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CL6-4-4
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■ 4:孝謙(称徳)天皇と光仁天皇 〜道鏡事件と、発動された究極の「霊的セキュリティ」〜
【概観(答):歴史の俯瞰】
奈良時代後期、聖武天皇の娘として即位した第46代・孝謙天皇(後の第48代・称徳天皇)の時代は、皇位継承という観点において、歴史上最も危険な「簒奪(さんだつ)」の危機に瀕した時代です。
生涯独身であった彼女の周囲では権力闘争が絶えず、一度は天武天皇の孫である第47代・淳仁天皇に譲位しました。しかし、次第に対立を深め、武力衝突(恵美押勝の乱)を経て彼を廃位し、自ら再び即位(重祚)するという異例の事態を引き起こします。
生涯独身であった彼女の周囲では権力闘争が絶えず、一度は天武天皇の孫である第47代・淳仁天皇に譲位しました。しかし、次第に対立を深め、武力衝突(恵美押勝の乱)を経て彼を廃位し、自ら再び即位(重祚)するという異例の事態を引き起こします。
そして、その治世の末期に最大の国難が訪れます。時の絶対権力者となった称徳天皇が、寵愛する民間出身の僧侶・道鏡に皇位を譲ろうとした「道鏡事件」です。最高権力者自身の意志であり、誰もが止められないかに見えたこの異常事態は、和気清麻呂が宇佐八幡宮から「天つ日嗣(あまつひつぎ)は必ず皇族の者を立てよ(無道の者は排除せよ)」という神託を持ち帰ったことで、すんでのところで粉砕されました。
称徳天皇が後継者を指名せぬまま崩御した後、朝廷は驚くべき復元力を発揮します。天武天皇系の血統(男系)での継承が困難と見るや、系図を大きく遡り、天智天皇の孫である白壁王を第49代・光仁天皇として即位させたのです。「どれほど遠縁であっても、確実に男系(父方の血統)で歴代天皇に繋がる人物を見出し、皇位を委ねる」。継体天皇の時と同じこの霊的プロトコルが、62歳という異例の高齢での即位を実現させ、皇統の断絶を回避しました。
【深淵からの問い(問):皇室検定への挑戦】
ここで、皇位継承における「権力」と「権威」の違いを分かつ、決定的な問いを投げかけます。
Q:もし道鏡事件において和気清麻呂の介入がなく、道鏡がそのまま天皇として即位していた場合、あるいは(史実とは異なりますが)道鏡と称徳天皇の間に子供が生まれ、その子が天皇になっていた場合、日本の国体においてどのような事態が引き起こされたことになるでしょうか?
- 仏教の教えが国教として憲法に明記され、神道や宮中祭祀が完全に廃止されることになった。
- 皇室の血統が「道鏡(民間人)を父とする血」に乗っ取られ、神武天皇から続く「男系(Y染色体)の連続性」が断絶し、事実上の『王朝交替(別の国になること)』が起きたことになる。
- 道鏡は貴族出身ではなかったため、即位しても「大王」としか名乗れず、「天皇」という称号が歴史上から消滅した。
- 女性天皇の次は男性天皇でなければならないという当時の法律に違反するため、単に唐(中国)などの諸外国から承認されなかった。
【次なる思考へのヒント】
時の最高権力者(天皇自身)が「この人に譲りたい」と強く願っても、それを許さない「目に見えないシステム(男系ルール)」が存在すること。この宇佐八幡宮の神託は、まさに国家の有機体(エーテル体)が、異物の混入を防ぐために自ら発動させた「免疫機能」でした。現代の「愛子さま待望論」に潜む感情論も、時の権力や世論が「男系というルール」を書き換えようとしている点で、この事件と無関係ではありません。(正解と解説は次回のコラムにて)
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