小説 > 鬼柳香乃 > ハクレン号の航海日誌 > 第1話_4

■6月12日 5時04分(UTC+6)
 格納庫の天井になっているハッチが単調な機械音とともに開き、紺と蒼穹のグラデーションが、LED照明の単調な白を塗りつぶすように、頭上に広がる。
 水平線から顔を出した太陽が、海面に光の柱を作っている。
 目の前で、立て膝をつくような姿勢で駐機しているテウルギアの、青と水色で塗り分けられた装甲が、一気に精彩を帯びて輝いたような錯覚すら覚える。
 基本的なパーツは技仙公司の、どちらかといえば無骨なデザインだ。そう思っていた。それが、今となっては、兵器というよりも芸術品にすら見える。あるいは海面に映える色合いも理由の1つではあるだろうが、エリーアスは、それだけではないように思えていた。たとえば、これからこの機体が躍動することへの、期待感のような――。
 それだけではない。潮の香りが。程よい強さの海風が。そして、周囲で起きている荒事など、まるで気にしないかのように、ホログラムのような光を敷き詰めた海面が。
 心地よいシャワーのように、全身に覆い被さる。
 テウルギア『青龍』と、その横に立つエリーアスの身体が、輸送潜水艦ハクレン号の甲板に、立っていた。少し間違えば、艦が沈められるかもしれない。自分も死ぬかもしれない。
 そんな状況にあることを理解してなお、身を包むのは、今まで経験したことのない「爽快感」だった。あとで考えれば、いわゆる「武者震い」の類もあったのかもしれない、けれども。
「デッキ解放完了。新米、出撃作業を」
 スピーカーからブレンダン艦長の声がする。その言葉を、ごく自然に受け入れ、為すべき事を為す。
「ええと。ミハイルさん、出撃、大丈夫ですか?」
「問題ない。固定解除を頼む」
「了解です」
 手元のタブレットから、固定解除のボタンを押す。
 パシンという音とともに、テウルギアを固定していた数本の金属ワイヤーがアンカーを解除され、一瞬だけ弾けるようにうねり、そして収納された。
 その音は、これから強靱な猛獣が野に放たれるのにふさわしい。そんな印象をすら感じさせる音だった。
「ロック解除確認。青龍、出撃する。エリーアス君、反動で振り落とされるなよ」
 機外スピーカーでミハイルが言うと同時に、機体が横方向、艦の右舷側にジャンプする。僅かに船が傾くが、微々たるものだ。
 そして次の瞬間。テウルギアの脚部から展開されたホバーユニットが、盛大な水しぶきを上げる。
 機体は二度三度、水面で左右に揺れるような動きをした後、一旦静止し。
 そして、ジェットスキーのような航跡と、まき散らされた水滴による小さな虹を残して、滑るように走り出した。その背中は、みるみるうちに小さくなっていく。
 落下防止のために腰につけた安全紐のうっとうしさも、自身が海水の飛沫でびしょぬれになったことも、本当に些細なこととしか思えない程に。
 その姿は、美しく、力強い姿だった。

【ハクレン号の航海日誌】
第1話 ベンガル湾での待ちぼうけ、その4

「っと、忘れる前に」
 周囲の景色、一面に広がる海の夜明けと、それをバックに出撃する青龍(テウルギア)に見とれるところだったが、仕事が残っていることを思い出す。
 足下に視線を落とす。自分の安全紐が固定されているフックの横に、小型の円筒がナイロンのワイヤーで縛り付けてある。出撃が決定してから、海上に出るまでの僅かな時間で、エリーアス自身がやった作業だ。
 ソノブイ。水面に浮かべる音響観測装置で、何時間か前に、機密ハッチ経由で放り出したのと同じ形のもの。
 その2個目を、固定を外して、そのまま甲板に転がす。先ほどと違って艦が海上に顔を出していて、自分が甲板に居る以上、それが一番手っ取り早い方法だった。
 ガン、ガコン、という音を立てて転がっていったソノブイが、水飛沫をあげて海面に落ちる。数秒、青緑色の海に沈んだように見えたが、すぐ浮かび上がってきて、先端の数センチだけが水面に顔を出した状態で安定した。
 やや乱暴なやり方だが、もともとランチャーで射出することを前提に作られているので、その程度は問題ないそうだ。
「新米、特に問題はないか?」
 今度はフェリシアンの声だった。艦橋に居るメンバーはまだ、交代していないようだ。
「はい、大丈夫です。揺れも殆どないので、このまま甲板で待機します」
「戦況が悪化したら一旦潜水するそうだ、その時はハッチを閉めるから気密点検を頼むぜ」
「了解です」
 ふぅ、と一息つく。
 相変わらず周囲の景色は、刻一刻と変化していく。太陽が昇るにつれて、紺色だった海の色に碧色が混ざりはじめ、空の色がだんだん明るくなり、東の空は、黄色とも白ともとれる輝きに満ちてきている。
 真横から照る太陽は眩しく、まだ早朝とはいえ、直射日光で少し暑くすら感じる。
 それでも、先ほどの水飛沫でずぶ濡れになったことと、適度な海風のおかげで、甲板の上は快適……というと、語弊があるかもしれないけれども。少なくとも居心地の良い環境であることは、否定しようがない。
 そこにあるのは、人間が細々とやっている戦闘など、眼中にないかのような。自然がダイナミックに作り出す、綺麗な空間だった。


