瞳に秘めた憂鬱◆j893VYBPfU


アティの精神状態がどうみても思わしくないのと、
彼女達が拠点としていた民家が、既に敵対者達に知られている事もあり。
ネスティ達は手近にある適当な民家で応急措置を取ることにした。

これなら、他の参加者に発見される可能性を極小に抑えられる。
何事も、準備が整ってからでないと為すべき事も為せないのだから。


――もし、万が一。


アティがそのまま最初にいた拠点に向かっていたとしたら?
二人の生命は危うかっただろう。

そこにはちょうど憎悪と嗜虐に猛る人間獣が、
アティ達への復讐に待ち構えていたのだから。

ベルフラウの死による絶望に囚われたままのアティと、
白兵戦闘においては素人に毛が生えた程度のネスティでは、
年若いとはいえ完全武装した戦闘の熟練者を相手取るのは難しい。
なにより、その士気において雲泥の差があった。

だが、ネスティの機転故に、その最悪の可能性だけは回避された。
とはいえ、状況はさほど好転したわけではない。

村の各所で、二人を狙う死の顎が待ち構えている事には違いないのだから。
まずは、それら全てを退けなければならない。


――生き延びなければ。そして、残された大事なものを守らねば。


己の為に。そして、皆の為に。
そういった意味では、アティとネスティの利害は確かに一致していた。
その為には、少しでも協力しあわねばならない。
たった一人では、何一つままならないのだから。

その現実を嫌という程この半日で思い知らされ続けてた二人は、
お互いに感じいる所があったのだろう。

二人はお互いに怪我の応急措置を取りながら。
気が付けば、どちらからでもなく。
これまでに起こった出来事を話し合っていた。


          ◇          ◇          ◇


「…ごめんなさい。
 ネスティさんも、アメルさんを失ったばかりだというのに。
 わたしったら。いえ、わたしばかり…。」

丈の短いスカートを、さらに上へとたくしあげ。
慣れた手付きで左腿の傷に包帯を巻きながら。
アティはその憔悴を到底隠しきれていない、
外れかけた仮面の微笑みをこちらに向けた。


――あまりにも無防備な、その格好で。


アティのほうに顔を向けると。
その眩しい剥き出しの太股と、その先にある白い下着が
否応なく視界に飛び込み、視線がそこに釘付けになる。

彼女が自分の痴態に気付いた様子は一切ない。
元々、そういった事に無頓着な性格なせいなのか?
あるいは大事な生徒の死で思考が鈍っているせいか?
ただ僕のような年頃には、少々刺激が強過ぎる。

アティにその無防備さを注意をしようかとも思ったが…。
不覚にも一度見入ってしまい、声を掛ける時期を逸してしまった。
今更それを教えれば、自分が今までそれを覗いていた
事実まで暴露する事になる。それだけは避けたい。
だが。


――ものすごく、目のやり場に困るのだが?


僕は色んな意味で居た堪れない気分になり、
何も気付かぬふりをして返答に応じる。

「いや、僕の場合は…。少々、複雑だな。
 アメルが死んで悲しくはあるのだが…。
 不謹慎な事に、心のどこかで安堵している。
 だから、だろうな。君と違って、こうやって落ち付いていられるのは。」

アティは黙って、その澄んだ瞳でこちらの顔を覗き見る。
どうもこの女性は苦手だ。アメルと接しているような気分になる。
余りにも無防備というか、人間の悪意や欲望に無頓着過ぎるというか。

その癖、こちらの心の奥底まで見透しているような視線を送る。
自分の隠しておきたい醜い部分まで、話さずにはいられないような。
そして、拒絶することが酷く罪深い行為であると感じさせるような。
こうしてただ向き合うだけで、そういう気分にさせられてしまう。

もしかすると、あの漆黒の騎士もまた同じような思いを抱いたのだろうか?
――そう考えずには、いられなかった。


だが、彼女はアメルとは決定的に異なる点が一つある。


――彼女は、決して無垢な「聖女」などではない。


既に私情で人を殺した事がある。
その両腕は、既に鮮血で染まっているのだ。
いくらその身体を綺麗に洗い流したとしても。
その心魂に染みついた穢れだけは、流石に拭い切れるものではない。
一度でも人を殺した事がある人間は、身に纏う空気が異質となり果てる。

