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*エピローグ:ミス・フォーチュン ――ページ2 「煮え切らないわね」回転を続けるルーレットを止めて、白球を拾い上げた「この間の、命懸けの全力疾走はよくやっていたじゃない」 「当たり前だろ!」名残惜しく凝視していたチップから、恨めしそうに顔を上げる「こんな時で命を賭けられるか!」  跳ねっ返りの強い、威勢の良さ。しかし席を立つという素振りさえ見せないで、ヴァネッサと向かい合う。  小さく鼻で笑う。  次のゲームを始めるべく。逆に回した。 「私はね、運命の歯車を回して、風向きまで変えたあんたを期待しているの」  逆転するルーレットよりも早く、語調の転換を見せる。声から調子の良い嘲りを消し去る――しおらしく。 「だから、俺は&ruby(ギャンブラー){本職}じゃねえって」呆れた吐き捨てるような声と共に、しかし手はチップへ向かっている「運気の話とか、されても……」  だんだん弱まっていく語調。ヴァネッサのしおらしさにあてられたように、か細くなって、止まった。  イーヴァリの脳裏に浮かんでいたのは、一つの記憶だ。  砂の海を駆け抜けた鋼鉄の巨躯――〈ラスティネイル〉。  ドローンを頭上に見ながら、間に合うかどうかの瀬戸際。あまりにも好都合すぎるタイミングで、ドローンたちを跳ね飛ばすに至った、神風と呼ぶに相応しい事象。  文字通り以上に、風向きの変わった瞬間だ。  再度、見上げた顔に浮かぶ笑顔は……このことを言っているのか。  表情を読まれたのか、自分が顔に書いたのか。判然となる前で、ヴァネッサは小さく頷いた……ように見えた。 「あれは、偶然だろ」 「私たちがたまたま命拾いしたって?」 「そんな言い方……」  思わず噛みつきそうに開いた口。しかしどう言い返そうと、歯切れが悪すぎた。 「でも、偶然だろ。たまたま良かったんだ」 「じゃあさっき。0に入ったのも偶然?」  奇数と偶数。ルーレットの盤面に並ぶ37個の内、イーヴァリが賭けたのは36個。投じられた球は、たった一つだけ抜けた数字へと吸いこまれた。  しかもそうなることを予め知っていたようにさえ、振る舞って。  一瞬だけ迷ったが、しかし答えは変わらない。 「ディサローノの実力だろ」  ディサローノ――濃厚な甘さにわずかな苦さをアクセントにした、アーモンドのような香ばしさを持つ琥珀色のアマレット・リキュール。  持ち前の勝ち気な眉を上げ、微笑みこそ返すものの、しかし彼女は答えなかった。  白球が放たれる。逆回転した車輪を、さらに逆行するように。  外縁を転がる、乾いた軽い音が耳に心地よく響いた。 「運命の歯車を回すってだけで、相当なものよ」  ルーレットの&ruby(ホイール){円盤}を回し、白球を投じた右手が、そっと差し出される。 「私はこの手で。そしてドランブイ。あんたは……&ruby(・・・・){足の車輪}で」  ドランブイ――シングルモルト・ウィスキーに、様々なハーブとスパイスと蜂蜜を混ぜた、特有の味わいを持つリキュール。  複雑そうに顔をしかめる彼の足に、車輪があるわけではない。靴裏にそういった仕込みがあることもない。  彼の&ruby(ホイール){車輪}は……ドランブイという名を持っている時にこそ――〈ラスティネイル〉にこそ、設えられているものだ。 「それがどこかで歯車と噛み合う瞬間がある」  ディサローノの手が、賭け台を小突いた。  ドランブイの手が、チップを並べていく。  何かを考える時間などない。ディサローノの声に耳を澄ませ……白球の音さえ、彼の耳からかき消えていた。  無意識・無作為・無造作に並べられた、いくつものチップ。  満足気に頷いたディサローノが、ひらひらと手を振る。 「私の知る限り、そこにはいつも覚悟があった。  