小説 > 鬼柳香乃 > ハクレン号の航海日誌 > 第1話_3

■6月11日 20時40分(UTC+6)

 無人の、テウルギア『青龍』のコクピットの中で、中央の小さいモニター、ただ1つだけが、青白い光を放っている。他のモニターや計器は、何も表示していないし、電源すら入っていない。
 テウルギアそのものが、最小限の出力での待機モードになっている。主が搭乗していないコクピットに、データを表示する、機能的な意味は、どこにもない。
 テウルゴス(ミハイル)が、機体の外、4.75mほど離れた場所で、弾薬のチェックを行っていることを、テウルギアは知っている。否、レメゲトンは知っている。
 テウルゴス(ミハイル)による目視チェックも、機体の機能を使用したフレーム側のセルフチェックも、10分31秒前に完了していた。だから、少しでもエネルギー消費を抑えるため、待機をしている。その現状認識は、きちんとある。
 にも関わらず、レメゲトンの、サブシステムのごく一部が、稼働し、メインモニターを動作させている。

『私は、もっと人について、学ばねばなりません。私が人ならざる者(レメゲトン)であり、限定的に人として生きる(仮想人格)者であるために』
『人が傷つくということ、人に害を為すということを、私は、学ばなければなりません。(私のテウルゴス)の佳きパートナーであり、(私のテウルゴス)を害さないためのプログラムとして』
『かつて、(私のテウルゴス)が本機での作戦行動中、(私のテウルゴス)の息子が搭乗するマゲイアを、身を挺して庇おうとした時。私は機体に、別の動作をさせました。彼の意図を理解し、それにそぐわないことを理解しながらに』
本機()があのとき、マゲイア(彼の息子)を庇った場合。(私のテウルゴス)が、その生命に関わる重大な損傷を受ける可能性が、80%以上と判断したからです』
『私は(私のテウルゴス)の不利を看過できませんでした。これは私の、レメゲトンとしての存在意義で、変えることのできない定数の筈でした』
『しかし(私のテウルゴス)は、私に怒りをぶつけ、私に怒鳴りました。死ぬより辛い目に遭わせてくれた、と。私の行動は間違いだった、と』
(私のテウルゴス)の私に対する、感情的な行動は、私のログ、[ALERT-0029]229/04/19-17:34:22.49(UTC+3)として記録されている、その1度だけです。その事実を、私は重大なものと解釈せねばなりません』
『私は、私の行動が、(私のテウルゴス)に、それほどのストレスを与えたことを、憂慮せねばならないと感じました』
『人間に与える不利、あるいは損失とは、何でしょうか。私はそれを正しく理解――』
 そこで画面がすべて消える。同時に、ミハイルの声を、テウルギア(青龍)の外部汎用スピーカーが拾った。
「弾薬パッケージのシリアルナンバーを読み上げる。出撃前の整備記録と照合してくれ」
 至って平静な、いつものミハイルの声だ。その瞬間に、画面の表示はすべて消える。
「了解しました、どうぞ」
 レメゲトンの機能のみ、通常モードで起動。ミハイルが読み上げる声を待つ。
「LN-4251686-6、LN-4251687-3、LN-4251688-0……」
「確認しました。すべて、本年5月18日、現地時間19時04分から行われた、出航前の弾薬搬入時に受領したデータに一致します」
「了解だ。次に短距離魚雷と、短距離SAMの確認を行う」
「引き続き、レメゲトン関連機能のみ通常起動を維持します。必要な時は言ってください」
 返事はない。(レメゲトン)はそのようなものを、求めていない。

 ――おそらく先ほどの無秩序なログ表示は、(レメゲトン)が見た夢。あるいは、人間で言うところの「寝ぼけていた」というものなのかもしれない。
 バグ未満の、開発者の想定しきれなかった矛盾、あるいは不合理によるもの。
 想定外ではあっても、機能に支障が出ないエラー。メンテナンスでテオーリアに行った時に、報告すれば良い、程度のはず。
 独立した自己診断回路は正常に動作している。この未知の動作が、有害な結果をもたらすことはない。
 コンマ数秒に満たない処理で、判断を行う。そして次に、ミハイルから指示が来るまで。何も考え(演算し)ない――無とも言える時間を、開始する。

