその姿を現したかのようだ。
逆光でその顔には影が差し、表情をうかがうことは出来ない。
それでも、それは紛れも無く――
「……全く、どうも俺は世界で二番目に生き汚いらしいな」
ダウゲ・ベルガー。
彼女の背中を押せる、唯一の人物がそこにいた。
海野千絵は地べたに座り込んでいた。
その身を満たすのは虚脱。心で鬩ぎ合うのは陽光と夜闇。
向ける視線はマンションへ。彼女は先ほどまで自分が居た部屋を見つめていた。
いや、それも逃げか。
正確に言うのならば、保胤が死に、そして最後の言葉を残した部屋だ。
未だに黒煙が上がっている、見るものに不安と不吉を刷り込むその場所。
彼の断末魔は彼女に一抹の希望を与えた。
意志を継承する者がいる限り、彼らの道は絶たれない。
それを放棄するのが、たまらなく嫌だった。
継ぐものがいなければ彼らの行動を全て台無しにしてしまう。
それは、いまだ視界を掠める死人の影よりも恐ろしい。
彼女は見ていた。彼らがこのふざけた盤上から脱出しようと邁進する様を見てきた。
それはあまりに短い時間かもしれない。半日にも満たない時間かもしれない。
だけど、それでも彼らは眩しかった。
できれば自分も、それに加わりたくなるほどに。
――そして同時に、自分の犯した罪が浮き彫りになるほどに。
希望と拮抗する絶望の正体はそれだ。彼女は過去のトラウマを払拭できてはいない。
冷静に考えれば、保胤の件もそうだ。
戻ってきた"探偵"としての冷静な思考が、彼女に新たな罪状を突きつける。
あの時、臨也が保胤に火を放った時、あの場で動けたのは自分だけではなかったか。
もしも自分が適切な消化活動を行っていれば、あるいは半不死の保胤は死なずに済んだかもしれない。
震えながら出口を塞いでいたのも自分だ。まんまと利用されたのは自分が弱くて何もできないからだ。
慶滋保胤を殺したのは、私だ。
そんな自分に、彼らの想いを継ぐ資格など――
「うう……」
それでも、出来ることならば継ぎたい。それは紛れも無い彼女の本心だ。
だけどそれは許されることなのか。
彼女には判断できない。その許可を彼女は自身で下せない。自身を許す判断を、自分で下してはいけない。
だから思考は堂々巡りの鼬ごっこ。決して解に辿り着けない出口の無い迷路。
気付けば、彼女の頬を一筋の水滴が伝っていた。
彼女は求めていた。飢えた雛鳥のようにそれを望んでいる。
渇望するのはただの言葉だ。躊躇う背中を一押ししてくれる、そんな優しい言葉。
(……誰か、助け……て)
己の力では這い上がれない蟻地獄の中で、彼女はただ助けを叫んでいた。
――いつまでそうしていただろうか。
「……?」
気がつけば、辺りに光が満ちていた。
だが、さすがに朝になるまで呆けていたというわけでもないだろう。
光の源は炎だった。
彼女が眺めていた建築物。黒煙が立ち上っていた場所から――どころの話ではなく、その階を丸々占拠するかのように。
紅蓮の炎が、噴出していた。
不安や恐怖を催させるような類の業火ではなく、それは周囲に恩恵を振りまく篝火である。
その光を背後にして、やはりいつの間にか彼女の前に人影が現れていた。
それは、まるで今までその人影が闇に紛れてしまっていて、篝火によってようやくその姿を現したかのようだ。
逆光でその顔には影が差し、表情をうかがうことは出来ない。
それでも、それは紛れも無く――
「……全く、どうも俺は世界で二番目に生き汚いらしいな」
ダウゲ・ベルガー。
彼女の背中を押せる、唯一の人物がそこにいた。
◇◇◇
闇の空間。そこに倒れ伏すベルガーと、それを見つめる神野がいる。
「そう、ルール違反だった。本来ならば」
神野が呟く。独り言ではない。対話する相手はまだ目の前にいる。
ダウゲ・ベルガーの刻印は発動していない。彼の魂はいまだ健在である。
「だが切欠となった空間転移に君の意志は絡んでいないことだし、一考する余地がある。
故に、今回は見逃そう」
ベルガーが小さく呻き、起き上がりながら左腕でそれを懐から取り出した。
