小説 > ソル・ルナ > 夜天月下狂想曲 > 3

アリシアの直筆サインを加工班へと預け、リュドミラは彼女の愛車で屋敷へと向かう途中だった。
窓の外に目をやれば、流れていく…否、置き去りにされていく景色は目まぐるしくその姿を変え、さながらアトラクションの如き華やかさと賑やかさを惜しげもなく見せびらかす。

「あははははは!!やっぱりモヤッとした時はこれに限るわねー!」
「これは自己ベスト更新出来るんじゃない?」

惜しむらくは、それをじっくりと眺めるには余りにもスピードが出過ぎていたという所か。
これはこれで新鮮な煌めきではあるのだが、如何せんリュドミラはまだ常識人なので外の景色どころではなかったのだった。

「いや待ってちょっと待って、どう考えても公道で出していい速度じゃないですよねぇぇぇぇぇぇ!!!?」
「何言ってるのよ、お母様はもっと速いわ」
「絶対おかしいですよねそれ!?」
「気にしても仕方ないですわ、ここはそういう道路ですもの」
「そもそもなんで当たり前に公道タイムアタックが始まるんですかぁぁぁぁぁぁ!!!」
「厳密には単に好き勝手走っていいだけで御座います」

リュドミラの叫びある意味当然のものなのだが、如何せんここは栄華極めしリュミエール。
当然、アリシアに対する常識的なツッコミが届くはずもなく、隣に座るユカリとツバキに冷静な返しを食らう。
…彼女がクロノワール家の屋敷に向かっているのは何ら間違ってはいない。
ただその道のりに当たり前の様に速度無制限の超高速道路が存在していて、そして当たり前の様にアリシアがそこを愛車で飛ばしているというだけの話である。
その愛車もまた専用の極端なチューニングが施されたもので、ベースとなった車もかつて国家のあった時代に存在した蓮の名を冠した企業の作品を再現したものという筋金入りっぷり。
余談だが、彼女はそれとは別に旧日本の企業が生み出した「淑女」も持っており、その時の気分で選んでいたりする。

「はーい、叫んでもいいけど舌噛んじゃうわよー!」
「あら、今日は調子良さそうね?」
「そりゃあ丁度吹っ飛ばしたいストレスがあるしね?あ、揺れても気にしないでね」
「えっちょっ…嘘でしょぉぉぉぉぉぉ!!?」

何の疑問も無しに会話をするアリシアとユカリの姿を見て驚愕しながら叫ぶリュドミラの目の前には見事な街並みの中を走る道路が続き、その先には正気を疑う角度の連続カーブが続いていた。
勿論、アリシアが減速などするはずも無い。
刹那、一瞬だけGが軽くなったと思えば直後に強烈な横Gが掛かる。あのままの速度で突っ込んでドリフトしたのだ。

「いぃぃぃぃぃ…─わぷっ!?」

シートベルトこそしているとはいえ、流石にこれほどのものともなれば多少は勢いよく揺れるというもの。
ましてや体の小さいリュドミラともなればなおのこと。
次の瞬間には視界が暗くなり、暖かく柔らかな感触と心地よい香りに包まれていた。

「ん、む…?」
「…えーと…リュドミラ様…?」
「…!?あ、いやこれは事故で…むぐぅっ!?」
「あらあら…」

突然の事態に思わずツバキは困惑した様子を見せ、状況を理解したリュドミラは慌てて飛び退き、酷く狼狽して弁明しようとするも次の瞬間には反対にGが掛かってまたしても同じような感触に包まれる。今度は見事にユカリに飛び込む形になってしまった。
勿論、アリシアがお構い無しにカッ飛ばしたので到着まで同じ目に遭い続けたのは言うまでもない。

第三話 月は淫らな夜の女王


「ふぅー、僅かながらタイム更新したわ。にしても、お母様はまだ遠いわねぇ…」
「アレは多分レイチェル様がおかしいのよアリシア」

車を停めたアリシアが伸びをしながら出てくる。それに続くようにディーヴァがフォローしつつ車を降り、ユカリ達が後に続く。
リュドミラはと言えば、死んだ魚の様に虚ろな目でとぼとぼ歩いていた。

「神様なんていない…居たら私もあんなないすばでーになってる…」

美しき街並みに何とも似合わぬ呪詛を吐き出しつつ、後を追うように屋敷へと歩く。
アリシアがドアへ向かって歩いて行けば、その場に居た黒服の男が重そうな扉を開き、中にいたメイド達が主とその客人を中へと案内していく。

「あ、貴方はこっち」
「あ、はい」

応接間か客人用の部屋に連れて行かれると思ったリュドミラだが、アリシアに手招きされてついて行く。

「彼女達は専用の部屋を持ってるからそこで着替えなりするの。普段なら客人はそれ用の部屋に連れていくんだけども…まぁ、貴方は着替えを持っててそれに着替えた訳だし、わざわざそこに連れて行く必要もないからね」

辿り着いた彼女の自室、扉の前のメイドがドアを開き、そのまま部屋へと入っていく。

「ああ、なるほど。何されるのかと」

リュドミラもメイドに促されて部屋へと入る。案内したメイドは優雅に礼をした後、紅茶と菓子を用意すると告げて部屋を去る。

「あら、そういう趣味?別に構いやしないけども」
「ふぇ!?そ、そそそんなお姉様と…恥ずかしいですよぅ…」
「随分と初心なものね」
「はっ…!?い、いやこれでも私は淑女としてですね!?」
「私知ってるわよ、YESロリータGOタッチの精神の人しか言い寄って来てないの」
「そうなんですよぅ…って、なんでそんなこと知ってるんですかぁー!!?」
「あら、コラ社広報が思っきり書いてるじゃない」
「…何時か処します…」