殺人者の血臭は、未来永劫に付きまとうのだ。本人の業として。
僕はその残酷な事実を、これまでの仲間達の背から学んでおり。
それが故に、彼女の本質を一目で見抜けたのだ。

だが、それによって畏怖を感じるという事は殆どなく。
その事実が却って、彼女もまた笑いもすれば憎みもする、
正負の感情を持ち合わせる「人間」である事を強調する。

心身ともに大きく浮世離れしていた、
幻想的な少女であるアメルとは違い。

アティの大人の女性がだけが持ちえる肉感的な肢体も。
それに釣り合わぬ、童顔で柔和な顔立ちと澄んだ瞳も。

むしろ、その心身のアンバランスさこそが。
現実の血肉の通った女性の魅力として僕の両目に訴え、
いらぬ情欲をかき抱かせる要素にまでなってしまう。
アメルとは似て非なる、しかも大人の女性か…。


――邪念を振り払う。


彼女の視線が色んな意味で辛くなり、身体ごと彼女から顔をそらして。
小さく咳払いをして、改めて口を開いた。
――ええいっ。欲求不満なのか、僕は?

「掛け替えのない親友だからといって、
 本人の性格に非がないからといって、
 全面的に存在を肯定出来るとは限らない。
 むしろ、近しい関係だからこそ、苛立つ事も嫉妬する事もある。
 僕にとって、アメルとはそういう女性だったんだ。
 いっそ敵でありさえすれば良かったと、どれだけ思った事か…。

「親友の筈なのに、傍にいると胸が苦しく、また離別すると心から安堵する。
 アメルは僕を嫌ってなどいなかった。むしろ好ましく思っていたのにな。
 彼女の死で、やはり僕は穢れているのだなとつくづく思い知らされたよ。」

「そんな僕を、おかしいとは思わないのか?」

――当然だ。普通、親しい人間が死んで安堵とするなどあり得ない。
そして、その原因もマグナが奪われてしまうかもしれないという、
嫉妬と焦燥の念に駆られてのものだ。醜いにも程がある。

独占欲、執着心、嫉妬に駆られて、咎のない己の親友にさえどす黒い感情を抱く。
それはもう、精神を病んだ異常者以外の何者でもないだろう。

「“人でなし”だと、そうは思わないのか?」

先祖もまた、よく似た感情を抱いた事実を僕の血が教える。
やはり、融機人は冷血動物の“人でなし”ということか。
その癖、ただの人間以上に利己的で浅ましいと来ている。
僕はそう、自嘲に口を歪ませる。

「いえ。私はそうは思いません。」

だが、彼女は。
僕のどす黒い感情を、ありのままに肯定した。
どこか酷く寂しげで、悔悟するようにも見える儚げな笑顔で。

「人の心は、全部が全部綺麗なものばかりじゃない…。
「憎いって気持ち。羨ましい気持ち。そして、妬ましいって思う気持ち…。
 誰だって、持ってる。捨てることは出来ない。そういうものなの。
 私だって、それは同じ…。」

そうして、彼女はほんの一時だけ。
唇を噛み締めて苦悶の表情を見せ。

「そうした気持ちに折り合いをつけて。人は、生きているの。
 だから貴方は、決して“人でなし”なんかじゃない。」

皆、そうであるように……ね。
そう小さな呟きを付け加えながら。
彼女はもう一度微笑んだ。

穢れた存在を決して理解できぬ、天使や聖女の慈愛などではなく。
こちらと同じ負の感情を持ち合わせる、同病相憐れむ人間として。
上からの救済ではなく、対等の存在として。
――彼女は、この“人でなし”を肯定した。


僕はその言葉に、罅割れた心が何かで満たされるようになり。


僕は……今?


