O'Driscoll Boys


概要

日本語:コルム一族
リーダー:Colm O'Driscoll
結成:不明
解散:1899年(事実上)
メンバー:Colm O'Driscoll(リーダー)・コルムの兄弟・シェイマス(盗品商オーナー)キーランダッフィー(旧メンバー)・Paul(処刑を防ぐために狙撃主として活動)・Billy(アドラー牧場襲撃に参加)・Tom(コルムの後任)・その他多数

解説

コルム一味は西部で一定の勢力となり、ダッチギャングと競い合っていた時期を経て、バレンタインの平原に拠点を移した。
このギャングは新たなメンバーを入れては使い捨てることで知られている。
コルム一味は楽に稼げる犯罪を好み、銀行強盗を働くことが多い。さらに享楽的な性向や女好きといった特徴も知られている。
公式ウェブサイトより

歴史

かつては義賊として社会的弱者や貧困層の救済を目標に理想に燃えて活動していた。
だが理想を追う事に疲れ、義賊でいる事に疲れを見せるようになり、やがて同じく義賊としての理想を追っていたダッチギャングとやり方や理想論の違いなどで徐々に敵対化して行ったという。ここから見るにアーサーの理想などは元々はダッチギャングやかつてコルムの掲げていたものだった事が解かる。
結成後1899年までの間でダッチの兄弟を殺害したのち、報復としてダッチの恋人であるアナベルを殺害したことで両者は敵対する。
メンバーの大多数を占めるのはリーダーのO'Driscollと同じアイルランド系移民で、メンバーは皆アイルランドを象徴する緑色のアイテムを身に付けている。対立するとわかるが、彼らは質より量のようで、命中精度などは悪い。

オンラインの時代(1899年以前)ではコルターEwing Basinを隠れ家として使用している。

アドラー牧場で強盗を行っていたところ、ダッチギャングに妨害されてしまう。(西部の無法
次の目的としてコーンウォールの列車を強盗を計画するも、これまたダッチギャングに計画書を奪われてしまう。逃げ遅れた一人、キーラン・ダッフィーがダッチメンバーに捕らわれてしまうも彼はもともとコルム一族を嫌っていた。おそらくかつて、まだ義賊だった頃に加わったメンバーだったのだろうが理想に疲弊して行くうちに他のギャングと大差なくなって行ったのだろう事が解かる。後のセリフから見るにキーランにも義賊的な思想と言うものが明確にあり、ある意味においては以前の義賊としての理想に燃えていたアーサーと似通った考え方なのが解かる。(コーンウォールとは何者だ?

ダッチギャングメンバーから去勢の脅迫を受けたキーランは仲間の居場所をしゃべる。ダッチギャングがコルム一味を襲撃しているとアーサーがコルム一味に狙われるもキーランによって救われる。この功績によりキーランはコルム一味を脱退し、正式にダッチギャングに加入する。

ダッチと会談をするために呼び寄せる。ダッチギャングを壊滅させるためであるが、コルム一味の力だけでは不足と考えピンカートン社に協力(利用するだけ)してもらいアーサーを捕まえることに成功するも、すぐに逃げられてしまう。

裏切り者のキーランを誘拐し、処刑したのち見せしめとしてシェイディベルに潜むダッチギャングに馬に乗せて送り返す。それを皮切りになんとかダッチギャングを壊滅させようとするも返り討ちにあう。

ダッチギャングの主力であるダッチ、アーサーらが行方不明(グアーマに行っている)間に壊滅させようとしても居場所がわからず、不毛の時間を過ごす。やっとセイディを見つけて始末しようとしても、熱気球に乗ったアーサーに阻止される。

コルムオドリスコルがサンドニで逮捕され、裁判にかけられ処刑が確定する。なんとかリーダーを助けようとするもまたしてもダッチギャングに邪魔されてしまう。そのまま処刑が執行されると、それに不服のセイディが法執行官も含め大規模な銃撃戦になってしまう。(さらば、わが友よ

コルムの死後、引継ぎはトムへ。(コルムからトムへの手紙)

アーサーがセイディを助けた場合:
復讐に燃えるセイディはコルム一味を壊滅させる。(未亡人・セイディアドラー2

リーダーを失ったコルム一味は時代の流れもあり、事実上解散となる。

隠れ家



トリビア


  • コルムからトムへの手紙書かれている「そして、私がどうしてここにいるのか。不誠実で口うるさい女のベッドに捕まったのです。私が誰のことを言っているのか、あなたはご存知でしょう。彼女を訪ねて、全て許したと伝え、できれば私の思い出に残る何かを贈ってあげてください。」とは誰のことを指すのか。
    • 断定できるものはないものの間接的に言えるのは、モリーオシェアは不誠実であり口うるさい女だった。(ダッチの恋人だとはいえ、ほかのメンバーには不愛想であった)
    • コルム一味はアイルランド移民が大半であり、モリーもまたアイルランドダブリンの出身と主張している。
    • モリーは裕福な家庭で育ったと主張しているにもかかわらず「モリーの詩」では海を渡るまで何も残っていない。と言う。

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最終更新:2025年05月27日 09:54
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