町外れの、とある場所だった。
なだらかな傾斜を持った草原。青々と茂った雑草たち……そのいたる所がめくれあがり、赤茶色の柔らかな大地を露出させている。
隣にはいたる木々がへし折られた林があった。
針葉樹林だろうか、細く真っ直ぐ伸びる幹たちの深く暗い緑色が、陽々と差しこむ日差しを反射しない……暗い林。
それぞれ、本隊から離れたテウルギア……十数メートルともなる機械の巨人が、そこに対峙していた。
片方……グリエルモ・テルは既に、既に装甲のあらゆる箇所が凹み、あるいはひしゃげ、欠落すらしていた。
兵器としての趣を隠しもしない無骨なフォルム。抱え持っていたライフルをもう片方へ差し向け……しかし静止している。
「ジル……グリンデ……」
そのテウルギアに乗り込む男――サヴィーノ・サンツィオが、噛みしめるようにその名前を口にする。
一つ一つの発音を、味わうように、それでいながら思いを巡らせるように。
他方……ミラージュナイトは兵器らしからぬ曲線美を称えたフォルムで、さながら中世の騎士たちのように巨大な馬上槍と縦を構えている。
ライフルを向けられたミラージュナイトを駆る男も、サヴィーノの言葉を耳に入れていた。
ジルグリンデ・アル・カトラズ――それがサヴィーノからライフルを向けられた男の名前だ。
「この声は……」
思わず、男はマイクが拾い上げた声に驚愕する……一瞬に呼吸が止まりそうなほどに。
方やEAAグループ……モズマ統治体に属する職業軍人。
方やアレクトリスグループ……リュミエール・クロノワールに籍を置く近衛騎士。
人型兵器:テウルギアを駆るテウルゴスであることが共通していた二人が、お互いの出撃中に……戦場にて相見えることなど、何ら不思議ではないことだ。
……ただ一つ、二人がすでに腐れ縁と呼べるほどの交友を深めていなければ。
出会いは、完全中立洋上都市アヴァロンだった。
かなりの長距離にも関わらず、幾度となくサヴィーノは足を運び、そしてジルグリンデは奇遇にもその場に居合わせて……お互いの気心など考えるまでもなく、ただ無意味とも思われる遊びを繰り返してきた。
たかがそれだけの間柄に過ぎず、同時に、それができるほどの親友でもあった。
人型巨大兵器:テウルギア――搭乗するテウルゴスを守るべく堅牢な装甲に囲まれ、そして同軍でやり取りする通信など、傍受や探知でもなければ、それぞれ外部の人間に聞き取れるはずもない。
本来なら、お互いを知らぬ間に刃と銃弾を交わしていただろう。あるいは戦地ゆえに、どちらかが命を落とし、こんな場所での再会など叶わなかっただろう。
だが二人は出会ってしまった。
敵同士として。お互いの作戦故に、殲滅しなければならない対象として。
「まさか、お前は」
「いやまさかな。一ヶ月ぶりぐらいか?」
絞り出すようにスピーカーから問いかけるジルグリンデ。
対して今までと変わらない語調で語りかけるサヴィーノ。
ライフルを構え直し、照準を整えるグリエルモ・テル……しかし足取りは距離を置こうと後退を始める。
「どうやら仕事みたいだな。悪いが、俺も仕事なんだ……というか、何だ。乗っていたのか、テウルギア」
「サヴィーノ……お前もテウルゴスだったなら、オラクルボードを知らないわけではないだろう?」
飄々と揺らがないサヴィーノの語調に、ジルグリンデは苛立ちすら募らせていく。
二人の腐れ縁はすでに、年という単位になろうか。
オラクルボード……ポエイシスネットワークに掲げられた名立たるテウルゴスの一覧に、ジルグリンデは顔すら収められている。
敵対組織の、それも同じくテウルゴスという境遇ならば、すでに彼の名前を知らない者などいないとすら、思っていた。
「興味ねぇからな。でも、そんな大層なやつだったのかお前」
……それを知らないテウルゴスと、あろうことか長らく遊休を共にしていたという事実に、それを気づけなかった自分自身に、同じくそれを知らないまま関係を続けてきたサヴィーノに、そしてそれを許しきっていたお互いに対して、恨みを隠せない。
