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【ハクレン号の航海日誌】
第1話 ベンガル湾での待ちぼうけ、その2


■6月11日 19時38分(UTC+6)
「……ッ、MBES(海底地形探査用のマルチビーム探査レーダー)らしき音響を検知。距離5から5.5海里。妙ね」
 ここ15分ほどの、有事航行に備えた各種点検が終わり、ブリッジに続いていた沈黙を終わらせたのは、エメリナの報告だった。
「ふむ、妙だな」
「妙ですな」
「妙だ」
 ブレンダン艦長にフェリシアン、更にミハイルまでが異口同音に呟く。
「……妙なんですか?」
 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。エリーアスが短い社会人経験で学んだ、実践的なことの1つだ。
「新米、MBESの用途を言ってみ?」
 フェリシアンがニヤリと笑って、逆に問いかける。エメリナからは「バカなの?」という視線を感じるが、いちいち凹んではいられない。
「ええと、海底に音波ビームを放って、広域の地形調査などに使ったり、魚群探知のために使う……あっ」
「そう、何処のヤツだかわからんが、調査船団は投錨して固定位置に居る。そんな状況で、複数回の探知をする意味は、普通はないよな、同じ場所なんだから」
「魚を捕る……ってことはないですよね」
「規模的に7,000トンもない母船1隻に、護衛艦2隻はな。遠洋漁業をするような海域でもない」
「かといって、もし、1回目で地形データが取れなかったなら、すぐにもう1回やりますよね」
「よほどショボくれたコンピューターでもなきゃ、この深度でのMBESなら5分もあれば解析結果は出るからな。30分以上あける理由はない」
「確かに妙ですね……同じ場所の、海底の状況なんて、早々変わりませんよね」
「大地震でもありゃ別だが、そんなのがあれば、嫌でも俺たちも気がつくよなぁ」
「……ん、海底の状況が変わったとしたらどうでしょう?」
「なに?」
「たとえば沈没船の探査をしていて、分解しているとか」
「ふむ」
 口元は無表情のまま、視線だけ微笑んでいたような艦長が、少し固い表情になって呟く。
「まだ憶測で動くべき状況ではないし、あくまで可能性でしかない。が、可能性としては一理あるな。現状と矛盾はない」
「だとしたら、それこそ面倒だけどね」
 エメリナが少しだけ混ぜっ返す。
「まぁ、そうだわな。わざわざ戦闘艦まで連れての沈没船調査ってことは、沈んでるのは相当な財宝ってことになるだろうしなぁ。相場としちゃ、金銀財宝の類か、軍事的なモノかねぇ」
「どちらにせよ、そんな連中に、迂闊に存在を気取られたら」
「うわぁ」
 忘れかけていた胃の痛みが、また襲ってくる。受け身になるといつもそうだ、これはもう、仕事のことを考えて忘れるしかない。
「しかしまぁ艦長、海底のお宝の話が、正しいかどうかは別としてもですよ。奴らがMBESを何度も使ってると、迂闊に近づくのは危険ですな」
「十分なデータが取れるほど、近くで鳴らされたわけじゃないし、機種が既知のモノかはわからないけど。MBESの照射角が中心点から100度ぐらい、反応検知のために近くの護衛艦にもセンサーをつけてるとすると……少なくとも3海里以内は危険ね」
「安全を考えると5海里は離れておきたいな、となると時間的な猶予はないか」
「迂闊に動いて、別の手段で探知されるのも、それはそれで怖いけどね」
「よし、予定より少し早いが、皆の意見を取り纏める時間はない。動く方針で考えよう。不明艦の位置は」
「本艦より342度、距離は推定5.2海里」
「ふむ……大陸の海岸側を抜けるか、反対側を抜けるか」
 こういう話題が出たときの新人の仕事、地図の表示。
 端末を操作し、艦橋にある一番大きなモニターに付近の海図を表示させる。
「大陸側を抜けるとすると、北東45度に舵を切ったとして、パテインのあたりにつくな」
 いいね、と言いたげに笑うフェリシアンのおかげで、少しだけ胃痛が引いた気がした。
