鑓の機神は地を歩み、二人の伴いは機神のあとに騎乗で続いている。
二人が離れ気味なのは、鑓の機神の異形の歩く姿が危うく見えるからだろう。
機神は古代魔導帝国の精髄だ。今、帝國で見られる機卒よりもずっと大きく、ずっと精緻な作りをしている。鑓の機神はそのなかでも異形の姿だ。他の機神たちよりも一回り大きく見える。鑓の機神は背に飛ぶための魔道の仕組みを背負っている。鳥を思わせるその形だけでも、並の機神が横たわったほどもある。それを負って歩む姿は、外より見ると危なっかしく見えるらしい。
もっとも歩いているほうのマルクスにはそんなことは少しも感じない。空飛ぶ機神であるからといって、常に飛ばすわけではない。飛ぶには多くの魔力を使う。魔力は少しずつしか集められぬ大事な力だ。古代魔導帝國は何がしかの技を使い、魔力を集め、機神に注ぎ込んでいたというが、今はその術は失われてしまった。
機神が魔力を得るには、機神自らそうしたがるように異界に身を封じるか、魔法陣の中に休めるか、あるいは魔晶石に蓄えた魔力を注ぐかしなければならない。機神は異界に身を封じたがり、そうなると魔力に満たされるま再びうつしよに現れたがらない。機神をうつつにとどめつつ魔力を蓄えさせるには、魔力を集められるところに置かねばならない。
それを知りつつ見れば、レオニダス公にこの領地が与えられたことの意味がわかる。ここには森と丘と湧き水と川とすべてがある。それら神の作りたもうた被造物の営みをわたる力が、人をして魔力と言わしめる力となる。この丘の森にも泉があり、せせらぎとなって流れてゆく。
丘の頂への道は、すでに失われたに等しく、木々を切り開きながら上らねばならない。あるのは獣道のような細い道のみで、それも木々と茂みの間を進んでいる。物見台の普請には賦役の領民と四機の機卒が出て、道を作りながら丘を登っていった。
指図は普請役が行い、マルクスが成すべきことは特にない。機卒たちはその木々を切り倒し、根や茂みは掘鋤で根こそぎ退ける。切り払った木々は、道の脇にのけられ、帰りには引きずって持ち帰られる。勝手に伐ることを許されない森から持ち帰りを許すのは、公爵からのちょっとしたお情けというものだ。
マルクスたちが丘の頂に着くころには、日差しは中天より降っていて、また昼休みには良いころあいであった。
丘の上にも木々はうっそうと茂っていた。いま残っているのは魔力の導きの要となる力石と、物見やぐらの土台となっていた柱穴のあとくらいのものだ。そしてすでに先乗り組が丘の上に入り、下生えを切り払っていた。
賦役の男たちはともあれまずは腹ごしらえだとばかりに、敷き布を広げはじめる。男たちばかりではない。機神と伴い二人を追い越して、荘園の女たちが歩いてゆく。女たちには賦役は課されていない。だが荘園の男どもがこのように繰り出すなら、女たちも籠やら袋やらを抱えてくる。
女たちの群れはマルクスたちを追い越してゆくとき、それぞれに裾を軽くつまみあげ貴人への礼などしたりする。そうやって集まり、昼の支度を始めるさまを見ながら、ただ立っていても仕方ない。マルクスは頂の端に機神を寄せ、片膝をつかせた。
背の甲蓋を開いて機神を降りるとすぐに、警護役のボナルパが外套など持ち来る。
「すまんな」
「いいえ」
そうこたえるボナルパは律義者なのだ。強い灰銀髪の髪と、頬から顎までの髭は、骨ばった顔立ち以上の押し出しがある。その顔を向けるだけで不急のものは自ら退く。
「御免」
一礼して普請役がマルクスのもとへ歩み来る。さすがのボナルパも役目のものにまで冷たい目は向けない。普請役はノイナの代になって新しく任についたものだ。マルクスより年かさではあるが、普請役としては若手と言っていい。公爵家郎党も代替わりに伴って少なからず入れ替わっている。上は家老格から下は組頭まで代替わりをさせたのは、ノール=マルクスが最後に振るった豪腕でによるものもあった。
普請役は言う。これより賦役衆には食事を取らせ、昼過ぎより仕事を始めさせますと。今日、行えるのは、ここら一体の木々を刈り取り、根を掘りのけるまでになりましょうと。そマルクスはうなずいてこたえる。すでに幾度も聞いたことを確かめただけだ。ぐらのための礎作りをもろもろ行と、ぐらを立てることは明日以降となる。
「何用か」
ボナルパの声がする。マルクスは顔を上げた。
その先で荘園の賦役指図役と、ともなわれた領民の一人が足を止める。領民の男は初老で、賦役の男たちのとりまとめをしていることをマルクスも見ていた。賦役指図役はお飾りであることも見ていた。
その賦役指図役はおどおどとボナルパに何事か言う。なに?聞こえぬ、はっきり申せと言い返すボナルパへ向けて、指図役は伴っていたはずの初老の男を前へと押し出す。
「御領主殿下」
初老の男は深々と頭を下げる。
「わたくしども、昼餉を用意してございます。御領主殿下と従者方々にもお召し上がりいただけるようなってございます」
「殿下、かくのごとく申して参っております」
うなずき、マルクスはこたえる。
「同席しよう」
「ありがとうございます殿下。御案内申し上げます」
「待て、毒見をせねばならぬ」
ボナルパが言う。もちろん初老の男に言ったのだが、しんのところはマルクスに聞かせるためだ。
「そうだな」
マルクスは応じる。
「ボナルパ、役目でよいな」
「承知いたしました」
何もかもが即興芝居のようなものだ。役目のままに振舞えばよい。マルクスにはかえって楽なくらいだ。
楽だが、芝居にしても、役者にしても底が割れているとも思う。だがもはや苦笑を顔に出せはしない。いつでも彼がどのような顔をしているのか、気にされ伺い見られるのだから。
最終更新:2010年10月22日 20:16