ケイレイの手慰み 北方 ヒルデガルド 5

金蠍宮
 金蠍宮はいまだ新しい城であった。
 ゴーラ様式の中でもかなり新しいもので作られており、擦り切れた風ではないが、しかしまだ落ち着いた風でもない。
 だがそれらはいずれ得るべき威厳を得るだろう。
 ヒルデガルドはそう思いながら、絨毯を踏み歩いていた。背後にはいつものようにマルス伯が付き従う。さすがのマルスも思案顔であった。
 ヒルデガルドら海賊討伐遠征団が、公都ハロルドの港に着いてすぐに、港に伝令が遣わされてきた。
 船に乗せてきた機装甲らを降ろす暇すら与えられず、すなわち機と卒による金蠍宮前広場への行進すら許されず、ヒルデガルドと、その副官たる老マルスのみが、宮中に召されたのだ。
「フィンゴルド右府将軍、ヒルデガルド・ハーラルソン・フィンゴルド閣下、御帰還!」
 謁見の間への呼び上げにヒルデガルドは少しならぬ不安を抱えながら進み出た。海賊討伐遠征は、成果を上げたと言ってよい。ヒルデガルドは少なくともそう思っていた。海賊を討伐し、それだけに限らずその背後をいささかなりともあぶり出し、さらに一つならぬ村の防備を固めさせたのだ。
 しかし父にして大公がどう思い、どう振る舞うかは、父にして大公にしかわからない。
 そのフィンゴルド大公ハーラルは、謁見の間の席にて、機嫌よろしからざる風に見えた。もっとも、ヒルデガルドの思い出せる限り、大公の機嫌がよろしかったことなど稀であるのだけれど。
 ヒルデガルドは、謁見の間で武人の礼を行い、片膝をつく。報告はさほど長くは無い。すでに終えたことを告げるのみだ。
 頭を垂れたヒルデガルドに、父大公は言う。
「褒賞、在り得るべく成せ」
「は」
 それはヒルデガルドの思っていた言葉とはちがっていた。父大公は滅多に人は褒めぬが、働きに報いることをは厭わぬ。叱責と褒賞を比べれば、叱責の方が重い人ではあった。
 たとえ謁見の間であろうと、何者が見ていようと、気に入らぬとなれば何者にあっても、ヒルデガルドに対しても、容赦せぬ人であった。その父大公は、凱旋列すら許さず呼びつけながら、褒賞は行えという。
 それは、父大公としては褒め言葉に等しい。
 困惑の重さを胸に抱え、ヒルデガルドはそれ以上、応じかねていた。
「謁見を終える」
 父大公は言う。
「ヒルデガルド、マルス、来よ」
「は」
 父大公は大公座を立ちあがった。
 困惑とともに、けれどヒルデガルドも立ち上がった。肩越しにマルスをうかがうと、置いた青い瞳はうなずいて応える。何にせよ大公がかく成せと言えば、成さねばならぬのだ。
 立ち上がり、進むのはヒルデガルドとマルスだけではなかった。もう一人、大柄な姿が大股で歩いてゆく。父大公も大柄で、肩の盛り上がった体つきをしていたが、その男はさらに背が高く、そして仮面をつけていた。
 父大公の腹心、カロッゾだ。その他に付き従うものは無い。
 ヒルデガルドらが向かったのは、大公執務の間の一つであった。近衛である白騎士らが入り口を守り、父大公とヒルデガルド、それからカロッゾとマルスの四人のために扉を開き、そのあとに付き従ってひととき、部屋に入り。それ以上何者も通さぬことを示すため、音を立てて警槍を交差させた。そののち白騎士らは退出し、扉を閉じる。
 父大公は執務机に向かい、席に着いた。カロッゾはその脇に立つ。
「ヒルデガルド。お前はオスミナへ隠密に向かうのだ」
「隠密?オスミナ?」
 もちろん、ヒルデガルドは言葉の残り半分を呑みこみ、口にはしなかった。父である大公は、父の中での言わずもがなのことを繰りさえすことを厭うのだ。
