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終幕――誰も知らない物語

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終幕――誰も知らない物語  ◆Wv2FAxNIf.



 死の淵から救われたV.V.は、ラプラスの魔と共に多くの世界を見た。
 多くの世界の過去を、現在を、未来を見た。
 しかしV.V.達の干渉を受けた数多の世界は今、進むべき道筋を変えている。
 V.V.達が見た未来と同じ未来は訪れない。
 この先の未来を知る者はいない。


 故に、ここから先は。



 誰も知らない物語。



▽

 家の前に立っていた。
 小洒落たデザインの白い家、紛れもなくスーパー弁護士・北岡秀一の自宅だ。
 陽はまだ高いが、閑静な住宅街に北岡以外の人影はない。
 道路のカーブミラーから唐突に出現する姿を見られずに済んだのは幸いだった。
 北岡は胸を撫で下ろして玄関へ向かう。

 しかし、足が止まる。
 北岡が所有する車は二台あるが、駐車場にはそのうちの一台しか停まっていなかった。
 それはつまり、北岡の秘書・由良吾郎が外出している事を意味している。

 バトルロワイアルに巻き込まれる直前の状況を思い返してみれば、北岡は不治の病に侵されてまともに歩く事も出来なかった。
 そんな中で北岡が姿を消した――それもゾルダのデッキと共に。
 そうなれば、吾郎は北岡を探すだろう。
 必死になって、躍起になって、血眼になって探すだろう。
 確かめるまでもない、由良吾郎はそういう男なのだ。

 吾郎が一人で危険な事に首を突っ込んでいないかと心配していると、耳に良く馴染んだエンジン音が聞こえてきた。
 そのまま立っていると、猛スピードで迫ってきた車が乱雑なハンドリングと急ブレーキで北岡の真横に停車する。
 車から飛び出して来たのは、今まさに思案していた由良吾郎である。

「先生……!!」

 吾郎の目には涙が浮かんでいた。
 掴み掛かるような勢いで北岡に接近してきた吾郎は、そのまま何も言わずに俯いてしまう。

「その……ごめん、吾郎ちゃん。
 ちょっと、野暮用があってさ」
「いいんです……先生が無事なら、それで」

 涙ながらに話していた吾郎だが、ふと顔を上げた。
 北岡がこうして真っ直ぐに立ち、普通に会話している事への疑問に数秒遅れで思い至ったのだろう。
 無言の問いに、北岡は逡巡する。

「あのさ、吾郎ちゃん……話が、したくてさ。
 冗談とかじゃなくて、真面目に聞いて欲しい。
 話したい事が、たくさんあるんだ」
「聞きます」

 大真面目に即答した吾郎に少し笑ってしまいそうになる。
 ほんの数日ぶりだというのに、酷く懐かしく思えた。
 何から話したものかと考えを巡らすうちに、北岡は大切な事を思い出した。

「――あ、令子さん!!
 吾郎ちゃん、時間は!?」
「何日前の話ですか。
 先生の姿が見えなくなってすぐに連絡して、またの機会という事に」

 新聞記者・桃井令子。
 何度断られてもしつこく食事に誘い、今回初めて了承を得られたランチデート。
 千載一遇のチャンスを棒に振ってしまった。
 デートをすっぽかすとは、スーパー弁護士北岡秀一にあるまじき失態である。
 北岡は露骨に肩を落とした。
 吾郎のお陰で令子を待ちぼうけにさせるのは免れたが、今後のデートの誘いが成功する確率は低い。
 もっともV.V.に呼び出されていなければ、それこそ待ちぼうけにさせてしまっていたかも知れないのだが。

「まぁ、しょうがないかな」

 北岡はそれ程のショックを受けなかった。
 心象はますます悪くなっただろうが、それでも諦めずにいれば、これっきりという事もないだろう。
 また明日にでも電話を掛ければいい。
 直接令子の職場まで会いに行ってもいい。
 今の北岡には、時間がある。

「先生……病院はいいんですか」
「……うん、まぁ、その事も話すよ。
 とにかく、痩せ我慢とか気休めとかじゃなくて……もう大丈夫なんだ。
 俺は嘘吐きだし、人を騙すのも実は結構楽しんでるけどさ。
 これはホントだから、吾郎ちゃん涙拭きなよ」

 北岡と話しながら、吾郎の目からは滂沱の涙が落ちていた。
 それだけ心配していたのだろうし、やはり信じられないのだろう。

――健康で頑丈な体がある癖に、御主人様が死んだら自分も一緒に死ぬなんて、ただの馬鹿じゃないか……!

