小説 > 在田 > 絶対不可侵大陸アメリカ > 03

3話――タイタニックを繰り返して


 レメゲトン専門の心理学者:シミオン・テニエルがモリー・ブラウン号の中へ避難する中。

 時を同じくして、モリー・ブラウン号の側面に、アルセナル社の砲撃駆逐艦とフリゲート艦が盾となって並ぶ。
 駆逐艦の艦橋に、管制デスクへ拳を振り落とした鈍い音と、それに痛みを感じる余裕すらない艦長の怒号が轟いた。

「急げ! 近づかれる前になんとしても止めねばならん!」

 各々の持ち場を粛々とこなすクルーたちの表情は冷静さが損なわれていない。
 対して、恰幅の良い腹を揺らして喚き散らす艦長の表情には、動揺が影を落としていた。

「北海艦隊の噂が、本当ならば……」

 思わず叫びかけた言葉を、どうにかぼやく程度の大きさまで絞る。
 遥か遠くにいる存在は、その噂とやらと艦長の勘が正しければ、テウルギアだろう。

 ……艦長の知る噂というものは、単なる噂ではない。アルセナル社内部で行われた正式な発表だ。
 だがあまりにも現実離れしたその内実を、初見して信用することなど出来なかった。

 そのテウルギア一機に、艦隊が一つ壊滅させられた、など。

 レーダーは尚も、異様な現実を淡々と表示する。
 マイナス40度という異質な物体が、直径20メートルという異大さを伴い、54ノットという異常な速度で海上を滑走する。

 それを可能にできる存在を、艦長はつい最近になって聞いた。
 彼らの所属と同じ、コラ・ヴォイエンニー・アルセナル社が作り上げた、新型の海上戦闘に特化した、浮遊するテウルギア。
 名前を〈ヴォジャノーイ〉という。

 艦艇と比べれば、レーダーには異様に小さく映る。そして艦艇と違い、海に浸かっているのではなく海上を浮遊している以上、ソナーでの探知はほぼ不可能。また他のどのような兵器と比べても低い温度を持ち赤外線で見つけにくい。
 ……距離にして5海里ほどしか離れていない現在に至るまで気づけなかったのは、テウルギアという特性だからこそだろう。

 だがその距離ならば、双眼鏡というアナログな手法でも確認できる。
 切り裂くような白波を作って、こちらに向かってくる、真っ白な氷塊。

 直後、ブリッジの細長い窓から見える空に、二本の線が入り込む。
 眩く燃えるロケット燃焼の光を起点に、空へ真っ白なペンを走らせているようだった。

 SAM=艦対空ミサイル。艦対艦ミサイルでは既に近すぎて撃てず、故に、射程の最短ギリギリで放つことのできたミサイルが、水平線の奥に見える小さな白い点へ殺到する。
 真っ昼間の空を、暁のような橙色が二度も照らし出す。次の瞬間にはその光も、辛うじて見えた真っ白な点も、その周辺ごと塗り潰すように黒煙が広がった。

「着弾を確認」

「やったか!?」

 冷静な判別を着ける部下に対し、期待に声を上擦らせた艦長。

 いくらテウルギアが巨大兵器とはいえ、全長にして150メートルはある大型駆逐艦からすればそう大した図体ではない。
 ましてや同型艦に風穴を開けられるだろうミサイルが二本も命中したのだ。

 小さければ、必然、脆くもある。
 所詮は、たかが一機のみなのだ。

「なっ……!」

 部下から取り上げた双眼鏡には、信じ難い光景が写りこんでいた。

 黒煙を突き破って現れた、白い表面装甲に鈍色の内部構造が散見できる機体。
 人を模した上半身、半球状の浮遊する下半身。
 そのどこにも損傷らしい様子が見当たらない。

「目標、依然健在。速度変わらず。……いえ、上昇しています。現在58ノット」

 わかるのは、さっきまであった巨大な氷がなくなったことだ。

 巨大な氷を装甲代わりに背負い込む……そんなところだろう。
 それでミサイルを防ぎきり、射程より内側に入り込むことができたとはいえ戦闘艦艇はそれしか持っていないわけではない。

 背筋を駆け上る悪寒を振り払わんと、艦長は歯を固く噛みしめた。

「魚雷だ! 魚雷の準備を、早くしろ!」

「目標は浮遊しています。命中は困難かと」

「なら砲弾だ! さっさと撃て! 奴は砲撃武器などを持っておらん!」

 努めて冷静に現実を告げる部下に、即断で返す。

 艦長が耳にした噂……あの巨大な氷の塊が如何にしてそれを可能とするのかは不明だが、この距離になっても砲撃がないとなれば、〈ヴォジャノーイ〉はそもそもそんな装備を持っていないのだとわかる。
 巨大な氷がなければ、魚雷だろうと砲撃だろうと、艦艇が誇る威力ならば屠ることなど容易い。

 だが次の瞬間……その考えすら無意味だったと知る。

 〈ヴォジャノーイ〉が、機体の各部から透明な液体を噴出した。
 浮遊する下半身から海中へ伸ばされた何本かのパイプ……それが海水だろうと理解が追いつくと同時に、再び機体が真っ白な氷に覆われていく。
 それに伴って機体から真っ白な冷気を漂わせ……数秒と経たない内に、再び巨大な氷の塊と化す。

 既にその巨大な氷塊は、双眼鏡すら不要な位置にまで接近している。

 そして、爆発のような砲声が轟いた。
 すでに艦長の発言から、発砲の許可は成立している。
 対艦で放つべき砲塔の旋回に対して、〈ヴォジャノーイ〉の速度が速すぎる故に照準が遅れていたのだ。

 真っ白な氷に、再び黒色の爆煙が広がる。
 もう一つの爆煙……随伴のフリゲート艦も同じく砲撃へ移ったのだろう。
 そして搭載されたもう一つの単装砲からの追撃。

 合計三回の砲撃が、巨大な氷塊を穿つ。
 弾け飛ぶいくつかの氷。散らばる破片が水面を叩く。

 だが再び黒煙を遥か後方に追いやって、〈ヴォジャノーイ〉は前進する。

 氷塊のど真ん中。氷が爆ぜた部分から、頭部の黄色いツインアイを光らせて。
 だが次の瞬間には、その氷の隙間から新たに生えた氷に埋め尽くされる。

「次の装填!」

「間に合いません。衝突します!」

「衝撃に……」

 備えろ、とは続かなかった。

 甲高く、鈍重な衝突音が周囲にこだまする。
 艦艇という巨大な鋼鉄の塊と、高速で肉薄した巨大な氷の塊。

 ……艦橋から、それが見える。
 随伴していたフリゲート艦が衝撃に船体を歪ませて、その各所から軋む金属の悲鳴を撒き散らす。
 真っ直ぐ進むべく細長く設計されている船体が、形状と水の抵抗をほぼ無視して、真横へ押し出される。

 その様子を、艦長は黙って見つめることしかできなかった。
 ついに耐えられなかったフリゲート艦の船体が真っ二つに割断された。
 護衛対象であるモリー・ブラウン号に分裂された前半分をめり込ませる。

 巨大な氷の塊に、ヒビが走る。

「後部単装砲、装填完了」

 具申する部下の声を聞きながら、氷の奥にいるだろうテウルギアに、そしてそのパイロット……テウルゴスへ向けて、艦長は叫ばずには居られなかった。

「裏切り者めぇ……っ!」
最終更新:2018年02月26日 22:55