小説 > 在田 > 戦士たちの円舞曲 > 02

『……ったくよお。せっかくのアヴァロンだぜ? もっとパーッと、なあ?』

『そこら中にあるじゃない。パーッと』

 鍛え上げられた筋肉の塊が、闊歩する。
 分厚い胸板から突き出る図太い腕。がっしりと構えられた足腰。

 ……尤も、その胴体に乗った甘い笑みよりも、視線を集めるのは右腕の方だった。
 機械の義手。太さこそ生身の左腕と同じだが、色が違えば質感も違う。

 そんな右腕を隠すつもりもなく、オレンジのTシャツ一枚に真っ白なスラックスという目立ちたがりファッションの男はペラペラと“独り言”をまくしたてる。
 男の住処よりも近代的な……多種多様な建物がひしめき合う町中を仰いで、男は肩をすくめる。

『そりゃここまで色んなのはすごいんだが……俺は美味いのが良いんだ』

 男の名はサヴィーノ・サンツィオ。
 遠く……地球のほぼ真反対:シチリア島からはるばる観光へ来た、単なる旅行者だ。

 本来なら軍務の身だが、そこまで忠誠があるわけでもなく、市民を守ろうという使命感に溢れているわけでもない。
 意気揚々と休暇を取って、本当の意味で遊びに来たのだ。

『そんなこと言われてもねぇ。それ、私にわかると思う?』

 先程から高圧的に、サヴィーノの脳内でまくしたてる女性の声。
 レメゲトンと呼ばれる電子的な疑似人格の名前は、ヴィットーリアという。

 疑似人格というのは人間ではない。人間向けの娯楽が理解できるはずもない。酒の味など以ての外だろう。
 本来なら赤い髪の女性という姿を取っているが、サヴィーノがそれを目の当たりにするのは、また別の、そして少し後の話だ。

『ま、酒じゃなくてもいい。一緒にベッドインしてくれそうな美女でも……』「おっと」

 ふと襲い来る、彼自身の右腕の握り拳。
 間一髪で、左手で受け止める。

 ……たまにサヴィーノの右腕は、彼の意識を離れる。
 それも当然で、ヴィットーリアが紛れもなく義手へ入り込んでいるからだ。
 サヴィーノは右腕を動かせるように神経が義手の回路と繋がっている。そしてヴィットーリアは義手に宿っている。

 だからこそ、普通では在り得るはずのない脳内会話などというものが成立する。

『勝手にすれば?』

『わかったわかった。お前には頼らねぇよ』

 戯けるように返し、頭を掻きながらサヴィーノが周囲を見渡す。
 行き交う人々。遥か昔なら国籍という概念があっただろうが、それはもうない。

 多種多様な民族が、入り乱れている。
 ……この世界で、このアヴァロンほど平和であらんと作られた場所もそうそうないからだろうか。その人もとても多く見える。

 その中で――サヴィーノは道端でぼうっと立ったままの人を見つける。
 カジュアルな女性用の服。違和感なく着こなせる華奢なシルエット。

 店こそ雑多に入り混じっているが、繁華街というわけでもない。
 立ち止まっている人、というだけで少し浮いて見えてしまう。

『第一村人発見、だな』

『何? 聞き込み?』

『当然だ。現地のことは現地の人に。旅の鉄則』

『んで女?』

『当然だ。立ちっぱなしの女性は待ち合わせ中か、ちょっと後ろめたい何かあるかだ。とても話しかけやすい』

『遊ぼうとしてる?』

『当然だ。旅の恥は掻き捨てって……』「おっと」

 また顔面へ飛んできた右腕のフックを左手でいなしながらも、サヴィーノは揚々と歩を進める。

『呆れてモノも言えない』

『代わりに拳ってのは乱暴すぎじゃないか?』

『うっさいわね』

「おっと」

 何度目になるかわからない、文字通りの鉄拳をいなす。
 そしてちょうど、目に留まっていた人物へ近づいて、ヒリヒリ痛む左手を伸ばそうとした時だ。

 その人物が、振り返る。
 ……端正で線の細い顔立ち。綺麗という言葉ではあまりに陳腐――精巧に組み上げられたクールさを感じさせる顔。

 思わず、高揚するテンションに口笛を吹いた。

 甘いマスクを維持する外見とは違い、サヴィーノの実年齢は四十を回る。
 声をかけてきた女性は数え切れず、その中で様々なタイプを見てきた。
 一瞬の剣呑ささえ感じさせる相手は、きっと高いプライドで男を跳ね除けてきた、高嶺の花タイプだろうとも予想をつける。

 しかし二十代ほどと見受けられる顔立ちなら、上手く手篭めにできそうだと多寡を括った。
 ……似たような経験を半ば強制的に積まされているヴィットーリアも、同じことを思い浮かべてしまう。

