新世界交響曲

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新世界交響曲  ◆Wv2FAxNIf.








「れ、レナ……!!」
「狭間さん?
 どうしたんですか?」
「きょ、今日は、ぼぼ、僕と、……!!」
「?」
「僕とっ……その……!」
「そう言えばこれから行きたい所があるんですけど、付き合ってもらえませんか?」
「?!?!!?!!!」

「お、狭間じゃーん。
 そんなとこで突っ立って何してんだ、顔赤いぞ。
 面白い事やってんなら、俺にも一枚噛ませろよなー」
「うっ、うるさっ……っみ……見るな蒼嶋ぁぁあああああアアアアアアア!!!!」





 絡み合った枝。
 新たに生まれた可能性。
 夢物語のような、しかし存在し得る世界の物語。
 ある青年が微睡むようにそれに思いを馳せ、一抹の羨望を抱きながら――静かに顔を上げる。


「あの殺し合いで、多くの者が命を落とした」


 うず高く積まれた瓦礫の山。
 破壊し尽くされたKMFの残骸達に腰掛けて、青年は呟く。
 KMFからは全てのパイロットが脱出しており、彼の声を聞く者は誰もいない。


「けれど死んでいった彼らの『選択』は、確かに僕らの『明日』に繋がっている」


 青年が空を仰ぎ見る。
 快晴。
 ただし照り付ける太陽は僅かに欠けていた。
 天空要塞ダモクレス――この星の人間の数割を消滅させ得る殺戮兵器が、太陽に廃棄されたのだ。
 太陽に飲み込まれていく黒い点を見届けながら、青年はなおも続ける。


「その『明日』が、誰かの不幸で終わる物語だなんて……それでいいわけないじゃないか」


 破壊音も、駆動音も、聞こえない。
 戦争は既に終結したようだ。
 もっとも、この後に何を選択するかは、この世界を生きる人々次第なのだが。


「だから――」


 青年は立ち上がる。
 次の世界へ。
 新しい扉を開ける為に。


「だから僕は、これからも頑張るよ――北岡」


 多くの犠牲を払い、一つのバトルロワイアルが幕を下ろした。
 だが殺し合いから生き延びた少年と少女の物語は、未だ終わらない。
 彼らが歩みを止め、呼吸を止め、眠りにつくその時まで――物語は紡がれ続ける。

 新たな可能性を得た世界で。
 彼らはそれぞれに、己の道を『選択』する。


 座標X。
 巨大な研究施設で、突然爆発が起きた。
 人的被害はなかったものの施設へのダメージは甚大。
 施設内部は怒号と悲鳴に包まれ、混乱の渦中にあった。

「開発途中のバースデイ、大破!!!
 計画への影響は目下計算中――」
「各員、被害の報告を!」
「同志の安全を確保しなさい!!
 同志を……!」





 それは宇宙のどん底にある、ケタ外れの吹き溜まり。
 この世の中でもとびきりに上等な屑共が集まった、野望と欲望の終着点。
 惑星エンドレス・イリュージョンは、そんな星だ。

「貴方は、兄さんとヴァンを知ってるんですか!?」
「僕の兄さんとヴァンさんを知ってるんですか!?」

 明るい橙色の髪を二つの三つ編みで結った少女、ウェンディ・ギャレット。
 隣りにいるのは元気のいい金髪の少年、ジョシュア・ラングレン。
 バトルロワイアルの参加者、ミハエル・ギャレットレイ・ラングレンをそれぞれ兄に持つ二人である。
 ウェンディはカギ爪の男に拉致されたミハエルを探す為、ジョシュアはレイの復讐を止める為、ヴァンと共に旅をしていた。

「知っている。
 だが君達が求める情報は渡せない」

 寂れたバーの一角にて、その二人と一つのテーブルを挟んで向かい合い――黒髪の青年は首を横に振った。
 情報屋であるカルメン99を介してウェンディ達に接触を図ってきた青年だ。
 カルメンがセッティングしたこの店で会う事になった彼を、ウェンディは注意深く観察する。
 長く伸びた前髪を時折鬱陶しそうに払う彼は、ジョシュアやミハエルよりも年上、ヴァンやレイよりも下。
 髪で多少隠れているものの、人目を惹き付ける端整な顔立ちだ。
 服装は長く旅をしてきたという言葉通り土埃に汚れていたが、どの地域のものかは特定出来なかった。
 左腕に取り付けた無骨な機械もウェンディには見覚えがなく、用途は不明。
 敵意は感じないが一言で表すなら、変わった青年である。

