エニグマ・インサイドの華麗なる食卓
一食目 ~特殊成型山菜のサラダ、穀物を添えて~
瑞々しい山菜が薄く切り揃えられ、花弁のように次々と上積みされていく。
全体の重量と彩りのバランスが崩れないよう、緻密な計算に基づいて整えられていく姿は、まさしく美の山脈とも言える芸術的な輝きを食卓に降り注がせた。
「完璧だ。」
今にも料理に噛り付きそうな様子で盛り付けを続けていた一人がそう呟き、動きを止めた。
目の前には完成しきった芸術品の姿。
背後には一丸となって食材の成型と加工、そして盛り付けに協力した自身と同じ部署の四人の仲間たち。
すべて計算通りだ。
「総員、着席。」
先頭に立つ者の言葉とともに、その場にいた全員が一糸乱れぬ動きで料理の置かれた円卓を囲み用意された華美な椅子へと腰を下ろしていく、続いて。
「今回の実験の立案及び実行責任者として、宣言する。」
と、まるで神へ祈りを捧げるように瞑目し、最後の号令を発する。
「いただきます。」
「いただきます!」
最初に室内に響いた乾いた拍手の音と声、それに倣う円卓を囲む者たち。
この儀式は晩餐の始まりの合図。しかし彼らの様子は口に運ばれるであろう甘美な味わいを想像しているようには、とても思えなかった。
達成感からの震えは恐怖となり、上気した頬は血の気を失っていく。
たとえどれほど美しい芸術品だとしても、これは料理、食料である以上必ず誰かが食さねばならない。
震える手で一人ずつ小皿に野菜を、穀物を取り分け、無言で切り分けられた美のかけらを見つめる。
彼らは自ら作り上げた芸術を壊すことを恐れているのではない。
料理とはそういうものだと最初から分かっていて、作り上げられた形が崩れていくことさえも、美しい循環の一部だと信じているからこそ、彼らはここに集ったのだ。
だがしかし、その部分とは全く無関係の、理性ある生物として逃れられない恐怖が体を支配している。
誰かが一口目をフォークで持ち上げる。
誰かが強く目を瞑りながらも口を開き。
図らずも全員が同時に料理に喰らい付いた。
一瞬の静寂……そして次の瞬間には盛り付けの最中に見せた連携など幻であったかのように三者三様の様子で顔を顰め、咽て、円卓に突っ伏す。
号令を出した男は無表情のまま静かに、超高速で咀嚼を続けていた。
それでもせっかくの料理を吐き出す者はいなかった。
だが全員が口に運んだ料理を咀嚼し終えて、食器の隣に置かれたコップ一杯の水を飲み干すと……。
「まるで金属製のネジでも食ってるような鉄臭さだ!本当に大豆をモデルに作ったんだろうな!?」
白衣を腰に巻いた筋肉質な男がスキンヘッドに血管を浮かべながら、その金属さえも握りつぶしそうな剣幕で怒鳴り。
「芋はまるで泥の塊をスライスしたかのような味わい……。」
さめざめと涙を流していた赤毛の女性は涙が落ち着いてきたところで、幼少期に作った泥団子を思い出してまた泣いた。
「緑黄色ってのは絵の具のことじゃないんだぞ!?これなら宿舎裏の野草の方がうまそうに食えるよ!」
短い金髪を逆立てた青年が力いっぱいにテーブルを叩いて手を痛め。
「向こう三年はレーションで暮らしたいですね。」
黒髪をオールバックにまとめた男性は努めて冷静にそう言い放つが、手足は小鹿のように震えている。
「おふっ。」
そして号令をかけた白髪痩身の男は、白目をむいて意識を失いかけていた。
誰がどう見ても阿鼻叫喚の有様であった。
エニグマ・インサイド社の高級再現料理開発実験室第三班。
通称、第三班と呼ばれる彼らは、人類の生存可能領域が大きく狭まった今の時代、失われた美しい料理を蘇らせることによって人々の心に豊かさを取り戻すべく邁進する、美と食の研究者たちである。
それと同時に、もっとも味の悪い再現料理の作り手として悪名高いはぐれ者たちである。
「さて、そもそも今回の実験の課題ってなんなんでしたっけ?」
地獄の宴も終わり、腹に詰め込まれた異物に苦しみつつも食器の片付けを終えた第三班は、開発実験の元々の課題についてまとめ直すことになった。
身体的にもっともひ弱な班長は味のショックに記憶が飛びそうになっていた。
だが何とか手元の資料を確認するため、一連の騒ぎに巻き込まれ自分の表情のようにぐしゃぐしゃになった資料を引っ張って伸ばし読み上げる。
「今回の実験は『再現料理に元々の料理以上の栄養素、カロリーを添加した場合の変化』を調べるためのものだった……はずだ。」
「わが社の再現料理は栄養素の割合から総カロリー量まで、すべてを再現するように作られています。
しかしご存知の通り、どの商品も味についてはなぜか壊滅的でして……。
班長のおっしゃった実験に加え、今回は添加物等の調整によって味の崩壊の原因が突き止められるのではないかと言う仮説の証明も兼ねたものとなっていました。」
班長のいつにも増して頼りない様子を見た副長は、いつの間にか床に落ちてしまっていた資料の続きを班長に手渡しながら捕捉する。
言いながら乱れたオールバックを整える手は未だに震えていて、鹿が成体になるのにはまだ時間がかかりそうな様子だ。