コロコロコロコロ表情が変わるリュドミラにを見てアリシアは愉悦を覚える。

「…ま、貴方に拒否権はないけども」
「…へ?」

ベッドに腰掛けながら艶やかに微笑むアリシアを見て間の抜けた声をあげる。

「とりあえず…被写体になってもらうわ?」
「な、なんのです…?」
「交渉材料」
「え、ちょ、それどういう…」
「大丈夫、着替えは任せなさい」
「待ってまだ心の準備が、あっ─」

…ここから先はとても見せられたものではないので各自でご想像頂きたい。
とりあえず、アリシアの手によってリュドミラは様々なコスプレをさせられ…コラ社の社員が総出で買い取りそうな立派な写真集が作れるレベルの撮影会の後、ユカリ達が訪れた頃には何か変な物でも飲ませたのかという程に蕩けた状態になっていた。

「…えーと、アリシア?これはどういう…」

困惑した様子でユカリが尋ねる。

「手は出してないわよ」
「本当に?」
「ええ」
「あぁ…ふぁ、アリシアお姉様ぁ…いけませんよぅ…」
「…本当よね?」
「…本当よ?」

色々と誤解されかねない声を出して椅子に座っているリュドミラを見て、念押しとばかりにもう一度問い掛ける。
これでも平然と答えるあたり、一応本当に手は出していないのだろう。
そもそもアリシアに幼女を貪る趣味がないのはリュドミラ以外全員が知ってはいる。
それはそれでどうなのだろうかという気もするのだが、流石のユカリも気にしてはいけないと黙殺を決めた。

「そんなことより、連絡は出来てる?」
「ええ、出来てるけど…本気?」
「ええ、本気よ」

リュドミラに聞かれないように小声かつ心配そうに問い掛けるユカリに、同じく小声ながらも強気に返すアリシア。

「流石の私も少し心配になるわ」
「まぁまぁ、そこは私に任せなさいって。こういうのは意表を突いてナンボよ。ユカリは少し心配性過ぎるわ。まぁ、だからこそ跡を継げたんでしょうし、それに私も助けられているんだけどね」
「ユカリ様、あまり言っても意味はないでしょう。アリシアのお転婆は今に始まった事ではないのですし、ね」

ある種楽観的過ぎる答えに、更に不安を募らせるユカリだが、それをディーヴァが半ば諦めたように諌める。

「ディーヴァまで…気を付けてね?貴方に何かあれば、それこそ思うつぼだもの」
「分かってるわ。ま、多少はリスキーな方がリターンも大きいってね」

ユカリの不安ももっともであろう。
彼女はリュミエール及びクロノワール家の記録者であり、それ故に両者に対する情は人一倍深く、それを貶された彼女は正しく怒髪天の有様となる。
「軽率な言葉」を吐いた諜報員の尋問を引き受け、特に傷もないのに怯えた目で洗いざらい話す程にさせた事もあれば、見窄らしいマスクの男が傲慢にも彼女を指名して服を売り付けようとし、やはり無礼な言葉を吐いたと聞いた際には指名手配を真剣に考慮したこともあった(アリシアが"あの様な醜い男を追うよりやるべきことがある"と宥めて収めたが)。

ある意味で、彼女にとって、リュミエールとクロノワール家は最早我が子も同然の存在とも言える。
彼女の書き記す記録は、一つの成長日記でもあるのだ。

「じゃ、そういう事で。ツバキ、着替えさせてあげて」

会話を終え、リュドミラを小動物よろしくつついて弄ぶツバキに指示を出す。

「かしこまりました。リュドミラ様、失礼致しますね」
「えへへ〜…へぁ?」

声を掛けられて目が覚めたと思えば、リュドミラの服装は元のものに戻されていた。

「…はっ!?」

自分の身に起きたことを理解し、思わず体を隠して奇声を発してしまう。

「…クロノワールメイド秘技の一つ、"二度寝の朝の早着替え+"(クイックタイム・キャストオフエクストラ)でございます」
「…いやいやいやいや何それおかしくないですか何コンマ単位で着替えさせてるんですか」
「本当に凄いわよねー、あっという間に入れ替わってるもん」
「いやおかしいですって漫画じゃあるまいし」

当たり前の様に語るツバキとアリシアにすかさずツッコミを入れる。
これを突っ込まずして何を突っ込むというのか。

「クロノワールメイド秘技は108式まであります。私どもクロノワール家専属メイドは皆これを習得しておりますよ。必修科目です」
「えぇ…」

今明かされる衝撃の真実。前々からリュミエールおかしいと思ってはいたが本当におかしいとリュドミラは実感する。
何が、という点について考え出すと怪しい電波を受信してしまいそうなので触れないでおくが。

「というかこれ、セクハラになりません?」
「大丈夫です、リュドミラ様のサイズは既に公表されてますので。とはいえ、あまりにも慎ましやかなので調達には困りましたが」
「絶対に許さない。絶対にだ」

血の涙を流しそうな程の憤怒の表情を隠さないリュドミラ。
レディとしてどうなのだろうかと思わないでもないアリシア達であったが、彼女の憎悪を理解出来る訳でもないので触れないでおいた。

「…で、それはそれとして、何が始まるんです?」
「ショータイムよ」

いつの間にか着替えたアリシアに問えば、ノータイムで彼女が答える。
それこそが、リュミエールはおろか世界史上類を見ない大問題の馬鹿騒ぎの始まりを告げる合図であった。
最終更新:2018年06月13日 01:07