――自然に、頬を伝うものがあった。


アメルには、以前から嫉妬と畏れに似た感情を抱いていた。


その笑顔で、いつか自分から何もかも奪い去ってしまうのではないかと?
己の居場所も。掛け替えのない友人も。
己の半身ともいえる、マグナさえも。
全くの悪意なく。無邪気かつ残酷に。

だが、素直に彼女を憎めなどできなかった。
彼女には一切の非などあり得ないのだから。
むしろ、彼女こそが被害者であるのだから。
かつて僕の一族が、彼女に為した所業を思えば。

むしろ、彼女を憎むことで自分の醜さを
自覚して心が傷付き、擦り切れていく…。
そして、無邪気に僕の傷をさらに押し広げる彼女がまた憎くなる。
そうした、負の螺旋により、混沌とした感情は蓄積されていく…。

それが、僕が彼女に抱いていた鬱屈した感情の全てであった。

そうした、矛盾する感情に悶々とすると同時に。
奥底では、彼女に赦されたいとさえ願っていた。

実に都合よく、身勝手も極まる。
エゴの塊でしかないその醜悪さ。

だが、もしその思いを告白すれば、アメルは一も二もなく即座に赦しただろう。
その僕の醜さの根底にあるものを理解すらせずに。だからこそ、言い出せなかった。

彼女は、あくまでも豊穣の天使アルミネの転生。
最初から人でないが故に、人の悪意を理解できない。
そして、安易に彼女に許されてしまえば。
僕は己の罪悪すら簡単に忘れてしまう…。

何一つ償わず、何一つ罰せられる事もなく。
そんな恥知らずには、決してなりたくはない。

――だからこそ、アメルにだけは言えるわけがない。
そういったジレンマを、常に抱えていた。

そして、彼女の死により。
僕は永久に赦される事などなくなったと。
逆に、これ以上苦しむ事もなくなったと。
悲嘆と諦めと安堵の入り混じった、
形容しがたい感情を抱いた矢先に。

僕は、同じ負の感情を抱く対等の罪人である人間に。
そのままならぬ醜さと葛藤を理解され、認められた。
それは決して、アメルに罪が赦された訳ではなかったけれど。


――ただ、それが何よりも嬉しく。


気が付けば。
“人でなし”のその目から、一筋の温水のようなものが流れていた…。


          ◇          ◇          ◇


「…そうだ。カーチスさんを呼ばなきゃ。」

これまでにあった、お互いの出来事の情報交換を終えた後。
アティは無線と援軍の存在を思い出し、それを僕に伝えた。

「カーチスさんなら、力になってくれるかもしれません。」


――しかし、取りだした無線機は。


先程の戦闘の際に衝撃でも加わったのか、
電源を入れても雑音が聞こえるばかり。
アティが頑張って色々と触ってはいるが、
正常に動作する気配は一向にない。

どうやら、援軍は期待できなさそうだ…。
――ただし、今僕が今融機人としての能力を使ってみせれば?

完全に壊れている訳でなければ、無線機程度の玩具。
構造を掌握して、無理にでも機能させる事は可能だ。
カーチスという彼女の知り合いとも、それで連絡は付く。

僕は手を伸ばし、彼女の手にある無線を握ろうとしたが。
――そこで、ふと思い直す。

僕が彼女の目の前で、その異能を使うという事は?
僕が融機人である事を、彼女に暴露する事を意味する。
機械と生身の融合体、つまりは真っ当な人間ではないという秘密を。

彼女にそれを話してもよいのだろうか?
僕が本当に“人でなし”だと知った時。
彼女は一体、どう感じるのだろう?


