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終幕――見えない未来

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終幕――見えない未来  ◆Wv2FAxNIf.



 崩壊していくメモリーミュージアム。
 遥か遠くでは足場である水底が崩れ、そこから無意識の海が溢れ落ち始めていた。
 水かさは徐々に減り、大腿の半ばに届いていた水面は膝程の高さまで下がっていた。

「出口はあるのか……?」
「……今、考えている」

 上田の不安げな声に、狭間は苦々しく答える。
 シャドームーンと戦っていた始まりの場所は、全ての世界に繋がる場所だった。
 そこから落下して着いたという事は、このミュージアムもまた全ての世界に繋がっている。
 ならばここから安全な場所に移る方法があるはずだ。
 しかし、その方法が見付からない――正しくは実行出来ない。
 空間に穴を空けるような力が残っている者は、ここにはいないのだ。
 狭間にはマッパーを使うだけの魔力すら枯渇していた。

 それに外に出られたとして、どこへ向かうのか。
 nのフィールドにドールの案内もなく飛び込むのは自殺行為だ。
 故に狭間は持てる知識を総動員する。
 レナの願いに応える為に、皆で帰る為に。
 出る方法を、出る場所を考える。
 しかし空間の崩壊は刻々と進み、仮定は立てる度に否定されていく。

「? これは――」

 一同が袋小路に追い込まれる中、狭間の眼前で水面が光り出した。
 黄昏の扉の赤い光とは違う、絵の具を幾つも混ぜたような虹色の輝き。
 満月のような真円を描く――nのフィールドの出入り口。
 ガラスや水溜まりと同様、この無意識の海もまた鏡面として成立するのだ。
 そこから少女がひょこりと顔を覗かせ、飛び出した。


「ローゼンメイデン第二ドール、金糸雀かしら!」


 得意げに日傘をくるりと回し、明るい口調と声で堂々と名乗り挙げた一人のドール。
 小さな体躯に黄を基調とした豪奢なドレス、癖のある語尾、愛くるしい顔立ち。
 名乗られずともすぐに翠星石らの姉妹であると分かった。
 狭間が垣間見た彼女達の記憶を辿ってみても、確かにそこにはこの金糸雀の姿がある。

「ふっふっふぅ、ようやくここまで来られたかし、――」

 しかし彼女がその出入り口から一歩出れば、あるのは当然の如く水面。
 足を踏み外し、金糸雀は呆気なく顔面から水中に突っ込んだ。

「――らぁぁっ!!」

 素っ頓狂な声を上げて水に落ちた金糸雀を、狭間達は口をぽかんと開けたまま眺める。
 結局四人の中で一番体力に余裕のある上田が金糸雀を助け起こしてやった。
 水から顔を出した金糸雀は、記憶の奔流に当てられて目を回しているようだった。

「うぅ、ありがとうかしら……。
 お陰で、事情は大体分かったわ」

 ふらつきながら立ち上がる金糸雀。
 そして狭間、北岡、上田、つかさの顔を順に見回すとすぐにその表情は曇り、項垂れる。

「でも間に合わなかったみたい、かしら……」

 翠星石はいない。
 他のドール達も、既にいない。
 偽りの姉妹である薔薇水晶ですら散っていった。
 金糸雀の到着は、確かに遅すぎた。

「でも……良かったかしら。
 こうして貴方達に会えたから」
「君は、僕達の味方なのか?」
「当然かしら!」

 狭間の問いに、金糸雀が自慢げに胸を張る。
 その周囲で六つの拳大の光球――人工精霊がチカチカと煌めきながら飛び回った。
 ホーリエ、メイメイ、レンピカ、スィドリーム、ピチカート、ベリーベル。
 常にローゼンメイデンの傍らにいた人工精霊達だ。

「聞こえたの……翠星石達の声が。
 翠星石達が、この場所を教えてくれたかしら」

 翠星石がシャドームーンに敗れた瞬間、ローザミスティカが見せた最後の輝き。
 それはどこまでも響き、nのフィールド内で姉妹を捜す金糸雀にまで届いていた。
 翠星石は最期に仇敵を殺す為ではなく、仲間を生還させる為に力を使い果たしたのだ。

