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小説 > 琴乃 > 誰がために紅星は瞬く1

prologue

 男の視界には、グリッドの中で明滅する光点や情報が更新されるグラフが何個か展開されていた。中には何種類かの動画を流しているウインドウもある。『赤外線』『可視光線』『レーダー』とそれぞれ分かれて動画を中継しているウインドウは、高高度を飛行する無人偵察機からデータリンクで送られている物だ。彼の視界には同じくデータリンクで送られてきた地上敷設型のソナー網からのデータも表示されているが、これといった変化は無かった。
「グリッドE-37、クリア。不審な動態も異常な観測結果もなし。全く暢気なもんだ」
男は両手に握る二本の操縦桿のボタンを巧みに操り、ウインドウを切り替える。一瞬の間をおいて、別の空域に待機していた偵察機から映像が送られ、瞬く間に視界がウインドウで埋まる。
『当たり前と言えば当たり前の話ですわね』
 ヘルメット内臓のスピーカーから、女の声が聞こえる。聴き慣れた声色を耳にした男は、唇の端を小さく歪めた。
「ところがどっこい、ここはグループ内にも知られちゃいけない最重要施設だ。気を抜くなよ、瑞麗」
『それはこっちのセリフですわ!』
 女の声色が刺々しくなる。男はやれやれと苦笑し、右端のウインドウに視線を向ける。男の視線を感知したヘルメットのセンサーが、男の網膜に新しい画像を投影する。


 淡々と定められた業務をこなすだけの時間が、どれだけ続いただろうか。さっきと同じようにして最後の区画の偵察を終えた直後の事だった。
<<00:00:00>>
 という表示がポップアップする。
「よし、勤務時間終了だ! 降りるぞ!」
 それを見るや否や、男は操縦桿を握りしめ、視線を巧みに操りながら叫んだ。すると、男の視界一面に広がっていたウインドウが瞬く間に消え、球状の仮想空間の中で仮想キーボードを叩く漢服の中華美女----瑞麗が男の前に現れる。
『了解。偵察機とソナーのコントロール権を交代部隊へ。リンクを切断してオフラインにした後、メインシステムを待機モードへ』
 瑞麗がすました顔でキーボードを叩くと、一拍遅れて男の体はシートごと下降した。一瞬の揺れと衝撃が男を襲い、男の視界を緑の文字列が埋め尽くし、それが終わると見慣れたロゴが浮かぶ。緑の三日月に金の歯車があしらわれた紅い星。システム終了シーケンスの最後に技仙公司のロゴと<<025-MLSQ Sita-Custom Taishi Ci>>の文字が消えると、男の体はまたもやシートごと降下した。唯一の違いと言えば、さっきのは彼の機体が待機姿勢になったが故のものだったが、今はコックピットを解放したが故の物だった所だろう。

 半日ぶりの自然の光を視界に入れ、男----ジョン・ウーは目を細める。玉虫色のヘルメットバイザーを上げ、光がやってくる方向に顔を向けた。ついさっきまで星々が瞬く夜空は眩い陽光に塗りつぶされつつあり、山々の稜線は白に近い金色に輝いて、太陽の到来を告げていた。
 早朝の高山に特有の指す様な冷たさと、僅かな植物の存在を感じられる甘みを伴った瑞々しい空気を肺全体を使って味わう。深呼吸をしたジョンは上半身のビンディングを外し、体をシートから起こして伸びをした。
「よーし、今日も無事に日の出を拝めたか……おい瑞麗、煙草くれ」
『物理的な体を持たない私がそんなものを持っていると思って?持っていても貴方には吸わせませんわよ、ジョン』
「チェッ! 相変わらず冷てえ女だぜ、お前はよぉ」
 そう言いながらジョンは再びシートに上半身を預け、操縦桿を握る。コックピットブロックが上方へとスライドし、四足の巨人の背後へと吸い込まれていく。
 暫くの間、ジョンは何を言うでもなく朝日が昇る様を見つめていたが、やがて姿勢を直して操縦桿を握る。自動的にバイザーがおり、彼の座るシートは再び四足の巨人の胎にしまい込まれた。
「さて、帰るか」
『帰還ルートを表示します。走行モードでいいですね?』
「勿論だ。いたずらに推進系を使うとおやっさんにドヤされちまう」
ジョンの視界に再び一面の雲海と山肌が表示される。秘匿された地下基地へとむかう道筋が上書きされた絶景を見ながら、ジョンは最後に吸いこんだ懐かしい紫煙の味わいを反芻しようとした。
最終更新:2018年01月29日 13:55