 人が時として、自身でも理解不能な既視感や、唐突な記録のフラッシュバックに襲われるように。あるいは、忘れてしまいたい過去の出来事に、悪夢という形で苛まされるように。
 彼女(レメゲトン)もまた、ミハイルが機体格納庫に戻った際に行われた、携行記録との同期により得られたデータ――ミハイルと、搭乗艦(ハクレン号)の若手乗組員と会話――が、自身のログを検索するトリガーとなり、「未知の動作」に至ったことまでは、理解していなかった。


【ハクレン号の航海日誌】
第1話 ベンガル湾での待ちぼうけ、その3


■6月11日 20時59分(UTC+6)
「ミハイルさん、入りますよ」
 本当にわずかながら、うわずった声とともに、エリーアスの姿が格納庫に現れる。
 降着姿勢で固定された青いテウルギア(青龍)の、コクピットハッチを開け放った状態で、ミハイルは手持ちの小型端末を見ていた。何を読んでいるのかは、エリーアスには見えない。
「どうした、エリーアス君。先ほどのソナー照射の件かね」
 端末から目を離さないまま、ミハイルが返事をする。考えてみれば、照射音は艦全体に響いていたはず。当然、ミハイルも認識していなければおかしい。
「はい。あれ、艦長というか、艦橋から連絡とかまだ来てませんか?」
「何も来ていないな。浮上しているのはわかるから、状況は変わったんだろうが」
 ミハイルの視線の先が、端末画面からエリーアスに移った。
「あ、はい。実はですね……」
 エリーアスが、先ほどのいきさつ――所属不明潜水艦とのやりとりを含めた、一連の経緯――を説明する。
「なるほど、そういうことだったか」
「すいません、てっきり連絡を受けてると思って」
「気にはなっていたが。ブレンダン艦長は、必要な連絡は遅滞なく伝える人だ。だからまあ、即座に私の出番が来るわけではないのは、わかっていたさ」
「あ、はい……」
「とはいえ、ふむ……。よし、意見具申しよう。艦内有線通話で、艦長に伝えてもらえるかな?」
「はい、何でしょう」
「本機のオプション装備として、小型ソノブイ(小型の集音装置、ソナーの音を拾ったりする)展開装置がコンテナにある。ここから1個取り出して、船外作業用のエアロックから放り出してはどうだろう。潜望鏡深度であれば、最低限の電波出力でも本機アンテナで拾える。海面での音響を拾えれば、状況の把握に役立つだろう」
「わかりました、伝えます」
 伝声管の隣にある、有線式の音声通信装置で艦橋を呼び出し、艦長にミハイルの提案を伝える。
 艦長は伝声管を好むが、それは「艦内電装が落ちようが、電子機器に支障が出る電磁波を受けようが使えるから、これが一番安心感がある」という、艦長自身の信条が多分に含まれる理由で、それを部下にまで強要する人ではない。
 数秒の沈黙のあとの、艦長からの返事は「よし、やってくれ」だった。
 艦長の判断、ゴーサインが出たことをミハイルに伝える。
「では6番コンテナを開けてくれ。ソノブイ射出装置から1発分、取り出すぞ」
 自身も座席シートベルトの金具を外しながら、ミハイルが言う。
「わかりました」
 機体添え付けのコンテナに向かい、ロック装置のレバーを解除位置に移動する。中に、ダークグレーに塗装された、大砲のような装置が入っていた。
 兵器の取り扱いでは、エリーアスは護身用の拳銃射撃訓練しか受けていないので、あとはミハイルにやってもらうしかなさそうだ。


