小説 > 在田 > ジルサヴィの部屋 > 09

「次もまた美女が来てくれるといいんだがなぁ」
「私としては、平穏なら欲は言いませんけどね」

 汚染と策謀に満たされ、悲鳴と血潮が舞い飛ぶこの世界。
 そんな中でも、いや、そんな中だからこそ、享楽の類は未だ失われずに在る。

 例えばこの、バー『フラテッロ』もその内の一つだろう。

 幽かに漂う木の匂いを、暖かな灯りが静かに照らす。
 音響機器から流れるサックスの音色は、力強く、艶やかだ。
 棚に居並ぶ瓶の群れには、大人達の楽しみが。あるいは、未来の大人達の憧れが詰まっている。

 そんな、素敵な夜を過ごせそうな店に立つ者も、素敵であればなお良いだろう。

「今度リュミエールに連れてってくれよ。俺、本気で喜ぶから」

 慣れた手つきでグラスを磨いているバーテンダーは、サヴィーノ・サンツィオ。
 整えられた栗色の短髪。女性を惹きつけてやまない、甘い顔立と鍛えた肉体。

「あらゆる面において問題だらけです。モズマの看板と、ナンパ癖を捨ててから提案して下さい」

 もう一人。カウンターを拭いている給仕が、ジルグリンデ・アル・カトラズ。
 美貌、と言っても良い位の顔立ちはどこか女性的ですらある。
 しかしその紳士的な雰囲気と、細くも引き締まった身体が、彼にか弱い印象を与えさせない。

 2人とも20代だと紹介して、疑う者は誰も居まい。実際はさらに20年を足す必要があるのだが。

「それは出来ねえ相談だな。それと、今まさに俺の頬を殴ろうとしている右手を止めてくれ。俺、本気で喜ぶから」
「自業自得でしょう。我慢なさい」

 個性的なお客様方を迎えてきたフラテッロと色男達。

 本日のお客様は、何者が訪れるだろうか。

「なあヴィットーリア。お前が最高の女なのは疑いようの無い痛みが俺の頬骨に!」
「グラスを落とさないで下さいね?」
「俺が堕ちそうなのにも気を向けてくれねえか」

 からん、ころん。

「おっと。いらっさいませ……ん?」
「いらっしゃいませ……おや」

 外界の空気と共に入って来たのは、一人の女性。
 大きめのニットセーターとショートパンツ。その上にカーディガンを羽織っている。

「おお。思ってたよりバーって感じなのね」

 青い瞳が好奇心に釣られて廻り、癖のある金の髪が揺れる度、灯りを弾いて優しく輝く。

「一応、年齢確認するべきかね」
「その必要はありません。彼女、エンヘドゥアンナとほぼ同じです」
「知り合いか」
「遺憾ながら」

 二人が声を潜めて話していると、女性がジルの顔を見て驚いた声を上げる。

「パラディン・ジルクリンデ!? あー、こういう事だったのね」

 カーディガンの端を摘まんで片足を引き、少しだけ腰を落とす。カーテシーのつもりだろうか。

「可愛らしいお嬢さん。是非お名前を伺いたいのですが」

 準備をしながら話しかけるサヴィーノ。口説いているというよりは、予防措置らしい。

「ハティよ。ハティ・マーナガルム」

 女性は席に座りながら、そう名乗った。
 宜しくねミスター、とあどけなく微笑む姿は、確かに少女を脱した容姿ではある。
 しかしその振る舞いのせいか、あのチャイナ美女に比べて、随分と幼く見える。

「確か、RATのランク12か。珍しい所が来たもんだ」
「珍しいですか?」
「技仙やTFSに比べればな」
「そりゃーウチは船屋だものねぇ」

 RATは旧インド南方という立地から、アレクトリスにおける海軍戦力の増強を担当している。
 陸に関しては準前線な為、どうしても印象は薄くなる。

「時にマーナガルム嬢。先ほどの、こういう事というのは?」
「貴方のご主人様から聞いたの。お母様が楽しい物を見た、ってね」

 一瞬硬直するジルクリンデだったが、パラディンの盾は崩れない。
 じっと彼を眺めるハティに対し、すぐに微笑みを取り戻す。

「確かに凄く似合ってるけど、特別楽しくは無いわねぇ」
「ジル。お客様からオーダーだぞ。お召し変えしてこいよ」
「口を閉じなさい。何か飲みますか? 御作りしますよ」
「んー。私お酒は詳しくないから、おススメで。軽めのにしてね」
「はいよ。ちょっとお待ちを」

