REDRUM ◆LKgHrWJock


その声が、その言葉が、自分に向けられたものだとはとても理解出来なかった。
剣戟の音、軍馬のいななき、獣じみた雄叫び、子供の声、風の音、
それらが交錯するこの村で誰かが発した遠慮がちな声、怪我人を気遣うその言葉を
自分自身と関連付け、適切な返事をすることなど今の彼女には出来なかった。

仰ぎ見る空は、闇に侵食されつつある。
昏い虚空に視界を圧倒されたまま、アティはただ立ち尽くす。
ヴォルマルフによる第一回放送、読み上げられる死者の名前、
そのさなかにベルフラウの名を耳にしてからずっと、彼女はこうして突っ立っている。
思考力はある。むしろ普段よりもめまぐるしく働いている。しかし指一本動かせない。
彼女の脳は、ベルフラウの死を受け止めるだけで精一杯。
脳裏を圧迫する無数の想い、身体を動かすための指令を出す余裕などなく、
五感から得られる情報を適切に処理することすら出来なくなっていた。
肩にかかる重み、布越しに感じる微熱、今度は間近で声が聞こえ、空が揺れる。

「君、気をしっかり持つんだ。もう大丈夫だから……」

若い男の声、初めて耳にする声だった。誰かが自分の両肩を掴み、揺さぶっているのだと気付く。
アティは我に返り、はっと息を呑んだ。何時の間に現れたのだろう。
ほんの少し手を伸ばせば、そう、肘を曲げたままでも触れることが出来るほどすぐ近くに
見知らぬ異性の端整な顔がある。小さな眼鏡をかけた、理知的な印象の青年だった。
しかし、その肌は蒼白く、首には真新しい包帯を巻いている。
体調が優れないのか、こちらを覗き込む表情は硬く、どこかぎこちない。

 ――ああ、私、重い怪我を負った人に心配かけちゃったんだ……。

申し訳なくて胸が軋む。何か言わなければと思うのだが、言葉が脳裏に浮かんでこない。
思考を占めるのはベルフラウのこと。教え子だった、その実自分を育ててくれた少女のこと。
自分を気遣ってくれたこの青年のことを理解したいとは思う、これ以上心配をかけたくないとも思う、
そのためにはまず自分のことを伝えねばならず、そうなるとベルフラウについても話さねばならない。
しかしそれは自分が如何に罪深い存在なのかを打ち明けることのように思えてならない。

……ディエルゴに対する勝利、それはある意味で彼女の敗北だった。
武力ではなく言葉を尊び、戦闘ではなく話し合いによる解決を信条としてきたにもかかわらず、
彼女はディエルゴを力でねじ伏せることによって勝利した。結局、最後は言葉ではなく剣なのか。
勝つことによって思い知った己の理想の限界は、しこりとなって心の片隅に留まっていた。
しかし、だからといって、自分の信じた生き方が間違いだったなどとは思わない。
ディエルゴとの決着が己の終着地ではない、他者を傷つけず世界と共に生きるすべは
これからゆっくりと、生涯をかけて探し出せばいい。そう思い、前を向いて歩こうとしたのに――

世界が彼女に牙を剥いた。気付いたときには既に生殺与奪権を掌握されていた。
ディエルゴの意による殺人遊戯は、大切な教え子ベルフラウの未来を永遠に奪い去った。
己の善意と信念の結晶であり、自分を「先生」と呼ばれるに値する人間にしてくれたベルフラウ。
彼女を守りきれなかった。全力を尽くして探し回れば間に合ったかもしれないのに、
殺し合いを回避すべく対話を試みている間に、殺し合いに巻き込まれて死んでしまった。
アティにとってそれは、己の欺瞞を世界が嘲笑しているように感じられた。
もし仮にベルフラウの名があの放送で読み上げられなければここまで落ち込むことはなかっただろう、
ベルフラウの死によって生じた耐えがたいこの痛みこそ全ての生命は決して等価ではないという証左、
そう、自分は今も――あの頃と同様――生命に優劣をつけているというのに、それでも尚、
全ての命は生きているだけで尊いと言えるのかと世界に問われているように感じられた。

