「次もまた美女が来てくれるといいんだがなぁ」
「私としては、平穏なら欲は言いませんけどね」
汚染と策謀に満たされ、悲鳴と血潮が舞い飛ぶこの世界。
そんな中でも、いや、そんな中だからこそ、享楽の類は未だ失われずに在る。
例えばこの、バー『フラテッロ』もその内の一つだろう。
幽かに漂う木の匂いを、暖かな灯りが静かに照らす。
音響機器から流れるサックスの音色は、力強く、艶やかだ。
棚に居並ぶ瓶の群れには、大人達の楽しみが。あるいは、未来の大人達の憧れが詰まっている。
そんな、素敵な夜を過ごせそうな店に立つ者も、素敵であればなお良いだろう。
「今度リュミエールに連れてってくれよ。俺、本気で喜ぶから」
慣れた手つきでグラスを磨いているバーテンダーは、サヴィーノ・サンツィオ。
整えられた栗色の短髪。女性を惹きつけてやまない、甘い顔立と鍛えた肉体。
「あらゆる面において問題だらけです。モズマの看板と、ナンパ癖を捨ててから提案して下さい」
もう一人。カウンターを拭いている給仕が、ジルグリンデ・アル・カトラズ。
美貌、と言っても良い位の顔立ちはどこか女性的ですらある。
しかしその紳士的な雰囲気と、細くも引き締まった身体が、彼にか弱い印象を与えさせない。
2人とも20代だと紹介して、疑う者は誰も居まい。実際はさらに20年を足す必要があるのだが。
「それは出来ねえ相談だな。それと、今まさに俺の頬を殴ろうとしている右手を止めてくれ。俺、本気で喜ぶから」
「自業自得でしょう。我慢なさい」
個性的なお客様方を迎えてきたフラテッロと色男達。
本日のお客様は、何者が訪れるだろうか。
「なあヴィットーリア。お前が最高の女なのは疑いようの無い痛みが俺の頬骨に!」
「グラスを落とさないで下さいね?」
「俺が堕ちそうなのにも気を向けてくれねえか」
からん、ころん。
「おっと。いらっさいませ……ん?」
「いらっしゃいませ……おや」
外界の空気と共に入って来たのは、一人の女性。
大きめのニットセーターとショートパンツ。その上にカーディガンを羽織っている。
「おお。思ってたよりバーって感じなのね」
青い瞳が好奇心に釣られて廻り、癖のある金の髪が揺れる度、灯りを弾いて優しく輝く。
「一応、年齢確認するべきかね」
「その必要はありません。彼女、エンヘドゥアンナとほぼ同じです」
「知り合いか」
「遺憾ながら」
二人が声を潜めて話していると、女性がジルの顔を見て驚いた声を上げる。
「パラディン・ジルクリンデ!? あー、こういう事だったのね」
カーディガンの端を摘まんで片足を引き、少しだけ腰を落とす。カーテシーのつもりだろうか。
「可愛らしいお嬢さん。是非お名前を伺いたいのですが」
準備をしながら話しかけるサヴィーノ。口説いているというよりは、予防措置らしい。
「ハティよ。ハティ・マーナガルム」
女性は席に座りながら、そう名乗った。
宜しくねミスター、とあどけなく微笑む姿は、確かに少女を脱した容姿ではある。
しかしその振る舞いのせいか、あのチャイナ美女に比べて、随分と幼く見える。
「確か、RATのランク12か。珍しい所が来たもんだ」
「珍しいですか?」
「技仙やTFSに比べればな」
「そりゃーウチは船屋だものねぇ」
RATは旧インド南方という立地から、アレクトリスにおける海軍戦力の増強を担当している。
陸に関しては準前線な為、どうしても印象は薄くなる。
「時にマーナガルム嬢。先ほどの、こういう事というのは?」
「貴方のご主人様から聞いたの。お母様が楽しい物を見た、ってね」
一瞬硬直するジルクリンデだったが、パラディンの盾は崩れない。
じっと彼を眺めるハティに対し、すぐに微笑みを取り戻す。