彼に支給された天人の緊急避難装置。それが熱を発するほどに強く光り輝いていた。
無言のままそれを握り締め、睨んでくるベルガーをさして気にする風でもなく、神野は淡々と続ける。
「それでもそう気軽に足を運ばれては困るのでね。少し術式を弄らせて貰った
――本来の機能を失う代わりに、それは一度だけ『私』の元へ至る片道切符となる。
使うのならば証明の式を携え、使いどころを考えたまえ」
二度目は無い。そう一方的に告げて、神野の姿は闇に溶けた。
後に残されたのはベルガーただひとり。静寂が再びその場を満たした。
こうして、彼は取り残された――だが、そうするとひとつだけ疑問が残る。
何故、彼は海野千絵のもとに転移することが出来たのか。
すでに天人の緊急避難装置はその力を失っている。
ベルガーが単体で空間転移する方法など、ひとつもない。
――ならば答えは簡単だった。単に、前提が間違っているだけ。
ベルガーは最初の神野の攻撃による転移で海野千絵のもとに辿り着いていた。
それは装置が判定する『身内』の概念が曖昧だったからか――
あるいは、海野千絵が保胤の宣言を聞き彼ら仲間になりたいと願ったのが零時過ぎ、
つまりベルガーが転移するより前だったという事が関係しているのか。
誰も正答など知らない。
ただ、残ったのは黒い卵が千絵のもとまでベルガーを送り届けたという確かな事実だけだ。
あとは神野がベルガーの転移先に用意していた黒い空間――
外界からは知覚出来ない彼の呪圏さえ消えてしまえば、二人の仲間は邂逅する。
そして、その呪圏を消し払ったのは――
「ああ――そうか」
ベルガーは炎に照らされるマンションを――いや、炎そのものを見つめて呟いた。
紅蓮の劫火は、彼らの古巣を煌々と染め上げている。
それがアラストールの遺したものであるということを、ベルガーはなんとはなしに理解していた。
「そうだ。終わりじゃない――まだ、負けてはいないな」
自分の仲間たちは大半が没したのだろう。これも、なんとなく分かってしまった。
だが、終わりではない。むしろ、ここからが――
ダウゲ・ベルガーと海野千絵。
残り少なくなってしまったが、それでも彼らの道は絶たれていない。
「反撃、開始だ」
「そう、ルール違反だった。本来ならば」
神野が呟く。独り言ではない。対話する相手はまだ目の前にいる。
ダウゲ・ベルガーの刻印は発動していない。彼の魂はいまだ健在である。
「だが切欠となった空間転移に君の意志は絡んでいないことだし、一考する余地がある。
故に、今回は見逃そう」
ベルガーが小さく呻き、起き上がりながら左腕でそれを懐から取り出した。
彼に支給された天人の緊急避難装置。それが熱を発するほどに強く光り輝いていた。
無言のままそれを握り締め、睨んでくるベルガーをさして気にする風でもなく、神野は淡々と続ける。
「それでもそう気軽に足を運ばれては困るのでね。少し術式を弄らせて貰った
――本来の機能を失う代わりに、それは一度だけ『私』の元へ至る片道切符となる。
使うのならば証明の式を携え、使いどころを考えたまえ」
二度目は無い。そう一方的に告げて、神野の姿は闇に溶けた。
後に残されたのはベルガーただひとり。静寂が再びその場を満たした。
こうして、彼は取り残された――だが、そうするとひとつだけ疑問が残る。
何故、彼は海野千絵のもとに転移することが出来たのか。
すでに天人の緊急避難装置はその力を失っている。
ベルガーが単体で空間転移する方法など、ひとつもない。
――ならば答えは簡単だった。単に、前提が間違っているだけ。
ベルガーは最初の神野の攻撃による転移で海野千絵のもとに辿り着いていた。
それは装置が判定する『身内』の概念が曖昧だったからか――
あるいは、海野千絵が保胤の宣言を聞き彼ら仲間になりたいと願ったのが零時過ぎ、
つまりベルガーが転移するより前だったという事が関係しているのか。
誰も正答など知らない。
ただ、残ったのは黒い卵が千絵のもとまでベルガーを送り届けたという確かな事実だけだ。