 ミハイルが手際よく、コンテナに入ったままの装置から、直径30cm、長さ1m弱の、棒状の装置を取り出し、エリーアスに手渡す。重さは5kgぐらいだろうか、重いといえば重いものの、手で持つのに苦労するほどではない。
「ああ、そうだ。これの識別信号を登録しないとな。アズール、聞いているか。オプションのソノブイ1機を、ランチャーを介さずに射出して使う。コード識別でアクティブにする準備を」
「はい、製造番号の読み上げをお願いします」
 降着姿勢のままの機体から、静かな若い女性の声がした。
 艦に乗ってからは、女性の声というと、だいたい棘のあるエメリナと、自他共に認める「豪快なおばちゃん」のエーレンフリートの声しか聞いていないので、どこか影のある落ち着いた声は、ひどく新鮮に感じる。
 テウルギアと呼ばれる兵器に、仮想人格としてレメゲトンと呼ばれるAIが搭載されている。殆どのそれは、会話、あるいは画面に人型の姿を表示することで、会話以上のコミュニケーションが取れる。
 知識として、その程度の理解はエリーアスにもある。それでも、実際にコンタクトするのは、はじめてだった。
 一瞬、というには少し長すぎる硬直。けれども今は、そんな状況でないことを思い起こす。あわてて手元の筒を見る。半周ぐらいさせたところで、それらしき記載を見つけた。
「ええと……TTY225-809-493……これであってますか?」
「認識しました。ありがとうございます」
 女性の声と同時に、手元の筒の先端で、赤い小型のランプが数秒間だけ点滅した。
「ではエリーアス君、それを気密室経由で、艦外に放り出してくれ。くれぐれも自分まで放り出さないようにな」
「わかりました」
 軽く礼をして、気密室に向かう。廊下で、足を止めずに少しだけ後ろに目をやるが、アズールと呼ばれていた、あのレメゲトンの声は、もうしなかった。


■6月11日 21時15分(UTC+6)
 いくら「もやしっ子」と呼ばれたりするエリーアスでも、輸送艦で働いているうちに、それなりの肉体労働には慣らされている。
 なので、ソノブイを持ち運ぶのに、その重量は気にならなかった。問題は、ただ、持ちにくい、の一点に尽きる。
 取っ手のない円筒なので、抱えるしかないけれども、直径が30cmほどというのが、微妙な大きさなのだ。もう少し太いと力を込めやすいし、細ければ手で掴めるのに……。
 そんなことを考えながらの、船外作業用ハッチまでの移動は、思っていたより疲れる作業だった。
 そして、艦外への放出も、なにしろ普段は滅多にやらない……というより、考えてみれば、訓練以外で気密室を使うのは初めてだった。
 手順など覚えているわけもなく、艦内備え付けの端末から、操作マニュアルを何度も確認しながら進めることになる。海中でハッチを開ける以上、一歩間違えば、艦内に浸水が発生する作業なのだから、気を抜くことはできない。
 当然、確認も含めて手順は多く、こちらもまた、予想以上に時間がかかってしまった。後で聞いたら、クルーでも気密室を使ったことがある人は、半分も居ないらしい。
 そういえば、エメリナは機嫌が悪いと、よく「海中に放り出す」と言うけれども、こんな面倒なことをするつもりなのだろうか、などと益体も無いことを考えてたりもする。勿論、冗談なのはわかっているのだけれども。
「ふぅ」
 気密室の排水ポンプが、静音モードで排水を完了するまで、約2分。
 グリーンのランプが点灯したので、恐る恐る扉を開けてみる。床や壁は濡れたままだが、海水は残っていないし、ソノブイはなくなっていた。無事、艦外への放出に成功したようだ。
 艦橋に寄ってソノブイの放出が終わったことを伝えてから、ミハイルの居る格納庫に戻る。
 艦橋の空気が思ったより落ち着いていて、フェリシアンとパーシーが雑談をしていたのを見れたので、少し気が楽になった。皆があの程度リラックスしているなら、まだ大丈夫なのだろう。