 少し前に、北岡はそんな事を言った。
 相手を殴りたいと思う程度には苛立っていた。
 しかしこうして吾郎を見ていると、「そういうものなんだな」と納得出来た。
 北岡が死ねば吾郎も、健康だろうと頑丈だろうと関係なく死にに行くのだろう。
 そういう生き方しか出来ない人間もいる。
 それと同じように、自分よりも他人の命を優先するような道しか選べない人間もいるのだ。
 北岡はそれを痛感し、同時に自分が決してそうはならない事を、なれない事を確信している。

 思い返していると、やはり不満だとか、後悔だとか、嫌なものが胸に溜まってきた。
 相変わらず泣いている吾郎に向けて、北岡は語る。

「敵も味方も、俺の嫌いなタイプだらけだったわけ。
 振り回されるこっちはたまったもんじゃないのよ、一人可愛い女の子がいたけど癒しはその子ぐらいだったんじゃないかな。
 高校生だし、別にロリコンってわけじゃないから幻滅しないでよね。
 あ、その子暫くしたらうちで秘書として雇うかも知れないから。
 吾郎ちゃん、嫉妬しないでね」

 密度の濃かったあの時間の事を話そうとすると、脈絡がなくなる。
 思い付いたままを口に出してしまう。
 常に理論武装をしている弁護士北岡らしくない話し方だった。

「けどさ……あの連中は。
 あの子に、あんな事はさせなかった。
 俺だけだよ、二度も助けられて……二度も、あんな思いさせたの。
 ホントに……俺よりよっぽど、まともな奴らだったよ」

 もっと先に説明しなければならに事があるはずなのに、上手く纏まらない。
 悔しさや、今まで縁遠かったはずの類の感情が先走る。

「先生……もしかして、なんですが」
「何よ」
「…………友達、出来たんですか?」
「……………………冗談よしてよ」

 勘弁して欲しい。
 緊急時、非常時だったからこその共同戦線であって、そうでなければ関わりたくもない人種だ。
 暑苦しい、騒がしい、鬱陶しい。
 それなのに少し名残惜しさを感じてしまっている自分にも気付いていた。
 実に、不本意ながら。

「とにかくさ……令子さんとのデートもパーになっちゃったし、吾郎ちゃんと話がしたいんだよね。
 俺の話を聞いて欲しいし、吾郎ちゃんの話も聞きたいな」

 吾郎は涙を拭く暇も惜しんで何度も頷いた。
 今は信じていないかも知れないが、話せば必ず聞いてくれるし、分かってくれるだろう。
 吾郎から向けられる無条件の信頼を、北岡は心地よく受け止める。

「ありがとね……吾郎ちゃん」

 何から話すか、まだ考えていない。
 気持ちが日常から剥離していて、普段吾郎の前でどんな態度を取っていたのかまだ良く思い出せない。
 しかし不思議と焦りはなかった。
 あれだけの事をした後なら、大抵の事は何とかなると思えてしまう。
 それに、今日のうちに話し切れなければ明日話せばいい。
 明日終わらなければ明後日話せばいい。

「時間は、たくさんあるからさ」

 こうして吾郎と過ごす一年後、五年後、十年後を考える。
 「もしライダー同士の殺し合いで生き残れれば」という不確かなものではなく、確かに存在する『明日』。
 そこにはつかさもいるのかも知れない、狭間や上田もいるかも知れない。
 まだ見えない、しかしいずれ訪れるその未来が、とても楽しみだった。

