第1幕 ―― 雪原
すでに、どれほどの時間が経ったのかを考えることをやめていた。
「ふぁ~あ……」
情けないほどの大きな欠伸=真っ白。律儀に拾い上げたマイクが機械的に作業――通信に乗って伝播。
すかさず飛んでくるキビキビした諫言。
「仕事中だぞ」
「別に、いいじゃねぇか。どうせ暇なんだろ?」
寝起きのような気怠さを隠すつもりすらない太平楽。
イズメール・セリク。
ひょうきんを体現するように歪んだままの口元/口髭に密集した蒸れっ気を拭う/浅黒い頬を指でかく/足をコンソールへ投げ出す――さながらハンモックにぶら下がっているような安穏さ。
「だいたい二日もこれだ。どうしようもない」
「ずっとこれで終わるんじゃねえか?」
全く興味なさそうに会話に割り込んだ三人目の甲高い声。
ユーサフ・カティル。
白い肌/幼い面長の顔/太く高い鼻梁/ようやく成人になったばかりの身体/常時眠そうに垂れた目尻を殊更眠そうに擦る。
退屈しのぎがないとばかりに表示枠のメモリを一瞥――気圧:低い/気温:マイナス/酸素:薄い/高度だけ高い。
「そんなわけないだろ。向こうも仕事だ」
先程イズメールに飛んだものと類似の苦言。
サバシュ・クマール。
真っ黒な肌/重ねてきた年齢を臭わせるこけた頬/唇を引き締めつつ、分厚いパイロットスーツに顎を埋めて縮こまる。
首筋に襲い来る寒気に身を震わせつつ、モニターを確認。
雪景色――上は白んでのっぺりと伸びる灰色の空/下は陰影すら感じさせない真っ白な雪。
緩やかな東側の山/切り立った西側の山/急な斜面を作る南北の崖。
まともな装備がなければ即座に遭難確定しそうな雪山のど真ん中に、彼らはいる。
「……ま、そうなるのが理想だがな」
「違いない」
二度目となるイズメールの欠伸を聞き流す。
業務としてしっかり画面をクローズアップするサバシュ……空と地面=灰と白の隙間に、そのシルエットは見えた。
巨大な金属の構造物――図太い人間じみたシルエット。
兵器×三=サバシュの言う『向こう』。
彼らがこうして寒空の下へ放り出されなければならない理由を作り出した来訪者たち……だが会話らしい会話どころかコミュニケーションの試みも一度もなし。
「んで次の交代は……二時間後か」
何の気なしに両腕を上げて伸びをするイズメール。
述べ六時間の座りっぱなし――あまりにも身体を動かせないせいか、氷の砕けるように関節がバキバキ音を立てる。
三人共、それぞれ別の空間ながら全く共通した内観=ユーサフもサバシュも六時間の座りっぱなし。
「三交代制なだけありがたいだろ。明日もまた暇だろうがな」
サバシュが『向こう』に動きがないと確認して画面から目を離す/肩を回す=氷を砕く音。
――コクピット。一人が満足に腕を振り回せない程度の狭苦しく、画面とメモリ以外に照明のない暗い空間。
換気機能は生きているが座り続けで臀部や脇が汗で湿る。
三人がそれぞれに乗り込んでいるモノ――『向こう』と同じく機械の塊/積み重なった雪が機体の放熱に溶けきれず嵩を増していく。
〈Mg-33〉――EAAグループ/企業:SSCN/傘下シャムシュロフ設計局の主導にて製造。
小型と呼称される部類=七メートル=二階建ての一軒家とほぼ同じ大きさ。
そこまで太くない胴体や手足――軽量機――しかし前と後ろで合計四本の足/人間と同じく胴体の脇から二本の腕に抱えられたライフル。
傍から見れば冬眠に失敗したカマキリのような物悲しさ×三。
そのコクピットで冬眠したくてしょうがない男×三。
徐ろに通信装置をいじるユーサフ――眠気覚ましにしては強烈な音声の濁流がコクピットへ充満。
『我々の未来は明るい!