「現在位置から95海里(約175km)ぐらいですね。静音で潜行して、対地速度15ノットに多少の誤差を加味しても、6時間……夜明けまでには確実に沿岸部には到着できるでしょうか」
「新米、計算もできるようになったなぁ」
「ふむ……あの辺の現在情勢はどうなっていたか」
「基本的にはアレクトリス・グループ(うちら)が握ってると思いますが……拠点がないので、安定してるとは言いがたい筈ですなぁ。不明艦なんぞ、この海域に出没するわけですし。安全海域まで10~15時間はかかると思いますぜ。んで、反対に向いた場合は、っと」
「西北西から西に……そうねぇ、30海里も行けば当面は大丈夫と思うけど」
「そこから北上してコルカタを目指すか、そのまま北西にチェンナイあたりを目指すか、ですか?」
「コルカタは十分な兵力の、技仙公司の拠点がある。不明確な軍事活動を確認した以上、そちらで情報確認と、報告を行うほうが良いだろう。静音航行を酷使することになりかねん、検査のために1~2日の寄港も視野に入れたい」
「そっちの経路だと450海里、30時間……まあ、途中から浮上して24時間ぐらいの航程かしらね」
「つまり、っと。不明艦との接触を避けることを優先するなら東航路、但しそっちは暫くの間、支配権が怪しい地域の沿岸を航行することになる。西航路は不明艦に少し近づく経路になるけれども、その後は艦艇にさえ注意してればいける、ってことですな。時間的なコストは大差なさそうだ」
「私としては」
 ここでテウルゴスのミハイルが、やや低い声で口を開いた。彼は、先ほど艦橋に来てから、壁に寄りかかって腕を組んだ姿勢をずっと変えずにいる。
「最悪の場合、不明艦隊に強襲をかけるのは選択肢と考える。敵戦力が不明とはいえ、形式的にテウルギアを積載している確率はきわめて低い。危惧すべきはレーダーで捕捉してのミサイルと、武装ヘリによる雷撃だが。急浮上してのテウルギアによる強襲で、私が陽動としてそれらを引きつけ、その間に艦に逃げてもらうことはできる。その後の合流に手間取るのもリスクではあるが」
 そこで一度、言葉を切った。何か考えるように、数秒間、短い顎髭に手を当ててから、話を続ける。
「だが、話を聞く限り、沿岸部は支配権が不明確だと言う。これは自分の知る情報とも一致するから、前提条件として良いだろう。地上のほうが海上より、物理的に戦力の配置は容易だ。もし地上から捕捉され、数的にテウルギア1機で抑えきれない戦力を叩きつけられたら、逃げることも戦うことも難しい。そのルートは回避すべきと考える」
「どっちにしてもリスクはあるし、それでいいんじゃない?」
「だな。西へ行こう、平和な生活のために(Go west, life is peaceful there)、ってな」
「何よそれ」
「昔の歌ですよね、確か西暦20世紀後半ぐらいの」
「知るわけないじゃない、そんな古くさいの」
「お、新米よく知ってるな」
 脱線しかけた話が、コホンというブレンダン艦長の咳払いで一旦リセットされる。エメリナやフェリシアンは何処吹く風だが、エリーアスの背中には、恥ずかしさと冷や汗で覆われている。
「よし。本艦はこれより、不明艦隊を迂回するための静音での潜行航海を行う。総員、騒音に厳重注意を。フェリシアン、方位285に低速旋回しつつ、70フィートまで潜行。その後、対海流速度20ノットを目安に航行を開始せよ。エメリナ、聴音索敵を厳に」
「了解。旋回は600秒ほどで?」
「問題ない。よし、新米、仕事だ。まずパーシーを艦橋に呼んでくれ、補助席につかせる。その後、荷室に行き、コンテナ固定ロープの確認を頼む。ああ、便乗のコンバロ氏(セベロ)にも手伝って貰え。指揮系統は本来違うが、緊急時だ、それくらいは頼んでも問題ないだろう」
「了解しました」
 補助席から立ちあがり、艦橋の後側にある出口に向かう。
 背中からミハイルと、艦長の会話が聞こえてきた。
「私も出撃に備えて、自機のチェックに向かおう」
「よろしく頼む」