▽

 夜だった。
 自宅マンションに戻った上田はテレビを点け、日付と時刻を確認。
 数日が経過していたが、たまたま大学の休みと重なっていたお陰で無断欠勤は免れた。
 給与にも評価にも響かない。
 軽く涙が出そうになる程度に嬉しかった。
 ほんの少し前まで生きるか死ぬかの話をしていたのだが、上田は即座に俗事へ頭を切り替えたのだった。

 すぐに大学に連絡を取って手続きを行う。
 フィールドワークを名目に大学を長期間空ける、いつもの事であったので電話口の相手も慣れた対応だった。
 そしてデイパックに残っていた保存食を口にしてからシャワーを浴び、寝間着に着替えてベッドに潜り込む。
 ローゼンの部屋で休んだとは言え、緊張と運動の連続で疲弊し切っていた為、微睡む暇さえない。
 時々目を覚まし、適当に冷蔵庫から出したミネラルウォーターで喉を潤してはまた寝直した。

 はっきりと目が覚めたのは正午。
 翌日ではなく、翌々日だ。
 満足するまで寝た上田は大量に炊いた米を貪る。
 健康そのもの、男らしくオカズもなしに三合の白米を掻き込んでいく。
 その後優雅に身支度を整え、部屋の隅に置いたままだったデイパックに自分のPCを詰め込んだ。

 部屋を出て、向かうのは駐車場。
 空いた助手席にデイパックを乗せ、上田の愛車・次郎号は軽快に走り出す。
 目的地までの道のりは頭に入っているので、ナビや地図は不要だった。
 時間もさして掛からない。

「あんれ、上田先生でねーの!!」

 到着したアパートの前には、鍋をつつく大家・池田ハル。
 それに彼女の配偶者であるジャーミー君に対し、上田は爽やかな会釈をする。
 そして開閉した衝撃で取れてしまった次郎号のドアを直した後、アパートの奥へと足を踏み入れた。

 ある部屋の前で、深呼吸。
 ついでに屈伸をして適度な運動。
 テンションが上がってきたのでその場で腹筋も行った。
 心を落ち着けてドアノブを回そうとすると、鍵が掛かっている。
 四桁の数字を合わせる形式の安っぽい錠だ。

「ふふ……YOU、学習能力がないな。
 既に一度、私に破られた事を忘れたか?」

 以前使った数字を使う。
 カチリカチリと一桁ずつ回していき、――開かない。

「はっはっは、この程度では私の足止めにしかならない」

 上田は鞄からメモ用紙とボールペンを取り出し、今確認した四桁の数字を書き込む。
 そしてまた一桁ずつ回し、0000に合わせる――開かない。
 0000をメモし、0001に合わせる――開かない。
 0001をメモし、0002に合わせる――開かない。
 0002をメモし、0003に合わせる――開かない。
 0003をメモし、0004に合わせる――開かない。
 0004をメモし、0005に合わせる――開かない。
 開かない。
 開かない。
 開かない。



 三時間後、部屋の前には数字が羅列された大量のメモと外れた錠前が!



 天才物理学者らしい完璧な戦術により、部屋への侵入を果たした上田。
 見回してみると案の定、ケージの中の亀とハムスターが飢えて弱っていた。
 ここが主の不在になった部屋であると、言外に告げている。

「…………」

 仕方がないので、無責任な飼い主の代わりに上田が餌を与えた。
 すぐに元気を取り戻した彼らだが、上田に感謝する気配を微塵も感じさせない辺りが飼い主にそっくりである。

 狭い部屋の中、大きすぎる図体を縮めつつ寝転がってみる。
 洗濯物が出しっぱなしになっていたので取り込んでおいた。
 下着を観察してみるが、名前の書かれたそれの色気のなさは流石だった。
 道すがら購入しておいたわらび餅を食べ始める。
 また体を動かしたくなってきたのだが、家具を壊してしまいそうなのでやめた。
 不愉快に冷たい壁に背中を預け、ぼんやりと思考を巡らす。