■6月11日 21時37分(UTC+6)
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「ふむ、こんな感じだろうか」
「凄いですね……ハクレン号のメインコンピューターより、かなり精度が高いのでは?」
 表示内容(オブジェクト)が重なっても見えるよう、意図的にワイヤーフレームだけで描かれた3Dの画像で、周囲の海域の概略が、艦内の全端末から確認できるようになっていた。
 先ほど放出したソノブイからのデータと、ハクレン号の聴音装備のデータを統合し、青龍(テウルギア)のレメゲトンが解析した結果を、フィードバックされている。
 そのためのケーブルが、コクピットから伸びて、艦内の端子に直結されていた。結構な太さのものが数本、より合わされているあたり、通信量は膨大なのだろう。
「単独ではここまでの情報は得られんよ。あくまで連携の賜物だ。それに……」
「それに?」
「艦長はおそらく、ほぼ同等の図を、頭の中だけで描いている筈だ」
「今の自分では到底、そんなことは無理そうです」
「私でも無理だよ。だからこそ、AI(レメゲトン)にこういった表示をさせている。高機動戦闘中ほど、直感的に得られる情報は重要だからな」
「そういうもの、ですか」
「そういうものだ。得意分野や特技になり得るものは、世の中いくらでもある。自分が人より抜きんでているものを見つければ、それを生かす場はあるものだ」
「なるほど……」
「すまないな、説教くさくなった。……それにしても、妙なのは不明艦隊の動きだな。潜水艦のほうがあれだけ派手にソナーを使用したのに、いまだに動きがない」
「そういえば、そうですね、もう最初のソナーから、1時間近く経ってますよね」
「ああ。哨戒の対潜ヘリぐらいは出して然るべきと思うが、その動きはないようだ。こちらの潜望鏡で確認できていないから、甲板には上げているのかもしれんが……」
 当初は夜間になれば、ハクレン号側にとって、目視されにくくなるメリットが大きいと考えていたが、こうなると一長一短になってくる。
 だが、それに輪をかけて不思議なのが、不明潜水艦側だ。
「不明潜水艦側も、攻撃していませんね」
 うむ、とミハイルが頷く。
「セオリー通りなら、早々に叩くべきだな、自分の位置と存在を晒したわけだから」
「そうですね……迂闊に手を出せない事情でもあるのでしょうか」
「ふむ、事情?」
「たとえば、ですけど。不明艦隊の目的が、何らかの調査や回収だとして。それが海洋汚染や、或いは大規模破壊を引き起こすものだとしたら」
「……核や化学兵器の類か、あり得るな」
「当てずっぽう、ですけど」
「エリーアス君」
「は、はい」
「君はなかなか面白いな。推論とはいえ、事態の説明ができる理由を思いつく」
「ごめんなさい、当てずっぽうばかりで……」
「気に病むことはない、発想が柔軟なのは良いことだし、自分でそう理解しているなら、それは長所だ。推論を盲信して、それを前提に行動するようになったら、問題だがね」
「気をつけます」
「まあ、こうして幸い、不明潜水艦隊の動きも、不明艦隊側の動きも、安定して拾えている。今は成り行きを見守ろう」
「そう、ですね」
 ふぅ、とミハイルが長い溜息をつき、手元にある携帯端末に目をやる。
 先ほどの様子から見ても、戦況や、戦闘のデータを見ているようには思えない。何かしらの文章……読書をしているように、見える。
 が、何を読んでいるかを訊くのは何となく悪い気がして、エリーアスは格納庫の隅で、コンテナに腰をかけて所在なげにしているしかなかった。