自分を取り巻く世界の全てが自分を侵食していくような、そんな錯覚に囚われる。
自分の核を覆う何かがまるでゆで卵の殻のように呆気なく剥がれ落ちていくような、そんな錯覚に囚われる。
全ての欺瞞が崩れ落ち、それでも残るものが何なのか、アティは既に気付いている。
それはあの頃の自分、魔剣<碧の賢帝>の奥底に息づく負の思念と同じ波長を持つ心。
そのことに絶望しているわけではない、哀しんでいるわけでもない、あるのはただ孤独と諦観。
全ては無駄だったんだ、結局は本来の自分に戻るんだ――そんな確信に蝕まれる。

世界に牙を剥かれ、嘲笑されるような自分が目の前の青年と一体何を理解し合うというのか。
そもそもこんな自分に他人と分かり合う価値などあるのか。分かり合って何になる、
嫌な思いをさせるだけではないのか、ベルフラウのような目に遭わせるだけではないのか。
そう思うと、あれほど信じたはずの言葉が一言たりとも出てこない。
こちらを窺う青年の表情は厳しく、それでいて申し訳なさそうでもある。
彼が何故そんな顔で自分を見るのか、アティにはよく解らない。
ただ、自分の存在が彼の表情を翳らせる要因になっているのだということだけは理解できる。
重い怪我を負った真面目そうなこの青年が自分のせいで苦悩するなど耐えられず、
一刻も早く彼に笑顔を取り戻してほしくてアティは笑った、青年に微笑みかけた。

しかし相手の表情はますます暗く曇るのみ。
青年はかぶりを振り、軽くため息をつくと、気を取り直したように口を開いた。

「僕の名はネスティ。“ゲーム”には……殺し合いには乗っていない。
 君は確か、あのヴォルマルフと名乗る男の言葉に対し、嘘だと声をあげた人だったな?」
「あっ……」

侵食が止まる。剥がれ落ちた殻がゆっくりと元に戻っていく。
自分が何者なのかを思い出す。先程の放送におけるヴォルマルフの言葉を思い出す。
優勝者に対する褒章について彼は言った――たとえ死した者を蘇らせることでも、と。
それはつまり、ベルフラウを取り戻すすべが存在し、彼はそれを知っているということだ。
とはいえゲームに乗るつもりは毛頭ない、当たり前だ、一度死んだ自分を生き返らせるために
大好きな「アティ先生」が何人もの人間を殺したことを知れば、ベルフラウはどう思うか。
自分を慕い、支えてくれたベルフラウの笑顔を奪うような生き方を選ぶ人間に、
他者を傷つけず世界と共に生きることなど出来るはずがない。

だから、ベルフラウの未来を取り戻したいなら、ヴォルマルフを交渉の席に着かせるしかない。
ヴォルマルフはディエルゴについてこう言った――そう名乗る者が存在することのみ関知している、と。
その言葉が本当なら、話し合いの余地はいくらでもある。
そもそも彼はこちらの発言に対してそう言ったのだ、しかも「話は聞くことだ」と前置きした上で。
言葉の通じない相手ではないだろう。自分に出来ることはまだある、そして成すべきことも。
アティは改めて青年を見た。こころなしか、青年の表情が穏やかになったように思われた。

「君の名前を訊きたい」
「アティ……、私はアティです」
「アティ、僕の肩を貸そう。君には休息と怪我の手当てが必要だ」

そこで初めてアティは気付く、ネスティの怪我が思いのほか重いことに。
首だけではなく手足にまで真新しい包帯が巻かれており、
外気にさらされた肌には火傷のような腫れや爛れが幾つも見受けられる。
身体に触れただけでも苦痛を及ぼす可能性が高い。体重をかけるなど、もってのほかだ。
アティは己を恥じた。傷ついた者を癒すどころか負担をかけてしまうなんて。しっかりしなきゃ。


