小説 > 在田 > 絶対不可侵大陸アメリカ > 04

4話――凍てつく絶望の淵で


 力をこめて手すりに掴まっていたはずなのに、とんでもない激突音が聞こえたかと思った次の瞬間には、廊下に転がっていた。

 運動とは無縁のやせ細った体だ。我ながら情けないことに、廊下をごろごろ転がっているだけで、先日の船酔いを思い出してしまう気持ち悪さがまたこみ上げている。

『シミオン 外へ出るべきだ』

「言われ……なくとも……っ」

 ずっと寝転がっている姿勢のはずなのに、三半規管がぐるぐるとでんぐり返しをしているような錯覚しか寄越してくれない。
 だが床を這うことはできる。転がり回って壁に叩きつけられたせいで痛みを訴える全身を励ます余裕もない。

 幸いにも外への扉はそこまで遠くない。何人かの人だかりが出来ているのも見える。

 ……隣の軍艦からロケットの噴射音が聞こえたり、大砲の爆発音が聞こえたり、今度はとんでもなく大きくて固いもの同士の衝突音。鼓膜だけでなく脳髄までも揺さぶられている気さえする。

 いや、それだけではない。
 このモリー・ブラウンを揺さぶるような大きな衝撃だ。いつまで浮いていられるのかすら不安になる。
 当然、今は床だと思っているここが、壁やら天井やらに変貌するのかもわからない。

 ともかく私は、みっともないことに廊下を這い進んで、そして申し訳ないことに私に気づいてくれた何人かに体を引っ張り上げられ、甲板の縁に座らされる。

「大丈夫か!?」

「迷惑をかけた。だが心配はいらないさ」

 口で取り繕うのは簡単だと辟易しながら私は空を仰ぐ。
 船酔いを覚ますには狭い空間ではなく広い場所へ目線を移して風を感じることに集中する……先週に教わったばかりの知識だ。

 だがそのつもりで開いた目に飛びこんできた光景は、そんな清々しいものではなかった。

 巨大な氷の塊。

 直径20メートルと、あのレメゲトンは言っていた。
 モリー・ブラウンの甲板よりも高い位置まで、その大きく真っ白な氷が聳え立っている。

 二隻あった軍艦の片方が、巨大な氷の傍らで、沈んでいる。
 本来なら海の中に入っているはずの先端部分すら真上に向かっている。

 にわかには信じられない光景、信じがたい出来事ばかりだ。

 そして砲声が、大気ごと頭を揺さぶる勢いで襲い掛かってくる。

 味方の軍艦の砲撃。

 巨大な氷が、一斉に弾け飛んだ。
 バラバラと振りまかれる飛礫が、モリー・ブラウンと軍艦に当たって乾いた音をいくつも反響させる。

 ……煙の奥から、それは確かに現れた。
 人型のシルエット。白を気取った装甲は私が見る限りでも少ない。中身とも言える複雑怪奇な機械が割を占めるその姿に、それが本当に精密機械の集合体なのだと改めて実感する。
 テウルギア。

 なくなった氷の代わりに渦巻く真っ白な冷気が、霧のように二隻の船をも包んでいる。
 今この瞬間、私が感じている寒さは、この冷気だけではないはずだ。
 圧倒的な大きさを前に、ひ弱で小さな自分が何かをできるだなんて考えを巡らせることすら烏滸がましく感じる。

 黄色く光る二つの目が、薄く溶けていく冷気に尾を引く。
 些細なはずの動きだけで、白い空気が渦を巻いて霧散する。

 振りかぶった腕から、噴水のように溢れ出る水……瞬く間に勢いが増していく中で、その白いテウルギアはその腕を、先程自身を撃った大砲へ突き立てる。
 傍から見れば、勢い任せに横殴りしているように見えただろう。