「確かに凄く似合ってるけど、特別楽しくは無いわねぇ」
「ジル。お客様からオーダーだぞ。お召し変えしてこいよ」
「口を閉じなさい。何か飲みますか? 御作りしますよ」
「んー。私お酒は詳しくないから、おススメで。軽めのにしてね」
「はいよ。ちょっとお待ちを」
サヴィーノがカクテルの用意を始めると、ハティがジルを見上げて言った。
「パラディン・ジルクリンデ?」
「何かご用命でも」
「勝負しましょ? 彼がカクテルを作り終えてグラスを置いた時、秒は奇数か偶数か」
僅かに細めた彼女の眼が、爛々と輝く。
ジルクリンデは内心ため息を吐く。
勝負師が勝負を好むのは分かるが、少々落ち着きが無さ過ぎやしないだろうか。
「御戯れを」
「御戯れよ。いいじゃない、誰も咎めはしないわ」
「そういう事は、彼に振って下さい。その方が楽しいですよ」
「お堅いなぁ」
「おかげで、盾としてご愛顧頂いております」
「いしあたまー。兜はきっと要らないんでしょうね。もう」
つまらなそうにため息を吐き。ハティは仕方なく、静かにカクテルを待つ。
「へいお待ち!」
「ラーメン屋じゃないんですから」
「ああっ、偶数じゃない! 負けた!」
「貴方一人でやってたんですか」
彼女の前に置かれたグラスに満ちているのは、鮮やかなブルー。
添えられたレモンと合わせて、爽やかな外観をしている。
「へぇー、凄く綺麗ね」
「チャイナ・ブルーつってな。度数も低めだから飲みやすいぞ」
「ヴィットーリア曰く、を忘れてますよ」
「こら、バラすな」
「ふうん。じゃ、頂きます」
グラスを手に取り、まずは一口。
「おお」
美味しかったのか、跳ねた声音。
次はレモンを軽く絞って、もう一口。
「宜しければ、レモンはこちらに」
「ありがとう。美味しいわねぇコレ」
「そう言って貰えると嬉しいね」
機嫌よくカクテルを楽しむハティを眺めながら、サヴィーノが呟く。
「彼女の異名、狼女だっけ?」
「ええ。機体名と、格闘戦主体の戦法から」
主体、とジルは言う。が、実際には格闘のみと言って差し支えないだろう。
彼女の愛機、イザングランが持つオートカービンは、常に暇を持て余している。
「なんつーか、懐っこい犬にしか見えねえんだが。どうなんだ、実際」
「OB10番台の時点で、語るまでも無いとは思いますが……巧いんです、彼女は」
「ほう?」
「一番嫌なタイミングで、一番嫌な事をする。彼女に限らず、RATのテウルゴスはそんなのばかりです」
そういうジルクリンデの表情は、余り良いモノでは無い。
騎士としての何かに触れるのか……あるいは万が一敵対した時を思う、王の盾としての職業病か。
「いいじゃねえか。戦いってのは、そういうもんだろ」
気楽な口調のまま、さっぱりと返すサヴィーノ。
幼くして奪い奪われた経験上、身に染みているのだろう。善悪是非はどうあれ、それは有効に違いないと。
「何にせよ、可愛ければ無問題よ。個人的にはもう少し色気が欲しい所だが」
「またそんな事を」
「失礼ね。Cはあるわよ」
「マーナガルム嬢」
「ほう、やるじゃねえか。悪くねえ」
「サヴィーノ」
そういう所だぞ、とジルが二人を見咎める。
「それよりミスター・サヴィーノ。二杯目が欲しいわ」
「おっと、すまねえ。どうする、違うのにするか?」
「そうねぇ……」
「申し訳ないが、2杯目はご遠慮いただきたく」
「つれねえコト言うなよ。別に誰も……うおっ、誰だお前!?」
いつの間にか、入口に何者かが立って居る。今度は男性だ。
ハティと同じくラフな格好に身を包み、ハティに比して、なんというか、地味な男。
彼の名はノーヴェ・コーダ。同じくRATのテウルゴスで、一応ハティの上官でもある。