 「どうした亜人?『何故それを?』とでも言いたそうな顔だな。
  如何だ、人間の真似事は楽しいか?」


昼間のあいつの言葉を、ふと思い出す。
所詮、僕は必死になって人間の振りをしているに過ぎない。
おそらく、アティなら僕が人間でないと知っても、
その態度を変えはしないだろう。

――だが、万が一。
僕の期待が、あっさりと裏切られてしまったら?
彼女の言う“人間”は、あくまでも人間という種族限定のものに過ぎず。
元々、融機人など想像の内になど含まれていないとしたら?
僕は、きっと立ち直れなくなるだろう。


――怖い。その万が一が、あり得るのだとしたら…。


アティがこちらを見つめる。


――その視線が怖い。その綺麗な瞳が、蔑みに濁る可能性を考えると。


僕は目を合わせるのに堪えられず、ただ俯いて視線を逸らす。
アティは「私を信じてほしい」と、ただ無言で訴えかける。


――すまない。君のその期待には、答えられそうにない。


気が付けば、僕は伸ばそうとした手を退いていた。
アティはただ悲しそうに、この僕を黙って見つめる。

「…すまない。」

僕はただ、こう答えるのが背一杯で。
歯切れ悪く、ただ一言だけ謝罪をした。


――どうやら僕は、好意を抱いた人すら信じ切る事が出来ないらしい。


「気にしないで、ネスティさん。」

アティが、そんな臆病な僕を慰める。
内心の悲しさが伝播しないように、笑顔の仮面を被りながら。
そして、そんな悲しい笑顔をさせたのは他ならぬ僕だ…。

「言い出せない事なら、無理に口にする必要はありません。
 本当にお話しをしたくなった、その時にでもいいんです。
 貴方が無理をしている姿を見るのは、私も辛いですから…。
 …だから、ね?」

「…ありがとう、感謝する。」

僕も習って、強張った表情を崩してみる。
――上手く、笑顔の形になっただろうか?

もしかすると、初めてではないだろうか?
こうやって、人の為に笑ってみせるのは。

こうしてみると、少々気恥ずかしくなってきた。
僕はそんな思いを振り払う為、彼女に身体の具合を聞く。
あんな男に襲われた後だ、無事でない方がおかしいだろう。

「ところで、身体の方は大丈夫なのか?」

「ええ。足の傷以外は。少し転げ回って、擦りむいただけですから。」

そういって、彼女はまた笑って誤魔化そうとする。
ただし、顔色もそう悪くない事から身体に受けた傷については事実なのだろう。
心に受けた傷については、先程の様子から考えても計り知れないものだろうが。

「とはいえ、服も随分とあちこちが擦り切れているし、汚れてもいるな…。」

そこで、ふと思い出す。
確か、先程僕は真新しい女性用の衣装の一式を手に入れていたはず…。
あれなら、今の服装の代わりにもなるのでは?

「いや、実は丁度民家には似つかわしくない、女性用の着替えを手に入れたんだ。」

僕はアティに事情を話し、部屋の隅にある自分のデイバッグへと向かう。

「もしかすると、誰かが合わないからと置き捨てた支給品かもしれない。
 だったら、装備も…あっ」

そうして置いてあった、デイバックを広げようとして――。

僕は硬直(フリーズ)した。
その自分の発想の、あまりの愚かさに。

問題は、その衣装の過激性にある。
今袋にあるのは、黒いボンテージ。

つい先程、強面の少年に様々な意味で襲われたばかりの女性に、
下着姿かと見まがうばかりの際ど過ぎる衣装を貸し与える青年。
それが客観的に見て、一体どういう存在なのだろうか?

「変態」

まさに、それ以外に表現のしようがない。

いや確かにアティが着ればそれはもう十分に似合うだろうというか
むしろ着て欲しいような何を僕は劣情に流されてるんだこの変態と
暴行されたアティをさらに傷付けかねないものを用意してどうする
アメルすら軽蔑しかねない発想をうんこれは魔が差しただけなんだ
今心に浮かんだ邪念は忘れろ僕はいま普通じゃないマグナの兄弟子
なんだそれに相応しい人間であれ性犯罪者まがいな言動など取るな
今からでも遅くはない行動を取り消せ全てをなかったことにしろ

混乱の極みにあった自分の思考を、ようやくの思いで整理すると。
アティがこちらを心の底から憐れむような視線で僕を見つめ――。

気が付けば、すぐ傍にまでいた。
彼女の甘い吐息がかかるほどに。
僕はそれに陶然となるが、同時にそれが恐ろしくもなり。

――心拍が跳ね上がる。息が荒くなり、頬を冷や汗が伝う。

まさかとは思うが、僕の心を本当に覗き見でもしたのだろうか?
いや、それならもっと汚らわしいものを見る目で僕を軽蔑するか、
もしくは可能な限り遠ざかる筈だ。アティ、君は無防備すぎる…。

