小説 > 在田 > 右腕と双眼 > 05

5話――青年と恋人


 地下に設えられたダーツバー――若人たちが賑やかな夜を過ごすには最適の場所。
 酒にグラスを満たして闊歩する気の好さそうな男/下手糞なゲームに興じる仲間を囃し立てる女たち/初めて会話をする人間との挨拶にグラスをぶつける男女/初めて知り合った人間との対戦(ゲーム・オン)に拳をぶつける男たち。

 その一角で、静かに三投目を終えた男がいた。
 サヴィーノ・サンツィオ=店内では知れた名。

 初見して注目の的となる右腕=義手。最初は隠していたが、現在は長袖やグローブを着けず剥き身となっている。

 露出した鈍色のフレーム/ぴっちりと隙間を埋める硬質ゴム――無骨極まりないながらも、ゴムのすぐ内側で人工筋肉の収縮が僅かな隆起と沈降を繰り返す――気持ち悪いほど生き物じみた機械の塊。
 神経と電子回路の接続で再現できる挙動の限界――それ以上の精緻な動きを成すためにCPUを詰めこんだ義腕。
 軽量ながら金属に劣らない高度を誇る金属性炭素繊維(メタリック・カーボン・ファイバー)のフレーム。その隙間を縫うように張り巡らされた回路。

「おっと」

 右腕――野球の投手じみた投げ方(フォーム)で振りかぶる女性の手首を掴む/左手――勢いのままに放たれたダーツを掴む/右手――女性の肘を持ち上げて、その場に固定/左手――落ちる前に掴んだダーツを握らせる。
 その時点で並大抵の身体能力では信じがたいほどに素早く的確な挙動/あまりにも自然すぎて、そういうものとして受け入れてしまう周囲・女性。

「肘は水平にするぐらいがちょうど良いんだ。この位置を覚えて……」


 女性=以前にサヴィーノ……の右腕(ヴィットーリア)がカクテルをぶっかけた相手。
 意外にも、サヴィーノからアプローチしたのではない。
「本当は相当苛立っていたんでしょ」――たった一言だけ。先日の謝罪すらひらひらと振った掌にかき消された。
「それより、ダーツって興味あったんだけどわからないの。教えてくれない?」
 ……たったそれだけが、このカウントアップに至る経緯。
 そしてカウントアップと同時に、右腕の沈黙が始まった。


「……そう。手首のスナップで、あのど真ん中(インブル)を押しこむような気持ちで投げるんだ」

 投げ方を教えていくサヴィーノ=努めて紳士的/先日にあったはずの他意を全く見せない。

 女性の一投――足腰の重心が定まらずブレブレの上半身/律儀に言いつけだけ守って力を漲らせたままの全身=強く握りすぎた左手/ぎくしゃくした動き。
 だがどうにか的に収まって点数が表示される。
 天井と床にしか当たらなかった最初からすれば、拍手喝采できるほど目覚ましい成長ぶり。

 女性の挙動――その全身をくまなくチェックするサヴィーノ=スタンドテーブルに置かれたグラスを手に取る。

 スプモーニ=カンパリ/グレープフルーツ/トニック――薬のような酸味/締めつけるような苦味/刺激的なほろ苦さ……断じて浮かれない戒律じみたカクテル。

「へぇ。相当やりこんでるんだね」

「リハビリの一環さ。気づけば本気でハマってた」

 意気揚々と肩を回す/達成感に口を開く/好奇心に目を光らせる女性――羨望+親愛=笑顔を向ける。
 サヴィーノ=肩をすくめ/口角を上げ/目を伏せる――だけ。

「次はリラックスして投げよう」

「じゃあ、この間は義手の誤作動とか?」

「あ、いや……」

 唐突に頭蓋の奥から響いてくる音がサヴィーノの表情を歪ませる。
 呻き・唸り・吠え――その全てが濃縮された、威嚇に鼻を鳴らす犬のような声。

 カウントアップが始まってから、右腕に宿っているうるさい悪魔は珍しく黙っていた/右腕の挙動を奪わなかった。
 だが今になって、今まで聞いたことのない怒声を浴びせてくる。

 左手でスプモーニを口に運んでから、誤魔化しに視線を逸らす。

「……君には申し訳ないことをした。あそこでハイスコアを決められなかったのも」

 意識では釈明に右手を開いていたつもり……だが尻から電撃の如く襲い来る激痛に、思わず歯を食いしばる。

『千切ってやる』

『待て! お前がやったことだろ!?』

 傍目からすれば、ただ自分の尻を摘んでいるだけの光景。
 だが実際は肉体を失うかどうかという拷問じみた状況。

 額に浮かぶ脂汗を知ってか知らずか、女性はすぐ近くまで来て、イプシロングラスを取る。

 ディサリータ――以前にぶっかけたカクテル。
 嫌悪感も敵意も見せること無く、唇に滲ませた女性が再度笑顔を作る。

「私これ好きかも」

「かなり濃い部類だぞ?」

 生返事のように力ない――未だ右腕が臀部を引き裂けんばかりに掴んだまま。
 ヴィットーリアに奪われたままの右腕。隠すように座る向きを調整する。

「それで、投げないの?」

「あ……?」

 ふと投げかけられた言葉に、一瞬呆然とした。

 ちらりと見たダーツボード=すでにサヴィーノのターン=痛みに悶える間に、女性が三投を終わらせていた。
 急いで左手でダーツを掴む/パッと臀部から離された右手――次の瞬間には三本とも右手に奪われていた。