「それで、結果は散々……いや、ある意味仮説通りだったんだろうか。」
「なんにせよ売れるどころか、上に試食してもらうことさえ躊躇われるレベルの物に仕上がったわね。」
「いつもの五倍はまずかった気がするよ……今期の予算の三分の一が……。」
と項垂れる班員たちは重役からの叱責と、同社の利益の9割を占める軍用ダミー商品開発室からの冷たい視線を思い出し、ただでさえ低い位置にあった頭が取れて地に落ちやしないかと戦々恐々としていた。
今やエニグマ・インサイド社の誇る圧縮成形技術は、社の理念とは裏腹に軍用ダミー商品の製造のために機材のほとんどが使われてしまっている。
他二班を含む再現料理開発実験室をはじめ、実際に食品系商の品製造に携わっている本社の施設、通称‘クックヤード’にさえ、最低限の資材と機材が置かれているのみと言うありさまなのだ。
調理班の人員は無駄に有り余っているそうだが、そんな情報は慰めにもならない。
その情報を聞いた際「あいつらを材料にできればどれだけ人件費が浮くかな。」等と言うマネジメント部門の敏腕職員の冗句に肝を冷やすことになったのは完全な余談である。
「とにかく。」
班員の雰囲気にあてられて気を失いかけていた班長が、自分に言い聞かせるかのようにうつむきながら言葉を発する。
「今回の実験によって比率調整によって味に変化が出ることはわかった。次はそれをどう活かして味を改善する方法を見つけ出すかだ。」
班員たちの眼に火が灯る、班長の言葉にやや強引に希望を見出して。
第三班、ひいてはエニグマ・インサイド社の目的は完璧な再現料理によって人々の心に豊かさを取り戻すこと。
壊滅的な味の原因が分かったのであれば、あとはそれを正せばいいのだ。胃の痛みを振り切って奮い立つ班員たちはすぐさま行動を始める。
「栄養素やカロリーを増やすことによって味が悪化したのならば、減らしたら逆に改善するのでは?」
「いや、その場合おそらく味が薄くなりすぎる、下手をすれば無味無臭の料理になりかねない。食品サンプルを作る訳じゃないんだ。」
「もう何度か試作をする必要がありますね。材料は足りますか?」
「心もとないわ、さっきの実験で圧縮形成芋を作るのにだいぶ使ってしまったから。」
「そこからだな……納期も迫っているし、発注から納品まであまり悠長にしてられんぞ。」
「それなら、知り合いに足の速い荷運びが居ると聞いたことがあるよ。すぐに手配してくる。」
「何度かお願いすることになりそうですし、その方に試食もお願いしては?外部からの意見も参考になるでしょう。」
「それだ!」
こうして、愚かにも彼らの新しい挑戦が幕を上げることとなった。その先に、本当の美食が待つと信じて……。
それから数日後……。
成果の程はともかくとして研究は捗っていたし、班員の友人が気を利かせて手配を受け持ってくれた運び屋は優秀で、モノを用意したその日にエニグマ社の社有資材保管庫に材料が届けられた。
いつにも増して怪訝な目でこちらを見てくる資材管理の担当職員が気になったが。彼らにそんなことを気にしてる余裕などなかった。
第三班は届けられた材料を用いてとにかく片っ端から試作品を作り続けた。
栄養素の比率を完全に均等にし、材料の成型手順を見直し、盛り付けの見た目をミリ単位で調整し。
とにかく出来ることを最大限やり続け、その工程と同じ数だけ試食で死にかけた。
彼らの手元の荷台には、寝食を惜しんで作られた料理が乗せられている。
最初の実験で作られたものよりは小ぶりではあるが、透明な保護蓋を被せられたその美しさは幻の大自然のごとく、道行く職員がすれ違いざまにひれ伏しかねないほどの威容を纏っている。
それが見た目によるものか味によるものかは、余人が知る由もないが。
そして今ある最後の材料で作り上げられたこの料理の試食を、例の運び屋にしてもらおうと、第三班総出で資材保管庫の受け取り口にて待ち構えていた時に、それは現れた。
緋色の巨体、背にその身よりもさらなる巨腕を背負った鋼の威容。
それはまさしく世界を変えた力の一つ、その名をテウルギア。
腹部に幾条ものワイヤーで固定されていたコンテナを、器用にも大小四本の腕を巧みに操り、庫内の床へ下ろすと、邪魔にならないように機体を端へと移して停止する。
一連の動きは丁寧で、機体越しに積み荷と職員両方への多大な気遣いを感じさせるほどであった。
だが積み荷を確認する職員を見る鋼鉄の眼光は、まるで足元にたかる虫を見るように無機質で冷たいものとしか感じられなかった。
第三班は全員が思考を止め、眼前の巨体の他に荷運びらしき車両や機体が存在しないことを、現実の情報として認識できずにいた。
「えっなんで。」
班長が発したその疑問は静かに保管庫の空気を震わせ、優雅な試食会に暗い影が忍び寄っていたことを班員たちは悟るのであった。
元より、彼らの前に明るい未来などありはしなかったというのに。
つづく
最終更新:2018年03月30日 15:35