「とにかく、今は安全な場所に移るべきかしら!
 私が貴方達を、必ず守るかしら!」
「あてはあるのか?」
「えっ……と……とりあえず、みっちゃんの所に、」

 自信なさそうに言いながら、金糸雀は開いたままにしていたnのフィールドの入り口を指す。
 漸く危険から解放され、喜び勇んで入り口へと向かう上田。
 しかし狭間達は座り込んだままだった。

「どうした?
 もしや感極まって――」
「立てないんだよね、これが……」

 北岡がやれやれと溜息を吐き、狭間とつかさが俯く。
 上田以外は体力が底を尽き、立つ事もままならなくなっていた。

「ちょ、ちょっと! あと少しなんだから頑張るかしら!!」

 上田が如何に恵まれた体格と通信教育カラテジツを持っていても、三人を抱えて動くのは不可能。
 しかし崩壊は確実に迫っている。
 ミュージアムの端から流れ落ちていく無意識の海は水位を下げていき、やがては全てが乾くだろう。
 そして器であるミュージアムそのものも消え、それに巻き込まれればどこに流れ着くかも分からない。

 金糸雀がつかさの手を引き、上田が狭間と北岡を何とか立たせようと四苦八苦する。
 遅々として脱出が進まない中で、徐々に近付く終わりの刻。

 空が崩れていく。
 流れ落ちる水音は近い。

「お願い、早く――」

 金糸雀の声が途切れる。
 全員の視界が白に染まり、全てが光に包まれた。

 ローザミスティカではない。
 キングストーンでもない。
 ギアスとも違う。
 その光は優しく、日溜まりのように暖かかった。

▽

「ん……」

 閉じた目蓋に目映い光が刺さり、つかさは目を擦りながら身じろぎする。
 手を翳して光を遮り、目を細く開ける。
 朝陽の差し込む見知らぬ部屋――明るく、穏やかで、柔らかい空気に包まれた部屋。
 しかし一度ここを出てしまえば、もう思い出せなくなるような。
 夢の中で見る景色のような。
 淡く朧げになってしまいそうな儚さがあった。

 本当に夢なのかも知れない。
 全て夢だったのかも知れない。
 ぼんやりとそう考えた。
 しかし鏡台の鏡に映った自分の腕と首にははっきりと青黒い痣が残っていた。
 現実に引き戻され、改めて自分の状況を確認する。

 つかさは柔らかなソファに腰掛けた状態で、肩から肌触りの良い毛布を掛けられていた。
 向かいのソファを見ると、同じように目を覚ました北岡の姿がある。
 欠伸しながら伸びをする彼に怪我はなく、そこかしこが破れて汚れいていた衣服も新品同然になっていた。
 北岡の無事な姿に、つかさは胸を撫で下ろす。

 見詰めているうちに、目が合う。
 先に逸らしたのは北岡の方だった。
 決まり悪そうに俯き、言葉を探しているようだった。

「……謝らないで、下さいね」

 つかさの方から切り出す。
 北岡が言おうとしている事は、何となく分かっていた。

「……選びたく、なかったです。
 でも……それでも私は、自分で選んだんです。
 自分で選んで……今、北岡さんがここにいて、私も隣りにいて。
 『幸せだ』って、思えるんです。
 だから……北岡さんは謝らなくて、いいんです」

 痩せ我慢は、している。
 後悔がないと言えば嘘になる。
 引き金を引いた感触が――命を奪った感触が指に残り、シャドームーンの最期の言葉は頭にこびり付いている。
 けれどこうして大切な人と向き合って言葉を交わす時間の尊さも、確かに実感していた。

「……ズルいんだよなぁ」

 北岡はソファの背もたれに体重を預け、表情を隠すように顔を掌で覆う。
 自分への苛立ちも。
 悔しさも。
 全て押し込むように、いつもの飄々とした声を紡ぐ。

「つかさちゃん、俺よりよっぽどしっかりしてるんだもの……」

 そんな事ないですよ、と。
 言い掛けたところで、北岡の隣りのソファで寝こけていた上田が目を覚ました。

「はっ。
 ………………夢か」

 周囲を見回した結果夢の中だと判断したようで、上田が二度寝を始める。
 つかさが慌ててそれを起こそうとすると、全く違う方向から声を掛けられた。

「お目覚めかしら?」

 金糸雀だった。
 ソファから少し離れた位置にある丸テーブルに着き、対面に座る狭間と話をしていたようだ。
 金糸雀と狭間の前には可愛らしいティーカップが並び、そこに満ちる紅茶からは優しい香りが漂っている。