居るべき時に居れた偶然と、叶えるべくして叶った偶然……どこまでを偶然だって言い張れるかしらね?  身の着、物、こなし……自分の魅せ方だってそう。  運には使い方がある」  気づけばポケットへ収まっていた白球。  指差された盤面の数字。  何も置かれていないことを悟って、ドランブイが口をあんぐり開く。  並んだチップを纏めてかっさらいながら……ディサローノが、ニヤリと笑った。 「さ、覚悟なさいドランブイ! せめて運が視えるぐらいにはさせてあげるわ」 ――  場内には二人しかいないが、天井からぶら下がる監視カメラだけは、黙したままに彼らを見つめていた。  それを通して映し出される映像を、別室から眺める者たちがいる。 『放っといていいのかい?』  気怠そうな声。画面に映し出された、無精髭に、くたびれきったスーツを羽織る男――カルヴァドス。 「まあ、リハビリだからな」  ピンと張り詰めた緊張でがんじがらめになった巌のようなヘンドリクスが、腕組みを崩さないまま答える。 「今回の一連の依頼と騒動……依頼主の報酬が馬鹿げた額だったから、なんとか補填はできた。  だが数日分の営業利益分まで取り戻せたわけじゃない。  加えてお前たちの〈オールドファッション〉は、ほぼ全損のまま後回しだ。  当面、ディサローノにはこれまで以上に稼いでもらわねばならない」  丁寧に添えられた理由を、欠伸と共に聞き流したカルヴァドスが、億劫そうにへらへらと笑う。 『俺は出撃が減るなら、それほど楽なこともないんだけどね。  俺が気にしてたのはそっちじゃなくて、坊っちゃんの給料のことさ。  まあ万が一、坊っちゃんが勝たされたとして……本当に出すつもりかい?』 「……」 「ディサローノ次第ね。臨時ボーナスか、減給か」  ヘンドリクスの後ろから画面を覗き込んでいた女性――シャトーが、ふわりと笑い声を漏らす。 「どうなるのか、ちょっと楽しみ」  鼻で嘆息したヘンドリクスも、シャトーも、カルヴァドスも……皆が一様に、ディサローノがドランブイをどうするかという視点で語る。  誰一人として、ドランブイがディサローノに勝つ、という発想さえ思い浮かんでいなかった。  見ようによってはドランブイを憐れむ者もいていいだろうが……しかしドランブイの性格まで熟知しきっている彼らからすれば、甘えであると却下されるだろう。  もう一人――少年のような奔放さと少女のようなあどけなさで身を包んだコアントローが、指を立てる。 「じゃあ賭けてみる? 今夜の飲み代で」 「乗った」「うん」  すかさず返答するヘンドリクスと、異論なしとばかりに首肯するシャトー。  彼らを見かねてか、カルヴァドスが画面の向こうで肩をすくめた。 『受け持とうじゃないの。  んじゃ、三択。  1が賞与。2が減給。3は大穴のそのまんま……さ、指を見せて』  カルヴァドスの声に合わせて……画面へ向かう三人が、動き出す。指を立てた手を自分の胸元でかざした。  真横に立たれない限り、カルヴァドス以外の誰もがどの数字に賭けたのか見られないように。  だがカルヴァドスは、彼らの手を見るなり笑いだし、手を振った。 『おいおい、それじゃ賭けが成り立たないじゃないの』  ……画面の向こう。静かな仄暗さに包まれる場内で、再び白球がポケットに収まった。  あんぐりと口を開けるドランブイが、思わず顔を上げる。  人差し指だけを立てたディサローノの手は、釣り上がった唇にあてがわれ、弾む。  陶酔しそうなほど濃密な、甘く華やかな空気を纏って。  &ruby(ミス・フォーチュン){運命を手繰る女}が、微笑みと共に指差す先は―― ――『流転と疑惑のミス・フォーチュン』完

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