 他にも思いつく限りの暇潰しをした。
 時折ハムスターや亀がごそごそと動き、外から大家達の声が聞こえる以外は静寂そのもの。
 時計がペースを乱す事なく時間を刻んでいく。
 窓の外が暗くなっていき、やがて闇に包まれた。

 0時。
 日付変更線を超えた。
 部屋には誰も訪れない。

 約束をしていたわけでも、賭けをしていたわけでもない。
 だが上田次郎は、納得した。
 山田奈緒子という女は、もうこの部屋に帰って来る事はない。

 元より覚悟はしていた。
 金糸雀達の話でほぼ確信していた。
 そして「もしかしたら」という僅かな思いも、ここで潰えた。
 持ってきていた封筒と百円玉をちゃぶ台の上に並べてみても、何も起こらない。

「君が来れば、寿司と餃子を死ぬ程奢ってやろうと思っていたんだがな……」

 偶然、ただの気紛れで、奢ってやってもいい気分になっていたのだが。
 こんな機会を逃すとは、あの女には運がないようだ。
 胸がない、金がない、運がないの三重苦である。

「さて……」

 上田は気分を変え、鞄からPCを取り出した。
 勝手にコンセントに繋ぎ、部屋の中央に鎮座したちゃぶ台に乗せて立ち上げる。
 そしてアタッシュケースに詰められていたUSBのうちの一つを接続した。
 同時に開くのは新規のWordファイル。
 USB内の音声を聞きながら、上田はひたすらキーボードを叩く。

 このUSB群が他の誰でもなく上田次郎の手に渡った事には、必ず意味がある。
 少なくとも上田はそう思っている。
 あの会場で散っていった者達。
 彼らの姿を留めて世に知らせられるのは、権威と文才を兼ね備えた上田にしか出来ない事だからだ。
 出版、大ヒット、重版出来、映画化、思わず上田の口からは不気味な笑い声が漏れた。

 狂ったように回し車を回し続けるハムスター。
 脱走しようと足掻く亀。
 マイペースなペット達に囲まれながら、上田は悩む。
 絶対の自信をもって挑んではいるものの、執筆にあたって心配事は少なくない。
 どの程度実名を伏せるべきなのか。
 著作権は大丈夫か。
 そもそも殺し合いなどという非常識にして悪趣味な催しを、ノンフィクションとして出版して良いものなのか。
 懇意にしている出版社はあるが、受け入れて貰えるかは怪しい。
 いっそ今流行りのWeb公開というものを考えても良いかも知れない。
 何しろ返品や売れ残りの心配をする必要がない点が大変好ましかった。

 しかし、一番の不安は世に公開した後にある。
 公開したものが本当に世界的なムーブメントを生んでしまったらどうすれば良いのか。
 彼らの、そして上田の激しいまでの生き様が上田の筆によって描かれるのだ、その可能性も大いにあり得る。
 そうなれば、最も問題になるのは上田を演じる役者だろう。
 上田のような完璧な人間を演じられる役者など存在しない、つまり上田自身が上田役として抜擢されてしまう。
 日本科学技術大学教授として日々を忙しく生きている身としては、非常に困る。
 それに上田の姿が茶の間に流れるとあっては、上田に心を奪われた人々は上田なしには生きられなくなるだろう。
 Jiro Dependence Cyndrome――上田がかつて危惧していた事態が実現してしまう。
 過ぎたる天才は、時に世界の毒となり得てしまうのだ。

「ふぅ」

 頭を冷やした。
 天才上田次郎には執筆以外にもう一つ、やるべき事があるからだ。

 それは本業の天才物理学者としての仕事――あのバトルロワイアルの間に見聞きした現象の解明だ。
 ギアス、自在法、錬金術……挙げればきりがない。
 これらを解き明かせば、世界最高峰の科学者のみに与えられる栄誉『科学と人類大賞』の受賞と賞金五千万とんで七千円は手にしたも同然。
 著作がますます売れて花の印税生活まっしぐら。
 人生の勝ち組待ったなし。