 黒髪の青年は、ハザマイデオと名乗った。

「どういう意味ですか?
 知ってるのに言えないんですか?」
「『あの三人はいなくなった』と……『命を落とした』と言うだけで、君達は納得するのか?
 僕は彼らが亡くなったという証拠を提示出来ないんだ」
「そっ……そんな!!」

 座っていた椅子を倒す程の勢いで、ジョシュアが立ち上がる。
 歯を軋ませて睨むジョシュアに対してウェンディは平静を保とうとしていたが、衝撃は小さくない。
 それでも何か聞き出せないかと、話を続ける。

「『命を落とした』って確信出来るだけの情報を、貴方は持ってるんですか?」
「持っているが、渡すつもりはない。
 君達には悪いが対価の問題ではなく、どうしても渡せないんだ。
 期待には応えられない」

 ジョシュアと共に、ウェンディはハザマを強く睨む。
 知っていながら教えようとしないハザマに、怒りすら湧いた。
 忽然と姿を消したヴァン、全く現れなくなったレイ、目撃情報の入らなくなったミハエル。
 同時期に行方を眩ませたと思しき三人に関わる情報は、喉から手が出る程に欲しい。
 しかし睨み合い、怯んだのはウェンディとジョシュアの方だった。
 二人共、修羅場はそれなりに潜ってきたつもりでいた――しかしハザマには太刀打ちが出来ない。
 実力の問題だけではなく、「話さない」という彼の決意を破るのは不可能だと悟ってしまった。

「……それなら貴方は、どうして私達に会おうと思ったんですか?」

 ウェンディが押し殺すような声で尋ねる。
 ジョシュアも一旦落ち着いて席に着き、ハザマの回答を待った。
 確かにハザマはカルメンと接触した際に「ヴァン達の情報を持っている」、或いは「情報を売りたい」と言ったわけではない。
 「ヴァンとレイ・ラングレン、ミハエル・ギャレットに縁のある人物に会いたい」と話を持ち掛けてきただけなのだ。
 ウェンディもその事はカルメンから聞いており、過度な期待はするまいとしていた。
 しかしあの三人の名を知っているという事は――と、そう考えずにはいられなかったのだ。
 それに事実、彼は重要な情報を持っている。
 にも関わらず何も得るものがなかった事に、ウェンディは落胆を隠せなかった。

「伝えられる限りの事は伝えておこうと思ったんだ。
 それに僕の方から、君達に尋ねたい事がある」

 ウェンディはジョシュアと共に肩を落としながら、「何ですか」と続きを促す。
 諦めざるを得ない事は、少々空気の読めないジョシュアも察したようだった。
 露骨に気落ちするウェンディ達に気を遣ってか、ハザマはもう一度謝罪し、改めて問い掛けた。

「彼らが死んだと聞かされても、君達は旅を続けるのか?」





 狭間はカギ爪の男の施設を破壊した後、この二人に会うべきか随分悩んだ。
 しかし結局はヴァンと関わりのある情報屋に接触し、こうして話し合う場を設けている。
 ヴァンがカルメンの名を覚えていなかった為に、彼女に辿り着くだけで相当な時間と労力を払ってしまったのだが。

 実際に会ったウェンディとジョシュアは、案の定落胆していた。
 詳細を全て省かれ、ただ「死んだ」という事実だけを示されたのではこの反応も当然だ。
 しかし何が起きたのか、話したところで理解は得られないだろう。
 そしてそれ以前に、この世界の『外』の話を持ち込む事が、この世界に良い影響を与えるとは思えなかった。

 余計な干渉はすべきではないと思っている。
 施設を破壊したのも結果を先延ばしにする為であり、カギ爪の男の計画そのものを阻止する為ではなかった。

 蒼嶋の代わりに『レナ』が現れた狭間の世界とは違い、この世界にヴァン達の代わりは現れなかった。
 ヴァンとレイの不在により、ウェンディ達がカギ爪の男へ到達するのは遅くなる。
 逆にカギ爪の男達は同じくミハエルを失ったとは言え、すぐに代わりの人材を探し出すだろう。
 そうなれば、計画は止められない。
 「カギ爪の男を止める」という選択肢が失われる。

 だから狭間は時間を――選択肢作ったのだ。
 カギ爪の男を殺す事、それ自体は可能だが、それを『外』から来た狭間が実行しても意味がない。
 カギ爪の死という結果を押し付けるだけでは、カギ爪の男の計画と何ら代わりがない。
 どうするかは、彼女達自身が決めなければならないのだ。