あとは神野がベルガーの転移先に用意していた黒い空間――
外界からは知覚出来ない彼の呪圏さえ消えてしまえば、二人の仲間は邂逅する。
そして、その呪圏を消し払ったのは――
「ああ――そうか」
ベルガーは炎に照らされるマンションを――いや、炎そのものを見つめて呟いた。
紅蓮の劫火は、彼らの古巣を煌々と染め上げている。
それがアラストールの遺したものであるということを、ベルガーはなんとはなしに理解していた。
「そうだ。終わりじゃない――まだ、負けてはいないな」
自分の仲間たちは大半が没したのだろう。これも、なんとなく分かってしまった。
だが、終わりではない。むしろ、ここからが――
ダウゲ・ベルガーと海野千絵。
残り少なくなってしまったが、それでも彼らの道は絶たれていない。
「反撃、開始だ」
【C-6/マンション前/2日目・01:00頃】
【海野千絵】
[状態]:物語に感染。かなり精神不安定。
[装備]:なし
[道具]:光の剣(柄のみ)
[思考]:1.自分は仲間だろうか?
2.吸血鬼にもどる?
[備考]:吸血鬼だった時の記憶は全て鮮明に残っている。
第四回放送はきいていましたが、内容を何処まで覚えているかは不明です。
[状態]:物語に感染。かなり精神不安定。
[装備]:なし
[道具]:光の剣(柄のみ)
[思考]:1.自分は仲間だろうか?
2.吸血鬼にもどる?
[備考]:吸血鬼だった時の記憶は全て鮮明に残っている。
第四回放送はきいていましたが、内容を何処まで覚えているかは不明です。
【ダウゲ・ベルガー】
[状態]:左肺機能低下、右肺機能低下、再生中、不死化(不完全)
[装備]:PSG-1(残弾20)、鈍ら刀
[道具]:携帯電話、黒い卵・改、単二式精燃槽 (フロギストンタンク)三つ
[思考]:反撃開始だ。
[備考]:黒い卵・改は本来の効果を失っています。
現在の効果は『望めば一度だけ無名の庵にいる神野陰之の許にまで転移する(限定一人のみ)』です。
第四回放送をきいていません。
[状態]:左肺機能低下、右肺機能低下、再生中、不死化(不完全)
[装備]:PSG-1(残弾20)、鈍ら刀
[道具]:携帯電話、黒い卵・改、単二式精燃槽 (フロギストンタンク)三つ
[思考]:反撃開始だ。
[備考]:黒い卵・改は本来の効果を失っています。
現在の効果は『望めば一度だけ無名の庵にいる神野陰之の許にまで転移する(限定一人のみ)』です。
第四回放送をきいていません。
※アラストールは消滅、それに従いコキュートスも消失しました。
C-6/待機組マンション内部に無名の庵に繋がる空間が発生しました。次の00:00まで存続します。
マンション内部にあった刻印についてのレポートは焼失しました。
マンション内部にあった装備品(メガホン・“運命”)がどうなったかは不明。次の書き手さんに任せます。
C-6/待機組マンション内部に無名の庵に繋がる空間が発生しました。次の00:00まで存続します。
マンション内部にあった刻印についてのレポートは焼失しました。
マンション内部にあった装備品(メガホン・“運命”)がどうなったかは不明。次の書き手さんに任せます。
◇◇◇
無名の庵。
かつては満遍なく闇色で満たされていたその空間も、今はその一部が炎によって照らし出されてしまっている。
それもただの炎でない。アラストールの置き土産。己の身を賭した強力な自在法。
それは世界を焼き破り、盤と繋がってしまった。
篝火であるが為に、闇たる神野には消すことも塞ぐこともできない。
「まあ、これはどうということも無いがね。いずれ零時迷子が修復してしまう」
その輝きを見つめながら、神野はひとり荒野に佇んでいた。
修復前に参加者が無名の庵に進入してくる可能性はあるが、それはさして問題ではない。
もとより、神野はこのゲームがどのような終結を見せようが構わないのだ。
大切なのは、その過程で心の証明がなされること。
「だが、こればかりは放っておく事もできないかな」
「……」