それとも、さりげなく誘惑でもしているのか?
違うのだろう?だったら…。

頼む、頼むから今は近づかないでくれ…。
色んな意味で、平静ではいられなくなる。

――心臓が口から出そうな程に動悸は激しくなり、吐く息はさらに荒さを増し。
じっとりとした嫌な汗が、その背からも流れる。

僕が抱いた妄想が、好意を抱いた当人にばれるかもしれない恐怖。
僕が別の意味で人間扱いされなくなりそうな、尊厳に関わる恐怖。
加えて、持て余すどうしようもない青少年の劣情。

僕は今、尊厳という意味で絶体絶命の窮地に立たされていた。

――僕が、僕でなくなりそうだ…。

落ち着け、落ち着くんだネスティ。
今こそが、僕が完全に変態と見做されるか、
まともな人間のまま扱われるかの分水嶺だ。
妄想は全て忘れろ。いいな…。

僕は大きく息を吸い――。

「僕は何も拾っちゃいない!いないんだ!だからアティ。なんでも…」

僕は大声で何も持ってなどいない事をアピールする。
デイバックの中にある衣装を、覗かれるかもしれない。
そう思い、開きかけた袋を急いで後ろに回そうとして。
慌てて手を滑らせてしまい。

――ことり、と。

デイバックを、取り落してしまい。
衣装の一部である、革製の首輪が転げ落ちる。

僕が彼女を止めようとする暇さえ得られず。
気が付けば彼女が見るからに怪訝そうな顔をして
デイバックを手に取り、その中身を覗き見る。
――見られてしまう。

 それは、衣装というにはあまりにも際ど過ぎた。
 小さく、狭く、そして曲線美を誇張し過ぎた。
 それはまさに下着にも等しかった。

胸部に付いてある札を、アティは黙って見つめる。
エトナのボンテージ(ただしサイズは大人用に修正)』。


白けた空気が、一帯を支配する…。


「私にこれを着て欲しいと、そう仰るのですか?
 …ネスティさん。」

たちまちのうちに、絶望とは違う意味で目が濁るアティ。
僕は全身から血の気が引く思いで、彼女に弁明を始める。

「い、いや違うんだ!この衣装はほんの少し、魔が差しただけで!
 別に君に着てもらう為に拾ったわけでも、勧めるわけでもないんだ!
 だ、第一!あんな事をされた後の女性に、
 さらに過激な衣装なんか勧める筈が…あっ。」

ドツボに嵌る。
これ以上ないほどに、見事なまでに。

「あんな事?どういうことでしょうか?」

怪訝な顔をして、アティは僕に問い詰める。
全くそんな事は預かり知らないと言わんばかりに。
だが、だからこそ何を考えているのか、
それを知りたいと言わんばかりに。

――まさか、勘付かれたのか?

聞くな。
聞くな。
聞くんじゃあない。
聞かないでくれ。頼む。

君は、僕を変態に仕立て上げたいのか?

「い、いや。兎に角忘れてほしい。なんでもない。なんでもないんだ…。」

慌ててそう取り繕うが、彼女が僕の言い分に耳を貸すはずがなく。

「いえ、私の事なら平気ですから。
 どんな事を言われたっていい。覚悟なら出来てます。
 貴方の事だったらいい。でも、私の事で気遣われて
 ネスティさんが黙って辛い思いを我慢するのは、
 私だってもっと辛くなるんですから…。」

彼女は真剣な顔で、今心に抱いている思いを告白する。
この僕が、違う意味で穢れた人間であるにも関わらず。
決して避けることなく、真正面から向き合おうとする。

でも、その笑顔は反則だ…。
頼む、頼むから止めてくれ…。
こちらを心から気遣い、慈しむような顔をしないでくれ。
それではまるで、黙秘するほうが罪深い行為じゃないか…。

