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幕間1.5 ―― 雪景


 改めて作戦の概要を画面上で確認――一字一句を頭に叩き込もうと画面へめり込まんばかりの距離。

 浮かぶ表情――極めて真剣そのもの/画面以外の全てが意識外に追いやられている。

「――確認は済んだか?」

「大丈夫です」

 彼にとっては唐突に、浴びせられたパイロットの声に慌てて顔を上げる。通信を介したもの――空間には彼以外の人間がいないにも関わらず貼りつけた愛想笑い。

 努めて穏やかな、低すぎない声――真っ直ぐ伸びた眉/アーモンド型の瞳/優しげに緩んだ口元/男性にしてはやや長めの髪を分け目に合わせて流す――一貫された芯を感じさせる好青年。

「実は追加の要望もあるんだ。一度戦闘に区切りがついたら即刻帰還しろ、とのことだ」

「わかりました」

 過度の争いを避けよという指示と解釈――なんて穏やかな作戦命令なんだと密かに感嘆=いつの間にか引き締められていた胸の緊張が僅かに緩むのを感じる/まさか自分が緊張しているとは思っていなかったと返って驚く。

「さて、そろそろ予定の時間だ。忘れ物は?」

「ないですよ」

「そりゃあ良かった」

 威勢の良いパイロットから肩を小突かれるように浴びせられる軽口――至って生真面目に、しかし若干の笑みを滲ませて返答=しっかり冗談とわかっていますよ、という主張のつもり。

 青年の乗る機体を腹に抱えた輸送機=既に温まりきったエンジンが一気に出力を上げる=より大きくなった振動。

 コンソールを握りしめていなければ画面へぶつかってしまいそうなほどの急加速=かと思えば次の瞬間にはふわっと体が浮かぶ――尻がシートを離れていた。

 やや乱雑な離陸――しかし悪態をつくこともせず/悪態という発想すら浮かばないとばかりに、シートへ座り直す/コンソールを握りしめる/コクピット内の画面を一瞥……まるで自分がここにいてはいけないとさえ思っているかの様相。

 気がつけば滲んでいた手汗をスーツで拭う――その手付きすら力みすぎて体を叩いているように見える。

 ますます自分が緊張しているのだと気づく=眼前にかざした両手――ぶるぶる震えているのが輸送機のエンジンか自分の緊張かさえ判別がつけられない。

 開いて/閉じて/開いて/裏返して/戻して――指の関節に錆びが回ったかのようにぎこちない動きに感じてしまう。

 乾ききった唇を舐める――意識しない内に顎に力を籠めすぎて少しばかり痛くなっているのを思い出す。

 エンジン燃焼の低い轟き/空を切りぐんぐん高度を上げるせいで耳の奥で膜が張ったように音がぼやける――返って自分の鼻孔を通り抜ける空気の音が頭蓋に反響=自分の首筋を駆け上る脈流が鼓動の音すら運んでいそうなほどに、心臓の脈動が頭に満ちていく。

 何かを思う余裕なし/何かを考える余剰なし――早鐘を打つ自分の鼓動だけが体を駆け巡っていく感覚に浸る……人間であれば誰でも当然であるはずのことを今更ながらに実感。

 出撃=別に今回が初めてというわけではない――だが何度やっても慣れない違和感が喉奥につっかえる。

「……せめて、上手く行ってくれよ」

 何気ない言葉/意識すらしていないでぽろりと漏れ出た声――それすら自分自身に聞こえていないことで更に気づけず。

 だが、コクピット内にいるのは彼のみではない。
 レメゲトンという、この機体のOSにして疑似人格なるデータの集合体。

 パイロット=テウルゴスとのコミュニケーションすらするはずのそれは、彼の一部始終を観測しておきながら、一度の発言すらない。

 ただ、彼を観察し、見定める……その目的に徹していると言わんばかりに。

 一機のテウルギアを抱えた輸送機が、空を飛んでいく……遠く南西、ヒマラヤ山脈へと。
最終更新:2018年06月24日 08:52