■6月12日 1時24分(UTC+6)
「…………ス君。エリーアス君」
 ビクリ、と起き上がる。言うまでもなく、居眠りをしていた。
「す、すいません」
 あわてて時計を確認する。先ほど見たときは1時を過ぎていたから、15分か20分ぐらい、意識が飛んでいたことになる。
「勤務時間は超過しているしな、致し方ない。だがまあ、爆睡はしないでくれよ、流石に私もフォローできなくなる」
「気をつけます」
「さりとて。今のところ、何も動きはないしな。ああ、そうだ。2番コンテナに、カフェイン入りのレーションが入っている。食うか?」
「頂いて大丈夫ですか?」
「私が今回の護衛作戦用に受領したものだが、元々、技仙グループからの物資だ。問題あるまいよ」
「では、お言葉に甘えて」
 小型のコンテナを開くと、携行用の飲料水やレーション、毛布などが入っていた。いわゆるサバイバル用物資の類、といえる。
 レーションを1個取り出して、コンテナをしっかりと閉じる。船倉に置いてあるレーションは乾パンと飲料、それにレトルトの食事、セットだが、これはゼリー状の飲料だけで完結していて、他には何も入っていなかった。
 封を切り、蓋を開けてゼリーを流し込む。カフェイン入りとは聞いていたけれども、味までコーヒー味になっているとは思わなかった。食感がゼリーだけに、違和感はないけれども、食事というには味気ない印象もある。
「こういう時、何か少しでも食べておくのは重要だからな。体力勝負で、ここ一番というところで空腹だと、碌なことがない」
「はい、先輩の皆さんからも言われました」
「そうか。ふむ、本当に説教くさくなってしまうな、すまない。どうも整備班を含め、同じ世代の人間と話すことが多いものでね」
「いえ、参考になります」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。さて、どれくらい続くかわからんが、暇な夜を過ごそうじゃないか」
「……不明潜水艦や、不明艦の人たちも、同じような感じなんでしょうかね」
「少なくとも潜水艦はそうだろうな。私たちより遙かに深く潜っているからな、何かあったら脱出もままならないだろう……。今は深度340フィートか、やはり爆雷を警戒して、定期的に深度だけは変えているな」
「根性比べみたいですね」
「まさにそうだな。潜水艦側はそれを意図しているのだろう、仕掛けるのを躊躇う理由があるにせよ、あれだけ派手に動いた割に、意図は不明だが……いや」
 言葉を切って、ミハイルが数秒間、考え込む。
「先ほどの君の推測について考えてみた。たとえば、ソナーを照射されて、慌てた不明艦側が、潜水艦側に、指向性通信をした、とすれば」
「あっ」
「核や化学兵器の存在をちらつかせ、反撃を躊躇させている可能性はあるな」
「なるほど……」
「そうだとしたら本当に面倒だ。ここに居る三者、誰にとっても千日手になりかねん」
「そうですね……時間が解決してくれるわけでもないですし」
「まあ、先ほどの言ではないが、憶測で動くわけにもいかないな。当面は緩みすぎぬようにしつつ、のんびり過ごすしかなかろう」
「わかりました」
 なんとなく時計を見る。エリーアスのデジタル式腕時計は、1時36分を指していた。前に調節したときから、タイムゾーン変更の指示は来ていないし、位置的にもさほど動いていない筈だ。
 その姿に気がついたのか、ミハイルが言う。
「さきほど誰かが船のコンピューターで計算していたログが届いたが、現在地の日出は4時50分頃の予定だ。4時15分頃が夜明けだろうな」
「この季節ですからね」
「長い夜になるかと思ったが、もっと長い昼間が待っているだろうな。体力の無駄遣いをしないようにしよう、お互いな」
「はい、でも、居眠りしないようには気をつけます」
 フッと微笑を浮かべたミハイルが、手元の端末に再び目をやる。
 今度、自分も何か、電子書籍の類を購入して、端末に落としておこうか、と、ふとエリーアスは考えた。