「ここは、お父様が招いて下さった部屋かしら」
「お父、様……」
「そう……カナ達の、お父様よ」

 口元に笑みを湛えながら、金糸雀は僅かに目を伏せた。
 数秒の間を置いて、すぐに気を取り直すように話を続ける。

「お父様が助けて下さったみたい……きっと、皆が翠星石達と一緒に戦ってくれたからかしら」

 つかさは胸を締め付けられた。
 確かに彼女達の父・ローゼンが助けたのなら、「翠星石達と親しかったから」という理由に他ならないだろう。
 しかしその翠星石も、他の姉妹も、金糸雀だけを残して『遠く』へ行ってしまった。

「結局ここはnのフィールドの中なのか?」
「カナも久しぶりに来たけど、多分そうかしら」

 狭間に対し曖昧に返しつつ、金糸雀はつかさ達に席を勧める。
 全員が着席すると、金糸雀は温めてあったティーカップに丁寧に紅茶を淹れた。
 新たに注がれた三人分の紅茶。
 香りが鼻腔を擽り、つかさは遅れて喉の渇きを自覚する。

「ローゼンさんもこのお家に?」
「……今は、ここにはいらっしゃらないみたいかしら。
 でもとても悲しんでいるのは、伝わってくるかしら」

 五人の姉妹が向かったのは、創造主たるローゼンですら取り戻す事が出来ない程の『遠く』。
 彼女達の命にも等しいローザミスティカは、異世界の賢者の石と共に失われてしまった。

「私ももう、アリスにはなれないかしら」

 金糸雀はぽつんと、独り言のような小さな声で呟く。
 諦観や達観を知るその顔は酷く大人びていた。
 究極の少女アリスを目指す為に造られたローゼンメイデン――しかし彼女がそれを果たす機会は、永遠に訪れない。
 つかさがどう返すべきかと悩むうちに、金糸雀はパッと表情を柔らかくした。

「べ、別にいいのよ!
 お父様の事は愛しているし、勿論アリスにだってなりたかったけど……でも私には、皆と楽しく過ごせる時間の方が――」

 大事だった、と続こうとした声は止まってしまった。
 アリスになるという夢だけでなく、大切にしていた些細な幸せもまた、もう戻らない。
 ゼンマイが切れたドール達に訪れる永い眠りとは違う。
 「いつか」が存在しない、全ての終わり。
 姉妹同士の一時的な別れは幾度も繰り返されていたが、それと永別は似て非なるものなのだ。

 ドレスの裾を握り締めて下を向く金糸雀。
 つかさが心配して覗き込むと、金糸雀は顔を上げて「大丈夫かしら」と微笑んだ。

「ね……それ、飲んでみて」

 金糸雀に促され、つかさは目の前のティーカップに手を伸ばした。
 取っ手まで熱くなっていて、火傷をしないように指先で慎重に扱いながら口元に近付ける。
 砂糖もミルクも入れず、そのまま一口。
 つ、と紅茶が僅かに口の中を湿らせた。
 その僅かだけで優しい味が舌をなぞり、香りが鼻を抜けていく。
 舌を火傷しそうになりながら、少しずつ口に含む量を増やしていく。
 紅茶の熱が喉を通り、全身が温まるのを感じた。

「ほう……」

 意図せず、気の抜けた声を漏らしてしまった。
 肩の力が抜け、足を伸ばす。
 内側から温められた体が弛緩して、ずっと続いていた緊張が自然と解れた。

 多くの出会いと別れ。
 沢山の思い出、記憶。
 人の命を奪った感触。
 シャドームーンが最期に残した言葉は今この瞬間も、脳裏で反芻されて響き続けている。
 それでも今は、素直に自分達の無事を喜ぶ事が出来た。
 北岡と、狭間と、上田と――自分の無事を。