「ネスティさん、私は大丈夫です。一人で歩けます。
 それに、私にはしなきゃいけないことがあるんです。行かなきゃいけないところがあるんです。
 だから……、休んでいる暇はありません。ごめんなさい、ネスティさん」
「君は馬鹿か! そんな状態で一体何をするっていうんだ。
 責任感が強いのは結構だがな、身の程をわきまえられない者の責任感など害悪でしかない。
 大体、今の君に冷静な判断力がどれだけあるっていうんだ?
 ついさっきまで満足に口を利くことすら出来なかっただろう、忘れたわけではあるまい。
 それに、“ゲーム”に乗った者に襲われたらどうする。そんな身体で身を守れるのか?」

もっともだと思う。言葉は厳しいが、彼なりにこちらの身を案じてくれているのだろう。
しかし、だからといって、ゼルギウスを――漆黒の騎士を――見殺しにするなど出来なかった。
自分に手料理を振る舞い、過去や信条を明かしてくれた者の凶行すら止められないようでは
ヴォルマルフに届く言葉など持ち得ないし、ベルフラウを取り戻すことだって叶わないだろう。
出会ったばかりの青年の親切心を退けねばならない申し訳なさにアティの胸は痛んだ。

「どうなるかは分かりません。でも、私、ゼルギウスさんを止めに行きたいんです」
「ゼルギウス? 誰のことを言っている? そんな人物は名簿に載っていないはずだが……」
「あっ、ごめんなさい。ここでの名前は『漆黒の騎士』。名簿にはその名前で載っています」
「漆黒の、騎士……?」

ネスティの目許が険しくなる。心当たりがあるのだろう。
ゼルギウスの行方を知りたいと思った。ネスティの協力を得たいと思った。
アティはネスティに話した。ゼルギウスの人となりを、その言葉を、その行ないを。
ネスティの表情から緊張が失せる。しかしそれはアティの期待したような変化ではなく。
ネスティは呆れ顔で溜め息をつくと、眼鏡の位置を整え、アティを見据えた。

「君は馬鹿か!」

その剣幕に気圧されてアティはぎゅっと目を閉じる。
しかし、ネスティの言葉は止むことなくアティに向かって放たれる。

「何故君は自ら進んでそのような危険人物と関わり合いになろうとする!
 そのゼルギウスとやらも、相手の男も、自らの意思で殺し合いを始めたのだろう?
 戦いの中でしか生きられぬ者がこの“ゲーム”で命を落としたとしても、それは自業自得だ。
 むしろ、己の選んだ生き方を最期まで貫き通せるのだから、当人にとっては幸せなことだろう。
 奇麗事を振りかざして他人の生き方を変えさせようなどと考えるのは、ただの傲慢でしかない」
「そうなのだとしても、やっぱり私はやめさせたいんです!」

アティは目を開き、ネスティを真正面から見た。静かだが毅然とした口調で言葉を返す。

「命が尽きるまで傷つけ合わなければならないなんて、そんな哀しい生き方が幸せなはずはありません。
 だって、ゼルギウスさんも赤い服の男性も、とてもじゃないけど幸せそうになんて見えなかったもの。
 たとえそれが本人の意思によるものだとしても、好き好んでそのように生きているとは思えません。
 そうせざるを得なかったから、そうならざるを得なかったから、ただそれだけのことなのに……
 別の生き方を示さずに自業自得の一言で片付けるなんて、そっちの方が傲慢です。
 それに……、本当に殺し合いしか望んでいないのなら、私に手料理を振舞うはずがありません。
 私の言葉に耳を貸すはずがありません。自分自身について語るはずがありません。
 ゼルギウスさんは口ではああ言っていたけど、本当は戦い以外の生き方を欲しているんだと思うの。
 だから私はゼルギウスさんのところに行きたい。伝えなきゃいけないことも沢山あるから……」

