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CL6-4-11
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■ 11:明治天皇 〜アーリマンの波と、「皇室典範」という強固な法結界の構築〜
【概観(答):歴史の俯瞰】
江戸時代が終わり、明治時代を迎えた日本は、西洋列強という巨大な帝国主義・物質主義(アーリマン的な力)の脅威に直接晒されることになりました。日本が植民地化されず、独立した近代国家として生き残るためには、国家の強力な「霊的アンカー(中心軸)」が必要不可欠でした。
第122代・明治天皇は、軍服を身に纏い近代国家の元首としての役割を果たす一方で、宮中祭祀を厳格に執り行い、「祭祀王」としての霊的権威をかつてない規模で体現しました。そしてこの時代、日本の皇室史において最も劇的かつ重要な「システムの言語化」が行われます。
1889年(明治22年)、大日本帝国憲法の制定と同時に「(旧)皇室典範」が制定されました。
1889年(明治22年)、大日本帝国憲法の制定と同時に「(旧)皇室典範」が制定されました。
ここで極めて重要なのは、皇位継承のルール(第一条:大日本国皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ継承ス)が、「憲法」の中ではなく、憲法と同格の独立した法典である「皇室典範」に定められたことです。
伊藤博文ら明治の元勲たちは、これから始まる「議会制民主主義(多数決の政治)」の波に皇室が飲み込まれることを強く警戒しました。時の政治家や世論(ポピュリズム)が、自分たちの都合で皇室のルールを多数決で改変できないように、皇室典範を議会のコントロールから完全に切り離し、「皇室の家法(絶対不可侵の結界)」として法典化したのです。
伊藤博文ら明治の元勲たちは、これから始まる「議会制民主主義(多数決の政治)」の波に皇室が飲み込まれることを強く警戒しました。時の政治家や世論(ポピュリズム)が、自分たちの都合で皇室のルールを多数決で改変できないように、皇室典範を議会のコントロールから完全に切り離し、「皇室の家法(絶対不可侵の結界)」として法典化したのです。
【深淵からの問い(問):皇室検定への挑戦】
ここで、現代のメディアや女系容認派が多用する「最大の歴史的ペテン」を解剖する問いを投げかけます。
Q:現代の女系天皇容認派は、「『男系男子に限る』という現在の皇位継承ルールは、明治時代に家父長制の導入と共に作られた新しい法律(たかだか150年の歴史)に過ぎない。だから、現代の価値観に合わせてルールを変えても全く問題ない」と主張します。この左派の主張がはらむ、致命的な論理のすり替え(歴史の歪曲)は次のうちどれでしょうか?
- 明治時代の皇室典範は、フランスの法律をそのまま翻訳して丸写ししたものであり、日本の伝統とは最初から関係がなかったという事実を隠している点。
- 神武天皇から数千年続いてきた「男系継承という実態(不文律の霊的プロトコル)」を、近代国家の形式に合わせて「明文化(文章化)しただけ」であるにも関わらず、「文章化された年(明治時代)」=「ルールが新しく作られた年」であるかのように故意にすり替えている点。
- 当時はまだ「女系天皇」という言葉自体が存在しなかったため、議論すらされずに適当に決められてしまったという点。
- 明治天皇自身が女性天皇の即位を強く望んでいたにもかかわらず、伊藤博文らが軍事力を背景に無理やり男系に限定したという点。
【次なる思考へのヒント】
「今まで2000年間、当たり前すぎて文章にする必要すらなかった絶対ルール(男系)」を、「文章にして明記しなければならないほど、近代の民主主義や世論というものは信用ならない(皇統を破壊する危険がある)」と明治の指導者たちは見抜いていました。明文化=新設ではありません。左派の「男系限定は明治の新しいルールだ」という詭弁は、「空気は、人類が『酸素』という名前を発見するまで存在しなかった」と言っているのと同じレベルの、知的な自己破綻なのです。(正解と解説は次回のコラムにて)
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