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第1幕 ―― 雪空


 暗いコクピット内――待機状態=あらゆるメーターが光度を落とし辛うじて手元が見えるかどうかの幽暗。

「ったく……」

 唐突な開口=直前の舌打ちでピクリと眉を上げる隊員。

「なァーんで私らがこんなこと(・・・・・)に引っ張り出されねーといけねェんだ?」

 くちゃくちゃとガムを噛む音を隠さない粗末さ/剥き出しの火薬に似た粗暴/そのくせ自信に満ちた粗野。

 (ドン)芽衣(ヤーイー)

 鈍く切れ上がった三白眼/ガムを噛む度に細い唇から覗くギラついた八重歯/染め上げ・刈り上げた短い金髪――真っ赤な一房だけが左目を遮るように揺れる――初見して大抵の人間が距離を置きたがる危険臭。

「董、知ってどうする?」

 通信を介して飛んできた声――丸太のように図太い・重い低音。悠然ささえ感じる、感情のこもらない朴訥。

 (ハイ)(チェン)

 真っ直ぐ四角い鼻梁/飾り気なしの黒髪/純化の挙げ句に光を拒絶した黒瞳/凹んだ頬が影でより浮き彫り――すっかりコクピット内を満たす暗澹と同化=森林の深奥じみた静謐。

「知らねェよ。ンなもん」

 安々と一蹴する董――だが悪態ではなく発言に反応が返ってきたことに対する嬉々/ニヤリと釣り上がった口角に犬歯が煌めく=さながら玩具を見つけた不良少年。

「侵攻じゃねーし、強奪じゃねーし……じゃあ何の(・・)出撃だよこれ?」

「まあゆったり行こうや」

 つけ上がるような言葉の奔流を一言で堰き止める――通信に割り込んだ声=ふわふわした脱力感/大して明るくないのに柔らかさで一度時間が止まる。

 ドグジン・ホェ・サルヒ。

 酒焼けに浅黒く油っぽい肌/鷹揚にして安穏を称える目尻の笑い皺/やけに主張の激しい鷲鼻/横に大きな口――ふてぶてしい外見とは裏腹の細かな気配り……返って不気味さを際立たせる狐っぽさ。

 全身から脱力しきってシートに身を預ける……まるで旅行へ向かう空路の途中とでも言わんばかり。

 しかし乗り込んでいるのは兵器――マゲイア。

 三人共=三機全てが待機状態――一歩たりとも移動せず。

 しかし更に外側=マゲイア×三を抱え込む巨大な空間そのものが移動中。

 空を滑空する巨大な鋼鉄の塊――両翼が風を裂いて生じる莫大な揚力/でっぷり太った胴体を強引に押し上げるエンジンの唸り――〈57戦略輸送機〉=緩やかな下降コースを猛進。

 ヒマラヤ山脈――その上空を飛行中。

 下手な装甲より分厚く重苦しい灰色の雲/生身なら肌を焼かれそうなほどに凍てつく空気/風の凪いだ深閑と、音を食らって霧散させる辺り一面に溜まった白銀――大気圧が平地のほぼ半分であるにも関わらずそれ以上に重たい何かが背中にずっしり伸し掛かってくる。