 オスミナとは、フィンマルク湾を挟んで向かいにある王国であり、フィンマルク東岸では互いに国境を接してはいるが、広大な森林地帯であり、ここを越えての戦いはこれまでに一度も無かった。ヒルデガルドは応じる。
「して、いかなる任にて」
「カロッゾ」
「は」
 父大公の言葉に、カロッゾは向きなおる。その顔は、額のさらに上から、顎の先まで銀面にて覆われ、うかがうことはできない。
 ひどい傷を隠しているのだという。ヒルデガルドもその真の顔は見たことがない。余所の宮廷ならば、人目につくところには置かれないような男だが、父大公は好んで使い、このんでそばに置き、その言葉を重用していた。
 そのカロッゾは言う。
「オスミナに、「帝國」が侵攻したとのこと」
「・・・・・・侵攻?」
 まさかと思い、だが「帝國」ならやりかねないとも思う。「帝國」はこの壱千年の間、ゴーラ帝国と並び競うようにある大国だった。ゴーラ帝国と同じように、古代魔導帝國直系を誇るが、しかしゴーラ帝国のものに言わせれば、一度滅び去った紛い物に過ぎない。
 壱千年前の魔族大征西を前に、四分五裂し、そこから再び生まれたのが「帝國」だ。力によって諸侯を束ね、武威によって近隣国を威圧してきた国だ。力によるその統治は、一度は崩れ去りかけ、長い内戦で相争ってもいた。
 その傷はあまりに深く、今は帝國領となり、帝國によって北方辺境と呼ばれるところ、かつてはゴーラであった広大な対岸領土は、もはや自ら立ち直れぬとすら噂されていた。
 その北方辺境から、オスミナへ侵攻が行われた。
 帝國なら行わないとも言えない。
「・・・・・・」
 だがあまりにも突然すぎる。
「ご承知の通り」
 カロッゾはいつもの低い声で言う。仮面によってくぐもる声は、ヒルデガルドの様子を軽く楽しんでいるように響いた。
「我がフィンゴルド大公国にとって、フィンマルク湾の帰趨は何事よりも大事であります」
「承知している」
 ヒルデガルドは応じる。フィンマルク湾、あるいはフィンマルク湾を西端に持つゴーラ湾は、ゴーラ帝国諸国をつなぐ内海でもあった。むしろゴーラの鎹と言っていい。ゴーラ帝国はゴーラ湾にて繋がれていた。西には今のゴーラの中心であるスカニア大公国があり、もう一つの大公国ヴィーキアもある。ヒルデガルドらのフィンゴルドはゴーラ湾を挟んでその東側対岸にある。ゆえにフィンゴルドの開発は遅れ、僻地として軽んじられてきた。
 ゴーラの内海たるゴーラ湾は、西に切れ込み、そこはフィンマルク湾と呼ばれる。フィンゴルドと大陸を分ける湾だ。その対岸にはオスミナ王国がある。オスミナ王国のさらに南には「帝國」北方辺境があるのだ。ヒルデガルドは言った。
「フィンマルク湾は、フィンゴルドにとって何より大きな守り。これを越えられぬかぎり、帝國は我がフィンゴルドにその刃を向けられません」
 カロッゾへではなく、父大公へ向けてヒルデガルドは言った。父大公はいかめしい顔に、ごくかすかな笑みをにじませてうなずく。
「しかしそれは、東岸を巡る湾岸の道を封じえてのこと」
 カロッゾの仮面でくぐもった声が言う。
「帝國が対岸までやってくれば、それも崩れ去りましょう」
「それはすなわち、我がフィンゴルドをしてオスミナに加勢せよと?馬鹿な」
「もちろんそのようなことは申し上げません、妃殿下」
 カロッゾは言う。
「我がフィンゴルドは、帝國と争ってまでオスミナ王国を手に入れることはありません。王国は王国のものらにて守られれば良いこと。フィンゴルドはフィンゴルドを守るために動けばよいこと」