 サヴィーノがカクテルの用意を始めると、ハティがジルを見上げて言った。

「パラディン・ジルクリンデ?」
「何かご用命でも」
「勝負しましょ? 彼がカクテルを作り終えてグラスを置いた時、秒は奇数か偶数か」

 僅かに細めた彼女の眼が、爛々と輝く。
 ジルクリンデは内心ため息を吐く。
 勝負師が勝負を好むのは分かるが、少々落ち着きが無さ過ぎやしないだろうか。

「御戯れを」
「御戯れよ。いいじゃない、誰も咎めはしないわ」
「そういう事は、彼に振って下さい。その方が楽しいですよ」
「お堅いなぁ」
「おかげで、盾としてご愛顧頂いております」
「いしあたまー。兜はきっと要らないんでしょうね。もう」

 つまらなそうにため息を吐き。ハティは仕方なく、静かにカクテルを待つ。

「へいお待ち!」
「ラーメン屋じゃないんですから」
「ああっ、偶数じゃない! 負けた!」
「貴方一人でやってたんですか」

 彼女の前に置かれたグラスに満ちているのは、鮮やかなブルー。
 添えられたレモンと合わせて、爽やかな外観をしている。

「へぇー、凄く綺麗ね」
「チャイナ・ブルーつってな。度数も低めだから飲みやすいぞ」
「ヴィットーリア曰く、を忘れてますよ」
「こら、バラすな」
「ふうん。じゃ、頂きます」

 グラスを手に取り、まずは一口。

「おお」

 美味しかったのか、跳ねた声音。
 次はレモンを軽く絞って、もう一口。

「宜しければ、レモンはこちらに」
「ありがとう。美味しいわねぇコレ」
「そう言って貰えると嬉しいね」

 機嫌よくカクテルを楽しむハティを眺めながら、サヴィーノが呟く。

「彼女の異名、狼女だっけ?」
「ええ。機体名と、格闘戦主体の戦法から」

 主体、とジルは言う。が、実際には格闘のみと言って差し支えないだろう。
 彼女の愛機、イザングランが持つオートカービンは、常に暇を持て余している。

「なんつーか、懐っこい犬にしか見えねえんだが。どうなんだ、実際」
「OB10番台の時点で、語るまでも無いとは思いますが……巧いんです、彼女は」
「ほう?」
「一番嫌なタイミングで、一番嫌な事をする。彼女に限らず、RATのテウルゴスはそんなのばかりです」

 そういうジルクリンデの表情は、余り良いモノでは無い。
 騎士としての何かに触れるのか……あるいは万が一敵対した時を思う、王の盾としての職業病か。

「いいじゃねえか。戦いってのは、そういうもんだろ」

 気楽な口調のまま、さっぱりと返すサヴィーノ。
 幼くして奪い奪われた経験上、身に染みているのだろう。善悪是非はどうあれ、それは有効に違いないと。

「何にせよ、可愛ければ無問題よ。個人的にはもう少し色気が欲しい所だが」
「またそんな事を」
「失礼ね。Cはあるわよ」
「マーナガルム嬢」
「ほう、やるじゃねえか。悪くねえ」
「サヴィーノ」

 そういう所だぞ、とジルが二人を見咎める。

「それよりミスター・サヴィーノ。二杯目が欲しいわ」
「おっと、すまねえ。どうする、違うのにするか?」
「そうねぇ……」
「申し訳ないが、2杯目はご遠慮いただきたく」
「つれねえコト言うなよ。別に誰も……うおっ、誰だお前!?」