出会いも遊興も友好も、どちらかが切り上げてしまえば、こんなところでつまらない葛藤に頭を悩ませることなどなかったはずだ。
「そりゃ強いわけだ。見てみろこのボロボロ具合」
まるで子供が喧嘩で出来た傷を自慢するように、グリエルモ・テルが肩をすくめる。
柔軟にして人間的な精緻さで組み上げられた関節機巧を持つが故の芸当……だがその人間らしささえも、中にいるサヴィーノの動きが視界に重なってしまう。
「このまま戦っていれば、私はお前を倒しきれるでしょう」
「だろうな。ランキング相手じゃどうしようもねぇよ」
運命的と称すればさぞロマンティックだろう。
だがそこまで装飾しきれるほど綺麗なことではない。
本来ならば敵対する者同士だった。それだけだ。それ以上などありえてはならない。
それは宿命だ。
「投降してくださいサヴィーノ。条約と人権保護に基づき、命の保障はできます」
「断るね。まだやることがあるんだ。故郷は裏切れねぇ」
「サヴィーノ!」
グリエルモ・テルのライフルが吼えた。
金属の装甲を屠ろうと迫り来る弾を、ミラージュナイトが傾斜をつけて構えた盾に受け流す。
ミラージュナイトの馬上槍が、その円錐から咆哮を轟かせる。
瞬く間にグリエルモ・テルを火花が飛び散る。装甲がひしゃげて、関節機巧を穿ち、ライフルがバラバラに砕け散る。
衝撃に揺らめいたグリエルモ・テルが――サヴィーノが、崩したバランスと倒れかかる機体を持ち直し、またも直立する。
武器を失ったはずのテウルギアが、それでもミラージュナイトに――ジルグリンデに立ちはだかる。
それは職業軍人としてのサヴィーノの誇りでもあった。
限界まで、戦うという仕事に従事し続ける。逃げ出すのは次の仕事のために今の仕事を放棄することだ。だが仕事を放棄した存在に任される仕事など多寡が知れている。
ゆえに逃げ出すのは、それしか選択肢がなくなってからでしか、ありえてはいけない。
だがサヴィーノに逃げるつもりなどなかった。
これは戦いだ。命の奪い合いだ。加えて自らより強大な敵を相手に、背中を向けて逃げ出すタイミングなど、始めから残されていない。
「ジル、俺を殺すか?」
「……」
あまりにも軽率に投げかけられた声言――だがあまりにも重すぎる詩意。
このままテウルギア同士の戦闘を続ければ、ジルグリンデもサヴィーノも、語った通りのことができる。
ジルグリンデは戦果の一つを積み上げられるだろう……一人の男と、いくつもの思い出を引き換えに。
答えられるはずが、なかった。
「ま。楽しむだけ楽しんださ。今までな。お前いっつも息苦しそうにしやがってよ……だから遊んだんだ。たまには息抜きしろよ?」
どこまでも気軽で、酒の席の時みたいな気軽さの吐露……自らの命が危機に瀕しておきながら気軽でいられる理由など、そう多くはない。
――諦念。すでにサヴィーノは、生きることを諦めている。
「しょうがねぇだろ? お互いにそういう仕事なんだよ。気にすんな。こんなこともあるさ」
「……」――やめろ。喋るな。黙れ。
罵詈雑言を吐きかけて、しかし踏みとどまる。ジルグリンデの脳裏に浮かぶ情景が――悠然と語るサヴィーノの言葉に、彼の表情が垣間見える。
この状況においても、サヴィーノはいつもと全く同じように……今まで出会って、遊んできた時と同じように、楽しそうに笑っているのだろう。
まざまざと想像できてしまう自分が、むしろ憎らしい。
一向に口を開かないジルグリンデを見かねてか、サヴィーノは鼻で息を吐く。
……その優しさが、甘えを生んでいるんだと説教することはサヴィーノの役目ではない。
むしろその境遇へジルグリンデを導いて、奥歯を痛いほど噛み締めているジルグリンデの表情すらはっきり見えるほどにわかっているサヴィーノは、むしろ今まで、恨まれるべきことをしていたのだから。
ジルグリンデにも仕事がある。敵をやっつけろという意味合いの仕事が。