 もう完全に、荒事が起きる(ことを前提に、皆が動く)感じだ。流石にその空気が読めないほどではない、けれども。慣れという意味で、すぐに克服できそうにはない。
 それ故に、更に胃が痛くなってくる。配属直後は、目眩までしていたことを考えれば、だいぶマシになってきた、ということなのだけど、それが慰めになるわけでもない。


■6月11日 19時44分(UTC+6)
 居住区の、それぞれの個室に居たパーシーに声をかけ、ついでにセベロに協力を依頼する。揺れに備えた私物の収納が終わり次第、手伝うと快諾してくれたところまでは、色々と予想通りだった。
 だが、船倉に向かう、らせん階段の入り口についたところで、不意に、予想だにしていなかった相手から、声をかけられた。
「エリーアス君、だったか。怖いのかね」
 唐突にかけられた、護衛のテウルゴス、ミハイルの低く、単調な声に混乱する。
「あっ、はい……はい」
 他の船員から、過去に何度か、ミハイル(のテウルギア「青龍」)が、ハクレン号の護衛をしていた話は聞いている。
 船員達の彼への信頼が、その実績に裏打ちされているのもわかっていた。
 とはいえ、エリーアスにとっては、今回がはじめてだった。ミハイルと初めて顔をあわせてから、まだ2週間程度しか経っていない。
 だから、自分の名前を覚えられていたことが、まず驚きだった。
 そして、仕事に必要なこと以外は口にしない、この、いかにも「戦士です」というオーラを纏った男が、そのようなことを話しかけてきたことも、とにかく意外だった。
「気に病むことはない。それは自然な反応だ」
「えっ」
 臆病を叱られるのかと、一瞬身を固くしたが、正反対の言葉に、思わず拍子抜けする。
「誰だって死ぬのは怖い。私だってそうだ。戦を怖がらないのは蛮勇であって、むしろそちらの方が異常だ」
「は、はぁ……」
 自分の父も含めて、戦闘を生業とする人とは何人か知っている。
 たとえば父のように、戦闘を「禄でもない」と言う人は知っている。だが、父も、そしてこのミハイルも、戦闘に恐怖を感じているようにはみえなかった。
「ええと……アブドゥヴァリエフさんも怖いのですか?」
「ミハイルでいい。そうだな、怖いさ。ただ、恐怖との付き合い方に慣れているだけだ」
「恐怖との付き合い方、ですか」
 あまりに唐突な会話だったこともあって、オウム返しに返事するのが精一杯になる。
「そう、付き合い方だ。いくつかあるが、一番簡単なのは、自分で何とかできると、ただ信じることだよ」
「何とかできる……。信じる、ですか」
「君が全力を尽くせば、事態はうまくいく。それでいいじゃないか」
「……でも、自分はまだまだ未熟なので……」
「なるほど、ベテランの船員に比べれば、未熟なのは事実だろう。だが、他のクルーの足を引っ張るほどに、無能ではないと、私は見ている。何より、過剰な自信を持っている者より、分をわきまえた人間は遙かに有能だ」
「……」
「だから、全力以上を出す必要はない。全力で仕事をしてくれ。そうすれば無事に、目的地にたどり着ける。そう信じればいい」
「はい。……ええと、助言、感謝します。ところで……その」
「何故、という顔をしているな。簡単な話だ、少しでも、仲間は冷静であるほうがいい。君が気負わずに、普段通り仕事をしてくれるだけで、君も私も、より安全に近づく」
「ありがとう、ございます」
 普段は無表情な、無精髭の厳つい顔がニヤリと笑う。
「さあ、行きたまえ。お互い、戦闘前の安全点検に精を出すとしよう。徒労で済めばいいのだがな」
「はいっ」
 間違いなく、少し気が楽になった。
 自分が頑張ることが、仲間の安全、ひいては自分の安全に近づく。微々たるものであっても、ないよりはマシ。その概念は、理屈というよりは、直感的に心の支えになるものだった。
 先ほどよりも、かなり軽い足取りで船倉に向かう。
「それにまあ、あんな若者が死ぬのを見るのは、息子の時だけで十分だからな……」
 そんな小さな独り言は、エリーアスの背中に届くことなく、艦の無機質な廊下に吸い込まれて消えた。



■6月11日 20時12分(UTC+6)