いつの間にか現れていたセーラー服姿の少女――イマジネーターと神野が対峙する。
少女はつまらなそうに、対して夜闇は笑みを浮かべながらお互いを見つめていた。
「招かれざる客。招待状を持たぬ君達にも、舞踏会の会場に入ることまでは許したがね――
"これ"は逸脱しすぎだ。間接的にとはいえ、盤のルールを崩壊させたのだから」
「すでに処罰されていない前例があるようだけど?」
「アイネスト・マッジオ? いや、君達の言を借りれば吊られ男か。君と彼では立ち位置が違うよ。
マグスは脆弱すぎる。ただ観察し、それを垂れ流すだけだ――君とは違い、世界の敵にはなれない」
そんなことは分かっているのだろう? と、神野は哂いながら返す。
遊戯盤を閉ざそうとする外部からの介入。それは主催者側からしてみれば、最も忌むべきものだった。
本来ならばそのまま潰える筈だったモノを、参加者以外の存在が蘇らせる。
それがこの証明遊戯における、天使の長の次に処断される罪。
「さて、違反者にはそろそろ舞台を降りてもらうが――その前に、ひとつだけ問おう」
心の証明。それをするのは参加者でなくともいい。
すでに死神に殺されただの残響でしかない水乃星透子の意図を見通せず、神野は問いを口にした。
「君は、何故天壌の劫火を救った?」
答える答えないに関わらず、神野はイマジネーターを退去させるだろう。返答はさほど期待していなかった。
「私がそれをしなければ――」
だが存外に間を空けず彼女は口を開いた。
「貴方は、ダウゲ・ベルガーを殺したでしょう?」
「その通りだ」
なんということもない、という風に神野が頷く。
「この遊戯は最終的に心の証明が成されればいい。逆に言えば、証明が成されるまで遊戯は続いていなければならない。
だからこそ主催の死という事態はもっとも防がなくてはならないことだ。
『私』も彼も、そして契約すら真に不滅という訳ではないからね。
ダウゲ・ベルガーは反抗抑止の為の見せしめに最適だった」
それも、アラストールが盤上へと続く穴を開けてしまうまでの話ではあるが、と神野は肩をすくめて見せた。
「アレをすぐに閉じる事は出来ない。さらに空間へ力尽くで干渉したことによって盤自体に無数の歪が出来てしまった。
歪の補填を行いながら外部からの干渉を遮るには、『私』も力の殆どをそちらに割かざるを得ないだろう。
ならば他の参加者に搦め手を使われるよりも、ダウゲ・ベルガーに先導させ正攻法に挑ませた方が対処しやすい」
あそこでベルガーを生かし、盤上に送り返せば、再び立ち向かってくるだろうことは容易く予想できた。
そしてその際、彼はアラストールの遺産を利用するだろう。これも、予測できる。
また、彼が属していた集団の行った放送による他の参加者への影響はまだ薄れていない。
脱出を目論む参加者がベルガーと協力するならば、彼らもまたアラストールの開いた空間を使用する。
例えるなら友釣りのようなものだ。
ベルガーを餌として、無数に生じた空間の罅という出入り口より、魔神の遺した目立つ道標にのみ参加者の目を向けさせる。
あるいはベルガーが仲間を連れず、変質させた天人の遺産の方を使用するという可能性もなくはないが――
その場合はもっと簡単だ。心の証明をするならばよし、出来なければ今度こそその身に捺された刻印を持って排除するだけである。
「さて――話がずれたが、君はどうしてアラストールを救った?」
「私の言葉を聞いていなかったの?」
「そうではないよ。だが君が、他でもない君が他人の生き死にを哀れむということはしないだろう。
ダウゲ・ベルガーを救うために? いいや、そんな理由ではないだろう――水乃星透子」
「それほど、違う理由があるいうわけでもないのだけどね」
肩を竦めるようにして、ため息をひとつ吐く少女。
「単純に、彼らはきっと"突破"すると感じただけ。
彼ら自身が、あるいは彼らが切欠となって突破する者が生まれる。だからこそ力を貸した」
「イマジネーターとしてのサガ、というわけか。