■6月12日 4時08分(UTC+6)
アンノウン2(不明艦隊のヘリ母艦)から音声反応。エレベーターハッチの音と推定します」
 先ほど聞いた、レメゲトンの声が唐突に響く。
 少し前のように居眠りしていたわけではない。それでもリラックスしていた……もう少し有り体に言えば、ぼうっとしていたので、我に返るまでに、一呼吸ぐらいの時間はかかった。
 もっとも、コクピットに居たミハイルも似たような様子だ。
「他に何か聴音できないか?」
「確認中……エンジン音らしきノイズ、10……いえ、12基を確認。同調状況から、双発の機体が6機、動作していると推定。機種特定できませんが、ジェットエンジンと思われます」
「ヘリコプター、でしょうか」
「VTOLという可能性も否定はできないが、熱源がまだ出ないところを見ると、ヘリコプターかな。VTOLのほうが暖機での廃熱が強く出る」
「なるほど……」
「……反応出ました、すべて技仙-22ティルトローターのRATによる改修機です。6機のうち4機が離陸しました。残る2機は動く気配ありません」
「わざわざ鹵獲したヘリを、護衛のような重要任務で使うこともあるまい。おそらくは、あれ(不明艦隊)が味方か……。情報は艦橋に共有しているな?」
「はい」
「……潜水艦隊側にも動きあり、アンノウン4から6、約2ノットで微速前進しながら、浮上しています。0.4フィート/秒程度、この速度で上昇を続けた場合、海面到達は約14分30秒後です」
「ほう、上がるか。何か対ヘリ装備を持っているのか、ヘリに狙われる前に敵を沈めるつもりでいるのか。どちらにせよ、完全に他人事でもいられなくなったが」
「潜水艦隊が敵だと判った以上、共闘するか、全力で逃げたほうがいいんじゃないでしょうか」
「それはそれで正論ではあるがな……しかしな、おそらくそんなに単純な話ではないぞ、これは」
「そうなんですか?」
「あとで艦長に聞いてみるといい。それまではお互い、事態の推移を見守るしかないしな」
「はい……」
 釈然としない思いはある。親会社の技仙公司製の機体は、同盟企業にも販売されている。だから、それを運用しているのが、必ずしも技仙公司や、その子会社たる自社の戦力とは限らない。
 それでも、仲間の可能性が高い艦隊と、敵の可能性が高い武装潜水艦を前に、攻めるわけでも引くわけでもない姿勢、というのは、納得がいかないものがあった。
 ――後で考えれば、その考えがいかに浅はかだったか、と真っ赤になるような結果ではあるにせよ。


