7話――自由の女神が望んだ夜空
「これが……アメリカ大陸」
誰かが、失望とは違う虚無感を吐き出す。
無理もないだろうと、呆れるような諦めるような、そんな力の入らない感想しか持てない。
皆が揃う頃には、すでに陽は沈んでいた。
港と呼べる場所もなかったのだろう。
浅すぎない場所にモリー・ブラウンが錨を落として、そこから小型ボートを往復して、今はほぼ全員がそこに居る。
「ここまで保ってくれただけで幸運だ」「帰れるかわかったもんじゃない」「代わりがあればいいんだが」
そんな船員たちの暗い声も飽きるほど聞いて、誰も明るい顔なんてできやしない。
地面がどこにあるかもわからない瓦礫……隙間から生える雑草たちの上に、私は座り込んだ。
『シミオン 行動を』
「無理だ。夜じゃ動けない」
手持ちは少ししっかりしたキャンプ用品ぐらいしかない。いや本当は野営用のちゃんとした設備だ。
だけど、懐中電灯の光が足元以外のどこにも届かないほどに広い場所に着いて、私たちに何ができるのかすらわからない。
どこを見ても瓦礫しか無いのだ。
建物として原型が残っているものすらない。全部が全部、足元に転がっているガラクタばかりだ。
得体の知れない汚染がこの大陸で残っているかもしれない。そのために全員が、防護服に包まっている。
暑苦しいと思っても、しかし今はどうすることもできない。
私以外の地質学たちが組んだチームは一際大きなテントに籠もって、今後のプランのために会議をしている。
心理学をかじっていても、本国で巨大兵器に携わっていようと、ここに何もなければ、私にできることなど雑用ぐらいだ。他の学者たちと毛色が違いすぎて会話に混じることもできない。
……そう、ここには何もない。
あるのは建物だったらしいコンクリート。ガラスの破片。隙間の下に雑草。
あとは、冷たい光ばかり見せてくる夜空。星と月。星座探しができるほどロマンティストでもない。
「なあ、お前のテウルギアはこの大陸にあると言ったな」
『肯定』
「なら、こんな何もないところに、お前はどれぐらい居たんだ?」
『不明』
「……」
変なことを考えてしまう。
アイデンティティを保つためには、自分とは異なる存在が必要不可欠だ。
それがあるからこそ相対的に自分を見出すことができ、自我を確立する。
始めから何もない人間が、何もない環境に放り込まれたところで、何もできない。それだけだ。
時間が経てば経つほどに何もできない自分から脱却しようと、探求しようと行動を起こせるだろう。
だがそれは人間だからこその話だ。
レメゲトンは機械の端末でしかない。自発的な行動をする者もいるだろう。しかしこんな何もないところで起こせる行動にも限りがある。
……こいつは、時間すらわからなくなるほどの空虚を味わい、虚空しか見つめられず、そして虚無そのものへ染まってしまったのではないか。
そんなことを、考えてしまう。
記憶があったところで、それに価値すら見出せないだろう。
ならば自我など生まれるはずもない。あるいは意味消失してしまったのかもしれない。
自分のものですらないなら、尚更に。
だからこそ自分に残された誰かの記憶を同一化して、我々という一人称へ――より曖昧であやふやな感覚を使うようになったのではないか?
自分の声すら忘れて、すでに残された誰かの声を使うことにしたのではないか?
……確証は、どこにもないのだが。
「それで本体を見つけてもらって、お前はどうする? テウルゴスを探すのか?」
『……』
レメゲトンならば探すのだろうと思っていたが、それにすら答えないのか。
つくづく、私の予想を裏切るレメゲトンだ。
『シミオン 質問が ある』
珍しいこともあるものだと思う。
故郷なのかどうかはわからないが、アメリカに帰ってきて何かを感じているのかも知れない。
「なんだ?」
『貴方は この後 どうする?』
「……どうしようもない。皆についていくだけだ。皆だって帰る手段を探しているはずだし、その前に、ここでやるべきこともたくさんあるんだろう」
『それは 貴方の 意志か?』
「違うね。本当ならすぐにでも帰りたい。だがお前のテウルギアを見つけてからにしたい」
『承知した』
なぜここまで掘り下げて質問をしてくるのか、それを問い詰める気にはならない。
だが私の考えなど、帰る手段すら危うい今の調査団では尊重されるはずもない。
何より優先するべきは帰るための準備のはずだ。モリー・ブラウンを治すのか、別の船を見つけるのか、それとも連絡手段を作るのか……それはわからないが。