「彼らが死んだと聞かされても、君達は旅を続けるのか?」

 故に狭間はこの問いへの答えが聞きたかった。
 V.V.を真似るわけではないが、彼らの『選択』を直接確かめたかった。


「「当たり前じゃない(ですか)!!!」」


 今度はウェンディも立ち上がり、二人で叫ぶように答える。
 エネルギーに満ちた二人の姿は、確かにヴァンやレイの記憶の中のそれと一致していた。

「貴方が教えてくれないなら、私達が直接確かめるしかないじゃない!
 何も分からないまま諦めるなんて、絶対に嫌よ!!」
「そうですよ!
 ヴァンさんも兄さんも、僕らが探しに行かないでどうするんですか!!」

 丁寧な口調をやめて捲し立てるウェンディに、ジョシュアが強い調子で同調する。
 ウェンディはミハエルの知る彼女よりも自立していて、自分の力で歩いていける力強さがある。
 ジョシュアはレイが認識していた通り優しすぎる、頼りない面を持ちながら、確固たる芯を持っている。
 狭間は彼らに情報を伏せている事を申し訳なく思いながら、同時に安堵した。
 彼らならカギ爪の男へと辿り着き、そこで改めて『選択』をするのだろう。

「……ありがとう。
 その答えが聞けて良かったよ」

 情報料として相場よりも多めの代金を支払い、狭間は店を後にした。
 向かいの店のショーウィンドウに自らの姿を映し、左腕に取り付けた機械――改造したアームターミナルを操作する。
 店は町外れに位置していた為人通りはなく、他人の視線を気にする必要はない。
 次第にガラス全体が絵の具を混ぜ合わせたような色に変化し、映り込んだ狭間の姿が歪んでいく。

 nのフィールドの研究はまだまだ途中で、ここからどの世界に繋がるのかは狭間にも分かっていない。
 ただ様々な世界を巡るうちに、各世界によって時間の進み方が違う事を知った。
 まだ再会していない仲間は狭間よりもずっと年齢を重ねているかも知れないし、あの頃から変わっていないかも知れない。
 ただ再会の時を待ち、狭間はランダムに世界を回る――それでも、恐怖はなかった。
 “きっと”会えると約束している。 
 例え年齢の差が開こうと、約束は薄れないと信じている。

 人は出会い、別れ、また出会う。
 自分の知らないところでも、その出会いは無数に繰り返される。
 それが時に友情となり、時に戦いとなり、時に絆となって、生きるということを形作っていく。
 互いに生きてさえいれば、再会の時は必ず訪れるのだ。

「行こう、ホーリエ」

 旅立ちを決意した時から変わらない思いを胸に。
 瞬く人工精霊に先導され、狭間はnのフィールドへと消えた。


 199X年。
 狭間が魔神皇となった年であり、軽子坂高校に帰還した年でもある。

 バトルロワイアルからの生還と、新しい生の始まり。
 全てを覚悟して歩き出した狭間を待ち受けていたのは、イジメではなかった。

『偉出夫君、元気?』
「ああ」
『電話越しでも、嘘は分かるよ』
「……健康だよ」
『レナはそういう話はしていないかな、かな』

 誰も狭間をイジメようとはしなかった。
 「誰もが狭間に怯え、近付こうとはしなかった」。

 犠牲者・行方不明者が出た事で学校関係者は皆事情聴取を受けたが、誰も何も言わなかった。
 「言っても信じて貰えないから」ではなく、狭間による報復を恐れたのだ。
 狭間が何をしたのかは分からなくても、得体の知れない何かを持っている事を誰もが思い知った。
 故に狭間の機嫌を損ねないようにと、皆が一様に口を閉ざす。
 黒井慎二や宮本明といった剛胆な者達も面倒事を避け、何も知らない風を装い。
 唯一白川由美という責任感のある生徒は真実を口にしたが、やはり信じる者はいなかった。

 そして狭間もレナもレイコも、悪魔の存在を公にする事は出来ず。
 警察は狭間の態度や由美の証言から狭間が元凶、或いは元凶の一端であると目星を付けたものの、捜査は進展しなかった。
 狭間の父親も聴取に呼び出され、ただ狭間と父親との距離を一層広げるだけの結果に終わった。

 その後、全てが有耶無耶なまま日常に戻りはした。
 しかし狭間の側からアプローチをしても、周りの人間は皆、話を聞く前に逃げていく。
 狭間を恐れない慎二や明、由美とは少しずつ交流を重ねているが、親しく出来ているとは言えなかった。
 「話してみたら案外良い奴だった」などという話は、殺人鬼には適用されないのだ。

 周囲との仲立ちを申し出てくれたレナとレイコの厚意も、丁重に断った。
 イタズラをした、程度の話ではない。
 「もう反省しているから許してあげて」と誰かが庇ったところで、大きな流れは変えられない。
 それどころか庇おうとした彼女達まで、同じく煙たがられる事になるだろう。
 故にこうして自宅で通話する時以外は、レナ達とは関わらないようにしている。