 出撃前の最終打ち合わせで、ミハイルは『自機のカメラ情報はすべてハクレン号に送信する』と言っていた。戦闘中に状況をいちいち伝えるのは、ミハイルの集中を削ぐことになりかねない、という、きわめてシンプルな理由だった。
 送られてくる映像そのものは艦橋で誰かが常時チェックしている筈なので、自分が見る必要性はない。それでも、好奇心で「見てみたい」と感じるのは否定できないし、見ていて問題になることもない筈だ。
 手元の端末から、チャンネルを切り替える。ブゥン、という音とともに、手元の端末が、さきほど出力したテウルギア――『青龍』の、メインカメラからの映像を映し出した。思っていたよりも遙かに画質は良く、ビデオ等の映像コンテンツと何ら変わらない解像度だった。
 肉眼では、既に『青龍』の姿は、海上に浮かぶ点のようにしか見えない大きさになっている。けれども、ほぼリアルタイムで送られてくるカメラの映像は、水上を高速でホバー走行しているのがよくわかる、スピード感に満ちあふれるものだった。
『警告。アンノウン5およびアンノウン6からハッチ開放音。水中用マゲイアの発進と思われます……発進するスクリュー音を感知。アンノウン7およびアンノウン8と設定しますか?』
 先ほど少しだけ聞いた、レメゲトンの、優しい声が響く。音声も通信に含まれていることに、今更ながら気がつく。おそらく密閉されたコクピット内の音を拾っているので、波を切るホバーの音は遮断されているのだろう。
「それでいい。潜行して叩く。水中から母艦(ハクレン号)を叩かれたら意味がない」
『了解』
 海面を駆けていた景色が、急速に速度を落とし、海面に静止する。そして『ガコン』という音とともに、海面が急に近づき、そのまま顔面を覆い尽くす。
 次の瞬間、端末の画面は、明るい海の中の景色になっていた。
 早朝の太陽が作る鋭角の光芒が、画面の上側から、不規則に差し込んでいる。
 一瞬遅れて、大量の泡が画面を包み込み、急速に上に向かっていく。
 アクアマリンからトルマリン、そしてサファイアに繋がっていくグラデーションが、一気にサファイア1色になり、そして更に、だんだんインディゴに近づいていく。
 画面の隅で、驚いた銀色の魚の群れが逃げ出す中、機体がどんどん潜っていくのがわかる。
 水中の景色を、潜水艦の小さな窓から生で見ることもあれば、艦外カメラで見たことはあった。
 その筈なのに、空と海の様々な側面を、ダイナミックな動きで連続して一気に見ると、こうも不思議に感じるものなのか、と。自分が仕事をしていたのは、こんな場所だったのか、と。
 エリーアスは、驚きと興奮を禁じ得なかった。