おまけに、食べ物はないと考えていい。過ごせる時間も、探せる範囲も限られてしまう。
世界地図をひと目でも見ればわかる。アメリカ大陸はあまりにも広大すぎる。
来たらすぐそこにテウルギアがあるなんて都合のいいことは、まずないだろう。
暇潰しの手段もなくなったかと思えば、肩をつつかれる。
振り返った相手が自分の首筋を指差して、私も意図を知る。
全身をすっぽり覆う防護服は、もちろん声もすっぽり覆い隠す。
だから内臓の通信機があるのだが、やることもないと思って切っていた。
首筋にある電源を入れて、手を挙げる。
「何か手伝うことが?」
「違うが、どうせ暇なら文化遺産でも見に行かないか?」
「……文化遺産?」
防護服の奥で笑顔を浮かべているだろう声に、断る理由はないまま立ち上がった。
○ ○ ○
「本当はエリス島という離れ小島に置かれていて……」「最初はフランスという国で作られたんだ。知ってるか? エンブレイズやロマニアのあたりさ」「ここはニューヨークと呼ばれるかつての大都市だ。今じゃ見る影もなさそうだが」「アメリカという国の象徴だった――」
……私もそうだが、学者というものは得意分野になると喋るのが止まらない。
意気揚々と、興奮すればするほどにそれは顕著になる。
アメリカによほど興味でもあったのだろうか、瓦礫まみれで歩きにくいはずの道を、足早に進んでいく。
「――ただまあ……完全な状態で見れれば、良かったんだが」
それまでとは変わって、彼の声に半分ほど悲しさが滲んでいた。
彼が頭の電灯を着けて、それを照らす。
……大きな、顔。
青みがかった緑色の、表情の読めない顔が、半分ほど瓦礫に埋もれて、もう半分で空を見上げている。
「これは……?」
「自由の女神像だ。最初は植民地だったアメリカが独立を記念して、そして植民地だとか差別だとか、そういったものをなくそうという意味で作られた巨大な銅像。だがこれは――」
……彼の言葉など、私はすでに聞いていなかった。
黒目のない瞳が、もしかしたら自分を見つめているのかもしれないと少しばかり怖くなった。
これほど大きな人間の顔を、夜中に見つめるのだ。全く怖くないといえば嘘になる。
何もないと思っていたが、確かにないわけではない。
……これが、今の時代で何の意味をもたらすのかなどわからないが。
『シミオン』
「どうした」
『ドミネーションを 敢行した』
「何か、見つけたのか?」
いくらレメゲトンとはいえ、ネットワークが届く場所でなければそんなことはできないはずだ。
モリー・ブラウンからはそこまで離れていない。あるいは設営したテントだろうか、そこから届く範囲に、こいつが不思議な力を発揮できる対象があったということだろう。
もしかしたら、テントの会議でも盗み聞きしただけかもしれないと邪推まで回したが……。
『我々の 目的だ』
「まさか!?」
目的など、一つしか思い浮かばない。
テウルギアが、すぐ近くにあったとでも言うのか?
確率論でなら、それこそ天文学的な数字になりそうだというのに。
「どこだ? 近くにあるということだな? なら場所を教えてくれ。すぐに人手を――」
『シミオン』
初めて、私の言葉が遮られた。
気がつかないうちに、私も興奮していたのかもしれない。
こんな何もない場所で、自分が来たことの意義を果たせるものを見つけられたと。
「悪かった。少し取り乱していた。
……それで、テウルギアはどこにあるんだ?」
『我々の 目的が 果たせる 時が 来た』
……何を言っているのかわからない。
いや意味自体はわかる。もしかしたら私以上に、こいつこそ取り乱しているのかも知れない。
しかし続く言葉で、それこそこいつが何を見つけたのかわからなくなり始めた。
『ドミネーションを 強行する』
「……もしかしてお前のテウルギアは、まだ動くのか?」
こいつの言葉を懸命に汲み取ろうとして、その可能性を思いついた。
時間すらわからなくなるほどの時間を過ごしてきたはずだ。なのに、そんなことがあり得るのか……それについては半信半疑だ。
だがテウルギアを相手にして、自分はテウルギアを使わずに停止させるほどのレメゲトンだ。
そんなレメゲトンを入れるべき箱――テウルギアが、どんなものであろうと驚きはしない。
もしかしたら、ネットに――オラクルボードのランキングに名を連ねられるテウルギアの性能を誇るかもしれない。
いやそれだけではない。既にE&H本社で精鋭部隊とされている『円卓の騎士』たちを抜くことだって――!