 ハクレン号は、一般的な輸送艦に比べれば、頑丈に作られている。
 水中で攻撃を受けても、ある程度は耐えられるように、という、技仙公司の設計によるものだ。
 ただし。あくまで「一般的な輸送艦に比べれば」という前提になる。
 もう少し具体的に言うなら「時限信管や、近接信管の魚雷なら、1発か2発ぐらいは至近弾にも耐えられる……こともある」程度で。
 これは、手抜きや装甲軽視ではなく、潜水艦の建造技術の限界で、これでも他社製の潜水艦よりはかなりマシと言われる。
 つまり、これ以上は望めない。あとはダメージコントロールの仕事になる。そういう理由で、積載量が大きいわけではない船倉が、更に細分化されている。
 具体的には、長辺が20フィート(約6.1m)のコンテナを、10個×5個並べて、更に3段に重ねることで150個積める、という船倉が10区画ある(建造時に試行錯誤を繰り返していたらしく、同型艦でも区割りが違うそうだが)
 エリーアスは、5区画目のチェックをしていた。最初はセベロと2人で行動してダブルチェックをしようかと思ったけれども、時間的に切迫しているので、個別に行動している。チェック漏れより、有事の前にチェックが終わらないほうが問題だ。
 それに、チェックは割と容易だ。コンテナはすべて、金属ワイヤーを束ねて作ったロープで固定されている。その中に1本だけ、特殊樹脂のワイヤーが入っている。
 金属ワイヤー側に緩みや腐食があると、この樹脂が反応して色が変わる。なので、固定部分のワイヤーが変色していないかを確認していけば、最低限の固定確認ができる、という寸法だ。
 チェックした数を、手元のメモに棒の数で記載していく。こういう時の記録は、タブレット型端末より、紙の方が、見やすく、失敗が少ない。原始的な技術もバカにできない、というのは、船員になって痛感していた。
「600個(150個×4本)、確認完了、と。そういや潜行が止まったな、水平航行に移行した時間か」
 手元の腕時計を見て確認する。状況が状況だけに、艦内放送や伝声管は本当に緊急の場合を除いて、使われない。
 長い廊下に出て、第6区画に向かう。途中で、反対側(第10区画)から順番にチェックをはじめ、第8区画を終えたセベロと出会った。今のところ、異常は見当たらない。
 まあ――そう異常があっても困る、とは思う。何しろ出港時に、数人で念入りに点検をしている。これで幾つも異常があったら、そのときのチェック体制そのものの不備や、サボタージュに遭った可能性まで出てきてしまう。
 だからといって、思い込みで、点検をいい加減するのは間違いだ。第6区画の、コンテナ固定ロープを1本ずつ、懐中電灯で照らして確認していく。
 普段は、何かの理由で1人で船倉に来ると、陰気な場所だと感じる。防虫スプレーや消毒剤の匂いのせい、というのもあるだろう。でも今は、そんなことを気にしている暇はなかった。
 先ほどのミハイルのアドバイスも、今が厳戒態勢だということも、心の片隅に追いやって、無心に単純作業をてきぱきと続ける。
 その速度は、エリーアス自信に自覚はないにせよ、必ずしも平和的な航海だけではない艦船の乗組員として、10ヶ月の間に成長してきた証だった。



■6月11日 20時43分(UTC+6)
 船倉の確認を終えて、1本だけ見つかったロープの劣化に、樹脂による固定での応急対処を終えたエリーアスが、艦橋に報告に戻ってきた。
「うるさい!」
 そして艦橋に入るなり、エメリナに怒鳴られた。
 タイミングが盛大に悪かったようだ。
 というか、今日はエメリナに怒鳴られる日らしい。彼女が本気で機嫌が悪いと、飛んでくるのは怒鳴り声ではなく辛辣な言葉なので、それよりはマシなのだけれども。
 艦橋を見回すと、ブレンダン艦長が、厳しい顔をして、指で指揮席の肘掛けを撫でるように動かしている。
 考え事をしている時の、この人の癖だ。最早、容易ならざる事態が発生しているのは、エリーアスでもすぐにわかった。
 少しの沈黙。二呼吸ほどおいて、エメリナが報告を行う。