『高度マイナス120フィート、そろそろアンノウン8と接触します。アンノウン7は本機3時の方向を潜行中、迂回を試みている模様』
「逃がしはせんさ」
 その言葉とともに、スクリーン右側に、銃のような装置を握った右手が映る。
 それが『青龍』が出撃時に握っていた、水中用の、銛のような弾を発射するランチャーだと気がついた時には、既に1本の、銀色の槍にも見える弾が、少量の泡とともに、サファイアの視界に溶けて消えていった。
『着弾まで10』
 AI(レメゲトン)の声と、ピィーンというソナー独特の音が重なる。状況からして、敵対マゲイアから放たれた索敵音だろうか。
「無能め、反応が遅い」
 ミハイルの、珍しく辛辣な声が聞こえる。いや、彼が自分も含めて、ハクレン号の乗組員と友好的なのは、あくまで敵でないから、護衛対象だから、という、シンプルで厳しい事実を再確認する。
 敵に対して手を抜けば、死ぬのは自分だ。それだけではない、エリーアスも含めたハクレン号も無事では済まなくなる。
 ミハイルの態度に、恐怖や反感は感じない。ただ、彼が「同じ企業連合に所属する人」だったことに、エリーアスは一抹の安堵を感じていた。
 まだ太陽の角度が低いせいで、海に射し込む光芒は、かなり急な角度になっている。そのおかげで、海底が見えない、ただ水中に居るだけの映像でも、機体が旋回しているのは容易にわかる。
『着弾および圧壊音とおぼしき音を確認。……アンノウン8からの動力音、消失しました』
 そして、レメゲトンが報告を終えた時には、既に機体は、少し右側……おそらく、姿は見えないものの、もう1機のマゲイアの方向……に、旋回を終えていた。
「一旦放置してアンノウン7、後にアンノウン4から6(敵潜水艦)を叩く。死んだふりをしている可能性もある、音源探索だけは切らすな」
『了解しました。アンノウン7、本機正面。距離0.37海里、相対高度マイナス44フィートを、2時の方向に35ノットで航行中』
「魚雷は対潜に取っておく。近接戦闘で仕留めるぞ、逃げる相手に遠距離では銛は当たらん」
『了解』
 海中の映像が少し歪み、頭上の光が走り出す。
 時々、目の前に現れた魚群が。あるいは大きな魚が。驚いて方向を変え、避けていく。
 その動きから、徐々に深度を下げつつ、かなりの速度で潜水航行しているのがわかる。おそらく40ノットを超えているのではないか、という程度のことは、エリーアスもなんとなく、感覚でわかるようになった。
 流石にまだ、小窓から見える景色だけで、航行速度をぴったり言い当てる、艦長やエメリナのような真似は、到底できないけれども。いや、艦長やエメリナでも、難しいのではないだろうか。大型の輸送潜水艦では、40ノットどころか、30ノットを超える速度は出ないのだ。
 やがて、画面の中央よりやや下側、紺色の海中にぼんやりと。最初は鮫やクジラの類に見えたが、それとは明確に異なる、黒い影が映る。
 強いて言うなら、前後方向に球を引き延ばしたような形の胴体に、不釣り合いな大型の両腕だけをつけたような。そんなシルエットが見えてくる。それは生物独特のスマートさというより、機械工学的な無駄のなさだった。
 相手も、こちらの接近に気がついたようで、おもむろに、身体の中心軸をこちらに向けてくる。魚のように身を捻るでもない、その無機質な水中運動は、生物とは全く異なる、人間が作った「機械」であることを、強く意識させて余りあると言えるかもしれない。
 先ほどと殆ど同じ動きで、画面に映ったランチャーから、銛が射出される。
 とはいえ、敵もこちらを捕らえている以上、ランチャーを構えた動作に反応したのか、銛が発射された瞬間には、敵は回避動作を開始していた。
 画面から見て、右側に。もともと進行方向のベクトルを活かして、スライドするような動きの敵が残した、僅かな泡だけを突き刺して、銀色の銛は海の色に溶けていく。
『警告。敵、攻撃態勢』
 敵のマゲイアが、正面に腕を延ばした。その先には、おそらく刺突に使うのであろう刃と、小型の魚雷発射管と思われる装置がついている。
 マゲイアの中央部にある、ガラスの奥に複数の機械が詰め込まれた、観測用カメラと思われる装置が、一瞬光る。後で聞いたところ、光学での照準確定のための装置らしいが、エリーアスにはそれが、獲物を前に凝視する、肉食生物の目に見えた。
 とはいえ、敵の攻撃を、ミハイルが黙って見ているわけもなく。その敵の動きが、無言のまま、スッと画面の中央に向かい、更に、左側に旋回したように回る。もちろん、敵がわざわざ、旋回したのではない。こちら側(ミハイル)が、敵を中心に、左側に回り込んだのだ。
(それが本物に準拠しているかどうかはわからないけど)テレビやアニメ、ゲームなどで見るテウルギアの戦闘シーンとは、かなり違う。水の抵抗を強く、しっかりと受ける、ゆっくりした世界だ。それでも、行われているのは間違いなく、命のやりとりだった。
 相手が、魚雷の発射態勢に入ったまま、腕の方向をむりやり曲げて、こちらを捉えようとしてくる。
 だが、ミハイルの射撃のほうが、一瞬早かった。今度はランチャーから射出された銛が、ほぼ正確に相手の中心を捉える。
 銛が刺さった場所から、相手の外装が凹み、少なからぬ量の泡が出る。その中に赤茶色の液体が混ざっていたようにも見えるが、それがオイルなのか、あるいはマゲイア操縦者の血なのか、もっと別のものなのか、そもそも見間違いだったのか。エリーアスにはわからなかった。
 本体が圧壊したせいで、手の角度が変な方向にブレてしまい、画面から見て斜め上に向かって発射された魚雷が、画面内に泡でできた航跡を残して消える。かなりの速度だったため、発射されたら避けるのは難しかっただろう。

