クリストファー・ダイナミクス・グループの領地、遥か北欧のフィンランドに、大きなビルディングがあった。
財団法人パラディソ。大規模金融業を行なっているこの企業は、CDの資金力を支える柱の一つだ。
この日、そんなパラディソの中で、大きな動きが起ころうとしていた。
軽やかなリズムで靴音を鳴らす男が一人。彫りの深い整った顔立ち、紳士的な佇まいも見せる男。
パラディソ財団の代表、エラン・パラディソである。
エランは一つの瓶と一つの箱を持って、ある場所へ赴いていた。
「あ、エランさん!」
道中の職員が声をかけてくる。
「やあ、インフィニート開発部員の人かい?」
「は、はい!」
「新発売のミルク味はなかなかだったよ。今後は健康被害のリスクを減らす方向にシフトして行くといいんじゃないかい?」
「ありがとうございます!頑張っていきます」
握手もそこそこに、エランは立ち去る。再び目的地へと向かうエラン。
そんな彼の後ろから、禿げ上がった中年男性が駆け寄ってくる。
「エランさん!」
「安心したまえ開発主任、大きな広告になりそうなイベントは考えているさ」
「で、では!」
「うまくいったら、の話だがね?まあ僕に任せてくれ。悪いようにはしない」
「お、御願い致します〜!」
中年男は駆け足で元来た道を戻って行った。
再び目的地に向け、歩き出すエラン。すると、おしゃべりをしている若い女性社員のグループが見えた。
「やあやあ事務職員の皆、元気してる?」
今度はエランから声をかける。
「あ、エランさん」
「こんにちは〜」
「エランさん、こんにちは」
「いや、いつ見ても事務局員は美人揃いだ!この後呑みに行かない?僕が奢るよ!美味しいシャンパンも用意するしさ」
「そんな事言って、遊び呆けてると財務局長に怒られちゃいますよ」
「もういい歳なんだから結婚して身を固めたらどうです?」
「そうそう!跡継ぎ問題も解決ですよ」
「あ、ハハハ…そうだね、うん…」
会話を区切って、エランは名残惜しそうに美女職員と別れた。そして、目的地へとまっすぐ向かって行く。
ノックを三回。
「やあ、テル。調子はどうだい?」
ドアを開く。目に飛び込んで来たのは、無駄な装飾が極力減らされた、一種機能美すら感じられる執務室。
執拗なほどに整理整頓されたデスク。意外にも出されている書類が少ないのは、この部屋にいる人間が完璧に覚えているからだろう。
そしてそんな部屋の主人は、デスクでパソコンと向き合っていた。
「仕事中の同僚の部屋に酒を持ち込むとは、君にはほとほと呆れる」
テルミドール・オートマトン。
財団法人パラディソの財務局長…というのは表向きの顔。その実態はパラディソの大局を裏で操る『頭脳』だ。
だが、エランとテルミドールは互いに承知しているし、その上で協力関係を築いている。
この二人は、共にパラディソのために働く、いわば同志だ。最もそれはエランの視点での話で、テルミドールがどう思っているのかは定かではない。
「そう堅い事を言うなよ。呑むかい?」
「仕事中だ。それに、飲むなら一人で飲む」
エランは残念そうに肩をすくめると、部屋の中央にある来客用のソファに腰掛けた。もっとも、来客が極端に少ないこの部屋では、ほぼ彼専用となっているが。
コルクを開けてシャンパンをコップに注ぐエラン。
「親父が死んだ日を思い出すな。あの日もシャンパンを開けた」
「要件はなんだ?」
「相変わらず風情がないな、テル?」
「人の仕事中に押しかけて酒を飲み始める男には言われたくないな」
一杯目を飲み干すエラン。彼が部屋に入っても、テルミドールは一切仕事の手を止めない。黙々と、機械的に。
テルミドールはまるで機械そのものだ。人間とは思えない冷徹さ、徹底された理論武装、そして身に纏う圧力。機械人形という異名も理解できる。
エランとは真逆の方向性の『才ある人間』だ。
冷たく見えるが、エランはそこも彼の魅力だと考えている。その揺るがぬ精神性は、確かなものとして頼りになるのだ。
周りに同化してフラフラする人間よりかは、遥かに信頼できる。エランはそう考えている。
だがそれは融通の利かなさに繋がっているので、困りどころでもあるのだが、それは仕方ない。人間誰でも欠点はあるものだ。
エランはコップから口を離して、口を開いた。