これで真面目に答えなければ、彼女は大きく傷付いてしまうだろう。
これで正直に答えたりすれば、僕は完全に変態扱いをされるだろう。

どちらに転んでも、結果は嬉しいものではない。
だったら。結局は僕が汚れるしか、ないのか…。

僕は犯した罪の自供を強制された被告人の気分で。
喉から絞り出すように、ゆっくりと重い口を開く。


「君はあの少年から、いわゆる“暴行”を受けなかったのか?」


――空気が凍り付き、極寒の空間へと変じる。


アティの表情が、真顔のまま硬直する。
そこから少し遅れて、双眸に理解の色が広がり。
同時にその顔を、羞恥のあまりに紅潮させ。
その豊かな表情で、猛烈に僕に抗議をする。


――それ、絶対に違いますからっ!


――決して、そんな事はなかったですからっ!


口には出さずとも、その顔は無実である事を雄弁に語っていた…。
ああ。一体なんという事を口走っているんだ、僕は…。

「…違ったのか?だったら、いいんだ…。」

だが、一方でその懸念が取り越し苦労である事に心より安堵する。
もし懸念が事実なら、彼女をさらに傷付けていただろうから。

 そういえば、さっきも流血していたのは太股の付け根近くで、
 下着の方には一滴も血や体液は付着して…

僕がそう取り留めもない事を考えていると。
アティは急に思い出したように、慌ててスカートの裾を押さえて。
こちらを無言で睨みつける。その両頬は既に薔薇色にまで染まり。
その仕草が妙に愛らしくも見えたが、酷く嫌な予感がして…。

 待て、さっきの思考が漏れていたのか?
 もしかして、気が抜けたあまり独り言を?

絶望で、目の前が暗くなる。
アティが無言で僕を見据える。
視線が、今度ばかりは突き刺さるように痛い。
僕は、その迫力で目を逸らす事すら出来ず。
僕の状態は、今は蛇に睨まれた蛙にも劣る。


――チェック・メイトだ。


もう、どんな言い訳も通用しないだろう。

“人でなし”だとか、“融機人”だとか、
そういうのとは完全に違ったベクトルで。

彼女は僕を心から嫌悪して侮蔑することだろう。
揺るぎようのない“変態”という評価でもって。


ふ。
ふふふ…。


僕は。


僕は何がしたかったんだろう?


助けて助けて助けて。


誰か、僕に教えてくれ!
僕は如何すればいいんだ!


「変態だと、素直に認めればいいんです。」


僕の脳内で誰かが囁いた。
声の主は、考えるまでも無い。


「私は見られたくなかった、でも貴方は覗いちゃった。だから、貴方は汚れればいい。」


誰かが囁いている。
違う。
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。
僕は間違っただけなんだ、覗きたくて覗いたわけじゃないんだ!
少し魔が差しただけなんだ、半裸が見たいからじゃあないんだ!


「そうなの、でも関係有りません。見て、これが貴方が変態である証拠です。」


誰かの声に僕は立ち竦む。
背後から伸ばされた腕が指し示す方向に、革製のボンテージがある。
黒光りする過激な衣装が、嫌に存在感を誇示する。


「違うんだ、許して、助けて、僕は、誰か…。」


          ◇          ◇          ◇


視界が絶望で真っ暗になり、思わず膝を付き項垂れる僕の頭上から。
気が付けば、くすくすと笑うアティの声がかかり。

――ふと見上げてみると。
彼女は実に、晴れやかに笑っていた。
先程の事など、何も気にしていないといった風情で。

うろたえる僕の態度があまりにも可笑しいらしく。
彼女はただ無邪気に、さも楽しそうに笑っていた。

――いや、それはないんじゃないか?
こっちは本当にどうしようかと真剣に悩んでいたというのに。
確かに、僕にはこの事で抗議をする資格なんかない。
でも、笑い物にするのは、流石にどうかとは思うが?