 イジメも報復もなく、誰もが狭間を視界に入れまいとしていた。
 ただ一度だけ、女生徒から石を投げ付けられた事がある。
 あの一件で親しい友人を亡くした人物だと、狭間は記憶していた。
 狭間が避けなかった石は目に当たった。
 狭間は当たった石が落ちていくのを黙って見送り、「すまない」と改めて頭を下げた。
 だが石を眼球に受けながら痛がる素振りも見せず、平然としている狭間の姿は異様に映ったようで。
 女生徒は悲鳴を上げて逃げていき、以降接触してくる事はなかった。

 要は、結局。
 新たな生を歩み出した狭間偉出夫は、何も変えられなかった。
 世界が変革されても、周囲の環境に対しては相変わらず無力な少年のままだった。
 「話を聞いてくれる人間なんて幾らでもいる」という蒼嶋の言葉はとても遠く。
 劇的な変化も和解も訪れず、現実はただ厳しい。
 季節が巡り、進級してクラスが変わっても、学校全体に伝搬した畏怖はいつまでも払拭されずに残っている。

「こうしてレナ達と話せるだけで、僕には充分だよ。
 初めから何もかも上手くいくとは思っていない」
『……うん……難しいね。
 レナは「このままじゃいけないからもっと頑張ろう」なんて、言わないよ。
 無理をしても、きっと苦しいだけだから』

 頑なになった皆の心は溶かせない。
 皆との間にある断絶を埋める方法は、レナにも見い出せなかったのだ。
 電話の子機を握り締めたまま、狭間は電気の消えた自室の隅に座り込む。
 小さな窓に区切られた夜空は、酷く狭い。

『……偉出夫君はあれから、気が変わった?
 進学はする?』

 軽子坂高校はごく平均的な私学である。
 エスカレーター式に同系列の大学に進学出来る為、熱心に受験勉強に励む生徒は多くない。
 レナもそのつもりでいる――ただし狭間が外の大学に行くのなら、同じ大学を目指すと言ってくれた。
 しかし狭間は、既に己の進路を決めている。

「変わってないよ、進学はしない。
 一度、この世界を出ようと思う」

 金糸雀から預けられた人工精霊・ホーリエと協力し、狭間は寝食を惜しんでnのフィールドの研究に励んでいた。
 目指すのは、レナとレイコが使っていたアームターミナルをベースにしたシステムの構築。
 高校を卒業する頃には完成する予定だ。

「出来ればこの世界に留まりたい。
 僕はこの世界で何も償えていないし、向き合えてすらいないから。
 だけど――」

 立ち上がり、窓を開けて身を乗り出す。
 住宅街に侵食された夜空はやはり狭かったが、先程までよりはずっと広い。
 生ぬるい風が狭間の頬を撫でていった。

「僕はもっと沢山の世界を見て、沢山の人に会った方がいい。
 今まで見ようとしてこなかった分も、見に行きたい。
 後の人生をどうやって生きていくかは、それから決めようと思う」

 欲しいものが何も手に入らないと言いながら。
 求めて伸ばした手を拒絶されるのが怖くて独り、耳を塞いで目を閉じていた。
 けれどこれからは、自分で道を選ぶ力が、自分で選んだ道を歩いていく力が欲しい。

「その中で、出来る事をやっていくよ。
 他の世界への干渉が良い事なのか、そんな事が出来るのかは分からないけど……そのままにしておきたくはないんだ」

 バトルロワイアルによって多くの世界が歪められた。
 世界の在り方にすら影響するような者達も、大勢命を落とした。
 狭間はその歪みを少しでも減らそうとしているのだ。

『それが偉出夫君の償いなの?』
「いや……単に、僕が嫌なだけだ」

 部外者、赤の他人である狭間が恣意的にその世界の流れに関わる。
 そうして狭間が投じた一石がその世界にどこまでの影響を及ぼすのか、狭間の頭脳をもってしても計算し切れない。
 しかし死んでいった六十一人が生きていれば起きなかったはずの、止められていたはずの悲劇がまかり通るのが嫌だった。
 身勝手で、ただの我儘だと分かっていても。
 自分に出来る事があるならやりたいと思う。

「償いは、この世界に帰ってきてから。
 報いを、受けるよ」

 狭間に殺された人がいる。
 狭間のせいで不幸になった人がいる。
 その人々を差し置いて、狭間が幸せになる事は出来ない。
 狭間偉出夫が仇を焼き殺したように、狭間偉出夫もいずれ誰かに焼き殺されるのだろう。