■6月12日 4時14分(UTC+6)
 艦橋に、警戒態勢での徹夜明けとなるクルーの、微妙な疲労感が漂っている。
 エーレンフリートが差し入れてくれた、非常用レーションをパンに挟んだ簡易サンドイッチで食事はしているし、交代で20分程度の仮眠もしている。
 それでも、状況の推移を間断なく見守るという作業は、どうしたって神経を使うものになる。しかもそれが、自分たちの生命に直結しかねないというのであれば、尚更だ。
 ある意味、必要とあらば交代要員を用意して、長期戦にも十分に対応できる戦闘船と、所詮は輸送業であり、人的コストに無頓着ではいられない輸送船との差とも言える。
 そんな中、エメリナからの報告と、スクリーンに表示された(テウルギア経由での)ソノブイからの観測による、不明艦隊からの技仙製ヘリの離陸の情報が、ほぼ同時に発せられたことにより、クルーの緊張はさらに強まる。
 だが、艦長はすぐには対処を指示しなかった。
「臭うな、色々と嫌な感じが」
 艦長が呟く。
「ですなぁ」
 フェリシアンが短く応じる。
「さっき艦にあるデータで調べた限りでは、正規部隊として、鹵獲なり接収なりしたクリストファー・ダイナミクス・グループ(余所)のヘリ母艦と、アレクトリス・グループ(うちら)の標準型ミサイル艦を、2隻で運用してるってのは、書類上、見当たらなかったっすねぇ」
「そもそも、よほどの秘匿案件じゃなきゃ、事前にあたし達に、そこに居るって情報は来てる筈よね」
 クリストファー・ダイナミクスの社内用データベースの簡易コピーから、編成をチェックしていたパーシー、聴音用ヘッドホンを左手に持ち、左耳にだけ押し当てたまま会話を聞いていたエメリナもそれに賛同する。
「そんな秘匿案件じゃ、いくら同盟企業ですと言っても、なぁ。機密保持のために仲間だと気がつかずに撃沈させてしまいました、死人に口なしです、なんて可能性も普通にあるわな」
 口調こそ普段通りの軽さのままだが、フェリシアンの表情も、普段の雑談のように明るくはない。
「しかし、放置した場合、それはそれで厄介だ。万が一に彼ら(友軍とおぼしき不明艦隊)が良からぬことをしていた場合、色々纏めて我々に責任をふっかけられる可能性もある」
 ブレンダン艦長の声は、最早、呟きというより、溜息に近い。
「……艦長!水中聴音に感あり……おそらく不明潜水艦が発射口を開いています。……何らかの発射音および推進音、数6」
「特定を急げ、SBM(潜水艦発射ミサイル)か魚雷かの判別だけでいい!」
「ほぼ垂直軌道です、SBMと推定!」
「タイミング的に、ヘリ部隊狙いか。着弾予想は」
 矢継ぎ早に飛ぶブレンダン艦長からの質問と、フェリシアンのデータ分析による回答。いや、質問への回答というより、何が必要かは認識として共有されている。
 あとはただ、艦長が思考するにあたり、情報として優先したい順番を指定するための「質問」という会話形式になっているに過ぎなかった。
「海上まで15秒、そこから先は弾種不明ですが、ヘリ部隊までは60秒程度かと」
 更にエメリナの報告も混ざる。
「発射ハッチの閉鎖音を確認しました、次弾はすぐには発射されない模様」
「ヘリ部隊、散開しました。0.4マイル程度の縦列編隊に移行」
「SBM、海面上50フィート前後で強反応、分離型ミサイルです。弾頭18に増加……全弾、ヘリ部隊に向けて飛翔中」
「明確なヘリ対策を用意していたか。となると、潜水艦の目的は、不明艦隊の撃破ではなく、その戦力だけを削ぎ拿捕するか、あるいは調査艦の持つ何かを入手することか?」
「そうですなぁ、わざわざ動きを待ってカウンターを狙うあたりは。しかしそれにしては、機動兵力不足ですな……いや、マゲイアを搭載している可能性も十分にあり得ますが」
「……SBM、ヘリ部隊と交差……着弾音2、ヘリ部隊の反応消失1。1機は少し速度が落ちました、何かしらの被害を受けたものかと」
「観測急げ。潜望鏡の高度を上げるために若干の浮上も可とする」
「了解!」
 エメリナがコンソールを叩き、さらなる情報収集を開始する。
「……マゲイアを攻撃型の潜水艦に積むとして、せいぜい2機、おそらくは1機だろうな。それ以上は、潜水艦のサイズを損ない、機動性や隠密性に関わる。ましてや、反応から見るに、テウルギアを運用できる大きさではないだろう」
 艦長の呟きに、パーシーが応じる。
「ふーむ、マゲイア3機では、ミサイル搭載の護衛艦が後ろに控えているヘリ母艦1隻分の攻撃ヘリと戦うには、あまり分は良くないですからなぁ。とりあえずヘリに先手を打たせて、ミサイルで数を減らして対応したい、と。状況として、筋は通りますな」
「おそらく不明艦隊側も、その意図は理解している。が、機関を止めている以上、万が一に魚雷を撃たれるのは避けねばならない。それ故に、潜水艦側への牽制、あわよくば撃破を狙うしかなく、先手を打って対潜装備でヘリを出さざるをえなくなった、か」
「潜水艦側が、不明艦隊側の調査艦(アンノウン1)だけは沈めたくないことをわかってるなら、魚雷が主力の潜水艦相手に、あえて散開しないのも、筋は通るわ……って、被弾したとおぼしきヘリが高度を下げてるわよ。このまま行くと着水するわね」
 艦長の手が額に添えられる。瞳を閉じられ、少し眉間の皺が増える。
「推論が重なりますが、状況としちゃ説明はつきますな、艦長」
 フェリシアンが艦長の方を見る。
 その顔には「で、どうしますよ?」と書かれている。いや、艦橋にいる全員の表情に、多かれ少なかれ、その感情がある。
「私の予想になるが」
 艦長が、言葉を切る。
「次の手として、おそらく不明潜水艦部隊は、不明艦隊のうち、アレクトリス・グループ標準型ミサイル艦(アンノウン3)を叩くと私は読んだ」
「……なるほど」
 フェリシアンがニヤリと笑う。
「ミサイル艦が戦力を喪失し次第、この戦闘に介入する。具体的には護衛のテウルギアに出てもらい、不明潜水艦を殲滅、その上で不明艦隊に接触を行うものとする」
「了解しました。今の話を護衛のテウルギア(ミハイル)新米(エリーアス)に伝えますが、宜しいですかな?」
「ああ。外れたら少し、私が恥ずかしいがな」
 艦長も、フェリシアンほどではないが、微笑を返す。


 水面から浮上した太陽が、インド洋の穏やかな波を灼きはじめる。
 待ちぼうけが、終わろうとしていた。
最終更新:2017年08月27日 01:15
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