「落ち着いたみたいかしら」
「ありがとう、金糸雀ちゃん……凄く、美味しい」

 笑い掛ける金糸雀に、つかさも笑顔を返す。
 無理せず笑えたのは、きっとこの温かさのお陰だろう。
 「良ければクッキーも」と勧められ、テーブルの中央にに鎮座していたクッキーに手を伸ばす。
 表面に砂糖をまぶしたシンプルなクッキーだった。
 手のひらにすっぽりと収まる小さなそれに歯を立てると、サクリと音がした。
 ほのかな苦みのあるストレートティーに、控え目な甘さが引き立って良く合っている。
 クッキーを食べてからまた紅茶を口にすると違う味わいがあり、ついまたクッキーにも手が伸びてしまう。

 緊張が解けたのはつかさだけではないようで、北岡や上田もくつろぎ始めていた。
 それを確認すると、金糸雀は改めて話を切り出す。

「それでね……今は狭間と、大事な話をしていたのかしら。
 だから貴方達も、ここで聞くといいかしら。
 説明が難し――め、面倒なところは、狭間に任せてあげるかしら!」

 金糸雀が空になった自分のティーカップに紅茶を注ぐ。
 湯気が上がり、部屋に漂っていた紅茶の香りは一層強くなった。

 私もこの子達に教えて貰っている事だから、詳しくは分からないかしら。
 瞬く人工精霊に視線を遣りながらそう前置きし、金糸雀は話し始める。

「翠星石達がいなくなってすぐにね……ホーリエ達が私を呼びに来てくれたの。
 それで翠星石達を探すうちに、ラプラスが作った会場に着いて――でもその時にはもう、会場は崩れ始めていたかしら」

 マップの端と端を繋げるギミックを備えたあの会場は、ラプラスが用意したものなのだろう。
 ならばラプラスが消え、全生存者が移動してしまえば、役目を終えた会場が崩壊するのは自明。
 しかし今頃は既に消滅しているだろうと聞かされると、つかさは心を痛めずにはいられなかった。
 多くの参加者の遺体が残っていた会場が消えるのは、つかさにとってはやはり悲しい事だった。

「会場から貴方達が居た場所までは、近くはなかったかしら。
 多分ラプラスは『兎の穴』を使って移動していたのね」

 真紅達の記憶を辿るとその穴は、要はラプラスが用意した近道の事である。
 そしてそれはラプラスの消滅と同時に消えたという。
 故にミュージアムの発見自体が困難だったはずだが、金糸雀は辿り着いた。
 翠星石が、彼女を導いたのだ。

「ここに来てからは、貴方達はずっと眠っていたの。
 でも、実際の時間はほとんど経っていないみたいかしら。
 きっとここは、時間の流れが他の世界と違うのね」

 ここでなら、金糸雀が力を使ってもゼンマイが切れないらしい。
 つかさ達の衣服が元通りになっているのもそのお陰のようだった。

「本題に入ろうか」

 沈黙を守っていた狭間が口を開く。
 緊張を解いたつかさ達とは違い、狭間の表情は固い。
 ここからの話は決して明るいものではないのだと、つかさにも察する事が出来た。

「金糸雀から詳しい事情を聞いていて、おかしいと思ったんだ。
 金糸雀の話と翠星石達の記憶は、食い違っている」
「ジェレミアとC.C.の時みたいに、微妙に違う時間から――いや、違う世界から来たって事?」
「そうなるな」

 金糸雀の知る蒼星石は、水銀燈にローザミスティカを奪われて眠っているのだという。
 だが真紅、翠星石、蒼星石、水銀燈の四人の記憶を辿ってみてもそのような出来事は起きていない。
 ならば、この金糸雀はバトルロワイアルに巻き込まれた四人よりも未来の世界から来ている事になる。
 そして金糸雀が過去に姉妹達の失踪を経験していない以上、金糸雀の姉妹はバトルロワイアルに参加していない。
 「別の世界から来た」とは、そういう意味だ。

「にも関わらず、金糸雀の世界の翠星石達が失踪したんだ。
 ローザミスティカを失って眠っていた蒼星石や雛苺もな」
「……おかしいじゃない」
「あぁ、だから考えていた」

 ここにいる金糸雀とバトルロワイアル参加者の翠星石達は、言ってしまえば出会った事もない他人同士。
 別の世界でその「他人」が失踪しようと、金糸雀の世界では無関係のはずなのだ。