 そう、全ての事象は科学によって証明出来る。
 超常現象はあり得ない。
 上田の基本姿勢であり、山田奈緒子もまたそれを信じていた。
 信じようと、していた。
 霊能力など存在しないと、自分は霊能力者などではないと、信じたがっていた。
 自称霊能力者のペテンにあっさりと引っ掛かる上田だが、本当に揺らぎやすいのはカミヌーリの血を引く奈緒子の方だった。
 だから、上田が証明する。
 バトルロワイアルの会場で奈緒子を困惑させた多くの出来事を、全て解き明かす。
 そうすればあの胸の貧しい女でも、「ありがとう」の一言ぐらいは口にするだろう。
 安心して、あのだらしなくかつ色気のない寝顔を無防備に晒して眠れるだろう。

 天才物理学者上田次郎。
 晴れやかな『明日』を思い描き、今は亡き友人を想う。

▽

 狭間偉出夫は扉の前に立った。
 nのフィールドの中に浮かぶ、無数の扉のうちの一つ。
 この扉の先には、狭間が元居た世界が広がっているはずである。
 狭間が堕とした高校、魔界。
 じんわりと背に嫌な汗が滲む。

 狭間はバトルロワイアルを通じて変わった。
 しかし過去は変わらない。
 世界の在り方が少々変わったところで狭間の犯した罪は消えないし、消えてはならない。

 全校生徒の前で魔神皇を名乗り、学校を魔界に堕とした事も。
 それに伴って犠牲者が出た事も。
 変えようのない現実だった。

 この扉を潜り、人と会えば。
 糾弾される。
 罵倒される。
 罪を問われる。
 イジメよりもずっと厳しい現実が待っている。
 それは、背負っていくと覚悟していても――

 背中を押してくれる者はいない。
 思い出が押してくれると言っても、結局押すのは自分だ。
 一時だけ共にあった蒼嶋も、既にいない。

――狭間君ってば、今更こんな事ぐらいでぶるっちゃうわけですかー!?
――シャドームーンよりも学校のオトモダチの方が怖いんですかー!?

 もし居れば、そんな風に。
 歌い出しそうな程に高いテンションでやかましく、狭間を囃し立てて背中を押したのだろう。
 しかしいないからと言って、何か変わるわけでもない。
 自分の力で、歩いていける。
 もう、開けると決めているのだ。
 狭間は立ち止まるのをやめ、最初の一歩を踏み出す。



 元居た場所――狭間自身の精神世界。
 愛に、友情に、全てに飢えたかつての狭間の心を映し出した世界。
 負の感情に満ち、汚れて濁った醜い世界。
 狭間が蒼嶋のヒノカグツチによって胸を貫かれた地。
 目前に控えるのは、狭間が不在の間に体を休めていた『宿敵』。
 レイコと共に狭間の精神世界まで踏み込んできた『宿敵』――。

 蒼嶋では、ない。
 想定していた通りだった。
 蒼嶋が死亡した世界と同期され、そして世界は蒼嶋の不在に合わせて“代わり”を立てたのだ。
 蒼嶋に代わってレイコの隣りに立つのは、レイコと同じ制服を着た“少女”だった。

 その姿を見て、狭間は目を見開く。
 優れた頭脳を駆使し、あらゆる可能性を考えていたはずだった。
 それなのに、喉から言葉が出ない。

 レイコ達もまた驚きを隠せない様子だった。
 倒したはずの狭間がほぼ無傷のまま復活したとあっては無理もないだろう。
 まして今の狭間は、別人のようなものなのだから。
 狭間は深呼吸をしてから、二人に向けて語り掛ける。

「もう、いいんだ」

 その一言を契機に精神世界が崩れた。
 そして新たに構築される。
 凶々しく醜悪だった色が剥がれ落ち、突き抜けるような晴天が姿を見せ始める。
 歪んだ世界の残骸が欠片となって舞い落ちるその空間に、陽の光が満ちた。

