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*第5話:マス・カレイド・スコーピオン ――ページ5 「あんたは予備じゃない!」  勢いに、剣幕に……ただただ圧倒されるしかない。  それまでぐるぐると頭を支配していた様々な思考が一斉に吹き飛ばされた。 「あんたは部品じゃない!」  鼻息さえ感じるほどの距離。口角泡と共に、怒号を浴びせられる。  襟を握り締める手が……擦れ合う布が、ギチギチと悲鳴のような音を立てる。 「あんたは、あいつなんかと一緒じゃない!」  呆然と、意味さえわからないままに聞き入れることしか、できなかった。  見上げた顔に――眼から頬を伝ってこぼれ落ちる涙の理由を探すことさえ、できなかった。 「あんたはあんたなのよ。わかる? わかって……!」  ついさっきまで泣き腫らしていた自分の目元を、違う、暖かな涙滴が撫でていく。  力なく、嗚咽に震えた声と共に、襟元に籠められた力も、ゆっくりとほどけていく。  ほだされていく。  やっとのことで、石のように固まった拳が緩んだ。持ち上げられていた頭をゆっくりと床につけながら……しかし、視線はそらせなかった。 「でも、俺は、何も……」できなかった。その言葉を口にすることが、たまらなく悔しくて、歯噛みする「ディサローノだって、あの時――」  そこまで言って、やっと、さっきまでベッドにいた人間だったと思い至る。  昨日に爆発を受けた人間だと。 「そう。ディサローノ、怪我は――」 「あんたに心配されるほどヤワじゃない。私を誰だと思ってんの」  どん、と拳が胸を打った。  冷徹に切り捨てる言葉……と、思えなかったのは、悶えるようで振り絞るような、強がりが見えてしまったからだ。  そして離れていく。腹の上にあった重みと、熱い体温が、まだそこに残っているような錯覚さえ覚えた。 『体の調子は』 「久々にぐっすり寝れたから、かな。まだ肩と腕に違和感が残っているぐらい」  立ち上がって面々を見渡す彼女の横顔からは既に、先程までの強がる弱さなどかき消えていた。  腕を回して、五指を開いて閉じてを繰り返し……感触を確認したのだろう。開かれたままの手を見つめて、少し寂しげにこぼす。 「まだルーレットは立てそうにないわね」  しかし手を腰に当てて、ストリチナヤと向き合った時には、細々とした寂しささえ潰える。 「でも、テウルギアには乗れる」  本来の、強く固く太い芯を持ったディサローノが、不敵な笑みを携えて、立っていた。 「乗る、って……戦うつもりなの?」  咄嗟に焦りを滲ませたシャトー。歩を踏み出して、ディサローノの肩へ手をかける。 「当たり前じゃない」  あっけらかんと言い放つ――ついさっきまでのドランブイと同じような、思い切りと振り切りの苛烈さを垣間見せた。  手を振り払って、しかしその手を一度ぎゅっと握り、すぐに放す――気遣いはいらないと、でもそうしたい気持ちだけ受け取っておくと。  片眉を上げた。茫然と寝転がったまま見上げてばかりのドランブイと、視線を合わせる。 「そこのバカが、なんでだか、勝手に私の分までやり返そうとして、見事にヘマしたらしいし」  昨日のことだ。  ディサローノが爆発に巻き込まれたと知った瞬間のドランブイは、自分でも驚くほど激情に身を任せて……しかし失敗した。眼前に敵を見据えておきながら、みすみす見逃してしまうという、無残な結果に終始してしまった。 「……っ」  再び、己の過失に歯噛みする。  しかし違っていたのは……目の前に現れた手のひらだ。  ディサローノの手。  ふと、手を伸ばしかける。一瞬の恥じらいが手を引っ込ませる前に、手首を掴み取られた。 「その借りは私のよ。勝手に私の分まで、背負おうとしないで」  ディサローノの矜持なのか、それとも失敗を拒んでのことなのか……一瞬だけ迷ったが、すぐに先程聞いた叫び声で、後者の可能性を吹き飛ばされる。  見合わせた背丈は、ディサローノの方が低い。  ひょろりと長いドランブイを見上げる顔には、その差を感じさせないどころか、むしろ逆転していると思わせるほどの自信が満ちている。  次の瞬間に、語調が一転する。 「というか。せっっっかく! 人が気持ちよ~く寝ている横で、びぇーびぇー泣かれてさ、なぁにが『すまねえ、ディサローノ』よ」  唐突に、コアントローが息を吹き出した。 「似てる! 似てるよ! ハハハ」 「『予備すら、俺できなかった』『何もできなかった』」  今度は、シャトーが……外にまで聞こえていたのだろうか、くすくすと笑い声をこらえきれずに、肩を震わせる。 「ふふっ……言ってた言ってた」 「なっ……」  顔から火が出るような、さっきとは別の熱さが、ドランブイにこみ上げる。  握られっぱなしだった手首を、力づくで振り払った。 「てめえ!」  真剣にしているつもりだった。それさえ馬鹿にされたことが、許せなかった。  ……目頭が熱くなって、再び、烈火の感情が沸き上がったと自覚する。  それでも、自分の目元をさらりと撫でた指先を知覚できたのは、ずいぶん後だ。 「よし。イイ顔になった」  ちらりと出されたディサローノの舌に、指先が触れる。  それが、どちらの涙だったかなどわからない。  いじらしいウィンクと共に、はにかんだ。 「そっちの方がドランブイらしいよ」 「なっ……お……ま……っ!」  一瞬のことだった。記憶にあるかないかさえわからない、ほんの一瞬で……頭の天辺にまで、全く別の熱が沸騰する。  後ろへ退いていく足取りが、たどたどしい。危うく転びそうになるのを、どうにか保つことで精一杯だった。  そのまま壁までぶつかって、ヘナヘナと崩れ落ちる。  じっくりと眺めていたディサローノの笑みが、悪戯っぽい邪さに豹変する。  奥ではコアントローが腹を抱えて笑っており、ヘンドリクスは腕を組んだ姿勢のまま固まっていた。  鷹揚に、ディサローノは再びストリチナヤへ向き直る。  その顔にはもう、先程の残滓も、悪戯っぽさまでも消え去っていた。  最早どれが本来の顔で、どれが作られ、取り繕われた仮面なのか、誰にもわからない。 「さ、仕事の話に戻りましょ」 『仕事?』  ドランブイが仕掛けられた一瞬の出来事――目の当たりにしながら、呆気を取られなかったのはストリチナヤだけだ。 「だいたい話は掴んでるわよ。標的はテウルゴスで、同じ名前、同じ顔が複数いるってこと。  だったらまだ、ボラッド・マイケーエフを殺すって依頼を、こなせる余地がある。まだできることがある」  部屋の中央へ、立体映像に浮かぶ、爆炎に照らし出されたボラッドの顔へ、歩み寄っていく。 「マス・カレイド・スコーピオン……最初は仮面舞踏会だと思っていたけど、どうやら違っていたわ」 『聞かせてもらうか。君の推測で出てきた、名前の理由を』 「“&ruby(マス・カレイドスコープ){巨大な万華鏡}”」  指を鳴らした。  すぐに意図と意味が汲み取られ、立体映像にそれが浮かび上がる。  彼らのエンブレム。蠍のシルエットを取り囲んで放射状に広がる正方形。 「ボラッドって部品がどんどん増えているなら、そりゃ一回殺したところで何の意味もないわよね。鏡に写った似姿でしかないんだから」  伸ばした指先が、外側の正方形をなぞり、一つ内側の正方形を、小突く。 「……しかし、どうする? 標的が不特定で、無数だ」  咳払いの後に、ヘンドリクスが肩をすくめる。  ちらりと一瞥したディサローノが、口の端を釣り上げた。 「決まってるじゃない。&ruby(・・・・・・・・){鏡を全部ぶっ壊す}。テウルゴスだけ馬鹿みたいに増やしたところで、レメゲトンは一体だけのはず。言わば、そいつが本物」 「強引だなぁ」  笑いすぎて疲れたのか、コアントローの声はすっかり脱力しきっていたが、嘲りではなく、信頼が一つの芯となっている。  それでも横目にドランブイを見つけては、またくつくつと腹を抱えてしまう。 「でも、少し休んだ方がいいんじゃない? お坊ちゃんもヘロヘロだし」 「こんだけカジノに損害出されて、企業の信頼まで落とされたのよ。  &ruby(ヴェンデッタ){復讐稼業}の看板まで降ろすわけにはいかないでしょう?」  さあ準備準備……と手を叩くディサローノに合わせて、各々が呆れたように肩をすくめながら歩を進める。  一方で、ドランブイはやっとのことで、腰に力を入れられるぐらいに自我を取り戻せたばかりだった。  また顔前に手のひらが踊って、顔ごと背ける。 「なんだ、またからかうのかよ」 「私が思ったより、あんたがまだまだガキんちょだっただけじゃない」 「……うっせ」  手を取らないまま、立ち上がろうとした視線の先では、他の面々の背中が遠退いていくのが見えた。 「私の代わりに? 敵を倒すこともできなかったし」 「あれは……っ」  何か言い返せないかと息巻いたが、しかし言葉も、理由そのものも見つからない。  あの時。コクピットにいたのが自分ではなくディサローノだったなら……。  きっと、もうこの騒動は終わっていたはずだと。 「――そうじゃない」  しかし切り込んできたのは、ディサローノの方だった。  決然と揺るがない声が、鋭く、いつの間にか入りこんでくる。ぎくしゃくした心の隙間へ、なぜだかしっくりとはまる。 「あんたの態度は気に入らないけど、やたら歯向かう威勢の良さは評価しているつもりよ。  やり返そうとしてくれた気持ちもね」  それをしっかり耳に入れながら……だけど一度も顔を向けることができないまま、ドランブイは立ち上がる。  さっきまで伸ばされていた手のひらは、すでに背中の裏まで回されていた。 「……」  結局、ドランブイは目を合わせることも、何かを返すこともできないまま、歩き出す。  心なしか足取りは、今までにないほど軽く、明るいものになっていた。

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