『因果応報?』
「……そうだよ」
『偉出夫君はそれを、柊さんに対しても言える?』
「………………」

 鋭く斬り込むようなレナの言葉に、狭間は数秒間沈黙する。
 そして、「言えない」と。
 電話の向こうにかろうじて聞こえるだけの声で答える。

「柊には……幸せでいて欲しい」
『偉出夫君は、人殺しに優劣をつけるの?』

 人を殺した、人を不幸にした自分は幸せになるべきではない。
 だが同じく人を殺した、人を不幸にした柊つかさは、幸せの中にいて欲しい。
 狭間の殺人は悪で、つかさの殺人は善。
 そう言っているようなものだ。

「……そう、だ。
 僕は優劣をつける。
 柊には、選択肢がなかったから」

 つかさの殺人。
 一度目は催眠状態にあった。
 そしてその後提示された選択肢が「殺せ、それが出来ないなら仲間共々死ね」。
 北岡や仲間と生き残る為に「殺す」と選択した結果が「因果応報で不幸になる」では。
 つかさが幸せになる選択肢など、初めから存在しなかった事になる。
 バトルロワイアルに巻き込まれた時点で、つかさは不幸になるしかなかった事になる。

「そんなの、理不尽じゃないか……」

 狭間偉出夫は我儘だった、子供だった。
 自分をイジメる皆が悪いんだと僻み、孤立していた。
 八つ当たりで周囲を傷付けて、自分が被害者のような顔をしていた。
 そんな狭間とつかさが同じ「人殺し」という言葉で括られてしまうのが、苦しい。

「僕と柊を、一緒にされたくない。
 因果応報の報いを受けるのは、僕だけであって欲しいよ。
 僕は……皆を想って、皆といられるだけで、充分だから」
『……そう』

 レナは納得したようだった。
 しかし話がそこで終わっていないような気配を感じ、狭間は黙ってレナの言葉を待った。

『ごめんね、責めたかったわけじゃないの。
 私も、柊さんが幸せになってくれたらいいなって思ってるから。
 悪い事は悪い事としてね』
「そうか……」
『だけど偉出夫君の考え方とは少し違うかな、かな』

 優しい声で語るレナは、狭間を肯定しようとしているのか否定しようとしているのか。
 狭間はレナの真意を掴もうとして僅かに緊張し、子機を握る手を強ばらせた。

『偉出夫君は悪い事をした分だけ、自分に返ってくるって思ってるんだよね』
「……思っているよ」
『でも因果応報にはもう一つ意味があるって、偉出夫君も知ってるよね。
 私より頭がいいんだもん』
「それは……」

 知っている。
 ただ、考えないようにしている。
 自分にそんな資格はないだろうと、思うから。

『因果応報はね。
 善い事をしたら、その分だけ善い事が返ってくるんだよ。
 だって返ってくるのが“いや”な事ばっかりだったら、皆疲れちゃうもの』

 善い事なんて、出来ていない。
 バトルロワイアルで皆と協力するようになった頃には、既に大勢の犠牲者が出ていた。
 結局生存者は自分を含めてたったの四人、しかもつかさに新しい罪を背負わせてしまった。
 この世界に帰還してからも、何も出来ていない。
 そして仮に善い事を重ねていたとしても、狭間の重ねた悪事が帳消しになるわけではない。

 狭間はレナの言葉を素直に受け止められずにいた。
 だが当のレナは、それで構わないとでも言いたげに続ける。

『レナもね、頑張った分だけ報われたらいいなって思うの。
 世の中はそんなに単純に出来てないって、知ってるけど。
 それでも頑張った人達が幸せになれないなんて、嫌だよ』

 有無を言わせない強い口調だった。
 結局狭間はレナの言う事を否定出来ないままに、耳を傾ける。

『偉出夫君も、柊さんも、北岡さんも、上田さんも。
 皆、幸せになって欲しい。
 だって皆、頑張ったんだもの』

 狭間の為に、出会った事のない者達の為に、レナは祈るように。
 願うように、言う。

『これから“いや”な事は沢山あるよ。
 悪い事をした分だけ……もしかしたらそれ以上に沢山、“いや”な事も苦しい事もあると思う。
 けどそれとは別に、善い事だってきっと沢山あるんだよ』

 そんな資格はないと、自分に言い聞かせようとしても。
 レナの言葉は心に染み込んでくる。
 上手くいかない毎日に冷え始めていた心が、じんわりと温まっていく。

『それにね。
 善い事をしても悪い事をしても、転ぶ時は転ぶよ。
 だからいつ転んでもいいように、毎日を一生懸命過ごすのが正解だと思う』

 今、この電話の先にいる『レナ』は、竜宮レナではない。
 雛見沢を知らない、前原圭一も園崎魅音も詩音も北条沙都子も悟史も古手梨花も知らない。
 けれどどこかで、雛見沢の竜宮レナに繋がっていて。
 狭間偉出夫と心を通わせた竜宮レナに、繋がっていて。