「誰よ勝手に答えたの……げえっ! ノヴェ!?」
「これはコーダ大尉。お疲れ様です」
「15位の奴か。お迎えか?」
「そんな所です。家の犬が御迷惑を」
やれやれ、と言わんばかりに溜息を吐き、ハティに近づくノーヴェ。
「お前な。輸送隊と計画立てる通達来てたろうが。準備をしろ準備を」
「朝すればいいじゃない! それにホラ、ここのお酒美味しいし! せっかく」
「マーナガルム少尉」
「はい」
一瞬でしおらしくなるハティ。
彼女とは異なり、ノーヴェは士官学校を出た正規の将校だ。
あんまりワガママを言うと、罵倒されながらの無限腕立て地獄が待っている……彼女はそれを知っていた。
「まるでブリーダーですね」
「兄ちゃん。別にいいじゃねえか、ちょっとぐらい。お前さんも飲んで行けよ」
折角の時間を台無しにされたくないのか、ノーヴェに提案するサヴィーノ。
しかしノーヴェは、険しい表情で首を振る。
「ミスター・サヴィーノ……小官の多大なる忍耐を揺るがさないで頂きたく」
棚に置かれた酒瓶を眺める彼の目は、狩人のそれだった。
「俺だって一杯やりたいけど、将校だし小隊長なんスよ俺……あんま遅くなると積荷管理者がキレるんスよ……」
「お、おう。将校さんは大変だな」
「同情します」
「大変ねぇ。頑張って」
「お前も一応将校だろうが」
RATのテウルゴスは、出自はどうあれ強制的に少尉以上の階級に置かれる。
経緯を重視するならば、彼女は軍人かすら怪しい立場になるが……名目上は将校だ。
「そんな緩いアタマしてるから、近所のガキに馬鹿にされるんだ」
「何を言ってるの。こないだ近所の子にイヌオンナって言われた時は、流石の私も毅然とした態度で言ってやったわよ」
「わんわん、ってか」
「惜しい。ばうわう、よ」
男性陣は全員天を仰ぎ、ハティは頭上にハテナを浮かべて小首を傾げる。
ノーヴェは彼女の首根っこを掴んで、カウンターに向けて一礼した。
「パラディン・ジルクリンデ。ミスター・サヴィーノ。これにて失礼。お代は俺が」
「しゃあねえか。まいど」
「またお越しください」
「いや何でみんな呆れてるの!?」
「はーい行きますよー後で腕立て10回な」
「ウソだ! 絶対200回はやらせる気だ!」
ずるずると引きずられるハティも、ジルとサヴィーノに手を振る。
「また来るわー! 今度は可愛い後輩も連れて来るわね、ミスター!」
「期待してるぜ、嬢ちゃん」
「あっ、パラディン・ジルクリンデ! 今度アリシア社長に伝えて欲しいんだけどシュミレー」
バタン。
彼女の言葉を待つことなく、バーの扉が閉じられる。
「……どうしてこう、いつも騒がしくなるんでしょうね」
「賑やかでいいじゃねえか」
「ダンスステージの類では無いんですよ、ここ」
「葬式会場でもねえさ。固く考えなさんな、ほれ」
サヴィーノが液体の満ちたグラスを、ジルの前に滑らせて寄越す。
「一杯やろうぜ」
「仕事中ですよ」
「安心しな。兜要らずなお前の為に、ノンアルコールだ」
「ウソでしょう?」
「さあてね」
一口だけですよ、と溜息を吐いて、ジルもグラスを手に取った。
「美人の女達に」
「平穏に」
グラスを合わせて、一口。
「……ノンアルどころか麦茶じゃないですか」
「だから言ったろ。っていうか、ちょっと、止めてくれヴィット―リア。やり直すから! ジル! もう一回グラスを!」
「では、ちょっと掃除に行ってきますので。1時間程」
「鬼かお前!?」
今日も色男たちが、ゲストと共に楽しく過ごしたバー・フラテッロ。
次は一体、どんな夜になるのだろうか。
それはきっと『神々』のみぞ知るのだろう。
最終更新:2018年04月23日 01:12