 だからこそ、二人は驚くことになる。
 この人物の第一声に。

「何の用だ」

 低い声だった。
 ハスキーな女性の――というわけではない。
 間違いなく、紛れもなく、疑いようもなく、どうしようもなく……男性の声色だった。

 誰かと待ち合わせ? ――そう聞こうとして開いたまんまの口から、ようやく漏れ出たのは、あまりにも情けない声。

「へぁ?」

『うそ! マジで!?』

 サヴィーノも、自分の声が聞こえないようなら、同じように言っていただろう。

 脳味噌が混乱している。視線が右往左往する。
 ……服装はカジュアルな女性そのもの。それを着こなせる体型も女性と言われれば納得できる。顔立ちも、女性にしても綺麗だろう。確かに女性らしい華やかさが欠けるとすれば、そうかもしれない。

 声が、男性。

『どうすりゃいいんだヴィットーリア。顔見てイケるなって思ってたが、こいつ女装趣味の変態だ!』

『傑作じゃん! アッハハハハ! それにナンパしようとしてた変態とお揃いで! ハハハハハハ!!』

 それっきり、サヴィーノの頭の中に笑い声が途絶えること無く垂れ流される。
 声をかけようとした手前、サヴィーノは引き下がれない。

「ああ、いや……その……」

「何だ? 私は急務があるんだ」

『町中の女装趣味が急務なワケねーだろ!』

『ハハハハハハ!! 駄目よサヴィーノ、きっと向こうにも事情があって……事情が……プッ、アハハハハハハ!』

 眼前の“男性”が眉根に皺を寄せる。
 この男にとっても、こうして声をかけられるのは予想外だっただろう。だから「ナンパしようと」となど言えば話がどんどんめんどくさい方向へ進んでしまう。

 歪みまくる顔面になんとかヘラヘラ笑顔を貼りつけ、サヴィーノは距離を置こうと後ずさりする。

「あー。どうやら人違いだったみたいで……なんか、邪魔しちまったな。悪かったよ」

「む……」

 怪訝そうに睨み、相手の男性は腕組みをして……次の瞬間に、表情が変わる。


 ――話を少し前に戻そう。

 ジルグリンデ・アル・カトラズは守るべき姫の護衛として、違和感なく町に溶け込むために。そして姫ことアリシアの命令により、女性用の服を着ていた。決して彼の本意ではない。

 しかし自由奔放で天真爛漫で唯我独尊なアリシアは、人混みの中でジルグリンデなど忘れてどこかへフラっと行ってしまった。

 そこからまだ時間は経っていない。ジルグリンデは町中を探し回り……未だ見つけることが敵わず、ちょっとした疲労を休むべく立ち止まりながら、町を見渡していた。

 ちょうどその時。軽率が人の形をしているような男が後ろから近づいてきた――という時間の流れだ。

 つまり姫を守る騎士の役目を果たすべく、失態を取り返そうと躍起になっている最中だった。

 ――それこそ自分が女装させられていることなど忘れてしまうほどに。

 だが今、腕を組んで、思い出した。
 男である自分が女性と偽るために必要な、胸のシリコン。それを支えるべき下着。
 そこに触れて、ようやく頭が回った。

 ……人が行き交う町中で、自分へ向かってくる足音を聞き分けられたのはジルグリンデがそういった技能に長けているからだ。

 だが声をかけた男が顔を合わせて口笛を吹いて、自分が声を発したと同時に、途端に顔色が変わった。
 そして今はじりじりと距離を置き始めている。

「違う! これは誤解だ!」

「そんな誤解があってたまるか! 俺は女が良い!」

 そして、男――サヴィーノが一目散に駆け抜けていく。
 それだけならジルグリンデの心が多少――そう多かれ少なかれ――傷つくだけで済み、アリシアの捜索へ戻れただろう。

 逃げゆく男……その背中の向こう。
 見知ったような、風になびくブロンドヘアの後ろ姿が、曲がり角へ消えていくのを見つけるまでは。

 ちょうどサヴィーノも、その姿を見つけたらしい――それも横顔まで。

「おっ今度こそ美人!」「お嬢様!」

 ジルグリンデが、疾走する。
 人混みをかき分け、サヴィーノの向こう……守るべき姫を、今度こそ見失わないために。
 ……おそらくナンパ目的で自分へ話しかけてきただろうナンパ男から、アリシアを守るために。

「なんで追いかけてくるんだ変態野郎ぉおお!?」

「違う貴様に用などない! 用があるのはそこのお方だ!」

「奇遇だな俺も用があるんだ今できた! 変態と違って、俺はもっと健全なんだ!」

「だから誤解だと言っておろうが!!」


 ……町中を疾走する男二人の叫び声が、町中に響き渡る。

 これが、ジルグリンデ・アル・カトラズとサヴィーノ・サンツィオの最初の出会いであった。
 どちらとも四十を上回る年齢でありながら若々しい外見を持ち……それ故に腐れ縁と相成っていくのだが……。
 それはまた、別のお話。
最終更新:2018年04月01日 01:38