 ――そこから先は、戦闘と言うべきかどうかすら微妙な、一方的な破壊だった。
 攻撃型潜水艦を小型魚雷で牽制しつつ、同じ深度まで潜ってから、側面から近づいてナイフ状の武器を突き立てる。正面や上方への攻撃はできても、それ以外の方向に攻撃ができず、旋回性能でも圧倒的に劣っている潜水艦に、ミハイルのテウルギア(青龍)を止める術はなかった。
 同じ潜水艦乗りとして、ある意味、心のどこかが寒くなる思いは、ある。自分達が潜行しているとき、同じようにテウルギアに襲われたら、彼らと似たような運命をたどるかもしれない。
 そう、画面に映っている潜水艦には、1隻あたり、少なくとも十数人、おそらくはそれ以上の人員が乗っていて。
 それが殆ど抵抗らしき抵抗もできないまま、一方的に破壊され、水圧に蹂躙されて圧壊し、大量の泡を吐き出しながら海中に没していったのだから。
 それでも、ミハイル、そしてテウルギア『青龍』の圧倒的な姿は、エリーアスにとって、ただただ強く、強靱で、安心感をもたらしてくれる存在になった。


■6月12日 14時25分(UTC+6)
「では、諸君らの身柄は、一旦軟禁させていただく。特務中とのことなので、それ以上の情報を聞くことはしないかわりと、思っていただきたい」
「……問題ない。配慮をいただいた貴艦への処遇について、害を為さないよう、弊社上層部には強く進言させていただくことを約束する」
 収容された、敵の潜水艦により撃沈されたヘリ輸送艦およびミサイル攻撃艦、そして武装ヘリの生き残り人員は、50名ちょっとだった。
 せいぜい20人程度の居住空間しかないハクレン号に、全員をそのまま収容するのは流石に不可能だったので、積み荷の一部だった(基地間の輸送返却のために)空のコンテナを幾つか、艦備え付けのクレーンを使って投棄し、空いたスペースに臨時の人員収容場所を作ることとなる。
 人員収容場所といっても、フェリシアンとパーシー、そして「DIYが趣味だ」というセベロの手伝いで、一部の空きコンテナに、照明と、簡易の空調(扇風機のようなもの)、非常用のトイレ等をつけた、ある種の「プレハブ小屋」のような、本当に質素なものである。
 ――彼らは、ヴェーダと呼ばれる企業の関係者だった。ハクレン号の所属する技仙公司系列と同じ、アレクトリス・グループに所属する、いわば同盟企業ではあるが、その立ち位置はかなり違う。
 有り体に言ってしまえば『技術研究のためなら倫理も何もなく、何をしでかすかわからない』企業であり、今回、救出した人員も「救出には感謝する、しかし何をしていたかは言えない」というスタンスを貫いていた。
 故に、ブレンダン艦長が自ら、音声通信で調査艦と「話をつけた」結果として、撃沈艦の生存者のうち、ハクレン号で回収した人員だけはこちらで預かり、調査艦とは接触すらしない……言ってしまえば「見なかったことにする」ことになっていた。
 生存者の幾ばくかは、調査艦の側に回収されたことも、ハクレン号の側では確認していた。状況からして、本来ならすぐにこの海域から離脱すべきだと思うが、調査艦は、ハクレン号のレーダー範囲から外に出るまで、全く動く気配はなかった。

 エリーアス自身は、この結末が正しかったのかどうかは、わからない。
 ただ、自分が無事に生き残ったこと。
 とりあえずの臨時寄港地として、正式に艦長決定が下され、航路の変更や、港湾への連絡など、コルカタに向かう準備がはじまったこと。
 救助した彼らを降ろす……というか、アレクトリス・グループの然るべき部署に引き渡すまで、「何もしでかさないよう、監視する」業務が追加されたこと。
 言うまでもなく、いつ敵対企業の増援が来るか判らないので、当面の航海は警戒を厳重にする必要が出てきたこと。
 そして、護衛のテウルゴスであるミハイルとの距離感が少し縮まった(気がする)かわりに、色々と聞いてみたい話が出てきたこと。
 これらの変化で、当分は、仕事のキャパシティ的にも、精神的にも、手一杯な状態が続くであろうことは、容易に想像できた。
最終更新:2017年08月31日 22:29