 レイコが狭間に駆け寄り、抱き締める。
 「もう一人にはしないから」と涙を浮かべるレイコに――狭間は首を横に振った。

「いいんだ……欲しかったものは全部、貰ったんだ。
 色んな人達に、教えて貰った。
 僕は、自分で歩いていける」

 狭間偉出夫と離れ離れになり、他人として生きていた実の妹・レイコ。
 あのバトルロワイアルで彼らに出会っていなければ――レイコに縋る事しか出来なかっただろう。
 レイコを巻き込んで、共に堕ちていく未来しか選べなかったかも知れない。
 しかし今の狭間は戸惑うレイコの肩に手を置いて、優しく遠ざけた。
 そして狭間は『宿敵』に向き直る。

「君の名前を、教えて欲しい」

 ヒノカグツチを携えた『彼女』。
 蒼嶋が居たはずの、居るべきであった場所に居るその少女は、不思議そうに首を傾げた。

「知ってるはずだよね?」
「それでも、聞きたいんだ。
 君の口から……」

 訝しんだ様子ではあったが、『彼女』がそれ以上渋る事はなかった。
 胸を張り、姿勢を正し、凛とした声で『彼女』は名乗る。



「レナだよ」



 改めて、狭間は言葉を失った。

 狭間と同じ高校生である『彼女』は、狭間が知る『竜宮レナ』よりもずっと大人びていた。
 良く似た容姿を持ちながら、可愛らしい、と形容するよりも美しい、と言った方がずっと近い。
 明るい茶がかった髪。
 何もかもを見透かすような、静かに燃えるような――それでいて優しい青い瞳。
 まさしく『竜宮レナ』が成長していれば得ていたであろう姿を前に、狭間は目を奪われ、言葉を奪われ、立ち尽くす。

 これはラプラスの干渉によって、本来独立して存在していた世界同士が混ざり合い、因果が絡み合った結果だ。
 よりによって狭間の前に再びレナが現れた事は、奇跡と言う他ない。
 敢えてこの奇跡に理由を付けるなら、あのバトルロワイアルで蒼嶋がレナを庇って死んだ為か。
 あの自己犠牲が、こうして狭間の居た世界に影響したのかも知れない。

 ……分かっている。
 どう理屈をこねたところで、『彼女』は『竜宮レナ』ではない。
 あの世界のあの時代、あの雛見沢、あの仲間達、そしてバトルロワイアルでの経験、全てがあっての『竜宮レナ』だった。
 狭間を魔人皇に――そして人間にしたレナは死に、もう決して戻らない。
 狭間達の記憶の中にだけ息づいている。
 目の前にいるのは偶然姿が良く似た、名前が同じ別人だ。
 それでも――

「……レイコ、それにレナ」

 声を絞り出す。
 涙を堪え、声が震えないよう抑え、話し掛ける。
 この出会いが、この偶然が、この奇跡が、嬉しかったから。

「僕の話を、聞いてくれないか。
 取り返しのつかない事をしたと、分かっている。
 全部が元には戻らないし、一生を懸けても償えるとは思っていない。
 でも、今は……君達と話がしたいんだ」

 全てを知って欲しかった。
 縋る為ではなく、共に堕ちる為でもなく、これから並んで歩いていく為に。

 二人の女性は微笑み、頷いた。
 狭間の声に耳を傾けている。
 いつかに蒼嶋が言ったように、狭間の声は確かに他者へと届いていた。

「……ありがとう」

 魔神皇になった理由。
 魔人皇になった理由。
 人間になった理由。


 死せる者達の。
 DEAD ENDの。
 因果応報の。


 寄り添い生きる獣達の、物語。


 海にも陸にも負けはしない、一点の白すらないこの紺碧の空。
 狭間偉出夫は『明日』に向けて、第二の生を歩み始める。

▽

――行ってきます。

 最後の会話で、そう告げた。
 狭間達との一時の別れとは違う、永別。
 「さよなら」とは、どうしても言えなかった。
 しかし、それが最後になると分かっていた。
 分かっていて、「さよなら」から逃げた。

 それなら、あの言葉は。
 「さよなら」と何も変わらない。

 あの時に限った話ではない――別れが多すぎた。
 再会は少なく、離別ばかりが積み重なって――



 深夜だった。
 街は静かで、通りには誰もいない。
 「世界の改変」と聞いて不安になっていたのだが、柊家は柊家のままそこにあった。
 帰りたかった家が、目の前にある。