『だから偉出夫君。
 自分を、信じて』

 甘えたくなるような優しい声のまま、レナは締め括る。



『頑張って』



――僕は、なにを頑張ればいいんだ……レナ。



 あの時は彼女の言葉が、信頼が、ただただ重くて。
 苦しくて、動けなくなってしまった。
 潰されてしまいそうだった。
 けれど今なら、受け止められる。


「……ありがとうレナ。
 僕の背中を、押してくれて」


 ちっぽけな自分。
 けれどそのちっぽけな自分の幸せを願ってくれる人がいるから。
 願ってくれる人が、いたから。



「僕は、頑張れるよ」



 それから少しの間だけ学生らしい雑談をして、狭間は電話を切った。
 冷たさを帯びてきた風を遮るように窓を閉める。
 そして無言になった子機を置き、深呼吸する。
 息を大きく吸って、吐いて。
 狭間は先送りにしていた一つの事案を、今日終わらせる事にした。

 向かったのは、広い家の中でも数える程しか訪れた事のない部屋だ。
 自然と緊張して、足音を忍ばせてしまう。
 決意してもなお自分の家とは思えない、踏み入れてはならない場所のように思えた。

 狭間はその部屋の前に着くと、もう一度深呼吸した。
 震えそうになる手で拳を作り、静かにノックをする。

「父さん」

 父の書斎で、狭間は父と対峙した。
 机に向かう父は顔を上げる事はなく、狭間もそれで構わないと話を続ける。

「僕は高校を卒業したら、この家を出るよ」

 一人でどうやって生きていくのか、当てはあるのか――父は何も聞こうとしなかった。
 父は既に、狭間が常識の範疇を超えた力を持っている事を知っている。
 この父にとって狭間は、既に己の息子というよりも得体の知れない化け物と呼んだ方が近いのだろう。
 元より狭間への愛の薄かった父は、狭間の宣言を聞いても動揺の色を見せなかった。
 小さな声で「好きにしろ」と言う。

 狭間も父の反応に、驚きはなかった。
 今になって引き留められるとも思っていなかった。
 それでもわざわざ直接訪ねたのは、言うべき事があったからだ。

「父さん」

 愛が欲しかった。
 愛をくれなかった。
 狭間の家が嫌だった。
 けれど衣食住に困った事はない。

 この父が親としての最低限の事をしていたかどうかは、見る人によって判断が分かれるかも知れない。
 だが狭間は確かに、この父の庇護下にあった。

「今まで育ててくれて、ありがとう」

 返事はなかった。
 狭間はそれ以上返事を待たず、書斎を後にする。



 数ヶ月後、狭間は宣言通り狭間の家を発った。
 より正確にはこの世界を、だが。
 長い旅は、狭間の体感時間で数年を経た今も続いている。
 出会いと別れを繰り返しながら、狭間は今日も新しい扉を開いた。






「奈緒子、食器の使い方が間違っている。
 一応この店には格式というものが……」
「けど、これでも食べられますよ?」
「そういう話ではない!」

「いいじゃないですか、ジェレミア卿。
 折角三人で集まったんですから」
「む、アイゼル……君がそう言うなら。
 今日ぐらいは、目を瞑ろう」

「不味い!!
 ジェレミアさん、これタッパーで持って帰っていいですか!?」
「…………」
「…………奈緒子、やはり君に話がある」

「奈緒子は仕方がないわね……あら?」
「どうした、アイゼル」
「今、窓の外をやけに速いクルマが通ったような……」





「速さは全てを凌駕する!!!
 速さとはこの世の理であり人間の文化そのもの!
 最高の速さで隣りに可愛い女性を乗せた俺は今、これ以上なく文化的っ!!!
 そうは思いませんかさがみさぁぁぁぁぁぁあああん!!!!」
「さがみでいい……いいから、もう、おろして……」
「えっ!!?
 聞こえませんよさがみさんもっと大きな声で、そうでなければ最速の俺には届かっ、ない!!!」
「勘弁して……死んじゃう……」

「……おや?
 今のは――……可愛い女性とショッピングとは羨ましいけしからん、だが今の俺にはさがみさんがいる!!
 その程度の破廉恥ではこの俺の速さを、止められないッ!!!」
「助けてつかさぁ――――ッ!!!」





「うん、いいじゃない。
 似合ってるよ」
「ホントですか?」
「うむ、可憐だ」
「おでれーた、嬢ちゃんも飾ると大人っぽく見えるもんだなぁ」
「人前では喋るなと言っているであろう、デルフリンガー」
「へいへい」