「しょうがないな。ちゃんと見ててくれよ」

「わかったよ」

 仕方なく左手を振る/またグラスを持っている女性が同じように振り返す。
 解放された臀部がヒリヒリ痛む/見せまいと耐える/投げ位置(スローライン)に右足を添えて、体制を整える。

『なんだ? 俺が何かしたか?』
『別に』

 つっけんどんで短い返事。だがダーツの羽の端を頬に擦りつけてくる――切り傷ができそう。

『どうせ、あの子引っ掛けてホテルに行くんでしょ?』
『拗ねてるのか?』
『別に』

 全く意識しないタイミングで放たれた矢/体がつんのめりそうになるほどの膂力。
 ボードにヒビが走りそうな勢い/銃撃並みの重い音/衝撃に揺れる筐体。
 ……穿たれた点数=1――アウトでないだけマシ/だが店内が一瞬でしんと静まり返る/後ろで目を点にする女性。

『私が守ってあげなきゃ死んでたの、わかってる?』
『まあな。それは感謝してるつもりさ』
『あんだけ言ったのに聞かないでコクピットから飛び出してさ』
『あの時は……悪いな。そこまで頭が回ってなかった』
『結局あの後どうなったのか、話してくれない』
『言いたくない。お前には』
『それで女にウキウキしてるわけ?』
『……なあヴィットーリア。お前何がした――』

 再びボードを打ち砕かんばかりの勢いで放たれたダーツ――もはや人が殺せるほどに力がこもっている。
 また注目を浴びせられる――だが前回とは違う奇異の目。

『終わったんでしょ、復讐。じゃあもう戦わなくていいじゃない。
 どこでも、あんたの好きなところに行けるようになったでしょ』

 ……耐えかねて、三投目をすることなくターンを切り上げた。
 次もヴィットーリアがこの調子で投げてしまえば、今後こそ筐体を破壊しかねない。

「また調子が悪いの?」

「あとで調整し直さなきゃな」

 やや心配げな声。焦りを隠せないままに返答する。

 そのまま左手にスプモーニを持つ/今度は脱力しきって重しのようにだらりと垂れる右腕を見つめる。
 ……その奥にいる、ヴィットーリアが何を考えているのか。
 そんなことを知らない女性がさらりと吐く。

「もっと良い腕とかに変えてもらえば? 義手ならそういうの、できるんじゃない?」

『……』

 ヴィットーリアが何かを言いかけた。だが結局沈黙したまま、じっとしている。
 それがサヴィーノの返答を待っているということぐらいは、すぐに理解できる。

 ……小さくため息をついて、サヴィーノは口を開いた。

「いや、これでも大事な俺の右腕だからな。ずっと付き合っていくさ」

「へえ」

 女性が背を向けると同時に、スプモーニを空にして立ち上がる。
 気がつけば自分の意識に返されていた右腕でウェイターを呼ぶ。

 女性が三投を終えて振り向いた時には、前回のツケと清掃代まで全て会計を終えたところだった。
 左手で手を振りながら、持ち前の甘いマスクに笑顔を貼り付ける。

「急用ができちまった。また今度だ」
「え。ちょっと……」
「悪いな」

 そして足早に店を去る……その間、決して振り返ることはなかった。

『……良かったの? せっかくのホテルでしょ?』

 ヴィットーリアの声――先程までの不機嫌さはない/むしろ後ろめたいような暗さ。

 意に介さないとでも言わんばかりに、サヴィーノは口を開いて、右腕へ語りかける。
 努めて明るく/おどけるように/限りなく真剣に。

「じゃあ埋め合わせてくれ。どこに行きたい?」
『そんなのどこだって』
「デートだ。俺はお前が行きたいところに行きたい」
『私はあんたの右腕で、戦闘用の人工知能なの!』
「お前自身はそう思ってほしくない。だろ?」
『……』

 すでに暗くなった町中。あまりにも大きすぎる独り言を撒き散らすサヴィーノ。
 それは店の中に居たときよりも奇異の視線を集めているだろう。
 しかしサヴィーノはやめない。

「それにまだ、お前を見たこともない。部隊の連中も、あの爺さんも、レメゲトンを見たことあるのに、だ」
『……今度。出撃の時に見せたげるから』
「戦いながらデートなんかできるか。まず車を買うぞ。ナビの中ならお前も入れるだろ」

 言葉通りに、歩は近くにあった自動車の販売店へ向かっていた。

『いい。いいから! ……わかったよ。見せりゃいいんでしょ?』

 終始恥ずかしそうに、しかし諦めた声。

 ヴィットーリアは右腕に宿っているが、サヴィーノと神経で繋がることで脳内会話を成立させている。
 今までは音声のみでやりとりをしていたが、それだけしかできないわけではない。

 ふとサヴィーノが瞬きをした次の瞬間……眼前に、見知らぬ女性が現れた。
 あたかもその場にいるかのような誤解を、サヴィーノの脳が下している。

 現実にはそこに、町中に、豪奢なランジェリー姿の、真っ赤な髪をした女性などいるはずもない。

「これで、どう? 幻滅した?」

 普段聞き慣れているはずの声が、改めて見た目を伴うことの違和感を拭いきれない。
 しかし悪い気分はしなかった。

「いや……満足だ。ちゃんとデートに誘いたくなるほど好みだ」
最終更新:2018年02月11日 22:31