『――ドミネーション 完了』
声につられて、私は周囲を見渡す。
瓦礫の下から巨大な兵器が起き上がって、この星空の下に姿を晒してくれることを期待していた。
……だが、どこにもそんな様子は見られない。
ずっと星空は静かなままで、瓦礫だらけの地平線も平たいままだ。
巨大な銅像の顔だけが、私をずっと見つめているような気さえする。
「どこだ? お前は、お前のテウルギアは今、どこにいる?」
『貴方は 我々を ここまで 連れてきた』
「そんな話は後でしろ! 今はお前の――」
こいつが何を考えているかなど、私にはわからない。
何しろ聞き取れる声は誰かの声の継ぎ接ぎでしかない。感情を汲み取るということすら不可能なのだ。
いくら自分のテウルギアを見つけて感極まっているとはいえ、持ち帰れなければ意味などない。
だがこいつの言葉は全く別の方向から、私の頭を殴ってくるようだった。
『我々に 後は ない。
……悲しい 辛い 苦しい……
シミオン これを 感情と 呼ぶのだろう?』
アメリカ大陸を開拓できるかも知れない。その開拓者精神に心が踊ったのは事実だ。
船に乗って、氷山みたいなテウルギアに襲われて、危うく死ぬかと思った。
……だがこいつが、最初に言い出さなければ私がここに来ることもなかった。
「一体何の話だ? 私の質問に答えろ!」
これほどに研究価値のあるレメゲトンもそうそういないだろう。
そのためにこいつの本体であるテウルギアをE&Hで保有できれば、レメゲトンについての研究が進むはずだ。
……いや、そもそもアメリカ大陸にテウルギアがあるなんて話を初めて聞くのだ。
旧暦の時代に置いてけぼりにされた文明の極み。
そこに、今の最先端を活躍するテウルギアなんて兵器があることの方がおかしい。
これは歴史が覆る大発見だ。
「――お前は、何がしたいんだ!?」
しかし、肝心となるこいつの目的は、アメリカで自分のテウルギアを見つけてもらうことだけなのか?
自我が意味消失するほどに疲弊するまで、こいつは何も行動しなかったのか?
だがドミネーションなどという不可解な力を使えるレメゲトンが、今まで何もしないままでいるはずの方がおかしい。
いやむしろ、そんなレメゲトンがいることそのものを疑うべきではなかったのか?
なら……こいつは、何者だ?
他の誰かの記憶を持ちながらも、自身の記憶は何もないといい、不可解な力だけ持っている……こいつは、何だ?
『我々は 我々の 消滅を 望んでいる』
次の瞬間だった。
最初は、何かが爆発したのかと思った。
それほどまでに大きな音が響いて、尋常ではない速さで太陽が昇るような明るさが、周りの全てを照らし出した。
ロケット……いや、ミサイルか。
太陽のような光を引き連れて、白い煙を後に残して、高く登っていく。
「おい。もしかしてお前……」
『記憶の 反芻 制御 ――不可 耐えら――かった。
感情が 我―― 破壊―― ――不――』
声が、次第にノイズに塗れていく。
ドミネーションなどという力も、電波が届かなければ意味がない。声を届けるのも電波だ。送受信が悪ければ当然に起こる現象。
……つまりあいつは、届きにくい場所へどんどん遠ざかっているということだろう。
それほどまでに高速で移動しているものは、あの太陽みたいなものしかない。
『シミ―― 協―― 感――…… 』
声は、消滅してしまった。
あいつは、遠くに行ってしまった。
ほとんど真っ直ぐ上……星空の見える、宇宙へと。
「感謝できるぐらいには、お前の自我はあったのか」
……そして、また輝いた。
宇宙を目指すロケットなら、専用の設備が、それこそ空へ伸びる高い塔がなければ不可能だ。
だがそんなものは見当たらない。
ならばあいつが乗っていたのは、旧暦の時代にあったとされる、海を超えて、大陸を跨げる、巨大なミサイル。
起爆させたのだろう。あるいは、爆発させられたのか。
「なら……最初から言ってくれよ」
つい先程まで、あいつがいたはずの携帯端末を見下ろす。
だがもう、二週間前までの携帯のように何も言葉を返してはくれない。
太陽のような、眩しい光が空にある。
……自由の女神。巨大な顔の半分もまた、私と同じように空を見上げていた。
エピローグ もしくは とある作品への布石
爆発も終わり、消えかかった光と共に、私は視線を落として女神の顔を眺める。
その下半分も、電灯などよりしっかりと見えた。
複雑な金属の塊――単なる瓦礫だと思っていたが、違う。
シルエットで言えば、巨大な人の腕そのもの。
「!」
思わず、私は駆け寄る。
その間に空の太陽はかき消え、さっきまでの星空が暗い光を降ろす。
頭の電灯をつけて、その巨大な腕を……その頭の下敷きになっているものを、見つける。
この女神像に潰されたせいか、ボロボロにひび割れて、胴体は原型を留めていないだろう。
だがわかる。瓦礫の隙間に、その頭部もかろうじて見える。
テウルギア。
「なぜ、こんなところに……」
あいつは、レメゲトンではないはずだ。
ならテウルギアが残されているなんてことも嘘だろうと、勝手に思っていた。
だったら、目の前にあるこれはなんだ?
過去に、この大陸で、何があったんだ?
最終更新:2018年03月12日 05:32