「パラディソのテウルギアのクオリティを確認したい。ロマニアとアルセナルと一緒に軍事演習をしようと…」
「言いたい事は分かるが如何せん荷が勝ちすぎてないか。我々の機体の性能が分からない訳でもないだろう、もう少し相手を選ぶなりしてはどうだね」
食い気味の即答。
だがここで食い下がらぬようでは、パラディソ財団代表は務まらない。エランはただの傀儡ではないのだ。
「まあ聞いてほしい。軍需系の多いCDの他社との歩調を合わせるにはこれが一番早い。それに、我々のような非工業系企業でもテウルギアを開発できると言うのは…他グループへの牽制にもなる」
「やけに言葉を濁すな。何が言いたい」
「政治アピールだよ、テル。このイベントは政治的に様々な効果をもたらしてくれる。聡明な君なら、それがどんな利益をもたらすかわかるだろう?」
ここに至って、ようやくテルミドールがパソコンから顔を上げた。非情なまでに落ち着いた雰囲気からくる、重々しいプレッシャー。相手を値踏みするような視線は、見られている者を竦みあがらせる。
だがエランはそう言う手合いには慣れていた。この程度を恐れるパラディソ家正当後継者ではない。
「ふむ…なるほど。君が言いたいことは分かった。…確かに、荷が勝ちすぎているということは、裏を返せば成功時のリターンも大きいのは、私とて認識している。それに、一々社員を怯えさせる馬鹿を懸念させる事も無いな…そうだろう、メモラビリス?」
「ハハハ…これは耳に痛いな。これを機にテウルゴスを引退してもいいかもな。」
「今すぐに辞めてほしいところだが」
「なにはともあれ、承諾を得られて嬉しいよ、テル。アルセナルとロマニアの両CEOも是非やりたいと仰っていたからね」
今度はエランが食い気味に言った。
アルセナルとロマニアの社長がやりたいと言った。というのはつまり、ここで言い出しっぺであるパラディソが抜けるのは政治的立場を悪くする愚策でしかない。
事後承諾の形だ。
エラン・パラディソはハナからテルミドールに断らせる気は無かったのである。
「…なるほど?君には褒美を考えてやらねばなるまい。あの二社を相手に我々との軍事演習を取り付けてくるその交渉術にな。…で、どのような演習にするつもりかね?」
「いやあ済まない、それはこれから決めるんだ。両CEOと綿密に話し合ってね。君もどうだい?美人二人とデート…というには少々物苦しいけどね」
「…いや、私には私の仕事がある。遠慮しておこう」
「それに、褒美なんていらないよ。君と僕の仲だろう?」
エランはもう一度シャンパンを口に含んだ。長ゼリフを延々と喋ったせいで口が渇いたのである。
「ああそうそう、今の段階で君にも頼みたいことがあるんだ」
「…何かね」
「このイベントでは来客も来る予定で、食事とその材料がいるんだ。LSSから輸入するのが今のところベストだと考えているんだが、残念ながら僕にはLSSへのアクセス権がない」
「私に食材の仕入れをしろと?」
「手間をかけて済まないね」
「…いや、褒美は用意する。君にはそれを受け取る権利と義務がある。それはともかく、食糧については考慮しておこう。それと、こちらからSVIに今回の演習への参加要請をしておく。輸送の点でも彼らのコンテナは優秀だが、回避機動のデモンストレーションにも一役買ってくれるだろう」
「そうかい?何から何まで済まないね、それじゃあ今日はこれで失礼するよ」
シャンパンのコルクを閉め、エランはソファから立ち上がった。
「ああ。そうだ」
ドアの前で振り返ると、持って来た箱をソファに置く。
「それは?」
「シャンパンさ。クロノワール家も認めたブランドのね。いつも世話になっている礼とでも思ってほしい」
今度こそエランはドアを開けた。
「君にも休息は必要さ、ゆっくり味わうといい」
財務局長室に、再び静寂が戻った。
「さぁ〜て!忙しくなるぞ!ハハハ」
エランは、スキップしながら本社を後にした。テルミドールに負けず劣らず、彼にも仕事があるのだ。
紳士的でありながら型破り、優男に見えて冷静沈着、会話力や身体能力、その他どれをとっても非の打ち所のない快男児。
人は彼をこう呼んだ。噂のエラン・パラディソと。
最終更新:2018年05月27日 16:06