だがそういった目論見が全て外れたから、君はそんな中途半端な格好で漂っているんだろう」
「今回こそ、と信じたいわね。
それにこの直感が外れようが私が失うものなんてないもの。死すら私は持っていない」
「失うものならある。この舞台の行く末を見る権利だ。消え失せたまえ、亡霊」
死に慣れすぎた彼女に、神野の呪圏は効果がない。
だがそれでも、彼の世界から追い出すのは容易いことだった。少女の姿が一瞬で消えうせる。
そうして無名の庵にはその主が一人のみ佇む、いや――
再び、神野以外の人影が隆立する。ただし、今回のそれは招かれざる客ではなかった。
「お早いご帰還だね――我が盟友」
「時間など、御遣いには意味がない」
未来精霊アマワ。
それを封じていた獣の炎はすでに魔神によって打ち破られている。
ゆらゆらと揺れる不定の形で、隙間はいつものように問いを発した。
「私が不在の間に心の証明は成されたか?」
「かつてフリウ・ハリスコーが君に突きつけた回答ならば」
「それでは駄目だ。あの回答をもってしても隙間は満たされなかった。故に今の私がある」
「そうだろうね。だからこの証明遊戯は続行というわけだ。
『私』はこれから少しばかり"こちら側の舞台"に手を加えるが、君は――いや、聞くまでもないか」
こくりと精霊は頷き、すぐにどこかへ消えていく。
あれはただ解答を求めて囁き続けるだけだ。それ以外には何もしない。
舞台役者もかなり減った。カーテンコールまであと少し。
それに感慨を抱く事もなく、神野は呪圏を広げた始めた。呼応して、無名の庵がその有様を変質させていく。
「さて、閉幕は近い。
その時壇上に残るのは空白か、それとも拍手喝采か――」
かつては満遍なく闇色で満たされていたその空間も、今はその一部が炎によって照らし出されてしまっている。
それもただの炎でない。アラストールの置き土産。己の身を賭した強力な自在法。
それは世界を焼き破り、盤と繋がってしまった。
篝火であるが為に、闇たる神野には消すことも塞ぐこともできない。
「まあ、これはどうということも無いがね。いずれ零時迷子が修復してしまう」
その輝きを見つめながら、神野はひとり荒野に佇んでいた。
修復前に参加者が無名の庵に進入してくる可能性はあるが、それはさして問題ではない。
もとより、神野はこのゲームがどのような終結を見せようが構わないのだ。
大切なのは、その過程で心の証明がなされること。
「だが、こればかりは放っておく事もできないかな」
「……」
いつの間にか現れていたセーラー服姿の少女――イマジネーターと神野が対峙する。
少女はつまらなそうに、対して夜闇は笑みを浮かべながらお互いを見つめていた。
「招かれざる客。招待状を持たぬ君達にも、舞踏会の会場に入ることまでは許したがね――
"これ"は逸脱しすぎだ。間接的にとはいえ、盤のルールを崩壊させたのだから」
「すでに処罰されていない前例があるようだけど?」
「アイネスト・マッジオ? いや、君達の言を借りれば吊られ男か。君と彼では立ち位置が違うよ。
マグスは脆弱すぎる。ただ観察し、それを垂れ流すだけだ――君とは違い、世界の敵にはなれない」
そんなことは分かっているのだろう? と、神野は哂いながら返す。
遊戯盤を閉ざそうとする外部からの介入。それは主催者側からしてみれば、最も忌むべきものだった。
本来ならばそのまま潰える筈だったモノを、参加者以外の存在が蘇らせる。
それがこの証明遊戯における、天使の長の次に処断される罪。
「さて、違反者にはそろそろ舞台を降りてもらうが――その前に、ひとつだけ問おう」
心の証明。それをするのは参加者でなくともいい。
すでに死神に殺されただの残響でしかない水乃星透子の意図を見通せず、神野は問いを口にした。
「君は、何故天壌の劫火を救った?」
答える答えないに関わらず、神野はイマジネーターを退去させるだろう。返答はさほど期待していなかった。
「私がそれをしなければ――」
だが存外に間を空けず彼女は口を開いた。