 沢山悩んで、生きると決めた。
 帰りたいと思った。
 だが北岡達がいなくなった今、つかさは心細さで再び揺らいでしまう。

 扉の向こうまで同じとは限らない。
 同じ名前の別の家族が住んでいるかも知れない。
 あり得ないとは言い切れない、そんな不安があった。
 そしてつかさの知るままの家族がそこに居たとして、今のつかさを受け入れてくれるのかと。
 或いは受け入れられてしまって良いのかと――ぐらり、ぐらりと、自分の中にある芯が揺れるのを感じる。

 玄関の戸に手を掛けようとして躊躇う。
 自分の手が赤く赤く汚れて見えて、綺麗なものに触るのが怖かった。
 腕と首に残った痣が疼いて、扉がとても遠くに見えた。
 一緒に帰って来れなかった妹、友達や後輩、新たに知り合った人々を思うと、近付けない。
 開けられない。

 自分一人が帰ってきてしまった。
 手を汚して。
 大勢の人に迷惑を掛けて、優しさに助けられて、ここにいる。

 だから。
 つかさは手にしていたデイパックを抱き締める。
 かがみの衣類、こなたの水着、ジェレミアの仮面、アイゼルのレシピ。
 持ち帰ってきた『記憶』。
 自分は一人ではないのだと、もう一度思い出す。

「……返さなきゃ」

 死んでいった人達には、何も返せない。
 殺した人達にも、何も返せない。
 だからせめて、自分に出来る事を。
 あの場で起きた事を、自分のした事を、言われた事を、忘れない。
 受け取った優しさを、自分の周りにいる人達に伝えていく。

 時が流れれば、記憶を美化してしまうかも知れない。
 風化してしまうかも知れない。
 けれど優しくされた時の気持ちだけは、きっと残り続ける。
 それを周りの人へ渡していく、広げていく、繋げていく。
 腕と首に残った痣と一緒に――ずっと、覚えている。

 春の陽気。
 夏の暑さ。
 秋の風。
 冬の雪。
 幾つ季節が巡っても、この気持ちだけは変わらない。

 そして、立派なレディになる。
 調理師になる。
 北岡の助手になる。
 錬金術士を目指してもいい。
 後悔を、罪悪感を、自己嫌悪を、何もかも乗り越えていける願いと夢で胸を満たす。
 大切な人達の願いを無碍にしない為に、もう二度と自分を嫌わない。

 意を決して戸を引くと、開いて光が漏れ出した。
 深夜なのに鍵が掛かっていない。
 つかさとかがみが行方を眩ませたから――二人がいつ帰って来ても良いように、開けたままにしてくれているのだ。
 心配しながら帰りを待っている家族の事を思い浮かべると、目に涙が浮く。
 あんなにも重そうに見えた扉は、ほんの少し力を入れただけですんなりと開け放たれた。

 扉を開けて最初に目に入ったのは、目蓋を泣き腫らした母。
 それに父、二人の姉。
 この時間まで帰りを待っていてくれた家族。
 世界が変わってしまっても、変わらずに残っていてくれたもの。
 自分を無条件に愛してくれる人達。
 安心したつかさはその場に座り込んでしまった。
 泣くまいと思っていたのに、大粒の涙が玄関を濡らす。
 抱き締めてくれた家族の温かさが後ろめたく、そしてそれ以上に嬉しかった。

 言いたい事が沢山あった。
 話したい事が幾らでもあった。
 それでも、最初の一言は決めていた。











「ありがとう。ただいま」












【北岡秀一@仮面ライダー龍騎 生還】
【上田次郎@TRICK 生還】
【狭間偉出夫@真・女神転生if... 生還】
【柊つかさ@らき☆すた 生還】


















この物語の結末に幸いあれ。


















多ジャンルバトルロワイアル 完結


















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176:終幕――見えない未来 柊つかさ 179:新世界交響曲
狭間偉出夫
北岡秀一 178:蒼穹
上田次郎 177:IF


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