「……後続ソナー音、ありません。40秒前のソナーの解析出ました、おそらくRDT(音波を出す方向を変更しながら、広範囲に連続的に使用するソナー)、発信方向は本艦から見てだいたい11時の方角、方位では西北西方向からと考えられます。上下角は微少の模様、ほぼ同深度でしょう」
「それって……」
 思わず呟く。
「この海域に、他の潜水艦が居るってことさ。しかも先方は隠れるつもりもないらしく、海域をなめ回すように、かなりの出力のアクティブ・ソナーを発信してきた、と」
 フェリシアンが解説してくれる。
「おう新米、ちびるなよ」
 パーシーが豪快に笑いながら言う。やっぱりこの人は苦手だ。
「静かにして。気密室から海中に蹴り出すわよ」
 エメリナの機嫌が2段階か3段階、一気に悪くなったのがわかる。流石のパーシーも、「やれやれ」といった感じで、大げさに肩をすくめて口を閉じた。
「ソナーの機種は不明か?」
 ブレンダン艦長が問う。
「距離による減衰はかなりしていると思います、容易にはわかりませんが、軍用系の高出力品かと……っつ!?」
 艦内に「ピーン」という音が響く。聴音センサーで検知、などというレベルではない。むしろ、音声を増幅するためのヘッドホンをつけていたエメリナは、とっさにそれを外して、コンソールの上に放り投げた。眉間に皺がよっているあたり、耳を痛めたのかもしれない。
「ピンポイントの音波照射だな」
「間違いなく、見つかってますなぁ」
「今の聴音で、どの程度、相手はこちらを把握しただろうか」
「ほぼ正面からの船体規模は射影されたと思うわ。でも、ポイント照射とはいえ、再反射をトレースできない程度に距離は離れているから……周波数から逆算して、おそらく5から5.5海里(9~10km)、ないしは6.5から7海里(12~13km)かしらね、音量からしておそらく前者よ」
 アクティブ・ソナーの基本原理は単純で、水中で音を出し、対象から反射してきた音を拾う、というシンプルな装置だ。とはいえ、実際の運用はそこまで簡単ではなく、水温や水流、海面での反射など、諸々の条件の影響も受ける。
 だから、正確に相手の情報を得ようとする場合、距離によって周波数を調節する必要が出てくる。そしてソナーを照射された側は、その周波数を逆算することで、一定の範囲でソナー発信元の距離を絞り込むことも、理論上できる。
 それを理論だけでなく、ハクレン号が実際にできるのは、「かなりの性能の」ソナー一式を積んでいるためだ。自分が出したソナー音の反響測定のための高性能センサーを、相手から放たれたソナー音の分析も相応にできる、ある種の応用的な使い道、ということになる。
「状況からして戦闘艦、でしょうね」
 少し震える声でエリーアスが言う。
「だろうな。だが本艦を狙ってきている可能性は低い。もしそうなら、精密なソナー照射より先に、魚雷なり何なりの攻撃に移るだろう」
「そうなんですか?」
「俺たちの航路や場所が漏れてるってことだからなぁ。そうなりゃ当然、護衛機(テウルギア)積んでることも判ってる筈だし、浮上される前に速攻で片付けるのが筋じゃねーの?」
「フェリシアンの言うとおりだ。推論ではあるが、おそらく相手にとっても、我が艦の存在は想定外だろう」
「ハハハ、新米じゃないですが、逃げたいところではありますなぁ」
 冗談めかしているが、先ほどよりはかなり真剣に、パーシーも言う。
「厳しいだろうな。緊急ブローで海面に出て、そこから全力で旋回して……。それでも魚雷兵器の圏外に出られるかは、かなり分の悪い賭けだろう」
「艦長」
 エメリナの表情が強ばっている。とはいえ、危険や、或いは怒りはあまり感じられない。続いて出た言葉が、その理由を物語っていた。
「不明潜水艦から、指向性超音波信号を使用したオープンチャンネルにて、文字データを受信」
「読み上げろ」
「EAA配下の不明潜水艦に告ぐ。当方の任務は、貴艦も確認しているであろう、敵艦隊の撃破にある。貴艦が当方の妨害をするのでなければ、当方に交戦の意思なし」
「……これはまた」
「……酷い人違いですな」