「貴方は、ダウゲ・ベルガーを殺したでしょう?」
「その通りだ」
なんということもない、という風に神野が頷く。
「この遊戯は最終的に心の証明が成されればいい。逆に言えば、証明が成されるまで遊戯は続いていなければならない。
だからこそ主催の死という事態はもっとも防がなくてはならないことだ。
『私』も彼も、そして契約すら真に不滅という訳ではないからね。
ダウゲ・ベルガーは反抗抑止の為の見せしめに最適だった」
それも、アラストールが盤上へと続く穴を開けてしまうまでの話ではあるが、と神野は肩をすくめて見せた。
「アレをすぐに閉じる事は出来ない。さらに空間へ力尽くで干渉したことによって盤自体に無数の歪が出来てしまった。
歪の補填を行いながら外部からの干渉を遮るには、『私』も力の殆どをそちらに割かざるを得ないだろう。
ならば他の参加者に搦め手を使われるよりも、ダウゲ・ベルガーに先導させ正攻法に挑ませた方が対処しやすい」
あそこでベルガーを生かし、盤上に送り返せば、再び立ち向かってくるだろうことは容易く予想できた。
そしてその際、彼はアラストールの遺産を利用するだろう。これも、予測できる。
また、彼が属していた集団の行った放送による他の参加者への影響はまだ薄れていない。
脱出を目論む参加者がベルガーと協力するならば、彼らもまたアラストールの開いた空間を使用する。
例えるなら友釣りのようなものだ。
ベルガーを餌として、無数に生じた空間の罅という出入り口より、魔神の遺した目立つ道標にのみ参加者の目を向けさせる。
あるいはベルガーが仲間を連れず、変質させた天人の遺産の方を使用するという可能性もなくはないが――
その場合はもっと簡単だ。心の証明をするならばよし、出来なければ今度こそその身に捺された刻印を持って排除するだけである。
「さて――話がずれたが、君はどうしてアラストールを救った?」
「私の言葉を聞いていなかったの?」
「そうではないよ。だが君が、他でもない君が他人の生き死にを哀れむということはしないだろう。
ダウゲ・ベルガーを救うために? いいや、そんな理由ではないだろう――水乃星透子」
「それほど、違う理由があるいうわけでもないのだけどね」
肩を竦めるようにして、ため息をひとつ吐く少女。
「単純に、彼らはきっと"突破"すると感じただけ。
彼ら自身が、あるいは彼らが切欠となって突破する者が生まれる。だからこそ力を貸した」
「イマジネーターとしてのサガ、というわけか。
だがそういった目論見が全て外れたから、君はそんな中途半端な格好で漂っているんだろう」
「今回こそ、と信じたいわね。
それにこの直感が外れようが私が失うものなんてないもの。死すら私は持っていない」
「失うものならある。この舞台の行く末を見る権利だ。消え失せたまえ、亡霊」
死に慣れすぎた彼女に、神野の呪圏は効果がない。
だがそれでも、彼の世界から追い出すのは容易いことだった。少女の姿が一瞬で消えうせる。
そうして無名の庵にはその主が一人のみ佇む、いや――
再び、神野以外の人影が隆立する。ただし、今回のそれは招かれざる客ではなかった。
「お早いご帰還だね――我が盟友」
「時間など、御遣いには意味がない」
未来精霊アマワ。
それを封じていた獣の炎はすでに魔神によって打ち破られている。
ゆらゆらと揺れる不定の形で、隙間はいつものように問いを発した。
「私が不在の間に心の証明は成されたか?」
「かつてフリウ・ハリスコーが君に突きつけた回答ならば」
「それでは駄目だ。あの回答をもってしても隙間は満たされなかった。故に今の私がある」
「そうだろうね。だからこの証明遊戯は続行というわけだ。
『私』はこれから少しばかり"こちら側の舞台"に手を加えるが、君は――いや、聞くまでもないか」
こくりと精霊は頷き、すぐにどこかへ消えていく。
あれはただ解答を求めて囁き続けるだけだ。それ以外には何もしない。
舞台役者もかなり減った。カーテンコールまであと少し。