 だが、響いた音は、そんな安直なものではない。
 金属が削れる音……火花を散らして金属を切り裂く、悲鳴よりも甲高く頭を反響する音だ。
 立ち込める冷気すら吹き飛ばし、噴出した水が船の大砲を真っ二つに斬り裂いた。

「……」

 周囲の誰もが、それを黙って見つめるしかできない。
 始めから手立てなどないはずだった。だからそれ未満の何かができるかもしれない希望が、少しだけあったのかもしれない。
 だが鋼鉄でできている大砲がいとも容易く切断する様を見て、平然としていられるはずもない。

 そして、テウルギアは同じ絶望を繰り返す。
 両腕から噴出する膨大な水――ひしめき合う何個も軍艦の装備が、まるで子供が積み木を崩すような簡単な挙動で、ばらばらにひしゃげていく。

 再び響き渡る悲鳴のような金属の切断音。腕が通った場所に残される、マジックで引いたような黒い裂け目。
 巨人が、船の前から後ろまで……そして中央に積み上がった艦橋まで、念入りに裂け目を入れていく。

 大砲が真っ二つになったそれで、どこまで船の中身を……中にいる軍人を、斬り裂いているのだろうか。
 ……凍えそうになるほどに、それはおぞましい。

 だが、それだけでは終わらなかった。
 一際大きな音が聞こえた。
 先程の衝撃音に近いが、それよりも重く、くぐもった音。

 私が見たのは、先程まで船としての形を保っていた軍艦が、内側から氷に引き裂かれて原型すら失う瞬間だ。

 ――裂け目を作りながらも、船内には膨大な量の水が入りこんでいた。
 それが全て、凍ったのだ。
 外側の船体すら引き裂くほどだ。内側など圧壊しているに違いない。

 そして軍艦が、音も煙も立てることなく、するりと海面の下へ落ちていく。
 ……二隻あった護衛艦が、気づけば呆気ないほど簡単になくなってしまった。

『シミオン ……シミオン』

「……あ?」

 二つの軍艦が綺麗さっぱりなくなったのを見届けるまで、声をかけていることに気づけなかった。

「これは、無理だ。ダメだ。もうこの船もやられる。凍って、沈むんだ」

『シミオン それは 誰の 判断だ』

「わかるだろうそんなこと!」

 思わず、私は叫び返していた。
 半狂乱になっていると言っていい。
 目の前には傷一つないテウルギア。残されたモリー・ブラウンにも、私たちにも、どうにもできない。

「それとも何か? お前にはできるのか!? 自慢のドミネーションとやらで! あいつをぶっ壊せるのか!?」

『我々の ドミネーションでは 物理的 破壊は 不可能だ』

「知っているさ! わざわざ自分のテウルギアを探させるために、私をこんなところまで連れてきたんだ! 倒せないんだろう!?」

 周りが、叫び倒す私をどんな目で見ていようと知ったことではない。どうせ一時間後には水の中か氷の中だ。私も、誰も彼も、こいつも。
 だが、こいつはまだ不器用に……かつてないほど簡素な言葉を持ち出してくる。

『可能だ』

 視界の隅で、テウルギアがまた水を噴き出す。
 周りの誰もがどよめき、海へ飛びこむ勇気を持てないままに、反対側まで逃げていく。

『我々の ドミネーションは 目標の 活動を 停止させることが 可能だ』

 すでに甲板には、私しかいない。
 私と、携帯から語りかけるこいつだけだ。
 性別も文脈イントネーションもバラバラの、感情を読み取れない継ぎ接ぎの声。

 自棄糞になって、私は叫び返す。

「やれ。今すぐだ。あいつを倒せ! やれるものならやってみろ! 見せてみろ! お前の力を!!」

『承知した シミオン』

 いつもと変わらない継ぎ接ぎの声。
 続く言葉も、何度も聞いたものだ。
 ……聞き慣れない言い回しになっていたが。

『攻性ドミネーションを強行する』
最終更新:2018年02月27日 22:55