だから敵を前に、ずっと悠長に棒立ちしている暇などないはずだ。
「むしろ俺は、最後がお前だったってのが嬉しいぜ。
知らない奴に、こんな知らねぇ場所でってのより、よっぽどな」
恥ずかしさにむず痒くなる鼻の頭を指で撫でて、サヴィーノは誤魔化すように笑う。
思いを言葉にできる時など、もう残されていない……そう思っていた。
「……すぐに、その機体から降りてください」
この期に及んでまだ投降を望んでいるのか――そう唾棄しかけた瞬間に、耳をつんざくようなアラートが鳴り響き、衝撃に機体が揺れた。
刹那の肉薄と、その勢いを殺さぬままに肩を打ち貫かれたと気づくまで、そう時間は必要ない。
「おい! お前も仕事ならきっちり……!」
履きかけた罵倒は、しかし告げられないまま次の衝撃に舌を噛み切りそうになる。
グリエルモ・テルの脚部が砕け散り、サヴィーノを抱きかかえた胴体が地面に転げ落ちたのだ。
機体の各部が衝撃に軋みをあげ、視界をアラートの真っ赤な光が埋め尽くす。
その中で――画面の向こうに、槍を突き落とそうと構えたミラージュナイトが映っていた。
『もう黙ってらんない! サヴィーノ!』
女性の声が飛び込んできたかと思えば、今度は外の陽光がコクピットに満ちていた。
土煙がコクピット内に侵入し、咽てしまう。
レメゲトン――ヴィットーリアが、コクピットハッチを開いた。
眼前には大地。めくれ上がって露出した赤茶色の地面が広がっている。
すでに装甲の間をすり抜けてくぐもった声ではない、スピーカーを通した音声が辺りに拡散される。
「……早く! こちらの仲間が来る前に!」
そう言っている間にも、ジルグリンデはグリエルモ・テルの胴体をひき潰すことが可能だろう。
今までの戦いでもそうしてきたように、他の奴らと同じように……サヴィーノの仲間にもそうしてきたように。
たかが敵の一人に下らない私情を挟むなど、戦士としてまともではない。
それが次なる復讐を生むかもしれないことだって、ジルグリンデならわかりきっているはずだ。
しかしそれを……主を守るべき近衛騎士としての矜持すら捻じ曲げる覚悟を決めたのだ。
……あまりの馬鹿馬鹿しさに、思わず笑いがこみ上げてしまう。
「ヴィットーリア。俺の腕に入れるか?」
『いつもしているじゃない! 今更心配なんてしないでよ』
本当なら右腕の義手に顎を殴り飛ばされているだろう語気の強さに、今度こそサヴィーノは笑いを隠しきれなかった。
「まさか俺が、こんなに思われているなんて思ってなかったよ。
……じゃあよろしくヴィットーリア!」
言うが早いか、サヴィーノはコクピットから飛び出た。
柔らかな大地が、彼を迎え入れる。パイロットスーツのあちこちに土が付着して、口内に土の酸っぱい味が広がる。
それでも構わず駆け抜ける……大地を蹴り、視界に移った林へと。
筋肉に固められた肉体が、大気をかき分けて速度を上げる。
一際大きな灼熱と衝撃が背中を叩く。危うく吹き飛ばされそうになる爆轟にも構わず、サヴィーノは後ろを振り返る。
改めて、騎士の姿を象った巨人を見上げる――その奥にいるだろう、一人の馬鹿な騎士を見通す。
いつもの別れ際と同じように、サヴィーノは額に二本の指を当ててからスナップさせる。小首を傾げてウィンクを飛ばす。
「そんじゃあな! じゃあまた来月あたりだ。次は全部奢ってやるよ!」
張り上げた声に、返事など来ない。
いつもの別れ際と、同じだ。
姿が少し変わった程度で、実情はなんら変わらない。
表情の見えないミラージュナイトの鉄面皮が――ジルグリンデが、無言で踵を返す。
その背中を確認するよりも前に、サヴィーノはまた走り始める。
同じく、大地を揺るがすほどの衝撃で、ミラージュナイトは戦場へ駆け出した。
……それはいつもと同じような別れ際だ。
いつ落ち合うとも、何をするとも決めていない。
だがふらりと二人は再会できる……不可思議な縁が、そこにあるのは確かだ。
最終更新:2018年05月20日 11:41