「まぁたまにはいいんじゃないの、別に誰も見てないでしょ。
 それよりつかさちゃん、こっちのピンクもどう?」
「い、いいです!!
 もう沢山買ってもらってるのにこれ以上……!」
「いいのいいの、ここから先は五ェ門持ちだから」
「…………」
「……冗談なんだから、そういう目で睨まないでちょーだいね」

「えへへ……嬉しいです。
 皆で、こうしていられて」
「つかさちゃんは、もうちょっと欲張ってもいいんじゃない?」
「いいえ、いいんです。
 皆と一緒が、一番幸せです」





「私の大好きな人達は、『遠く』に行っちゃったけど」

 宿舎の窓際で女性が一人。
 夕焼け空を眺めながら、ぽつりぽつりと言葉を漏らす。

「でもあの人達と良く似た人達が、遠いどこかで幸せにしていてくれたら。
 それはすっごく幸せな事だなって、思うの」

 それを横で聞いていた友人達からは「貴女の言う事は、時々良く分からない」とからかわれた。
 少しだけ寂しさを感じながら、その女性はおどけて返す。

「そうだね、私にも分からないや」

 自在法は発動せず、『存在』の力は消えずに残った。
 絡まり合った世界樹の枝のどこかで、今日も新たな可能性が芽吹いて廻り続けている。
 だから『遠く』で生きる彼らが、どうか幸せでありますようにと。
 何年も前の出会いを昨日の事のように思い出しながら――柊つかさは願う。

「…………あ、勉強しなきゃ」

 太陽が山の端に隠れてしまい、随分長く物思いに耽っていた事に気付く。
 つかさは慌てて六法全書を片手に立ち上がった。

 今のつかさは、司法修習生。
 弁護士の資格を得る過程にある、弁護士の卵である。

――私、弁護士になりたいんです。

 高校の進路相談の日、つかさは一つの『選択』をした。
 確かな意思に支えられた夢だった。
 しかしそれは、すんなりと選べたわけではなく。
 決意するまでに、元の世界に帰還してから相応の時間を要した。


 バトルロワイアルから生還して暫くの間、つかさは眠れない夜を過ごした。
 自分が体験した悲しみ、恐怖。
 無意識の海で垣間見た狂気、苦痛。
 自分と他人の記憶の境が曖昧になる瞬間への不安。
 眠ろうとすると沸き上がってくる負の感情に、苛まれていた。

 自分に撃たれる夢を見る事もあった。
 そして目が覚めてからそれが夢ではなく、ルルーシュの、浅倉の、シャドームーンの記憶だったのだと気付く。
 首筋と腕に残った痣が締め付けてくるようで、痛かった。

 またつかさの耳に入るニュースが、恐怖や不安を更に煽り立てた。
 ひき肉殺人、怪盗一味と少年探偵団の追走劇、富士山での新鉱物の発見――以前は聞かなかった種類の事件が増えたのだ。
 つかさがそれまで知らなかっただけなのか、世界が混ざり合った結果なのか。
 明日、世界がどうなっているか分からない。
 かがみやこなた達の喪失に留まらず、いつか学校での日常まで脅かされるのではないかと。
 重い足取りで通学し、家族にも友達にも作り笑いをし、押し潰されそうな夜を過ごす。
 「このままではいけない」と思うようになるまでに、時間は掛からなかった。
 こんな姿は死んでしまった者達にも、再会を約束した者達にも見せられない。

 今を変える為に、まずつかさは荷物の整理を始めた。
 こなたの水着をはじめとした遺品をそれぞれ娘を捜す親達に引き渡し、可能な限り彼らと向き合った。
 デルフリンガーの残骸は父と面識のある刀鍛冶に頼み、小刀に打ち直してもらった。
 アイゼルのレシピや支給された名簿はコピーして、原本は引き出しの中へ。
 ジェレミアの仮面は机の上に置き、埃が溜まらないよう時々乾いた布で磨いている。
 デイパックはほつれた箇所を縫い合わせ、いつでも見えるよう机の脇に提げておく事にした。

 荷物の整理がつくと、少しだけ心に余裕が出来た。
 相変わらず明日の世界は分からない。
 だが未来が見えないのは今までと同じ、当たり前の事だ。
 病気が、事故が、人の悪意が――或いは『報い』が、いつ牙を剥くか分かる者はいない。
 世界樹がどうあろうと、結局は今日を精一杯生きていくしかないのだ。
 これは開き直りなのかも知れないが、前に進む背を押してくれる開き直りだった。

