小説 > 在田 > 雪豹が棲む銀嶺 > 65

幕間6.5 ―― 黒陽


 頭まで上り詰め/煮沸かしていた激情の波=その名前を見つけると同時に、一瞬にして雪のような静けさを伴って腹の底に沈殿……先程まで繰り広げていた戦闘=まだ残されている敵を打倒せんと揺らがなかったはずの決意。

 それら全てが、画面に表示された一人の名前によって凍結/フェオドラを凍りつかせる。

 ジノーヴィ・ウラジーミロヴィチ・シャムシュロフ――紛れもない、父親の名前

『通話を拒否するか?』=鈍重な声=そのくせ戸惑いを隠せていないソロヴィヨフ。

「黙れ」=短く切り詰めた返答――それ以外の言葉を思いつけないとばかりに余裕のかき消えたフェオドラ。

 伸ばされた指=寒さに凍えるかの如く震える=コクピット内に感じるはずのない外気に曝け出されたような、恐怖。

 見えない壁に阻まれているかの如く前に進まないままだった指がやっとディスプレイ=通話ボタンへ触れる。

「……失礼ですが父上、今は戦闘中で」――挨拶など全てを省略/一方的に早口で捲し立てる=ただ通話を終わらせる一点のため。

『余計な言葉は要らん。事情は知っている』フェオドラの声・意思・目的――全てをたった一言に封殺。ソロヴィヨフの上辺だけの低い声ではない――冷厳・厳酷・冷酷を凝縮/体現……何者をも寄せつけぬ尊大にして不動/会話するだけで肺を踏み潰されんばかりの荘厳・壮大な威圧感から、逃げられない。

『だが、まだ戦闘中なのか(・・・・・・・・)

 まだ――頬を冷や汗が伝う/言葉の裏が垣間見える……戦闘を終わらせない/余計なコストばかり支払う/勝利という結果を手早く作り出せない――愚鈍な無能だと、言外にフェオドラを押し潰し始める。

フロント・オブ・ジャスティスの連中が、お前たちの享楽(・・・・・・・)を嗅ぎつけた』

「なら、奴らがここへ向かっていると?」=恐る恐る、選ばれた言葉/感情へ障らないよう、神経を集中して選ばれた言葉。

『アルセナル社の部隊が居ると知り、部隊を率いているそうだ』=淡々と情報を語るのみに聞こえる。

 その裏にどれほどの思惑があるかさえ想像を回せない/その一言を受け入れ、言葉を返すために、乾いてばかりの喉で懸命に唾を飲み込む。

「我々の戦闘に介入してくるということですか?」=微かな希望が見えたと、フェオドラが声を上擦らせる――そうであるならば、狙撃手も/漆黒も、まとめて一網打尽にできる。

『その程度で済ませようなど、甘えた願望は捨てろ
 お前の施設がアルセナルに占拠されたために破壊する……連中がそう判断していないという保証はない』

「……」――思わず、息を呑む/凍る背筋を動かそうとして、しかし単なる画面――その向こうにいるだろう自分の父親に、今も見透かされているような恐怖を否定できない「失礼しました」

『その採掘工場はお前だけのものではない。シャムシュロフ設計局の、ひいては我がSSCNの将来。その一翼を担う重要な拠点だ。
 お前の享楽に、いたずらな損害など認められない』

「存じて、おります……」――為す術なく、ただ絞り出すしかない返答/唯々諾々と従わずを得ない――改めて胸を絞めつける、明確な権威の差。

『ならばお前にその拠点を任せた、設計局の期待に応えてみせろ』

 長引かせた戦闘を一刻も早く終わらせろ――フェオドラの理解が追いついた時には、通信は切られていた。

 やっとの開放感――真綿で首を絞められるような圧迫感から逃れ、むせ返るようにえづく――画面から目を背ける/そのまま倒れてしまいそうな虚脱感/奥歯を噛みしめ・コートの裾を握りしめ、堪える。

 遊んでいたつもりなどない/一撃に敵を打ち砕き・一瞬に戦闘を、勝利の形で終わらせるべく尽力したはず……だが、そう思われてなどいなかった……無力感が、首をもたげる。

 ようやく、フェオドラが顔を上げる/瞳へ力を漲らせる/画面へ=敵へ感情を滾らせる。

「貴様らが、無駄な抵抗さえしなければ……!」

 再び沸き上がる真っ赤な感情に任せ、自らの太腿を殴りつけた。

『主よ』

「わかっているさ海豚。敵は残り二機だ」

 迸る感情=すぐにでも唾棄したいと願望を抱えながら/思索を張り巡らせる。
 自身の目的を叶えるためにも。

「終わらせてみせる」
最終更新:2018年08月02日 05:35