 切り立った山々と崖の連なり。青黒い岩肌などほとんど見えず/どこもかしこも立体感のない白ばかりが繁茂――もはや雪原と見分けがつかないほどに白ばかり。

 SSCN領――コーリュ山脈。彼らからすれば敵地。

 しかし出迎えるべき砲声も火線も見えない――輸送機の驀進さえ飲み込まんとするような静寂が支配する山の峰。

 暖房をがっつり効かせたコクピットにぬくぬく表情を和らげるドグジン。

「なあ董よ。俺たちの仕事ってのは、何も俺たちが良い思いをする為だけにしているんじゃない。ここらへんに生きる誰かさんに安全を売ってやろうや」

「くっだらねェ」

 ゆったり諭すドグジンを一蹴――今度こそ悪態に満ちた非難=ともすればガムごと唾を吐き捨てそう――直属の上司に対しても別け隔てなく突っかかる生意気っぷり。

 特に返事もせず/顔をしかめることもなく、ぬくぬくと和らいだ表情のまま瞼を閉じるドグジン。

 密かに査定評価を最低にすることを宣誓――ともすればこの分隊こそが技仙公司の素行不良共の寄せ集めであることを思い出す。

「俺たちの仕事は与えられた仕事をしっかりこなす。それだけじゃないか。なあ懐」

「ドグジン氏、それには賛成する」

 同調も同意も賛同もまるで感じられないのっぺらぼうの声が丸太のような鈍重な太さで突き出される。

 喧嘩っ早い不良+愛想なしののっぺらぼう――ドグジンの元へ回されてきた主な理由=企業構造の上下関係などまるで歯牙にかけないとばかりの世渡り下手たち。

 仕方ないと息を一つ吐く――少しでも矯正できるような足しになればいいと思いつつ。

「お前さんたちだって思わないか? 自分は一人じゃなくて、誰かがいるから生きている。
 企業体ってのはそういうもんだ。自分の仕事もあるが、他の誰かにはそいつらの仕事がある。それをこなして企業が成立している。誰かが手を抜いたらその分だけ――」

「うっせェ」

「ドグジン氏、些か、話が長いと思う」

 ダメだこいつら――酒をかっ喰らいたくなる衝動をぐっと歯噛みに堪える。

 しかしこれから同じ仕事をすることは最早避けられない/素行不良以外は全く問題ないと聞かされていた真偽を問う上司も既に遥か遠く。

 眼を開く――ちょうど見計らったように輸送機のパイロットから飛んでくる通信。

「見えました。準備を」

「はいご苦労さん……さて仕事の時間だ。手筈は覚えているな?」

 声音を切り替える/機体の待機を解除=稼働に移行。

 瞬時に表示される画面。複数箇所に設えられたカメラが前方のほぼ全方向を網羅。各部状態と外環境が表示枠の中に陳列。

 輸送機の腹の中で、立ち上がるマゲイア×三。

 〈33式小機〉。
 無骨そのもの=飾り気なし。堅実に積み重ねられた細部=もはや兵器というより工業機械に近い趣の二足歩行形ロボット。マゲイアでは最新鋭機であるにも関わらずそんな新鮮さなど皆目見当なし=古臭さの中に真髄すら見出している質実剛健の持つ安心・安定・安泰さを体現するような機体。

 内部壁面に引っ掛けられた銃器を各々が手に取る/認証――残弾数までもが丁寧に新たな表示枠として現出。

「わかってら。まずかたっぽをとっちめりゃァいーんだろ?」

 すでに漲っている血気に興奮を抑えきれない董――眼前でマシンガンを構えては戻す所作の確認。

 三機もの巨大兵器による稼働でぐらつく輸送機――立ち上がった時と合わせて一気に上下左右が揺らぐのがわかる。

 人型兵器に乗っていれば誰もが経験する特有の酔い=腕部一つ動かすだけでブレる体幹/銃器を持てばそれだけ左右の重量バランスが崩れていくのをオートバランサーが統御。

「董、アルセナルの部隊のはずだ。
 ドグジン氏、本当に来ているのか? ここに」

 やがて、最低限の暖色照明のみだった内部に光が差し込む――ハッチの解放/表示枠の気温がぐっと低下。

 我先にと開口部へ進む董/後ろでマシンガンを小脇に抱えて準備を済ませる懐/最後尾に何をするでもなく立ち尽くすドグジン。

「まあ向こうもわざわざご足労ありがとうさんってことだ。だが、どうせ違っていてもやる仕事なんて変わらんだろ?」

「違ェねえ」

 からから笑い声を上げる董の声――彼女に溢れかえっている自身の塊が、不思議と通信を介して三人へ伝播していくのを感じる。

 輸送機のパイロットより号令――落下は手際よく、全員がまとまれるように素早く。

「さ、仕事と行こうや!」
最終更新:2018年06月08日 05:33