「・・・・・・」
 ヒルデガルドはカロッゾのそのような言いようが嫌いだった。仮面にて顔を隠し、飾った言葉でさらに底意を隠そうとする。
「私に隠密にて動けというからには、何か考えがあろうか、カロッゾ卿」
「もちろんのこと、姫殿下」
 大柄なカロッゾは、会釈のように頭を下げて見せる。
「オスミナ王権の凋落が、我がフィンゴルド脅かすことは、あってはなりません」
「では如何にするがよいか」
「凋落するならば、底まで堕ちれば良いのです」
 カロッゾの籠った声は楽しげにすら続く。
「帝國が本心でオスミナを攻め滅ぼすつもりならば、我がフィンゴルドも応ぜねばなりますまい。しかしながら帝國の動きはあまりに急すぎ、あまりに突如すぎる」
「・・・・・・カロッゾ卿は何事か承知しているのか」
「ええい!くどくどしい!」
 父大公が声を上げる。
「ヒルデガルド。ようはオスミナにて戦う足がかりを得れば良いのだ。帝國がオスミナを攻め滅ぼすならそれで構わぬ。させるが良い。だがオスミナが無くなるならば放置はせぬ。ヴィルミヘ河東岸はフィンゴルドが為に得る」
「はい、大公殿下」
 父大公がそのように言うのであれば、そのようにせねばならぬ。
「ならばわかろう。ヴィルミヘ河東岸にいかにして軍勢を渡すか。いかにして帝國と戦うか。最後の足掛かりはいかにあるか」
「はい、大公殿下」
「お前は上陸の足掛かりを得、またオスミナに起きているあらゆることを知り、儂に届けるのだ。お前と、マルス、お前の目で見て要とするものはすべて成せ」
「はい」
 ヒルデガルドの背後で、黙ったままであったマルスもまた深く頭を垂れる。
「なによりも大事は、オスミナ王権が崩れたとき、どれほどのものをフィンゴルドのものとできるかだ。判るか、ヒルデガルド」
「港でございましょうか」
「そうだ」
 父大公は言う。たしかに港を掌中とすれば、何事にも便が良い。特に機装甲のような重いものを運び込むには、石畳や釣り上げ具の在る無しは大きくかかわってくる。
 だがヒルデガルドは難しいとも思っていた。
 それだけの大港はオスミナには一つしかない。
 フィンゴルド湾に面しており、帝國より北に流れるヴィルミヘ河の東岸にある。
 その街は城壁に囲まれ、しかも必ずしもオスミナ王権に忠義を尽くしているわけではない。
 それらはオスミナ人とも気質の違い、ゴーラ湾のあちらこちらから吹き溜まってきたものらだった。己自身と、払われる金とのみに従う者らはつまるところ、誰にでも従って見せるということだ。
 カロッゾが仮面の奥で思わせぶりな口ぶりであったのはこれが故だったのだろう。
「特に力を入れよ。あちらの間者頭とも良く話せ。その任はお前でなければならぬ」
「承知」
 ヒルデガルドは父大公へと頭を垂れる。たしかにヒルデガルドをして成さねばならぬことなのだ。
「ならば行け」
 父大公のその言いように、ヒルデガルドは顔を上げた。
「今から、でございましょうか」
「そうだ。時は一刻とて待たぬ」
「・・・・・・」
 弟には会えぬのかと、思った。
 気弱で、ほっそりしたヒルデガルドのたった一人のおとうと。病弱で、季節の変わるごとに熱を出して寝込むような子だった。
 一目だけでも顔を合わせておきたいと思っていたのに。
 ミアイルも、ヒルデガルドを待っていただろうに。
「承知」
 再び、ヒルデガルドは頭を垂れた。

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最終更新:2012年08月25日 22:38