まだ我が社は開かれたばかりだが、この工場を欲しさに他所の企業が部隊を引き連れてきた!
これは我が
サルチャト=エルタシュ採掘工場が他でもない資産を有しており、他企業にはない価値があるからこそだ!
故にこの敵襲に怯える必要など皆無であり、同時に、その注目度をこそ……』
「消せ」「ほい」――苛立ちを垣間見せる冷たい言葉/別に反論する理由もなし。
途中で切り上げられる演説=低くも荒々しい女性の声。
ふん、と力いっぱいに鼻息を散らすサバシュ/明確すぎる怒気を伺おうと眉尻を上げるユーサフ。
「こっちの身にもなれってんだ」
「なんだ、社長が嫌いか?」
「当たり前だ。北部生まれは不作の麦より細いくせして威張り散らすことしか考えない」
北部と南部――SSCN領内に生まれる経済格差。
北部に本社を構える企業がSSCNという連合体の上層部を席巻=北部と南部でそれぞれ課せられる教育の質が明らかに違う=南部が必然的に低給料・劣悪条件・肉体労働を強いられることによる差別意識。
「そうか。俺は嫌いじゃないぜ社長。言うことがわかりやすい」
「麦ってそういや見たことねぇな」
南部生まれのサバシュへ喧嘩を売るユーサフの台詞――その気がないとわかっていながらも体温が下がるのを感じたイズメールが言葉を挟み込む。
SSCNは数十年ほど前から、政治的都合により農業を禁止されている。
それ以後に生まれたイズメールとユーサフには、農作物などほぼ無縁の存在。
「楽しいのか? 農作って」
「こんな寒いところにいるよりよっぽどマシさ」
何気ない問い掛けに、溜息混じりの郷愁を吐き出すサバシュ――農業が禁止される前の南部=農家に生まれた男。
鮮烈に甦る記憶。
広大な緑の畑/燦然と輝く陽光/爽快に駆け抜ける風/草のささめき。
政治都合で仕事を失った出稼ぎ場――今となってただの思い出。
狭苦しい空間/画面しか明かりのないコクピット/淀んで湿気の溜まった空間/動力の低い唸りが常時機体を揺さぶる。
極寒の土地に、それらしき樹木など見当たるはずもない。
「だが、まあ。これが今の仕事だからな。お前らもちゃんとやれ」
「しょうがねえ」「わかったよオッサン」
ユーサフの鷹揚な返事/少しだけ親近感の湧いたイズメールの軽口。
交代までの残り二時間……男三人は画面の奥に見える『向こう』にさえ気をつけていれば、それでいいはずだった。
「あ?」
思わず声を張り上げたユーサフ――仕事へ仕切り直したつもりのイズメールとサバシュが顔をあげる。
「どうした?」
「いや、レーダーが……」
「こんな高所でレーダーなんて……なんだ、これ」
ぼんやり疑念を垂れ流すユーサフに応じたサバシュ=同じ異変を見つけた様子の疑問符。
「……やばいな」
イズメール=三人の中で最も長く積み上げてきた経験――レーダーに表示されたアイコンを即座に判別。
――標高五千メートルを越す雪山という現在地。
東から、更に上の高度/猛スピードで接近する巨大物体。
イズメールだけではない。ユーサフも、サバシュも、感じていたものは同じだった。
それまでコクピットに充満していた呑気な湿り気でも寒さでもない――。
粘度のある悪寒が、彼らの背筋にべったりと貼りつく。
「敵襲だ! 寝ている奴等全員叩き起こせ!」
せめてもの冷静さを持っていたイズメールが社内に通信を飛ばす……それだけで精一杯だと言わんばかりに。
最終更新:2018年06月08日 05:29