「だが、状況は少し見えたな。当艦の積載物資は、補給物資として相応に重要ではあるが、手の込んだ罠に嵌めてまで鹵獲を試みるようなモノではない。不明潜水艦からの通信が、何らかの作戦のための、ブラフである可能性は、今の段階では排除すべきだろう」
「つまり、不明潜水艦と、不明艦隊が、うちら(アレクトリス・グループ)と、クリストファー・ダイナミクス・グループのどちらかと考えていい、ってことですなぁ、消去法で。どっちがどっちだかわからんのが歯痒いですが」
「まぁ、素性を知らない相手に、ピンポイントで潜水艦差し向けて、ソナー振って喧嘩ふっかける、ってこともないわよねぇ。潜水艦にしたって、もしかしたら複数隻居るんじゃない?」
「で、艦長、どうしますよ」
 艦橋にいる全員の視線が、艦長に集まる。
「我らの任は、物資の目的地までの輸送である」
「ですな」
 軽くおどけるように、パーシーの眉が上がった。
「友軍の援護は、任務指示書には一切書かれていない」
「……なるほど」
 フェリシアンがニヤリと笑う。
「本艦の任務を遵守する限り、この海域に居るかもしれない、同盟企業(アレクトリス・グループ)の部隊が敗退することになり得るとしても。責任的にも、また本艦の能力的にも、現時点ではどうにもできない」
「それはいいけど、どうするの?相手の潜水艦が本当に、こちらに攻撃を考えてないとは限らないと思うけど」
「まあ、な。だが、それを思いとどまらせる手を打つことはできる。エメリナ、同規格の通信で打電せよ。『当艦は弾薬節減のため、戦闘への介入はせず、ただ貴艦の武運と、作戦の成功を祈らせていただく。尚、当艦は貴艦の射線を妨害せぬよう、これより道を譲る』と」
「……了解」
 エメリナが少し呆れたような顔で、キーボードを叩く。
「ははは、酷いハッタリですな」
「うむ、艦長は腹黒いお方だ」
「うわぁ……」
 パーシーとフェリシアンが軽口を叩く。エリーアスは、ほとんど絶句することしかできなかった。
 ――うちも攻撃目標は同じだけど、そっちがやるなら、楽をするために黙って見てるよ。
 これがハッタリと言わずして、何というべきか。現状を考えれば、有効な手であることは、確かなのかもしれないけれども。
 そう、確かにこれを受け取った相手は「楽をしやがって」という思いが優先して、こちらが戦闘力を持たない可能性を忘れてくれるかもしれない。そもそも、こちらが輸送艦である可能性を、どれくらい考えているかは判らないけれども。
「機関室のバルブロに連絡、蓄電池の残量を詳細にチェックし、全速での静音航行できる時間の計算をさせろ。それから新米、艦載兵器格納庫に行け。場合によってはミハイル氏に出て貰うことになる、その時は係留ロープを外す作業を任せるぞ」
「あいよ」
「了解です」
 もし、ブラフが成功すれば、武装しているであろう潜水艦、という危機は、こちらに牙をむかない可能性が高。
 だが、所詮はブラフでしかないし、そんな希望的推測に依存してはいけないことは、誰しもが理解している。
 ――そう。まだ危険な状態であることに、何らかわりはない。
 というよりも。不明潜水艦からの通信も、うちの(ブレンダン)艦長がやったのと同じような、ブラフの可能性も完全に否定はできないにせよ。
 動きから見るに、戦意に満ちていて、それを裏付けるだけの十分な戦闘力も持っている可能性が、きわめて高い。
 つまり、その分、危険が大きくなっているとみることもできる。総合的に見たら、先ほどよりも状況は悪い。
 でも、それを飲み込んで。ベストを尽くす(目的地に辿り着く)ために、格納庫に向かう。
「機関、段階停止。惰性を殺しつつ、メインタンク、サブタンクともに静音ブロー。本艦はこれより、前進を止め、潜望鏡深度まで浮上する」
 艦長の他のクルーへの指示を、背中に聞きながら、エリーアスはブリッジを後にする。先ほどもこんなことがあったな、という気が少しだけしていた。

 その足音が、つい先ほどのそれより、本当に少しだけ成長した船員のそれだったことに気がついたのは、ブレンダン艦長だけだった。
最終更新:2017年08月19日 00:57