「人工精霊達にも調べて貰った。
 その上で立てた仮説を、可能性の一つとして聞いてくれ」

 仮説と言ってはいるが、ほぼ確信しているような口振りだった。
 つかさ達は手を止めて狭間の話に聞き入る。

「人工精霊達によれば、世界樹の枝の一部が絡み合う異常が起きているらしい。
 その結果、異なる世界同士で因果が混線して同調を起こしている」

 選択によって分岐した世界は、その後決して交わらない。
 nのフィールドを介して異なる世界間を行き来するドール達が特殊なのであって、分岐した世界同士は基本的に互いに干渉しない。
 そのはずであったものが、そうでなくなっている。

「ラプラスの魔とV.V.があらゆる世界を変えようとしていた事は、今更確認するまでもないな。
 奴らの自在法そのものが発動しなくても、多くの世界に影響が出ているのだと思う」

 管理者V.V.がミュージアムごと自壊した事で、自在法は発動せずに終わった。
 存在を消滅させられた者はいない。
 しかし自在法の計画の準備の為か、実験の為か、或いはラプラスの魔の気紛れか。
 結果世界樹の枝は曲がり、重なり、絡まった。

「全ての世界を確認したわけではないが、参加者六十五人の関わる世界やそれに近似する世界には大なり小なり変化があったようだ。
 バトルロワイアルと無関係だったはずの者達まで失踪――いや、死亡している」

 ある世界から呼び出されて死んだ者が、他の世界でも同じく死亡する。
 そんな事態が、多くの世界で発生しているのだ。

 例えば同じエンドレス・イリュージョン出身のヴァンとレイ・ラングレン。
 カギ爪の男を追っている最中だったレイと、カギ爪の男との決着を間近に控えたヴァン。
 二人は近似した別の世界から連れて来られている。
 そして二つの世界の一部が同期した結果、過去――レイの世界のヴァンも死んだ。

「つまり……僕の世界の蒼嶋も、死んだ」

 狭間が知る蒼嶋は、「レイコと共に」魔界を制して狭間の前に現れた。
 しかし狭間のガーディアンとなっていた蒼嶋は、「アキラと共に」魔界を進んだ蒼嶋である。
 二人の蒼嶋は、別の世界に生きる別人。
 しかし同期の結果、恐らく狭間と殺し合った蒼嶋もまた死亡しているのだ。

「きっと貴方達の世界でも、変化が起きていると思うかしら」
「まぁ元々、『元の世界に帰ったら皆生きてました』なんて都合の良い話を期待をしてたわけじゃないしさ。
 実際の変化の大きさとか種類にもよるけど、言う程落胆するようなもんじゃないでしょ」

 深刻な表情で語る狭間と金糸雀に、北岡は敢えてなのか軽い調子で返す。
 だが狭間達はやはり楽観出来ていないようだった。

「そうだな……だが単純な人の生死だけの変化では留まらないかも知れない。
 それで世界の流れが変わる可能性もあれば、世界の流れが変わらないよう改変される可能性もある」

 ヴァンとレイが消える事でカギ爪の男の計画が成就するのかと言えば、「分からない」。
 邪魔者が消え、エンドレス・イリュージョンはカギ爪の男の思想で染まるのかも知れない。
 或いはヴァンでもレイでもない“代わり”の誰かが現れて、カギ爪の男を殺すのかも知れない。
 もしかすると二人がいなくなっただけで、全く別の世界に変わってしまうのかも知れない。

 ラプラスらの干渉で、世界樹の枝が複雑に絡まり合った。
 変化は死者の同期だけとは限らない。
 いるべき人がいない――いるはずのない人がいる。
 世界の在り様そのものが変わる、世界が生まれ変わる。
 可能性を挙げていけばきりがない。