アティの言葉をネスティは黙って聞いていた。
しばしの沈黙。剣戟の音や雄叫びは、何時の間にか止んでいた。
ネスティは何かを思案するような顔でアティをしげしげと眺めていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

「君は殺人者の心理について随分と自信を持って断言するんだな」
「私、知ってるんです。本物の人殺しの心がどういうものなのかを……」
「なるほど、君は私情で人を殺したことがあるというわけか……」

アティは無言で微笑んだ。
たったこれだけのやり取りでネスティは真実に気付いてしまった。それはとても哀しいことだ。
何故なら、陽の当たる場所で生きている人間には決して辿り着けない真相だから。

大抵の人間は、殺人者について推察することが出来る彼女を見て、優しい人だと考える。
信頼に値する善良な人間性の持ち主なのだと考える。或いは、甘い考えの持ち主なのだと考える。
しかし彼はそういう風には考えなかった。そのような視点で――善良な、或いは
純粋な心の人間が当たり前に存在するという前提で――物事を見ることが出来ないのだ。
彼はきっと、他人を信じることはおろか、人間というものに希望を持つことすら出来ないのだろう。
それでも彼はアティに手を差し伸べた。傷を負っていても尚、手を差し伸べざるを得なかった。
それはとても哀しいことだ。そしてとても尊いことだ。だからアティは微笑んだ。
哀しみを打ち消すために。感謝を伝えるために。彼の心にも微笑みが伝播するように。

しかしネスティは笑わない。
呆れと苛立ちがない交ぜになった表情でアティから目を逸らした。

「まったく。何故そこで笑うんだ。笑ったところで過去が消えるわけではあるまい。
 ……そんなことより、怪我の手当てと休息を取るための場所の確保が先決だ。
 この様子では、決着は既についている。今から駆けつけたところでどうにもなるまい。
 だから今は心身の回復に専念すべきだ。ゼルギウスが生きていたときのためにも、な」



【C-3/村/1日目・夜(臨時放送前)】

【アティ@サモンナイト3】
[状態]:左腿に切り傷(軽傷)、身体的疲労(軽度)、精神的疲労(重度)
[装備]:呪縛刀@FFT
[道具]:支給品一式
    改造された無線機@サモンナイト2(?)
[思考]0:対話と交渉でヴォルマルフからベルフラウの蘇生法を得る。
    1:ネスティの言葉に従い、手当てと休息。
    2:漆黒の騎士(ゼルギウスさん)のことが気がかり。
    3:ディエルゴのことが本当ならば、なんとかしなくては

【ネスティ@サモンナイト2】
[状態]:全身に火傷(軽症)、身体的疲労(中度)、精神的疲労(中度)
[装備]:ダークロア@TO 、村人の服(その下に、襟元と手足に包帯を巻き付けて肌の露出を無くしてます。)
[道具]:支給品一式(食料1/2食分消費) 、蒼の派閥の学生服(ネスティ用)、女性用の黒い革製の衣装一式(詳細不明)、包帯。
[思考]1:安全を確保できる場所でアティの傷の手当てを行なう
   2:仲間たちとの接触も早めにしたい
   3:自分と仲間の身の安全を優先
   4:自分がマグナに信頼される人間である為に、アティに協力。
   5:アティの無謀ぶりと漆黒の騎士(ゼルギウス)に危機感。
   6:“赤い悪魔(ハーディン)”と顔色の悪い少年(ヴァイス)を警戒。
[備考]:女性用の黒い革製の衣装一式(詳細不明のボンテージ)の詳細は次の書き手様にお任せします。
   :ネスティはアティが少年(ヴァイス)に性的暴行を受けたかもしれないと考えています。
   :アティから漆黒の騎士(ゼルギウス)に関する情報を得ました。

109 残照 投下順 111 再会、そして…
113 Knight of the living dead 時系列順 084 奴隷剣士の報酬
092 夕日の下の苦悩 アティ 116 瞳に秘めた憂鬱
092 夕日の下の苦悩 ネスティ 116 瞳に秘めた憂鬱
最終更新:2011年01月28日 14:39