それに感慨を抱く事もなく、神野は呪圏を広げた始めた。呼応して、無名の庵がその有様を変質させていく。
「さて、閉幕は近い。
その時壇上に残るのは空白か、それとも拍手喝采か――」
【???/無名の庵/2日目・01:00頃】
- イマジネーターが世界より放逐されました。
- ギーアによる束縛が失われた為、アマワが開放されました。
- アラストールの干渉によって、世界に無数の罅が入りました。
神野はこの隙間からの干渉を遮断するために力の殆どを使用します。
◇◇◇
「遊びが過ぎる……か。やれやれ、ばれていたみたいだね」
人形使い――ディートリッヒは言葉の内容とは裏腹に悪びれた様子もなく、滑るように通路を進んでいく。
この施設はあの『盤面』とは別の空間にある。
参加者たちを盤面に送り込んだ通路は一方通行だ。彼らがここに到達する可能性は零に近い。
「だけどさ、イザーク。遊びっていうのは勝たなきゃつまらないって僕は思うよ」
――だが、絶無ではない。
一方通行とはいえ、そこに道があるのは確かなのだ。参加者の中には多彩な能力をもつ者も多い。
何かの間違いがあれば、彼らはここにたどり着く。そうなれば自分たちの身も危険に晒される。
無論、可能性は低い。だが零ではない。
「――僕は、他人の顔が苦しく歪むのを見るのが好きだから」
ディートリッヒの手の中には一本のペットボトルが握られている。
合成樹脂製の容器の中には折りたたまれたメモが封入されていた。
メモの著者はサラ・バーリン。内容は刻印の解除方法について。
幾多の世界の知識を統合しまとめられたそれは、さしものディートリッヒといえどもその内容が果たして本当に正しいものか判断することはできなかった。
だが、それでもこのメモによって刻印が解除されてしまう可能性はある。
「だから、こういうこっちにとって不都合なアイテムは――」
人形遣いのもう片方の手。その指先には発火剤を乗せられた小さな木の棒があった。
マッチを壁に擦り付けて発火させ、ボトルの中に落とす。瞬時にメモは燃え上がり、灰となって崩れ落ちる。
「――無駄な足掻き、ごくろーさま」
くつくつと、本当に楽しそうな笑みを浮かべながら。
ディートリッヒはボトルを廊下の壁際に設置されていた金属製のゴミ箱に叩き込んだ。
人形使い――ディートリッヒは言葉の内容とは裏腹に悪びれた様子もなく、滑るように通路を進んでいく。
この施設はあの『盤面』とは別の空間にある。
参加者たちを盤面に送り込んだ通路は一方通行だ。彼らがここに到達する可能性は零に近い。
「だけどさ、イザーク。遊びっていうのは勝たなきゃつまらないって僕は思うよ」
――だが、絶無ではない。
一方通行とはいえ、そこに道があるのは確かなのだ。参加者の中には多彩な能力をもつ者も多い。
何かの間違いがあれば、彼らはここにたどり着く。そうなれば自分たちの身も危険に晒される。
無論、可能性は低い。だが零ではない。
「――僕は、他人の顔が苦しく歪むのを見るのが好きだから」
ディートリッヒの手の中には一本のペットボトルが握られている。
合成樹脂製の容器の中には折りたたまれたメモが封入されていた。
メモの著者はサラ・バーリン。内容は刻印の解除方法について。
幾多の世界の知識を統合しまとめられたそれは、さしものディートリッヒといえどもその内容が果たして本当に正しいものか判断することはできなかった。
だが、それでもこのメモによって刻印が解除されてしまう可能性はある。
「だから、こういうこっちにとって不都合なアイテムは――」
人形遣いのもう片方の手。その指先には発火剤を乗せられた小さな木の棒があった。
マッチを壁に擦り付けて発火させ、ボトルの中に落とす。瞬時にメモは燃え上がり、灰となって崩れ落ちる。
「――無駄な足掻き、ごくろーさま」
くつくつと、本当に楽しそうな笑みを浮かべながら。
ディートリッヒはボトルを廊下の壁際に設置されていた金属製のゴミ箱に叩き込んだ。
【???/管理者ルーム/???】
- サラ・バーリンのメモはディートリッヒが回収、破棄しました。