「帰ってみないと分からない……ですね」
「そうね、結局はそうなるかしら」

 話は終わり、沈黙に包まれる。
 つかさが殺害したのは三人。
 それが多くの世界に影響してしまっているという事実が、より胸を締め付ける。

「それなら、ここで心配していても仕方がないな。
 ゆっくりティータイムを楽しむとしよう」

 うんうん、と上田が頷く。
 ややこしい話が一言で片付けられた。
 重い空気を纏っていた面々は脱力し、不安を深い溜息に変えて吐き出す。

「それなら話変えるけどさ、これからもnのフィールドの中は移動出来るわけ?」

 話を終わらせてしまった上田に続き、北岡もそれに乗る。
 北岡が危惧していたのは「この先も異なる世界の間を渡れるのか」という点だった。

「勿論元の世界には帰りたいよ、吾郎ちゃんも待たせてる。
 でも俺はつかさちゃんとまた会いたいし、まぁこのメンツとはこれからも付き合っていってもいいかなって思うわけ」
「……確約は出来ないかしら」

 そして未来の話をする北岡に、金糸雀は首を横に振る。

「nのフィールドには沢山の……本当に沢山の『扉』があるかしら。
 その中で行きたい世界を見付け出すのは大変な事。
 それに、枝がこれからどうなるか分からないかしら……」

 世界樹の変化がこれで終わったとは限らない。
 枝が今後も変化していくのなら、つかさ達四人が帰る世界の座標も定まらなくなる。
 砂浜――それも打ち寄せる波で刻々と姿を変える場所で、一粒の砂金を探すのにも似た労苦だ。

「帰りはお父様が送って下さるそうなの。
 けどその後の事は……」
「一度帰ったらもう、皆には会えないかも知れないんですか……?」

 本来ならば交わるはずのなかった世界と世界。
 ローゼンメイデンならばnのフィールドの中を動けるとは言え、それすら時間が限られている。
 長時間nのフィールドにいれば、やがてゼンマイが切れて動かなくなるのだ。
 一度その世界と離れ離れになってしまえば、再び辿り着く事はないかも知れない。

「いや、会えるさ」

 つかさの不安げな声に返事をしたのは狭間だった。
 狭間はこれまでの重い空気を払拭するように、紅茶を口に含み、ふっと力を抜いてから続ける。

「悪魔召還プログラムを組み上げた時のように、僕がnのフィールド内の往来を可能にしてみせる。
 だから……会えないかも、なんて“もし”は要らない。
 そんな“もし”を壊す為の力を、僕は持っているから」

 静かな声だった。
 しかし決意に満ちたその声は、『青い炎』のようだった。


「“もし”ではなく“きっと”……僕らはまた会える」


 確かな自信をもって狭間が言い切る。
 それを笑う者も、疑う者も、この場にいるはずがない。

「勿論、その為には協力して貰う。
 人工精霊は借りていくぞ」
「言われなくても、皆にはホーリエ達に付いていって貰うかしら!」

 nのフィールド内でのドール達の行動時間が制限されているのに対し、人工精霊にはそれがない。
 四人それぞれの世界に人工精霊がついていけば、再会の可能性は上がる。
 姉妹達の忘れ形見となってしまった人工精霊だが、金糸雀はそれも承知で言っているようだった。

「じゃあ任せたよ。
 気長に待ってるからさ」
「流石だ狭間君。
 私もその技術の開発に協力したいのだが、何せ教授としての仕事が立て込」
「狭間さん、金糸雀ちゃん、ありがとう」

 それぞれの寄せる信頼に、狭間は少し照れて緊張しているようだった。
 しかし背筋はピンと伸び、その表情に初めて出会った頃の陰はない。


「だから次に会う時は……皆で、焼き肉を食べに行こう」


 四人が思い思いに頷く。
 年長者の上田が払うか、高収入の北岡が払うかで揉める中、ふとつかさが視線を落とす。
 五人のティーカップは空になっていた。
 茶会の時間も、終わろうとしている。



 会話が途切れると、部屋の明るさが増した。
 景色の輪郭がぼやけ、隣りにいる者の顔も見えなくなっていく。

 「またね」とか、「お元気で」とか。
 出てくるのは当たり前の言葉ばかりだった。
 呆気ない、と言って良い程にあっさりした別れだった。
 それがとても短い別れだと、皆が知っている。

 光に包まれて元の世界へ帰っていく者達。
 そして無人となったローゼンの屋敷は閉ざされ、nのフィールドの片隅で静かにその存在を薄れさせていった。



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176:終幕――果ての果て 柊つかさ 176:終幕――誰も知らない物語
北岡秀一
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