 そうして落ち着きを取り戻した頃、つかさは真っ白なノートを開いた。
 濃密過ぎる、二日に満たないあの時間を、出来る限り詳細に書き記しそうと思ったのだ。
 美化してしまう前に、風化してしまう前に。
 そして読み返す度に、心に刻み付ける。


 ありがとう。
 ごめんなさい。
 そして――



「今日も一日、頑張ります!」



 眠れない夜は少しずつ減っていった。
 進路も大いに迷った末にだが、自分で決める事が出来た。
 弁護士。
 家族も担任も、初めはやんわりとつかさに夢を諦めさせようとした。
 元々勉強が苦手なつかさには酷な道のりだと。
 それに――かがみの代わりになろうとしなくて良いと。
 皆でつかさに気を遣ってくれた。

 だが双子の妹の代わりになりたかったのではない。
 意識はしていたが、違う。
 つかさは、北岡のような弁護士になりたかったのだ。

 真司や浅倉、東条の記憶を辿ると、北岡の風評は手放しに褒められるものではなかったのだろうと思う。
 しかしつかさと共に生き抜いた北岡は。
 強大な敵に立ち向かっていった北岡は。
 確かに英雄で、弱者の味方だった。
 つかさはその姿に、憧れた。

 調理師になる為の学校に進学する。
 北岡の秘書になる為に役に立ちそうな資格を取る。
 錬金術士としてアイゼルのレシピの研究を独学で進める。
 そうした沢山の選択肢がある中で、つかさは北岡の背を追い掛ける道を選んだ。
 大勢の人に優しくされた。
 守られた。
 それを周りの人達に返すにはどうしたらいいかと、自分なりに考えた結果だった。 

 幸い、勉強に対する苦手意識は克服出来ていた。
 無意識の海で他者の知識や記憶を得た為なのか、姿勢が前向きになった為なのかははっきりしない。
 しかし一日が二十四時間では足りないと思える程に充実していて、居眠り癖もなくなっていた。
 弁護士という夢は、簡単ではなくても不可能ではない。
 つかさの必死の説得に、最終的には皆が納得して応援してくれた。

 毎日寝る暇を惜しんで勉強をして。
 時折レシピをアレンジしたシチューを作って。
 友達と楽しい時間を過ごして。
 日々が目まぐるしく過ぎていった先に、今の柊つかさがいる。
 夢の実現まで、あと一歩だ。


 あれから、もう何年も過ぎた。
 人の記憶は儚いもので、毎日想い続けていても、あの時出会った人々の顔や声は朧げになってしまっている。
 それでも優しくしてくれた、想ってくれた人々への気持ちは変わらない。
 そして交わした約束も覚えている。
 ずっと待ち続けている。

「……。……?」

 ノートに走らせていたペンを止める。
 つかさの目の前で人工精霊がチラチラと明滅し、何かを知らせようとしていた。

「スィドリームちゃん、どうしたの?」

 スィドリームが部屋の内側から窓をコツンコツンと叩く。
 つかさが窓を開けてやると、スィドリームは外へ飛び出していった。
 そしてつかさを急かすように、明滅しながら忙しなく動き回っている。

「もしかして……」

 慌てて寝間着同然の格好の上からジャケットを羽織り、靴を履いて外へ出る。
 スィドリームはつかさを待っていたようで、空中を滑るように移動し始めた。
 つかさはそれを夢中で追い掛ける。

 陽は既に落ちていた。
 宿舎の周囲は自然や民家が多く、今の時間帯は人通りが少ない。
 街灯の明るさを頼りに、つかさはスィドリームを追う。
 運動音痴は相変わらず、どころか年齢を重ねて余計に鈍くなったようにすら思えた。
 時々足をもつれさせながら、転びそうになりながら、つかさは息を切らして走る。

 スィドリームはある店舗の前で止まった。
 既に閉店しているが、大きな窓にはつかさの全身が映った。
 そして映り込んだ景色の色が溶け合って歪んでいく。
 息を整えて、胸を張って、つかさはその時を迎えた。



 お久しぶりです。
 お元気でしたか、私は元気です。
 私、今は弁護士を目指してるんです。
 そちらは如何ですか?

 幾つ言葉を並べても、足りない。
 一番伝えたい気持ちに届かない。
 何年も待っていたはずなのに、喜びよりも緊張が勝ってしまっている。

 つかさは自分の頬をつねってほぐし、息を大きく吸い込んで。
 笑って、自分の思いの丈を伝える。






「私は今、幸せです」






 この先に、報いがあるとしても。
 世界が変わってしまったとしても。
 この瞬間の幸福は、決して失われない。








 笑い合う声は夜空に、吸い込まれていった。









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176:終幕――誰も知らない物語 柊つかさ  
狭間偉出夫  


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