僕はアティの態度に少々腹を立て。
そこでふと、今の状況を思い直し。
そもそも、この凄惨な殺し合いの場で、お互い何をやっているんだという
実に馬鹿げた、ごく当たり前の事実に気付き。

気が付けば。そこかしこに危険が満ちている場にも関わらず。
いつの間にか、僕達は二人で声を上げ笑っていた。


笑いで、目頭が熱くなる。
肺が貪欲に空気を求める。

ああ、随分と久し振りのような気がする。
こんな馬鹿馬鹿し過ぎるやり取りで、
心から悲しんだり笑ったりするのは。

いや。人間とは、本来こうあるべきなんだろう。
日常の中で、ささいなやり取りに一喜一憂するのが人間なんだと。
殺し合いという非日常に慣れ、あらゆる感情を凍結させてしまう事こそが、
人として最も悲しむべき事なんだと。

そんな当たり前過ぎるが、この殺し合いという場で忘れかけていた事を、
僕は思い出した。アティが思い出させてくれた。

アティもそれは同じ気持ちだったようで。
初めて出会った時のような、今にも壊れそうな危うさは既になく。
瞳は完全に輝きを取り戻し、その身に活力が満ちていた。

やっぱり、たった一人で困難に立ち向かうよりは。
誰かと共に立ち向かう方がいい。

こうやって、知らずに失っていたものだって、すぐに取り戻せる。
マグナやアメルと共に困難に立ち向かった時のように。

よし、まずは彼女と一緒に、ゼルギウスの暴走を止めよう。
そして、この愚かしい会場からの脱出の手段を模索しよう。
僕がそう決意を新たにした所で。


「――初めまして、皆様方。
 私は悪鬼使いキュラーと申す者。以後、お見知り置きを。」


本来はあり得ないはずの、放送が。
あの死んだ筈の悪鬼使いの、慇懃無礼も極まる声が。
その内容の全てが、人間の醜さを暴き立て、抉り出すものとして。

僕達の笑顔を遮るように、朗々と響き渡った…。


【C-3/村(民家)/1日目・夜(臨時放送直前)】
【アティ@サモンナイト3】
[状態]:左腿に切り傷(応急措置済)、精神的疲労(中度)
[装備]:呪縛刀@FFT
[道具]:支給品一式
    改造された無線機(故障中)@サモンナイト2(?)
[思考]1:対話と交渉でヴォルマルフからベルフラウの蘇生法を得る。
    2:漆黒の騎士(ゼルギウスさん)のことが気がかり。
    3:ディエルゴのことが本当ならば、なんとかしなくては
    4:…このエトナさんの服、着るべきなんでしょうか?
[備考]:改造された無線機は、ヴァイスとの戦闘時による衝撃で故障しています。
    正常に動作させるには、適切な部品を集めて修理を施す必要があります。
    ネスティをかなりエッチだが、本質的には良い人だと誤解(?)しています。

【ネスティ@サモンナイト2】
[状態]:全身に火傷(応急措置済)、身体的疲労(軽度)、精神的疲労(軽度)、羞恥と狼狽
[装備]:ダークロア@TO 、村人の服@現実、顔を除いた全身に包帯
[道具]:支給品一式(食料1/2食分消費) 、蒼の派閥の学生服(ネスティ用)、
    エトナのボンテージ(サイズは大人用)、予備の包帯
[思考]1:仲間たちとの接触を早めにしたい
    2:自分と仲間の身の安全を優先
    3:自分がマグナに信頼される人間である為に、アティに協力。
    4:アティの無謀ぶりと漆黒の騎士(ゼルギウス)に危機感。
    5:“赤い悪魔(ハーディン)”と顔色の悪い少年(ヴァイス)を警戒。
    6:アティに己が融機人である事を話すか、考え中。
    7:自分の心を救ったアティへの感謝と好意(及び劣情?)
    8:…僕は、僕は、変態じゃあない!

115 欺き、欺かれて 投下順 117 killing me softly with her love
114 長い間さまよって 時系列順 100 臨時放送
110 REDRUM アティ 132 闇に潜み見つめるモノ
110 REDRUM ネスティ 132 闇に潜み見つめるモノ
最終更新:2012年09月04日 10:31