 いつの間にか、入口に何者かが立って居る。今度は男性だ。
 ハティと同じくラフな格好に身を包み、ハティに比して、なんというか、地味な男。

 彼の名はノーヴェ・コーダ。同じくRATのテウルゴスで、一応ハティの上官でもある。

「誰よ勝手に答えたの……げえっ! ノヴェ!?」 
「これはコーダ大尉。お疲れ様です」
「15位の奴か。お迎えか?」
「そんな所です。家の犬が御迷惑を」

 やれやれ、と言わんばかりに溜息を吐き、ハティに近づくノーヴェ。

「お前な。輸送隊と計画立てる通達来てたろうが。準備をしろ準備を」
「朝すればいいじゃない! それにホラ、ここのお酒美味しいし! せっかく」
「マーナガルム少尉」
「はい」

 一瞬でしおらしくなるハティ。
 彼女とは異なり、ノーヴェは士官学校を出た正規の将校だ。
 あんまりワガママを言うと、罵倒されながらの無限腕立て地獄が待っている……彼女はそれを知っていた。

「まるでブリーダーですね」
「兄ちゃん。別にいいじゃねえか、ちょっとぐらい。お前さんも飲んで行けよ」

 折角の時間を台無しにされたくないのか、ノーヴェに提案するサヴィーノ。
 しかしノーヴェは、険しい表情で首を振る。

「ミスター・サヴィーノ……小官の多大なる忍耐を揺るがさないで頂きたく」

 棚に置かれた酒瓶を眺める彼の目は、狩人のそれだった。

「俺だって一杯やりたいけど、将校だし小隊長なんスよ俺……あんま遅くなると積荷管理者(ロードマスター)がキレるんスよ……」
「お、おう。将校さんは大変だな」
「同情します」
「大変ねぇ。頑張って」
「お前も一応将校だろうが」

 RATのテウルゴスは、出自はどうあれ強制的に少尉以上の階級に置かれる。
 経緯を重視するならば、彼女は軍人かすら怪しい立場になるが……名目上は将校だ。

「そんな緩いアタマしてるから、近所のガキに馬鹿にされるんだ」
「何を言ってるの。こないだ近所の子にイヌオンナって言われた時は、流石の私も毅然とした態度で言ってやったわよ」
「わんわん、ってか」
「惜しい。ばうわう、よ」

 男性陣は全員天を仰ぎ、ハティは頭上にハテナを浮かべて小首を傾げる。
 ノーヴェは彼女の首根っこを掴んで、カウンターに向けて一礼した。

「パラディン・ジルクリンデ。ミスター・サヴィーノ。これにて失礼。お代は俺が」
「しゃあねえか。まいど」
「またお越しください」
「いや何でみんな呆れてるの!?」
「はーい行きますよー後で腕立て10回な」
「ウソだ! 絶対200回はやらせる気だ!」

 ずるずると引きずられるハティも、ジルとサヴィーノに手を振る。

「また来るわー! 今度は可愛い後輩も連れて来るわね、ミスター!」
「期待してるぜ、嬢ちゃん」
「あっ、パラディン・ジルクリンデ! 今度アリシア社長に伝えて欲しいんだけどシュミレー」

 バタン。

 彼女の言葉を待つことなく、バーの扉が閉じられる。

「……どうしてこう、いつも騒がしくなるんでしょうね」
「賑やかでいいじゃねえか」
「ダンスステージの類では無いんですよ、ここ」
「葬式会場でもねえさ。固く考えなさんな、ほれ」

 サヴィーノが液体の満ちたグラスを、ジルの前に滑らせて寄越す。

「一杯やろうぜ」
「仕事中ですよ」
「安心しな。兜要らずなお前の為に、ノンアルコールだ」
「ウソでしょう?」
「さあてね」

 一口だけですよ、と溜息を吐いて、ジルもグラスを手に取った。

「美人の女達に」
「平穏に」

 グラスを合わせて、一口。

「……ノンアルどころか麦茶じゃないですか」
「だから言ったろ。っていうか、ちょっと、止めてくれヴィット―リア。やり直すから! ジル! もう一回グラスを!」
「では、ちょっと掃除に行ってきますので。1時間程」
「鬼かお前!?」

 今日も色男たちが、ゲストと共に楽しく過ごしたバー・フラテッロ。

 次は一体、どんな夜になるのだろうか。

 それはきっと『神々』のみぞ知るのだろう。
最終更新:2018年04月23日 01:12